順調に
それから、維心は旭に自分の良い時に陸に知らせれば良い、と書状を送り、旭は機を計っているようだった。
当の陸は、密かに頻繁に月の宮の百合奈の所へと通い、蒼に下賜されている百合奈の屋敷で共に過ごしているようだ。
ちなみに、百合奈の息子の浬の事は、父は違うが臣下として、百合奈が陸の宮へと上がる際に連れて来ても良いと言っているらしい。
だが、浬はといえば、月の宮で仕えたいと言っていて、もしかしたら浬だけ、蒼の元に残るかもしれないらしかった。
だが、浬はまだ幼い見た目で、歳は50になるかならないかでしかない。
軍の養成所に通うことは許されているが、幼少クラスに所属していて、もっぱら子供達ばかりで棒を振っているだけの歳でしかなかった。
そうなって来ると浬が心配で、百合奈もどうしたものかと悩んでいるようだった。
皐月も過ぎ、水無月も過ぎて、文月となった頃、遂に旭の使者が、陸の宮へと渡ったと知らせがあった。
維心は、目の前に膝をつく義心を見た。
「そうか、やっとか。いつでも良いと申したら、長く待たせよってからに。それで?」
義心は、顔を上げた。
「は。陸様には落ち着いたご様子でそれをお聞きになられ、あっさりとお許しになられました。つまり、愛羅殿が永久に宮を辞することを、ということですが。左様、旭様に書状を書かせて、使者にすぐに持って帰られせていたので、問題なく進みましてございます。」
維心は、頷いた。
「さもあろうの。昨今の陸の様子は蒼から聞いておるが、頻繁に単身で月の宮へと渡り、百合奈と臣下の小さな屋敷で過ごしておると聞いておる。十六夜が申すには、何やら幸せそうで、愛羅のことなどすっかり忘れておるような様であるとか。そんな様ならそうなろうな。」
義心は、頷いた。
「夢から覚めた心地であられるのでしょうか。誠にあっさりと。皇子を殺そうとした王には見えませぬ。我も、あの変わりには驚きましてございます。」
維心は、ふうとため息をついた。
「確かにの。あれも人形のような女を一方的に愛でることの虚しさに気付いたのだろうて。案じておった礼儀の点でも、月の宮の侍女をしておってある程度しつけられた女であるから、上手くやるだろう。何よりまだ若いしな。誠に上手く収まってホッとしたわ。炎嘉に、この事を知らせる書状を鵬に書かせて送らせよ。あちらも外から様子は見ておるだろうから旭が使者を送ったのは知っておるだろうが、主のように中まで潜んでは行けぬから。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そして、そこを出て行った。
維心がフッと肩の力を抜くと、維月が入って来て、言った。
「…聞いておりましたわ。陸様にはあっさりと承諾なさったと。」
維心は、振り返って手を差し出した。
「維月。」と、維月が隣りに座るのを見て、頷いた。「思うたよりすんなり事が進んだわ。これで昌士と迅が宮へ戻って、後は上手く回るだろう。陸は迅が去ってからかなりその指示通りに傘下の支配を進めて回っておる。案じる事が無うなった。今年の師走の会合で、思うた通りに三番目にあれの宮を上げる事ができそうぞ。」
維月は、微笑んで頷いた。
「案じておりましたが、良かった事ですわ。それにしても、お父様がわざわざ迅殿を月の宮から出さぬほうがと仰った真意が気になりまする。あの方々に、何かあるのでしょうか。」
それは維心も気になっていたことだった。
陸の領地周辺の不穏な空気はまだあれからも消えてはいない。
その辺りも、陸の管轄となるので、年明けには陸の結界内へと入ることになるのだが、それが何か問題でも起こすことになるのだろうか。
「…義心に見回らせてはおるのだが、まだ何も見えてはおらぬ。あれだって万能ではないゆえ、一度に全てを見ておれるわけではないゆえ、しかも密かにとなると難しかろうしな。今は表面上上手く回っておるので良しとするよりない。主も、何か見えたら教えてはくれぬか。」
維月は、頷いたが、首を傾げた。
「…お話できたら良いのですが。父が止めて参るやもしれませぬ。何しろ、地や月の力を使うので、まだ眠ることになる可能性もあります。それでも言うべきことなら、しばらく眠ったとしても申し上げますけれど…。」
そうだ、維月に限らず月の眷属にはその縛りがある。
見えても言えば眠ることになるので、言えないのだ。
「…無理はせずで良い。とにかくは、我もよく探ることにする。あれから志心も注意してくれておるが、何分我らは気が大きいゆえ、あまりに相手が小さな気だと気取るのが遅れるのだ。そんな小さな気であるのなら、我らにとっては敵ではないがの。」
それはそうだが、何やら維月は胸騒ぎがした。
維心が倒れるなどあるはずもないが、何があるかわからない。
何かが乱れたら、維心だってどうなるかわからないのだ。
「維心様、ご油断は禁物ですわ。」維心が、眉を上げる。維月は続けた。「何やら胸騒ぎが。人がそうのように、神でも力が小さな者は、知恵で対抗して参ります。どんな知恵を持っておるのか分からぬのですから。案じられますこと…。」
維心は、フッと笑うと、維月の肩を抱いた。
「ない。案じることはないのよ。知恵と申して我以上の知恵を持つ者もまた居らぬ。案じることはないのだ。我にとり脅威とは、主や臣下達民達に害を及ぼす事であり、己の命だけなら守るのは簡単ぞ。我が案じておるのは、下々の者達が犠牲になるやもしれぬから。なので我の身は案じる必要などない。」
そう言いながらも維心は嬉しいようで、維月を抱き締める。
維月は、そんな気持ちではなかったので、怒ったように言った。
「維心様?誠に案じておりますのよ?ご油断はなりませぬ。」
維心は、維月をあやすように言った。
「分かった分かった、気を付けるゆえ。そら、綾から新しい菓子の作り方を教えて欲しいと申して来たのではないか?返事を書かねばの。」
真剣に聞いていない。
維月は焦ったが、維心は無敵なのだという自負があるので維月の懸念などわからないのだろう。
仕方なく綾へと文を書きながら、隣りの維心が案じられてならなかった。
陸は、長月まで待って早々に昌士と百合奈を宮へ引き取ると蒼に連絡を入れて来た。
とはいえ、旭への対面もあるので、百合奈も共に戻ることは、公には今はしないようだった。
迅は、今の陸と昌士ならば問題ないだろうと、戻るのは様子を見てからにしたようだ。
それには維心も驚いたが、碧黎の言葉が気に掛かるのでその方が面倒がなくて良いと思っていた。
とはいえ、陸の結界外の空気は、さらに悪くなったように感じる。
義心も見回っているのだが、めぼしい出所は分かっていなかった。
そんな時に、定期的に報告に来る義心が、夕刻になりやって来て膝をついた。
「王。ご報告に参りました。」
維心は、頷いた。
「何か分かったか?」
義心は、顔を上げた。
「相変わらず、動きはありませぬ。ですが、本日少し、気になる動きを。」
維心は、興味を持ったようで少し、身を乗り出した。
「何ぞ?些細な事でも良いぞ。」
義心は、珍しく少し自信がないような顔をしたが、言った。
「は。実は…はぐれの神など、常あちこちウロウロとするものでございますので、あれらの動きを一人一人追ったところで、その先で女と逢引しておったり、略奪に向かっておったりいろいろと見たくもないものを見る事になるだけなのですが、本日は一人、別の宮の神と会っておる男を見掛けました。」
維心は、義心もあちこち大変だったのだとそれで気付いた。
集落から離れて外へと行く神達を、一人一人追って行ってその先がそれでは、ハッキリ行って虚しい限りだろう。
「別の宮とは、どこの宮ぞ。」
義心は、頷いた。
「は。定満様の宮の軍神のようで。甲冑がそうでありましたが、顔が見えず、気も隠れておって分かりませんでした。」
維心は、一気に眉を寄せた。
定満とは、上から三番目の宮の、定利の息子だ。
ちなみに定利とは、定士という維心に歯向かった神の子で、蒼の息子であった新月は幼い頃にこの定士によって攫われ、数百年後に蝦夷の果てで発見された経緯がある。
だが、定利は何も知らず維心に恨みも無いので、そのまま定満の代へと引き継ぎ、特に問題なくおかしな様子もなく過ごしていた。
「…今さらに定満がどうの無いとは思うが。何しろ、あれは定利から何も聞いてはおらぬようであったし、定利ですら定士から聞いておらなんだぐらいであるからの。話しておる内容は?」
義心は、頷いた。
「は。それが、最初の方は開けた場所でしたので潜む場所を探して聞けておりませぬが、途中から。はぐれの神の方が、何やら話と違うと憤っているような様で。軍神の方は、そんなはずはないだの、もしや過去を知る者がいるのではだの、またこちらも憤っている様でおかしなことを言うておりました。」
維心は、ますます眉を寄せて、考え込む顔をした。
「過去を知る者?なんだそれは。何かやらかしたことを誰ぞの知られとうないゆえ、隠そうとしておるのか。定士の事ではないはずぞ。あれの事はもう済んだ。それを知ったからと今さら何も無いし…意味が分からぬ。」
義心は、頷いた。
「我もそのように。はぐれの神と何か約してその上で何かが上手く行かぬのかと、そのままじっと話を聞いておりましたが、いまいち要領を得ず。ただお互いにイライラと、話と違う、そんなはずはない、と言い合って、そうして最後には物別れしたように離れて参りました。我も、軍神の後を追って確かに定満様の結界内へと入って行くのを見届けて、それきりでありまする。」
維心は、息をついた。
「…はぐれの神は、女神を斡旋したりもすると申すし、下位の軍神とかなら何かと引き換えに攫って来た女を引き渡したりあったのやもしれぬぞ。それが上手く運ばぬで、諍いになっておったとは考えられぬか。」
義心は、頷いた。
「は。我もそのように。あの辺りは治外法権でありますし、手を出すこともあまりできないので見ておるだけに留めておりますが、確かに治安はあまり良くありませぬな。陸様の結界に近くなれば落ち着いて参りますが、少し離れると酷いものでありまする。王が仰る通りの事かもしれませぬ。」
だから、義心は言うのを躊躇ったのか。
とはいえ、そんな事しか報告できないほど、何も見当たらないということだ。
維心は、言った。
「…ま、主は今夜と明日、明後日は休め。その間は帝羽と新月に行かせよ。長くあの辺りを見ておるゆえ、疲れが出て勘も鈍って参るだろう。主には何があった時のため、万全であったもらわねばならぬ。」
義心は、頭を下げた。
「は。ではそのように。」
確かに、最近は疲れていたかもしれない。
本来潜む場所など瞬時に見つけてさっさと話を聞けるのだが、今回は勘が鈍っていて途中からしか聞けなかった。
しかも、内容はわけが分からないもの。
義心は思い、維心が言う通りここ数日は休むことにした。
ひと月4休にしてある宮だったが、よく考えたら義心はここ数か月は休みなしで働いていたので、その分宮から下賜される物が屋敷に溢れて来て困るほどになっていたのだ。
少し休もう、と、義心は屋敷ではなく宿舎の方へと足を向けたのだった。




