人間の街
黒革の靴がカツ、カツと小気味良い音を立てる。
門から続く大通りは綺麗に切り出された石で舗装されていたわ。森のデコボコした獣道や私が箒で飛び越えてきた岩場とは違う、歩くためだけに整えられた平坦な道。
「これよ!私が求めていたのは。泥で裾が汚れる心配のない快適さこそが文明なのよ!」
通りの両側にはレンガや石材、木材を組み合わせて建てられた三階建て、四階建ての建物が隙間なくびっしりと並んでいた。一階部分はほとんどが商店になっているみたいで色とりどりの看板が掲げられて、店先には食べ物や雑貨などが溢れんばかりに陳列されている。
「■■ー!■■■、■■ー!」
「■■■!■■■■ー!」
そして音。森の静寂とは対極にある圧倒的な喧騒。行き交う人々の話し声、商人の呼び込み、馬車の車輪が石畳を転がる音。それらが混ざり合って巨大な生き物の鼓動のように街全体を振動させていたのよ。
人々は皆が忙しなく動き回っている。地味な茶色い服を着た労働者風の男、カゴを抱えた主婦、少し質の良さそうな服を着て談笑する若者たち。彼らの表情は一様に生き生きとしていて、森の中でただ食うか食われるかの日々を送っていた魔獣たちとは違う、生活という名のエネルギーに満ちていたわ。
私は圧倒されそうになるのを堪え、努めて冷静に周囲を観察する。田舎者が都会に出てきて、キョロキョロしていると思われたら癪だもの。私はあくまで「視察に来た高貴な美少女」という設定を崩さないように、流し目で街の風景を切り取っていく。
ふと目にとまったものがあるわ。行き交う人々皆が首から石を下げていたの。地元の住人らしき人は円形の石、旅人風の人は私と同じ六角形の石、というところまでは門と一緒だったけれど、街なかにいる人の石は色が青かったり黄色かったりしている。
「……身分証明のため?階級によって形や色を分けているのかしら」
私は自分の首に下げている六角形の青い石を指先で弾いた。門番の兵士にかけられた安っぽい革紐の石。
「私のファッションには合わないけれど……。とりあえず着けておいてあげるわ」
私は飴玉を口の中で転がしながら人波を縫うように歩き出した。藍色の三角帽子を被り直して、杖代わりの銀の箒を突き、黒革のバッグを抱え、藍色のローブを翻す。周囲の人々が私の姿をチラチラと見ては道を空けていく。
「あら、道を開けてくれるの?私の高貴なオーラに気圧されたのかしら。それとも変な格好の子供だと思って避けているのかしら」
十中八九後者でしょうけれど、私は前者だと解釈して堂々と道の真ん中を歩くことにした。だって私はアリスティア。この街で一番可愛くて最強の魔女なんだから。
しばらく歩いていると、ある奇妙な光景が私の目に留まったわ。
通りの一角にある屋台のような店。そこで初老の男性が鉄板の上で何かを焼いていたのだけれど、火を起こすための薪が見当たらないの。代わりに鉄板の下にある台座のような部分に赤い石を嵌め込んでいる。
彼がその石の横にある小さなレバーをひねると――ボッ!青白い炎が吹き上がったわ。え?ガスコンロ?と思ったけれどボンベのようなものは見当たらない。
「……あれは?」
思わず足を止めた。何よあれ……魔法?いえ、炎は燃え続けているのに男性はお客と話してて余所見してる。魔法を発動させ続けてる可能性は低いわ。
私は少し離れた場所から目を細める。彼が行った動作は赤い石の横にある小さなレバーをひねっただけ。けれど私の目は誤魔化されないわよ!鉄板の下、台座の隙間からチラリと見えた金属プレートに、極めて緻密で幾何学的な紋様が刻まれているのを。
多分、ファンタジー知識でいう魔法陣的なアレよ。魔力を規則的に循環させるための何かが刻まれているのよ。
「なるほど……。魔力を込めた石。魔石を燃料にして台座の魔法陣で特定の現象、この場合は発火を引き出しているのね」
さらに歩き進めると似たような光景があちこちにあったわ。
建物の軒先に吊るされたランタン。あれも油を燃やしているわけじゃなくて黄色い魔石が淡く発光している。井戸のような場所では女性が青い魔石のついた蛇口をひねると、そこから水が勢いよく流れ出していた。
衝撃だったわ。私が森で習得した魔法は自分の魔力を使って、自分の意志で世界に干渉するものだったもの。火を出そうと思えば火が出る。風よ吹けと念じれば風が吹く。それは圧倒的で万能だけれど、常に私という術者の制御を必要とする。
けれど、この街にある魔法は違うのね。
誰でも使えるように道具の中に魔法技術が組み込まれている。魔力を持たない人間でも魔石と道具さえあれば火を起こし、水を出し、光を灯せる。
「なんて……効率的で、システム化された魔法なのかしら」
威力だけで言えば私が放つ魔法の方がずっと強力でしょう。あの赤い魔石の火力なんて私なら鼻息一つで再現できるレベルよ。でもあの仕組みには感動を禁じ得なかったわ。誰にでも恩恵が行き渡るように魔力を技術として確立している。これこそが文明。私が求めていた知性の結晶だわ。
「ふふっ。やるじゃない、人間たち。私がいない間に随分と小賢しくて面白いおもちゃを作り上げていたのね」
私はショーウィンドウ越しに複雑な歯車と魔石が組み合わされた、時計のような機械を見つめながらニヤリと笑みを浮かべた。この街には私の知らない魔法がある。それを解析して私の最強の魔力と組み合わせたら……きっと、もっと素晴らしい、可愛くて便利な何かが生まれるに違いないわ。
街の魔法技術に感心して文明の空気を胸いっぱいに吸い込んで高揚していた私だけれど、しばらく歩き回っているうちに重大かつ原始的な問題が首をもたげてきたわ。
――グゥゥ……。
私の高貴な腹部から情けない音が響いた。門番に貰ったイチゴ味の飴玉はとうの昔に溶けてなくなっていて、口の中に残っているのは微かな甘い記憶だけ。
お腹空いた。
それもそのはずよ。森を出発してから結構な時間が経っているし、慣れない人混みと緊張でエネルギーを消費している。さらに悪いことに、この大通りは誘惑に満ちすぎていた。
私の鼻腔をくすぐる焼きたてのパンの香ばしい匂い。串焼き屋台から漂う肉の脂が焦げるスパイシーな香り。色とりどりの果実を絞ったジュースの甘酸っぱい香り。
右を見ても左を見ても美味しそうなものが溢れている。人々は硬貨を支払ってそれらを受け取り幸せそうに頬張っている。
「……食べたい」
私は串焼き屋台の前で足を止めた。ジューシーな肉汁が滴るその串一本があれば、今の私の幸福度は限界突破するはずよ。店主のおじさんが笑顔で客に串を渡している。私はバッグの肩紐をぎゅっと握りしめた。商売の仕組みなんて分かりきっている。
対価よ。門の所でも見たあの硬貨。あれがあれば文明の味を手に入れられる。けれど私のポケットには埃一つ入っていない。
「……一文無し」
改めて突きつけられる現実に私は軽く眩暈を覚えた。最強の魔力があっても不老不死の肉体があっても、たった数枚の硬貨がなければパン一つ買えない。それがこの文明社会のルール。
私は周囲の視線を避けるように路地裏の少し静かな場所へと移動した。そして黒革のバッグを開いて中身を確認する。中にあるのは私の全財産とも言える宝物たち。
森の小屋から持ってきた純白のボーンチャイナ風ティーカップセット。厳選に厳選を重ねた最高級の茶葉が入った木箱。苦労して縫い上げた着替えのワンピースとブラウス、それと下着類。読めないけれど貴重な知識がきっと詰まっているはずの古びた書物。
これらを売ったら……?
一瞬そんな考えが脳裏をよぎったわ。この精巧なティーカップなら骨董品屋に高く売れるかもしれない。この書物だって学者が見れば喉から手が出るほど欲しいかもしれない。でも――。
「……駄目よ」
私は首を横に振ってバッグの口を固く閉じた。
「これは私が私であるための証明よ。あの永い孤独な時間を生き抜いて優雅な生活を守り抜いた証なのよ」
もしこのティーカップを手放してしまったら?私は薄汚れた食器で茶を飲むことになる。それは私の美学に反するわ。もしこの服を売ってしまったら?私はまたあの麻袋のようなローブに逆戻りかもしれない。そんなのは絶対に嫌。
何より森から持ってきたこれらの品々は小屋での生活、テディやガウルとの日々、そして私自身の歴史そのものだわ。空腹ごときで切り売りしていいような軽いものじゃない。
「私は魔女アリスティア。誇り高き魔女よ。物乞いのように自分の魂を切り売りするなんて、死んでも御免だわ。いえ、死なないんだけど」
私はぐっと唇を噛み締めた。お金がないなら稼げばいい。あるいは何か別の方法を見つければいい。安易に過去の遺産に頼るのは未来を生きる魔女のすることじゃない。
そう自分に言い聞かせたけれどお腹の虫は正直だった。グゥゥ……と再び鳴る音に私はため息をついて路地裏の壁に寄りかかった。
「……でも、どうすればいいのかしら」
石を黄金に変える錬金術なんて知らないし、そもそも偽金作りは多分犯罪でしょうね。魔力で人を脅して奪うのは、人間嫌いの私でもさすがに気がとがめる。いえ、周りが盗賊とか悪者であることが確定しているなら、嬉々としてぶっ飛ばして身ぐるみ剥ぐけれどね?
言葉も通じない、お金もない、知り合いもいない。最強の魔女であるはずの私が、この街ではただの無力な迷子でしかないという事実。それがボディブローのようにじわじわと効いてきていたわ。
「……いえ、諦めるのはまだ早いわ。私には最強の武器があるじゃない」
私はパンパンと両頬を叩いて気合を入れた。お金がないなら別の価値を提供すればいい。私は意を決して路地裏から飛び出した。
まずは鮮やかなオレンジ色の果実を並べた屋台。店主は強面のおじさんだわ。私は屋台の前に立ってローブの埃を払ってから門番をも陥落(同情で)させた上目遣いと満面の笑みを解き放った。
「おじさま、その美味しそうな果実を一ついただけなくて?遠くから来た可憐な少女への、歓迎の印として」
言葉は通じない。だからこそ全霊の愛嬌を込めたニッコリ笑顔で押し切る。けれどおじさんは私のキラキラした笑顔を見ると、ハエでも追い払うかのようにシッシッと手を振った。
「■■!■■■!」
え、嘘でしょ?美少女である私の笑顔が「邪魔だ、あっち行け」のような一言で片付けられた!?
ショックを受けて少し呆然としてしまったわ。で私はめげない。次は本命、香ばしい匂いを放つ串焼き屋よ。
私はバッグの奥から大切にしていた極上茶葉を、ほんのひとつまみだけ取り出してハンカチに包んだ。……多すぎるかしら。ちょっと減らしましょう。これは私が小屋で厳選に厳選を重ねた王侯貴族でも飲めないような最高級品よ。串焼き一本どころか屋台ごと買えてもお釣りがくる価値があるわ。
私は串焼きを焼いているお兄さんの前に進み出た。そしてハンカチに包んだ茶葉を恭しく広げて見せ、串焼きを指差して交換のジェスチャーを送った。
「見てちょうだい。この芳醇な香り、艶やかな茶葉。これを貴方の串焼き一本と交換してあげるわ。感謝なさい」
私は自信満々に胸を張った。さあ、この価値に驚きなさい。
お兄さんは私の手元を覗き込んだ。そして乾燥した葉っぱの欠片を見ると、呆れたようにため息をついた。
「■■、■■■……」
彼は子供が枯れ葉でままごとをしに来たとでも思ったのか、苦笑しながら首を横に振りって私の背中をポンと押して追い出した。
「ち、違うのよ!?これは枯れ葉じゃなくて至高の嗜好品なのよ!貴方たちの文明レベルじゃ理解できないの!?」
駄洒落になっちゃったじゃないと思いながら必死に食い下がったけれど、言葉の壁と価値観の壁は厚かったわ。
その後も揚げ物屋で微笑みかけたら無視され、お菓子屋で茶葉を見せたら変な顔をされ、最終的にはスープ屋台のおばさんに「親はどこ?」というジェスチャーをされて終わったわ。




