妥協
「我ではないぞ?」天黎が、自分の居間に戻って来た碧黎に言った。「我はただ傍観しておるだけ。主ら力のあるもの達が、逸脱した行為をせぬよう管理しておるだけ。流れは勝手にできておる。しかしそれを読んで書き綴る、人が多く居る事実は我にも分からぬのだ。多くの命が現れては黄泉へ向かい循環する中で、何らかの意味を持ってそんな者も生まれるのだろうの。とはいえ数百年前に生きたその人の一人は、我らの後を読んで書き綴った。その時点で決められていた流れを読んでいた。だが、現実に追い付いた今、違う流れを起こそうとしておる。」
碧黎は、言った。
「それは可能か?我は時に思うのよ。もしかして我が流れに逆らったと思うていたが、それは流れ通りだったのでは、と。結局決められた流れの上に居るのではと。」
天黎は、うーん、と視線を横に向けた。
「そうよなあ…それが分かるのは、過去しかあるまい?果たして過去を知るもの達は、いったいどこまで知っておるのか。あれらが読んだのは、遥か数百年前のこと。あれらに一つ一つ聞けば、それがどうであったか分かろうものよ。現実に起こった事と、違った箇所があればそこは流れを変えておるのだ。流れを変えられた事実が存在すれば、此度も変えられる可能性がある。気の遠くなる作業であろうが、時はある。気になるのなら試してみたらどうか?」
碧黎は、そういえばそうだ、と浮き上がった。
「その通りよ。聞いて参る。」と、パッと移動しようとして、ふと天黎を見た。「…主は答えを知っておるか?」
天黎は、フッと笑った。
「我に分からぬ事はない。全てこの世界に起こること、人世であろうが神世であろうが、黄泉であろうが見えておるわ。」
だが、教えてはくれぬのだな。
碧黎は、自分に対する神達の心地を、今の自分に知りながら、その場から消えた。
「…維黎の様子でも見てくるか。」
天黎は独り言を言って、その場から消えたのだった。
義心は、蒼の側を辞して龍の宮へと急いで帰って来た。
維心は、一人居間でじっと座っているところだった。
険しい顔で何かを考えていて、維月は側に居なかった。
義心が維心の前へと膝をつくと、維心は言った。
「…どうであった。」
あまり期待していない顔だ。
義心は、顔を上げた。
「王。蒼様は、ご存知であると仰っておられました。」
維心は、途端に目をハッキリと開いた。
「…蒼は言うたのか。」
義心は、首を振った。
「いえ、碧黎に止められており、申せなかったのだと。ですが、蒼様には一刻も早く王に言いたいと思われておいでで、引き留める十六夜と碧黎と交渉した結果、王がこの事に関して、一切の強硬手段を用いて動かれないと約してくだされば、申し上げることができると。つまりは、王の影響力が問題であるのだということでありました。」
維心は、眉を寄せた。
「どういうことぞ?」
義心は、頷いた。
「は。蒼様が仰るには、最初からずっと王にご相談したいと思うておられたとか。ですが月の縛りがあって、申し上げられずに居た。話して良いのですが、王の動き次第で大変な事になるとかで、それでも王のお力がなければ事が収まらずで、動けず硬直状態であったようです。碧黎様から何故に話してはならぬのかという理由を聞きになられたようですが、やはり言えないと思ったと。なぜなら、王のやり方をご存知であるから。ゆえに、理由を話しても王が強硬手段に絶対に出ないと約してくださるのなら、言える、というのが蒼様のお話です。」
維心は、視線を斜め下に向けて、考え込む顔をした。
「…我の行動次第で、何かおかしな方向へ行くと碧黎は言うておるのだな。つまりは、我がそれを知ったらやるだろうことが、逆に面倒を引き起こすと碧黎が言うたから、蒼が言えぬと思うたとしたら合点が行くの。」
義心は、頷いた。
「は。恐らくそれが正解ではと。なので、王の行動を封じてからでないと、申せないということではないでしょうか。」
維心は、むっつりと考え込んだ。
碧黎が言う、面倒とは何か分からない。
碧黎が面倒だと思うことが、自分が面倒だと思う事と同じだとは限らないのだ。
単に神世が更に乱れるという事なのか、それとも碧黎が都合の悪い方向へ動くという事なのかも分からない。
一度聞いてみない事には、維心には全く判断がつかなかった。
「…確かに約すのは無理ぞ。碧黎が面倒だと思うことが、我が面倒だと思うことと同じだとは限らない。我がそうしたいと思うことが、碧黎の面倒だとしたら我はそれを飲むことはできない。だが、聞かぬ事には分からない。我としては、確かに約す事は出来ぬ。だが、話次第では聞いても良い。そうとしか、答えられぬの。」
義心は、それはそうだろうな、と頷いた。
「は。では、蒼様にはそのように?」
維心は、ため息をついた。
「…だがそれでは蒼は我に打ち明ける事は出来まい。」と、義心を見た。「とりあえず、神世に関わる大事でないなら我は蒼が言うように手を出さずでおくと約す。だが、大事となればそれは無理ぞ。我は世の太平を守る義務があるのだ。いくら蒼が申しても、世を乱す輩を野放しには出来ぬ。左様申してくれぬか。それしか、方法はない。」
「だったらその大事ってのの判断基準は何なんでぇ。」脇からいきなり声が聴こえたので驚いたが、見ると十六夜が窓に立ってこちらを見ていた。「こっちは隠してた事を明かそうってのに、そっちはそんな曖昧な表現で逃げるのかよ。だったら蒼には眠ってもらってでもこっちから情報は出さねぇぞ。オレ達が世を乱そうと思うと思うか。大体な、お前はやり方が極端なんでぇ。何でも完全に排除とかばっか考えるだろうが。それじゃ上手く行かねぇ事もあるの。」
維心は、十六夜を睨んだ。
「あのな。主に何が分かるのよ。この世を太平に治めるのはかなり面倒な作業なのだぞ。我が全てを見張って事前に排除するゆえ、何事も大事にならずにこれまでやって来た。主らが甘いのは知っておる。それで面倒な事になったのは一度や二度ではあるまい。我が殺せと命じても、生きて残して何度その後面倒が起きたのだ。その度に尻拭いをさせおって。己でどうにもできぬのに、言うことだけは一人前であるな。」
十六夜は、ムッとした顔をした。
「別にやってもいいぞ。お前より力のある命が揃ってる月の宮なんだから、神世がどうの気にしてなかったら何だって出来るんだ。それこそ、黙ってあちこちから神を攫って来ることだって朝飯前。何しろオレは、どこからでも運んで来ることができるからな。お前がそのつもりだったら、こっちは勝手にやる。これまで、神世の序列だの、動きだの邪魔しちゃ悪ぃからやってなかっただけだ。そうか、だったらオレも気になる神を攫って来て記憶取って見るわ。お前にゃ頼らねぇよ。じゃあな。」
維心は、目を見開いた。
「何を言うておる!そんなことをしたら、月の宮があちこちから神を攫っておると大騒ぎになるぞ!宮が機能を失くす!」
十六夜は、窓から浮き上がりながら、言った。
「うるせぇ!そもそも月の宮ってのはお前らと接するために作ってる場所であって、オレ達は本来宮なんか要らねぇの。攻めて来るなら来たらいいさ、全部消すから。親父だって月の眷族を守るためには力を貸してくれるぞ。どうせ宮を閉じてるんだから、外とは関わらないって事で済ませる。」と、奥の戸の方を見た。「維月!」
バンと何も無いのに勝手に奥の間への扉が開いた。
その前で、恐らく話を聞いていただろう、維月が立っていた。
…帰ったおったのか。
維心が驚いていると、維月が叫んだ。
「十六夜…ちょっと待って、私が維心様に話してみるから!」
だが、十六夜がグイと手を振った。
「無理だ。こいつはオレらなんか無能でどうせ自分が居ないと何もできない甘い奴らだって思ってるんだってさ。こっちが忖度してやってたのに、損した。行くぞ。」
え、と、義心も思わず維月を掴もうとしたが、維月は言った。
「待ってって!十六夜!」
すると、維月は光になって、義心と維心の手をすり抜けて十六夜の手の方へと流れて行った。
「じゃあな。月の眷族は神とは関わらねぇ方が良いってことだな。肝に銘じるわ。」
維心は慌てて言った。
「待て!話し合いの余地もないのか!」と、十六夜がスッと維月の光と共に消えた。「十六夜!」
二人が消えた痕跡を追うが、一瞬にして消えたので分からない。
だが、遠く月の宮に、二人の気配が出現したような感じがした。
「…クソ…!あれが聞いておったのを忘れておった!ぬかったわ…!」
義心は、また面倒な事になった、と、内心ため息をついていたのだった。




