藍色の魔女
「痒い……。もう限界よ!」
早朝の静寂を切り裂くように私の声が、魔女の隠れ家の中に響き渡った。窓の外では寝ぼけ眼のテディとガウルが、何事かと小屋の方を警戒している気配がする。けれどそんな下僕たちの安眠に気を配る心の余裕なんてないわ。
「このボロボローブ!私のスベスベでマシュマロのような肌に対する、宣戦布告としか思えないわ!」
私はベッドから飛び起きて、身に纏った麻袋のようなゴワゴワのローブをむしり取る勢いで掴んだ。
「チクチクするし、重いし何より動きにくい!こんな雑巾みたいな服を着て、宇宙一可愛いを名乗るなんて、訴えられても文句言えないわよ!」
鏡代わりの窓ガラスに映るのは、相変わらずブカブカで歩きやすいように木の棒で無理やり丈を短く固定した、滑稽極まりないローブを纏った、みすぼらしい私の姿。
「輝く銀髪も澄み渡る碧の瞳も、この冴えないローブのせいで台無しだわ」
当初は素材が手に入ったと喜んでいたけれど、もう我慢出来ないわ。
「拠点と下僕は一段落ついたから、次は私の至高の可愛さに相応しい、完全武装を整える段階ね」
ロッキングチェアで優雅に紅茶を飲み干して、私は立ち上がった。大丈夫よ、今回はカビていない茶葉を選別したわ。
「いくら魔女の隠れ家が快適になろうとも、下僕たちが忠実であろうとも、この姿では私の最強の魔女としての威厳が保てないわ」
私の最初の目標、可愛すぎるオリジナル衣装を製作する。これは単なる着替えじゃないわ。永い孤独を経た、女王の戴冠式に匹敵する神聖な儀式なのよ。
幸い小屋の奥にあった年季のあるタンスには、服とは別に何枚かの布切れが残されていた。くすんだ茶色、黒色、白色。
そしてなぜか一際鮮やかな深い藍色をした小さな布の塊。でも触れてみると、どれも粗くゴワゴワとしているわ。
「もう!この文明の技術力は、どこまで私を失望させれば気が済むのかしら!こんな粗悪品を私のスベスベ肌に触れさせるなんて、考えただけで鳥肌が立つわ!」
でも悲しいことに布は魔力では作れない。この素材を使うしかないわね。
私はその中で最もマシだった、深い藍色の布の塊を選び出した。この藍色なら私の鮮やかな碧眼によく映える色だと思うわ。
「よし、これをベースにするわ。ふふん、見てなさい。この粗末な布をオリジナル衣装に加工してあげる!」
私は藍色の布の塊を床に広げ手をかざした。私が得意とする魔法は破壊や放出だけじゃないわ。繊細なコントロールこそが天才の証よ。
「まずは、布の表面の粗さを風魔法で磨き上げましょう」
私は高速回転させた風魔法の渦を発生させ、布の表面にある僅かな繊維の凹凸に意識を集中する。
強すぎれば布が裂けて、弱すぎれば磨けない。極めて細かい単位の調整を維持し続けなければいけない、極限の集中力勝負よ。
ジジジジ……。
微かな音と共に布の表面が削られていく。これは一瞬で終わる魔法じゃない。数万年の時を経て自然が岩を磨く工程を、私の魔力で圧縮して再現しているに過ぎないのよ。
「……長いわ」
始めて数時間。進捗はわずか。私は額に汗を浮かべながら終わりの見えない研磨作業に没頭した。
日が暮れては中断して、翌朝また再開する。
数日が経過する頃には、私の高貴な精神はすり減り目は血走り始めていたわ。
「きゅ、休憩よ!こんなの根詰めすぎてシワができちゃうわ!」
私は気分転換に小屋の外へ出た。小屋の前の広場ではテディとガウルがのんびりと寝そべっている。
私が近づくと、以前のようにビクついて飛び起きることはなく、テディが片目だけを開けて「あ、起きてきたんすか」と言わんばかりの気だるげな視線を寄越したわ。
「あなたたち、暇そうね!私の気晴らしに付き合いなさい!」
私が宣言すると二匹は顔を見合わせ「また始まったよ」とでも言うように鼻を鳴らした。ガウルが大きく欠伸をしてからのっそりと立ち上がる。私の突発的な行動にいちいち怯える時期は過ぎて、諦めの境地に達したらしいわね。
最初こそ私が苛立ち紛れに魔力を漏らすたびに、彼らは「殺される!」と地面に頭を擦り付けて震えていたわ。
でも何度もそれが繰り返されるうちに彼らは気づいてしまったのよ。この世界を揺るがすほどの殺気の原因が、敵襲でも天変地異でもなく、彼らにとってはどうでもいい些細な事情であることを。
ある時、私が布を失くしてしまったと思って、風魔法で小屋の中をひっくり返して探していた時のことよ。
震えるテディの鼻先に見つかった布を突きつけて「これよ!これのせいで私は不機嫌だったの!」と天使も裸足で逃げ出すような満面の笑みで報告したわ。
そしたらテディの目からスッと、畏怖の光が消えたのを私は見逃さなかったわ。「……なんだ、そんなことかよ」という、強者に対する敬意が完全に欠落した、生温かい呆れの眼差し。
その瞬間から彼らの中で私は絶対的な恐怖の対象から、取扱注意の騒がしい同居人へとランクダウンしたみたいね。実害がないと分かれば野生動物の適応力は逞しいものよ。
「散歩よ!テディ、背中を貸しなさい!」
私がテディの背中に飛び乗ると彼は「重いなぁ」とわざとらしく背中を揺すった後、観念したように歩き出した。以前のようにカチコチに緊張しているわけではなく、むしろ私の座り心地など知ったことかという雑な歩き方だわ。
ガクッ、ゴトッ、と容赦なく揺れる。
「ちょっと!もっと優雅に歩けないの!?あなたたちの女王を乗せているのよ!」
「グルァ」
テディが低く唸る。知るかって意思が言葉の壁を超えて聞こえた気がするわ。
完全に舐められている気がするけれど、まあいいわ。恐怖で支配するより、こうして呆れながらも付き合ってくれる方が気楽でいいものね。
森を一周して戻ってくる頃には、私の荒んだ心も少しは癒やされていたわ。
長い研磨作業の末、ようやく滑らかな光沢を持つ布が完成したわ。
作業を終えて布を手に取った私は「おぉ…」と思わず声が出る。元のゴワゴワした布とは比べ物にならない、絹のように滑らかな触り心地。艶やかな質感を持つ藍色の布がそこにあったわ。光を浴びて深く美しい光沢を放っている。
「完璧だわ。私の知性と魔力があれば、文明の粗悪品も最高の逸品へと進化するのね」
まだ私は布の美しさに酔いしれたわ。
「さて、素材の準備はできた。次はデザインと裁断よ」
私が目指すのは最強の魔女の象徴であり、私の可憐な美しさを最大限に引き立てる衣装。
「私が作るのは羽織るタイプの優雅なロングローブよ。そして魔女といえば、やっぱり三角帽子は外せないわよね。先がへなっと垂れているのがポイント」
脳内でデザインを確定させて、私は布を手に取った。
最適な比率や文明的な服飾理論?小難しい知識なんて私にはないわ。私のセンスこそが、この宇宙の物理法則よりも優先されるべき最高の法則だもの。
「型紙なんて不要。このパーフェクト美少女ボディこそが最高の定規よ!」
私は布を体に巻き付けて、鏡代わりの窓ガラスの前でポーズを取る。
「ここをこうして……、あれ?背中が見えないわ」
体を捻り首を限界まで回して背面のラインを確認しようとするけれど、布がずり落ちてしまう。
「もう!誰か押さえてなさいよ!」
誰もいない部屋で一人叫びながら悪戦苦闘した。紐で縛ったり重石を乗せたりしながら、理想のラインを探る。
「ここだわ!」
位置が決まれば風魔法で裁断する。ここでも慎重さが重要ね。勢い余って自分の髪や肌を傷つけないように、そして布を無駄にしないよう慎重に風を操る。
「ふぅ……。戦うより疲れるわ、これ」
汗だくになりながら、ようやくパーツごとの切り出しが終わった。
ここまでは順調だったわ。魔法で解決できる範囲だったからね。本当の地獄はここからだったわ。
三角帽子も含めて裁断が終わると、いよいよ縫製……つまり縫う作業ね。
小屋にあったのは錆びかけた針と、見るからに脆そうな切れやすい糸。試しに糸を引っ張ってみると、少し力を加えるだけで、ブチッと音を立てて切れたわ。
「くっ……!この粗悪な糸と錆びた針で最高の服を縫い合わせなければならないなんて。いいわ!弘法筆を選ばず。これは私への試練ね!」
けれど試練にも限度がある。糸が切れるのを防ぐためには、まず素材そのものの脆さを物理的に解決する必要があるわ。
私は小屋の引き出しにあった残りの糸を全て取り出した。
「仕方ないわね。私の知性と高貴に溢れた手を使って、最も原始的な手段で解決してあげるわ」
私は同じ色の細い糸を三本選び出して、一本に撚り合わせる作業を始めたわ。一本では切れるような糸でも、三本絡み合うことで強度は増す。三本の矢理論ね。
クルクル、クルクル……。
私は暖炉の前でひたすら糸を撚り続けた。魔法でやろうとしたらあまりにも細かすぎて糸が絡まって団子になったから、結局は手作業よ。
均一な力で切れないように優しくしっかりと。この単純作業が私の天才的な頭脳を虚無へと誘うわ。
「……飽きたわ」
開始から数十分で限界が来た。私は糸を放り出して小屋の裏手へ逃亡する。
裏の畑では以前に魔法で耕した土に小さな芽が出ていた。私は水魔法でスプリンクラーを意識しながら、一株ずつ丁寧に水をやる。
「大きくなりなさいよ。私の食卓を彩るためにね」
水やりを終えると畑の隅でガウルが土を掘り返していた。
「こら!そこは耕さなくていいの!」
私が怒るとガウルは「チッ」と舌打ちしそうな顔で作業を止めて、土まみれの顔をブルブルと振って私に泥を飛ばしてきた。
「きゃあっ!もう、野蛮なんだから!」
泥を拭いながら私はふと笑ってしまった。糸作りは苦痛だけど、こうして陽の光を浴びて、生意気な下僕と喧嘩して土に触れる時間は悪くない。永い孤独な修行時代にはなかった生活が、ここにはあったわ。
だとしても。それはそれ。これはこれ。罪には罰を。ガウルは洗浄刑にした。
「さて、やるわよ」
気力を回復させた私は再び小屋に戻って糸との戦いを再開した。
しばらく、糸の撚り合わせ→飽きる→逃避→飽きる→作業に戻るっていうサイクルを何度も繰り返して、ようやく太くて頑丈な糸がローブを縫うのに必要な量だけ確保出来たわ。
高貴な私の手はもう真っ赤っ赤に腫れあがっていたわよ。暖炉の火に照らされているだけね。不老不死ジョークよ。
私はようやく縫製に取り掛かった。太く撚り合わされた糸は針穴に通りにくかったけれど、一度通ってしまえば簡単に切れることはないわ。
まずはローブの縫製から開始した。私が最も美しいと感じるように胸元から裾にかけて緩やかなAラインを描き、袖は手首で少し広がるデザインよ。
縫い進める作業にも非常に忍耐を要したけれど、糸が切れるっていう精神的苦痛からは解放されたわ。私の華奢な指は、針と糸を正確に操って可愛い縫い目を作り上げていく。可愛い縫い目って何よ。
「な、なんでよ!こんなにも真っ直ぐに縫っているのに、布が歪むなんて!」
けれど縫製中に、裁断の際の微妙なズレや布地の重さの違いで、私の意図しない方向に布がよれてしまうの。
「あ!また……」
一部の縫い目が大きく歪んだことに気づいて、私はまた怒りに震えた。その歪みを元に戻すことはできないから、泣く泣く撚り合わせたばかりの糸を解いて、縫い直すっていう二度手間を強いられたわ。
手戻りなんてなかった魔法の修行に比べて、今回の作業は縫い直すたびに私の何かが削られていく気がするのよ。でも……。
「私の執念を舐めないで欲しいわね」
何百年も魔法の修行を続けた私の執念は、この程度の作業なんかでは諦める理由にはならないわ。でもフラストレーションが溜まるのはどうしようもないわ。
だから限界が来た時は下僕ズに八つ当たり……いえ、模擬戦を仕掛ける。
「テディ、ガウル。遊びましょ?」
昼寝をしていた二匹が、私の声に含まれる不穏な響きを感じ取って飛び起きたわ。でも残念だけど拒否権はないのよ。
万が一のために魔力障壁を全方位に張って開始する。彼らが右へ逃げれば火球を投げ、左へ逃げれば落とし穴を作る。
テディは無理やり突破、ガウルは目に見えない速さで攻撃してくるけれど、障壁が全ての攻撃を阻むわ。魔力感知すればガウルの位置もバレバレよ。
これは決してイライラをぶつけているわけではないのよ。彼らの生存能力を高めるための指導なのよ。たまたま私の機嫌が最悪だっただけね。
「ふぅ……。いい運動になったわ」
ストレスを発散させてスッキリした私は、晴れやかな顔で小屋へと戻った。恨めしそうな視線を感じたけれど気のせいね。
こうして適度な休憩を挟みながら作業を続行して、ローブの縫製が一段落したわ。
でもこの後はまた、虚無の糸の撚り合わせタイムに再度突入するわ。三角帽子用の糸も撚り合わせて確保するためね。その後にようやく制作に取り掛かったわ。
三角帽子は綺麗な円錐形や広く開いたつばの部分は、形を保つための芯が必要ね。私が好んでいるのは先がへなっているデザインだから、円錐の頂点部分だけはあえて芯を入れず、布の重さに任せて自然に曲がるように設計したわ。
「これで強すぎる威圧感を抑えた、ちょっと可愛い魔女の帽子になるわ」
そうして季節が一つ巡るのではないかと思うほどの時間をかけて、ようやく作業が終わった。
何度も針で指を突き、縫い目が歪んでは解き、発狂しては下僕に八つ当たりし、畑の野菜が収穫できる頃になった。
テディの低い唸り声とガウルの体が小屋の周りを回る微かな振動で、私はハッと目を覚ました。顔を上げると暖炉の火は燃え尽きていて、小屋の中は夕闇に包まれていた。
私は慌てて自らの手で作り上げた、オリジナル衣装を抱え上げた。ついにそれは完成したわ。
「で、できた……!」
私は震える手で完成した衣装を持ち上げた。深く艶やかな藍色のローブと三角帽子。苦労の結晶だわ。すべての工程に私の汗と涙と、下僕たちの恨めしい顔が詰まっている。
早速ブカブカのボロボローブを脱ぎ捨てて、暖炉の火で燃やした。いえさすがに思いとどまったわ。資源は大切にしましょう。
ボロボローブはタンスにシュートして、私は興奮しながら新しい衣装を身にまとった。
深く艶やかな藍色のローブは、私の華奢な体に完璧にフィットしている。そして頭には先が緩やかにへなっと曲がった三角帽子。
そのデザインは私を森の支配者でありながら、同時に最高の可愛さを持つ魔女としての存在感で満たしたわ。苦労して磨き上げた布の肌触りは最高ね。
「ふふふ……最高だわ!完璧よ!この二つを纏った姿こそ私の真の姿よ!これなら私の可愛さと威厳をどんな相手にも理解させることができるわ!」
私は窓ガラスに映る自分の姿を直視した。それは永く孤独な最強時代を終えた女王の姿だったわ。
「今日から貴方たちは、セットで藍色の魔女よ!」
私がローブの袖を翻すと布がしなやかに揺れ美しい音を立てた。動きに合わせてローブの表面の滑らかさが空気のわずかな摩擦で輝きを放つ。
私は勢いよく小屋の扉を開け放った。
「テディ!ガウル!見なさい!最強の魔女の誕生よ!」
夕日に照らされた広場で私は高らかに宣言して、くるりとターンを決めた。寛いでいたテディとガウルがのっそりと顔を上げる。
彼らは私の姿を見て一瞬目を丸くした後「ふーん、やっとできたんすか」という風に鼻を鳴らして、またゴロリと寝転がったわ。
「な、なによその薄い反応は!もっとこう畏怖とか称賛とかないわけ!?」
私は不満げに頬を膨らませたけれど、ふと足元を見て動きが止まった。
……裾が、床を引きずっているわ。
採寸の苦労も虚しく少し長すぎたみたい。本来なら直すべきでしょう。魔法で切断して、またあの地獄の撚り合わせと縫製作業を……。
「……いえ、無理」
私の本能が拒絶したわ。これ以上の手直しは精神の崩壊を招く。テディが「あーあ、長いっすね」と言いたげな視線を裾に向けているけれど、私はそれを無視して胸を張った。
「長い方が女王の威厳が増すでしょ!多少やぼったい方が重厚な風格を出すことができるわ。これは意図されたデザインよ!」
私は力説して、引きずる裾を優雅に蹴り上げながら歩き出した。下僕ズは「はいはい、そういうことにしておきますよ」という顔で、私の後ろをのそのそとついてきた。
っていうか、テンション上がって外に出てきたけれど、ローブの下はまだ裸同然だったわ。しまらないわね。




