訪問2
志心は、宮へと帰って重臣の朝見に、加栄に書状を書けと言ってから、再び鳥の宮へと向けて飛び立った。
加栄には、栄子の事について、どういう事だと一応、パフォーマンスとして苦情を入れたのだ。
本気でどうにかしろと言っているわけではない。
何しろ、そんな事にまで口出ししていたら、最上位の宮などやってられないからだ。
それは、向こうも分かるだろうが、しかしこういう事は宮の恥とする世なので、恐らく放置はできないだろう。
一応、そんな叔母が居る、という事実を、公然と知らせたという事になるのだ。
それは上から二番目の上位の宮にとって、恥以外の何物でもない。
今この時に、苦情の一つも定満の宮に入れずにはおられないだろう。
嫌がらせのようなものだったが、こうでもしておかないと、定満が必死にならないだろう。
なので、志心はわざとこんな風に、定満を追い詰めるような事をしていた。
これは、志心一人の判断ではなく、最上位の宮皆の判断だという風に匂わせておいたので、志心単独に向けられる恨みもないだろうし、これで何とかあの宮が残ってくれたら、と志心は思っていた。
鳥の宮へと到着すると、炎嘉は政務に出ているらしく、居間で待つようにと伝言があった。
もう昼を過ぎているのに、と志心が何か忙しいのだなと思って居間へと勝手に入り、そこで座って窓の外を眺めていると、見た事が無い女が、奥の居間の横の庭まで来て、そこらを散策しているのが見えた。
奥の間近くまで入って来られるのは、王族と友でもかなり親しい者だけと決まっている。
だが、あれはまだ幼い様子で、誰かに似ているようにも思うが、誰だったが分からない様子だった。
…あれは誰だ。
志心は、窓を開いてそちらへと足を踏み出した。
「…ここは奥であるぞ?主は誰よ。」
その女は、驚いたように志心を振り返った。
そして、まじまじと志心を見てから、頭を下げた。
「志心様。我は、塔矢の第一皇女、聡子でございます。炎嘉様には、こちらを散策することをお許しいただいておりまして。」
志心は、こちらは名乗っていないのに、見知っていたのかと頷いた。
「そうか、聡子。」と言ってから、ハッとした。「ということは、主が詠み人か?」
聡子は、志心を見上げて頷いた。
「はい、志心様。」
今度は、志心が聡子をまじまじと見返した。
若いのに、確かにこの落ち着いた様はどうだろう。
何やら安心感があるような、それでいて緊張感もどこかに漂うような、おかしな感覚がする。
志心は、言った。
「…ならば問うが、主は誠に全てを知っておるのか?炎嘉から聞いたが、まだ半信半疑ぞ。何か、我に言えることはあるか。」
聡子は、首を傾げた。
「言えることとて…過去のことでありましたらいくらでも。」と、遠い目をした。「そうですわね…志心様には、維月様を気にしておられましたわ。ですが昨今では、想うてはおるようでも遠い感じ。もはや崇拝のような状態ですわね。少し前には、己も愛する相手が居ないが、誰か対等な者に愛されているわけでもなくて、虚しい心地になられてあちこちなされて…、少し、いざこざがありましたわね、炎嘉様と。」
志心は、目を丸くした。
それを知っているのは、月と炎嘉、焔、それに維心ぐらいのものだ。
その者達でも、志心の深い心地までは知らなかったはずだった。
そもそも、その頃に聡子は生まれていたのだろうか。
いや、居なかったかもしれないし、居たとしても赤子だったであろう。
志心は、そんなつもりはなかったのに、全てを見透かされているような気がして、険しい顔をした。
「…皆、知っておるか。」
聡子は、頷いた。
「はい。ですが我は、聞かれても他のかたの情報は一切申せませぬ。ご本人のことであるから申せるのですわ。神世に関わる大事であるなら別ですけれど。」
志心は、言った。
「それは、決まっておるのに縛られておるのか?」
聡子は、首を振った。
「いいえ。我が己で縛りを設けております。そうでなければ、皆にとってよろしくないと思うておりますから。」
志心は、ため息をついた。
もし本当に何もかも知っているのなら、聞きたいことがある。
「そうか。ならば聞く。」聡子が、驚いた顔をした。志心は苦笑した。「別に大事ではない。我の事ぞ。」
聡子は、困ったように言った。
「未来の事は、制限がございますけれど。」
志心は、首を振った。
「そんな事は己で生きて知るから良い。それより、知りたいのよ。我は、維月を誠に愛しておったと思うか?」
聡子は、フッと寂し気に微笑んで、首を振った。
「…我が見たところ、恐らくは最初はお気に入ったのだと思いますけれど、後は意地ではないかと。それからは、維心という何ものにも興味がなかった存在が、それほどに愛するのだからという興味が大きかったかと思いますわ。志心様には、本当に誰かを愛されたことが、まだおありにならないのではないでしょうか。愛することに憧れて、愛そうとされてそのような気になるものの、そうではないと知って虚しくなられる、の繰り返しなのではないかと。維月は、維心が囲っておるので試す事もできないので、だからこそそれを愛しているからだと己に言い訳ができるので、そういう事にして納得なさっておいでなのですわ。我は…そう詠みました。違いましたら申し訳ありませぬわ。」
志心は、どんどんと目を見開いた。
そうか、この虚しさはそういう事だったのだ。
志心は、頭を殴られたような気がした。
己の、いつまで生きたら良いのだという虚しさの中には、空虚な心があったのだ。
自分は、愛そうとしていたのにできなかった。
維月のことは、長い年月想うておるように、自分を騙していた…それは、手が届かないからそれが本当なのか確かめる術がなく、真実でないと発覚することが無いから。
誠に愛していたのなら、これほど離れていて平気なはずなどないだろう。
志心は、己で己の事を理解していなかったのに、こうしてポッと出た詠み人に導かれるのがおかしな心地だった。
だが、何やら原因が分かって、ホッとしたような気もする。
「…我は、どうしたら誰かを愛することができるのかの。」志心は、思ったより小さな声が出て驚いた。「どうも、千年も足掻いていたような気がするのよ。」
こんな、初対面に近い女に聞くような事ではないのは分かっていた。
それなのに、すんなりと言葉が出てしまう。
聡子は、近付いて来て、自分の袖口で志心の頬をそっと拭った。
「…もう、よろしいのです。」志心は、聡子が自分の涙を拭ってくれたのだと知り、己が泣いていたのかと驚いて聡子を見た。「責務ばかりで最初の妃を無理に三人もまとめて娶った時から、きっとあなた様はそういった事は義務だと思うてしもうたのでしょう。でも、そんな皇子の頃のあなた様はもう、居りませぬ。自由なのですわ。誰を愛しても、誰もあなた様を咎める事はありませぬ。もう良いのですよ。」
志心は、昔々の皇子の頃に、戦国であったし跡継ぎだけは残せと無理に縁付けられた時の事を思い出していた。
ほんのりと恋心のようなものを感じる女も居た気がするが、それは身分が低くて父王に許される事もなく、そんな想いなど持っても無駄だと思ってしまった。
聡子は、そんな志心を知っている。
誰もが、志心さえもが今この時まで忘れていたはずの事を、聡子はあっさりと引き出して来て、知らせてくれるのだ。
気が付くと、志心は聡子に抱かれて、思い切り泣いていた。
皇子の頃の自分が、やっと今、泣いているのだと思った。




