労働条件
義心が、回廊を宿舎の方へ向けて歩いていると、脇の侍女の通用口の一つから、パッと誰かが出て来て自分の行く手を塞いだ。
こんなに避けようもないほど素早い侍女が居るのかと驚いて見ると、それは侍女と同じような部屋着を来た、維月だった。
「え、維月様?」義心は、こんな所に王妃が出て来て、誰かに見られなかったかと回りを見ながら慌てて言った。「なりませぬ!誰かに見られたらどうなさるのですか!」
と慌てて近くの扉の一つに維月を突っ込んだ。
そこは物置のようだったが、維月は義心を気遣わし気に見上げて、言った。
「疲れておるようだったので、気になって。維心様はお休みをやっとくださったのね。私、鵬に義心っていつ休んでいるのって聞いたのよ。そうしたら、ここ数か月は休みなしで報酬で補填をって言うから…。せっかく、ひと月4休になったのに、あなただけそんなに働いてはいけないわ。きちんと休まなきゃ。」
義心は、何度も頷いた。
「分かり申しました。これより明後日までは王よりお休みを戴きましたので、しっかりと休みますので。維月様には、奥へお帰りにならねば、ここは外宮近くの回廊でございますよ。このような端近にまで出て来られて、ここには外からの神も多く参ります。お姿を見咎められるようなことがあってはなりませぬから。」
維月は、言った。
「でも、なるべく侍女に見える着物を選んで急いで着て来たから。大丈夫よ、まさか王妃がこんなところにこんな格好で居るなんて誰も思わないから。」
義心は、首を振った。
「そんな問題ではありませぬ。維月様を見て懸想する神が居ったら何と致しまするか。また面倒な事になりまするから。さあ、奥宮へ。お送り致します。」
グイグイと奥の扉から維月を引っ張って連れて出て行こうとする義心に、維月は言った。
「ちょ、ちょっと待って!今日、菓子を作ったの!ほら、元気になるって言うから、皆に配るのにたくさん台番所にあるのよ。義心も食べた方がいいわ。私の気を込めてあるから、きっと元気になるの。頭もスッキリよ。」
義心は、またそんな下女のような事を、とため息をついたが、王が許しているのだから仕方がない。
維月を振り返ると、その手を握った。
すると、維月の珍しい癒しの気がこれでもかと義心に流れ込んで、何やら体が楽になる気がする。
義心は、フッと肩の力を抜いて、言った。
「維月様、そのように我の事をお気遣い頂かなくても…分かっておられましょう。あの頃とは違い、我はまだ若い。我だって、感情が抑えきれぬ時があるやもしれませぬ。お側に居たいと思うのは、今も変わりませぬが、そうすると面倒な感情も出て参ります。なので、お側近くに上がるのはご遠慮した方がとできるだけ離れておるようにしておるのですよ。それだけに、王の他の男の目にあなた様が映るのは、はっきり言って不愉快に感じるので、我をお気遣いくださるのなら、お早く奥の王の御許へ戻って頂きたいのです。」
維月は、思いもかけず義心がハッキリとそんなことを言うので、しどろもどろに答えた。
「ええっと…あの、そうなの?なら、もう戻るわ。でも、台番所で菓子はもらって帰ってね。それから、新しい襦袢と裁付袴と、部屋着を縫ったから、あなたの宿舎に届けてもらってあるわ。」
本来妻が揃えるのだが、義心には妻が居ないので、適当に指示して作らせるだけだ。
なので、今のように忙しいと指示する暇もなく、毎日同じ物になってしまう。
それを、維月は見て知っていたのだろう。
義心は、ため息をついたが微笑んだ。
「いつもありがとうございます。では、お戻りを。」
義心が手を放すと、維月は頷いて、そっと物置を出て奥へと向かって走って行った。
義心はそれを見送ってから、こうして時々にでも気にかけてくれている事実を知るだけで、また明日からも励めるものだと気持ちを新たにしていたのだった。
維月が自分の部屋へと帰って急いで着替えて居間へと出て来ると、維心がいつもの正面の椅子へと座ってこちらを見た。
そして、維月に手を差し出した。
「…見ておった。」
その一言で、維心が何を言いたいのか、維月には分かった。
なので、先に頭を下げた。
「申し訳ありませぬ。あの、あまりにも働き過ぎで案じておりまして。」
維心は、ふうとため息をついた。
「分かっておった。主が鵬に義心の休みはいつだと聞いておるのを鵬から聞いて、これは案じておるなと本日休みを言い渡したのだ。間に合わなんだようだがの。」
維月は、ため息をついた。
「…あまりにも、長い時間働き過ぎておると思うのですわ。私が案じておるのを感じて、義心の休みを初めて考えられたのでしょう。ひと月4休を決められたのに、役に立つからとあまりにも酷使し過ぎておると思うておりました。でも、必要な事なのだろうと、せめてお世話をと思うたので、菓子や着替えの着物など準備しておりましたの。私の気は、ご存知の通り癒しの気でありますので。」
確かに酷使していた。
よく考えたら、正月からこっちで丸一日義心が宮に居た日はなかっただろう。
つまり、睦月から長月までの9カ月、義心は満足に宿舎にも帰らずに働き続けていた事になるのだ。
維月が案じるのも、言われてみたら道理だ。
いくら神世でも、文句も言えない軍神を、9カ月も連続で働かせるなど稀で、どんなに下位で扱いが悪くても、三カ月に一度は必ず休みがある。
それを、義心でなければと、9カ月も使いっぱなしなのは、確かに維心もバツが悪かった。
「…主の言う通り必要であったから義心を使っておったのよ。確かにあまりに長く休みを与えておらなんだが…。」
維月は、下を向いた。
「臣下は道具ではありませぬ。まして、義心は筆頭軍神の家系でお役に立つのに、使い捨てのような扱いをされて、失うてから後悔なさっては遅いのです。お気付きではありませんでしたか?義心の気が濁りつつあって、それで目がいつものように見えておらぬはずですわ。あんな状態では、見えるものも見えませぬ。」
維心は、驚いて維月を見た。
「義心が?」
維月は、え、と維心を見上げた。
「ご覧になっておりませんでしたか?…私が地であるから見えるのかしら…。」
維月は、考え込むように袖で口を押えて床へと視線を落とす。
維心は、首を振った。
「意識して見ておらなんだが、気になるほど気が変化はしておらなんだ。そうであれば我が気付いたはずぞ。誠にあれは、気が濁って来ておるのか。」
維月は、頷いた。
「はい。内側からでありますので、恐らくいろいろと浄化が間に合っておらぬ状態なのですわ。あまり眠っておらぬのでしょう。それが9カ月も続いたのなら、いくら義心でも立て直すのに通常の休みかたでは無理だと思うて。それで、菓子で内側から浄化して、衣で外から癒せば少しは早く身軽になるかと。」
だからか。
維心は、合点がいった。
維月が日々義心が報告に来た後、案じるようにその背を見送ったりしていたのは、それだったのだ。
それで、またせっせと襦袢などと縫っていたので、また誰にと思っていたが、そんな義心を案じたからだったのだ。
「…気付かなかった。恐らく、主ら月の眷族だけが分かる深度で濁っておるのだろうの。主がそういう反応をするもの分かる。」と、維月の肩を抱いた。「分かった。すまぬ、我が気付かなかったせいぞ。確かに、あれがかなり優秀であるからと、長く休みも与えず働かせすぎた。三カ月ぐらいならこれまでも度々あったが、確かに9カ月は長すぎた。あれが何も言わぬしサクサク働くゆえ、そんなものだと。」
維月は、維心を見上げてまたため息をついた。
「維心様、いくら優秀でも、生きておるのですから。我らが寝ておる間も、地上を見張ってあちこちしておるとしたら、義心はいつ休むのでしょう。まして、筆頭軍神が休みたいと己から申し出るなどありませぬ。どうか、今少しお気遣い頂きまして。」
維心は、頷いた。
「分かった。だが、此度の事は先に言うてくれたら良かったのだ。そうしたら、もっと早うに休みを与えたと思う。」
維月は、スッと目を細めて維心を見た。
「…常は、私が口を出しましたら政務の事であるからと仰るし、義心の事となるとまた厳しく叱責なさるので、申し上げられずにおりました。ですが、今直接に顔を見て参りましたので、手が触れた時に一気に気を流し込んで浄化しておきましたしもう問題ありませぬ。これからは、気が付いたらすぐに申します。」
手が触れたのではなく、あやつが主の手を握っておったのだろうが。
維心は思ったが、維月が少し怒りモードに入っているので余計な事は言わなかった。
そして、何より自分が長い間義心を働かせっぱなしであったから悪いのだと納得して、頷いた。
「では、そのように。」
表向きは収まったが、維月がまた怒っているようで、維心はこれからはしっかり臣下のことも見ておこう、と肝に銘じたのだった。




