検問
列に並んで数分もしないうちに私は文明社会の手荒い洗礼を、その敏感な鼻で受けることになったわ。
「……臭い」
思わず本音が漏れてしまう。周りにいるのは何日旅を続けてきたのか分からないような行商人や、大きな荷物を背負った人たち。彼らの体から立ち上る発酵しかけた汗と染み付いた油、そして乾いた土埃の匂いが容赦なく私の嗅覚を襲撃してくるのよ。
テディとガウルの方がよっぽど清潔だったじゃない……!
私は端切れで作っていおいたハンカチで鼻と口を覆いながら心の中で絶叫した。あの子たちは私が強制的に川で洗っていたから、フワフワでいい匂いだった。最初の頃は怯えたり嫌がられて抵抗されたけれど、何をしても無駄だとわかったら魔獣のくせに遠い目をしていたわね。それはもう予防接種を受けるペットのように。
私は匂いから逃げるように視線を前方へ固定した。ちょうど列が動いて、私の前に並んでいた大きな荷物を背負った少し年配の男性が、兵士に促されて前へ進み出る。
彼は兵士に促されまま水晶に手を触れた。水晶はぼんやりと光る。男性は「ふぅ」と息を吐いて肩を何度か回してから兵士に硬貨を渡して、代わりに革紐が通された六角形の石を受け取った。
「なるほど。あの六角形の石が、外部者のための通行証ってわけね」
次、私の番。
私は兵士の前に進み出た。兵士は二人。革鎧の上に金属の胸当てをつけて腰には剣を下げている。無精髭を生やしたダルそうな男と若くて真面目そうな男。彼らが持っている槍の穂先は安っぽい鉄でできているように見えたわ。
彼らは私を見ると明らかに動きを止めた。上から下まで私の姿を舐めるように見る。藍色の三角帽子とローブ。銀色の髪と箒。碧色の目に大きな革のバッグ。どう見ても浮いているわよね。ええ分かってるわ。周りの人間たちは茶色や灰色の地味な服ばかりだもの。私の洗練されたファッションは彼らの目には異質に映るでしょうね。
兵士たちの視線が痛いほど突き刺さる。本来なら魔女の旅の心得その三「正体は徹底的に隠蔽する」に従って身を縮みこませるべき場面よ。目立つことはリスク。それは百も承知だわ。
けれど――ああ、困ったことに。
ふふん、見なさい。もっと見なさい!貴方たちのその濁った眼球に、宇宙一可愛い私の姿を焼き付けてあげるわ!
私の心の奥底からどうしようもない感情が湧き上がってくるのを抑えられないのよ!目立ちたくない、でも注目されたい。この巨大な矛盾!トラブルは避けたいけれど、私がモブキャラ扱いされるのはもっと耐えられない。理性では空気になりたいと願いつつ、本能では私が主役と魂が叫んでいるのよ!
私は心の中で警報を鳴らしながらも、顔だけは余裕たっぷりの謎めいた美少女の仮面を貼り付けた。
「……■■■?■■■?」
無精髭の兵士が私に向かって何かを言っている。語尾が上がっていたから質問だろうけど、内容はさっぱりだわ。その目は油断なく私を観察している。怯えているわけじゃない。ただ得体の知れない存在に対する職業的な警戒心ね。
私はニッコリと微笑んだ。言葉は通じない。なら雰囲気で押し通すのみ!
「こきげんよう、兵士さん。遠くから来ましたの。中に入れてくださる?」
私が流暢な言葉を発すると兵士たちは顔を見合わせた。若い方の兵士が困惑したように眉を寄せる。
「■■■■……■■?」
「■■……」
彼らはヒソヒソと話し合っている。彼らの反応を見るにただの迷子というよりは、言葉の通じない外国の高貴な客人として扱いに困っているみたいね。
その設定と私の美貌で突破してみせるわ!
首を少し傾げ困ったように眉尻を下げる。そして街の方を指差して悲哀に満ちた瞳で彼らを見つめる。
「街に入りたいのですけれど……ダメかしら?」
上目遣い攻撃。効果はてきめんだったわ。若い兵士が頬を赤らめて咳払いをした。無精髭の方も満更でもなさそうに頭を掻いている。ちょろいわね人間男性。
兵士たちは「言葉が通じないなら仕方ない」といった雰囲気でジェスチャーを始める。無精髭の兵士が諦めたように門の脇の台座を指差して、自分の手をかざすジェスチャーをして見せた。助かったわ!ボディランゲージは世界間でも共通ね!
安堵した瞬間、無精髭の兵士は続けて親指と人差指で輪っかを作り、それをこすり合わせる仕草をする。
――お金。
水晶のチェックとお金。その要求は明白だったわ。
……困ったわね。お金なんて一枚も持っていない。水晶の方は直感でしかないけれど多分大丈夫な気がするわ。けれどお金?私のバッグに入っているのはティーカップと茶葉と着替えと本だけよ?お金なんて使う機会がなかったんだから当然なんだけど。
一文無しの魔女。これがバレたら門前払い確定よね。私の脳内で緊急会議が開かれる。どうする?物々交換?いえ私のバッグの中は厳選に厳選を重ねた逸品たち。どれも差し出したくないわ!そもそも言葉が通じない相手に交渉なんて無理。
頭の中がごちゃごちゃしてきたけれど、考えなんてまとまらない。ええい、なんとかなるわよ!とりあえず水晶のチェックだけを済ませて、あとは私の可愛さで押し切ってみせるわ!
「ええ、分かっていてよ」
私は優雅に頷き水晶の前へと進んだ。近くで見ると水晶は少し濁っていて、表面には無数の手垢がついている。
……汚いわね。こんな多くの人が触ったものを素手で触るなんて、生理的にちょっと……。
一瞬触れるのを躊躇ったけれど、ここで拒否して門前払いされるのは困るわ。私は袖口で手を隠さないように気をつけながら(私の完璧なローブが汚れるのも嫌だから)そっと右手を差し出した。
周りの人々――兵士たちや後ろに並んでいた人たちが固唾を飲んで私を見守っている気配がする。その視線にはなぜか緊張と隠しきれない不安が混じっているように見えた。無精髭の兵士が私の顔と水晶を交互に見比べながら躊躇いがちに口を開く。
「……■■?■■■……■■■■?」
語尾が上がっていて心配そうな声色ね。何を言っているのかは分からないけれど、ジェスチャーからして「無理するなよ?」といったところかしら。やれやれ、私のことをただの子供だと思って気遣っているのね。
私は安心させるように優雅に微笑んで頷いた。この程度の儀式なんて挨拶代わりにもならないわ。
水晶に指先を軽く乗せるとヒヤッとした冷たい感触と共に、指先から何かがスッと吸われるような感覚があった。蚊に刺された……いえ、静電気が走った程度のごくごく微細な感覚。私の海のような膨大な魔力量から、波打ち際の砂粒が一つ持っていかれたかどうかというレベルね。
ポワァ。
水晶はぼんやりと光る。……それだけ。音もしないし光の柱も立たない。ただ完了のサインが出ただけ。
「……あら?」
私は小首をかしげた。終わり?これだけ?もっとこう、私の規格外の魔力に反応して激しく輝くとか、ファンファーレが鳴るとかそういうのはないの?正体を隠す必要があるからどちらの反応も困るけれど、私はまだ何もしていないに等しいのよ?
拍子抜けして私が固まっていると、周囲からホッとした安堵の溜息が漏れたのが聞こえた。顔を上げると兵士たちが胸を撫で下ろしている。無精髭の兵士が私の顔を覗き込み、眉を八の字にして話しかけてきた。
「■■……?■■■■?」
彼は私の顔色を確認するかのようにじろじろと見て、それから優しく私の肩を叩いた。まるで「よく頑張ったな、倒れなくてよかった」と労るように。後ろに並んでいたお婆さんも「あんな小さな体で……」というようにハンカチを目元に当てている。
……はい?
私は状況を理解するのに数秒を要したわ。彼らの反応は称賛でも驚愕でもない。これは――心配と同情だわ。
水晶に手をかざしていた人たちが軽い疲労感を見せていたことを思い出す。多分この世界の人間にとって水晶に魔力を吸われる行為は献血をするような負担があるんじゃないかしら。
だから私のような華奢で可憐な美少女が魔力を吸われて、魔力枯渇で倒れやしないかとハラハラしていたんだわ。そして私が平気な顔をしているのを見て、無理をして平気なふりをしている健気な子だと勘違いしているのよ!
「ち、違うのよ?私は平気なの!むしろ全然足りないくらいよ!?」
私は慌てて訴えたわ。通じない異世界語でね。
「■■……」
無精髭の兵士は何かを言いかけて、魔力を吸われた直後の健気な私の姿を見て言葉を飲み込んだ。彼は大きくため息をつくと、革紐を通された六角形の石を私の首にかけた。あら?お金はいいの?
兵士は急に真剣な顔つきになって私の首にかかった石を指差した。それから門の脇にある水晶を交互に指差す。
「■■、■■■■。■■■、■■■■■……■■?」
彼は私の目の前で指を一本立て、ゆっくりと空を一周させるようなジェスチャーをした後、再び水晶を指差した。その口調は少し厳格で言い聞かせるような響きを持っていたわ。
「……?」
何かしら。石と水晶。そして指を回す動き。
水晶はこの街のシンボル。そして指を回すのは「また会おう」という巡り会いのサイン。つまり「この石は歓迎の証だ。またいつでも水晶の輝きを見に来なさい」という、観光客への粋な挨拶に違いないわ!
「ええ、分かっていてよ。また来るわね」
私は「任せておいて」とばかりに自信満々に頷いてみせた。すると兵士は「本当に分かっているのか?」とでも言いたげな微妙な表情を浮かべる。失礼ね。
けれど後がつかえているし言葉が通じない子供相手にこれ以上説明するのは無理だと悟ったのでしょう。彼は諦めたように首を振り、懐から飴玉のようなものを取り出して私に握らせて背中を優しく押した。
「■■、■■」
彼は優しく門の中を指差した。「もう行っていいぞ」というジェスチャーだ。通行税を免除された上にお菓子まで恵まれた!?
くっ……屈辱だわ!可愛さじゃなくて哀れみで通されるなんて。しかも最強の魔女であるこの私が魔力枯渇を心配される虚弱児童扱い!?私の魔力は有り余っているのよ!いえバレちゃ駄目なんだけど。
「……覚えてなさいよ。この屈辱、いつか倍にして返してやるんだから」
私は不満げに頬を膨らませて兵士から貰った飴玉を握りしめて門をくぐった。
でも、まあいいわ。一文無しがバレずに街に入れたことには変わりないもの。騒ぎにならなかった分、安全に観光できると思えば。
門番の兵士に握らされた飴玉の包み紙をつまみ上げ、太陽の光に透かして睨みつけた。包み紙に描かれた赤い果実の絵を見るに……イチゴ味みたいなものかしら。
「最強の魔女である私を、魔力欠乏の哀れな子供扱いするなんて……。この飴玉一つで私のプライドが修復されると思って?」
私は不満げにフンフンと鼻を鳴らしながら、それでも飴玉をポイと捨てることはしなかった。なぜならこの世界の加工食品の味を確かめるという重要な調査任務があるからよ。あと単純にお腹が少し空いているという事実。
私は包み紙を剥がして鮮やかなピンク色の球体を口の中に放り込んだ。
「……ん」
口いっぱいに広がる人工的な甘さと果実の酸味を模した香り。それは森の中で齧った酸っぱい木の実やただ焼いただけの肉とは決定的に違う計算された味だったわ。
「……悪くないわね。いえ、認めましょう。美味しいわ」
私はコロコロと飴を転がしながら悔しさを飲み込むように、そして文明の味を噛み締めるように歩みを進めた。石造りの巨大な城壁の内側に広がる人間の街。その全貌がいよいよ、私の目の前に色鮮やかに展開されようとしていたわ。
こうして私はなんとも締まらない形で、初めて人間の街へと足を踏み入れたのよ。




