志夕
維心が勝手知ったる白虎の宮の中をずかずかと歩いて行く。
その後ろから追い付いた炎嘉は、言った。
「志夕は意識がないだけで無事ぞ!志心が黄泉路を歩いておるならそれを掴まえて話したら良いのではないのか。」
維心は、黙って皇太子の対へと足を踏み入れる。
その後ろから、箔炎と焔が急いでやって来た。
「なんだ、何かあるのか維心?無事な志夕より志心の方を何とかできぬのか。」
維心は、治癒の神達に囲まれる、志夕に近付いて行った。
治癒の神達は、慌てて頭を下げて後ろへ退いた。
「…あの体の復活は無理ぞ。志心が己でやったこと。あれは自分が取り込まれる危険性が知っておった。あの瞬間、己の命を諦めたのだ。ゆえにああなった。」
三人は、驚いた顔をした。
「諦めた?なぜに分かるのだ。」
維心は、志夕を見つめて言った。
「我ならそうするからぞ。無意識かもしれぬが、あの気が取り込む術だと気取ってもはや逃れられぬとなった時、主ならどうする?」
炎嘉は、ハッとした。
確かに、後の事を考えて瞬間的に死ぬ事を選んだだろう。
「…では、あれは覚悟の上で命を投げ出したのか。」
維心は、頷いた。
「…やはり親子であるな。志夕もまた、同じように考えたようだ。目の前で父王が己を庇って倒れた時に、己の命を投げ出した。」と、志夕に手を翳した。「諦めよ。もう、戻らぬ。我が戻しても良いが、本神が望まぬのに定着せぬわ。」
炎嘉、焔、箔炎が、維心が何を言っているのかわからないでいると、志夕が目を閉じたまま涙を流した。
「いったい、何が…。」
炎嘉が言う。
すると、目の前の姿が僅かに変わり始め、間違いなく志夕だった姿が、見慣れた志心の姿に変貌して行った。
「おお…?!どういう事ぞ…?」
焔が、声を漏らす。
目の前の志夕だった体は、涙を流したまま目を開いた。
「…そんなつもりはなかったのだ。」その声は、間違いなく志心だった。「あれは、取り込む術の中で我を引っ張った。正確には我の魂魄をの。己に我を取り込んだのだ…そして、己はそこを出た。二つの魂魄は、同じ体に存在できぬから。」
箔炎が、恐る恐る聞いた。
「志心か…?誠に?!」
志心らしい体は、頷いた。
「そう。中に居るのは我ぞ。志夕は黄泉の道を…」と、涙を溢れさせた。「…我も後を追ったのに。あれは、帰れと言った。我が未だ神世に必要だからと。何千年生きれば良いのよ。あれでも白虎を率いる事はできたのに。」
維心は、首を振った。
「門に入った命は外には出て来れぬ。志夕は門に飛び込んだぞ。感じた。」
志心は、頷いた。
「目の前で見たゆえ知っておる。父が迎えに立っておった。ゆえ…あれは笑って去った。」と、顔を伏せた。「我がそうなるはずだった。我のはずだったのに…!ならば取り込まれて維心に無理やり復活させれば良かったものを!あの時は死ぬのが最善なのだと諦めて…!」
志心は、傍目も気にせず泣いた。
維心は、なだめるように言った。
「あれは今頃穏やかな中に居る。志幡が来たなら案内しておるだろうぞ。主の心地は分かるが、主が庇わねば志夕が倒れておったのだ。同じことぞ。主のせいではない。」
だが、志心は涙を止めなかった。
炎嘉は、自分も強制的に嘉楠の体を与えられて生きたので、志心の気持ちが分かった。
まして炎嘉は臣下だったが、志心は息子なのだ。
その気持ちは、簡単には復活しないだろう。
治癒の神達が、涙を流して黙ってそれを聞いている。
維心は、言った。
「…志心を、王の奥の間に。皆に話せ。亡くしたのは、志夕の方だと。」
治癒の神達は、維心に深々と頭を下げた。
それを後目に、維心達王はそこを出て行った。
まだ、やらねばならない事が残っているのだ。
その後、維心は焔の反対を押し切り、夏奈を十六夜の力を借りてあっさりと祟り神の呪縛から解放した。
別に十六夜の力を借りなくてもできたのだが、あまりにおぞましい気を自分の気で掴むことで、もろに感じるので鬱陶しく、自分の気を十六夜の力で包むことでそれを回避して、祟り神の気を消し去ったのだ。
今は気を失っているが、ただの女神となった夏奈に、目覚めた後は耐え難い記憶が襲うだろう。
それを知っていて、維心はそうしたのだ。
自分が何をしでかしたのか、しっかり自覚させずに楽にしてなるものかと考えたのだ。
焔は、炎嘉から維心の思惑を聞いて溜飲を下げたらしいが、それでもあの辺りの惨状は大変なものだった。
高峰の宮は建て直さない事には住むことはできない状態にまで崩落していて、外に放り出された神達を、龍や鳥の軍神達が、天幕を立てて収容して何とかしのいでいた。
それらも、宮を失ったショックとこれから先の沙汰の事を考えて、すっかり茫然自失になっていて、誰も話すことすらしないような有様だった。
その後、大騒ぎしているのは知っていたが、ひたすらに終わるのを待っていた清には義心から報告させ、閉じ込めていた地下室を開いたところ、枯れ木のようになった佳織が発見されたらしい。
清は、泣き崩れていたのだと義心に聞いた。
維月は、碧黎によって月の宮に運ばれていて、そこで綺麗に記憶の処理をされているようだ。
命を繋いでできるだけ夏奈とシンクロしていたところを消そうとしたらしいが、完全ではないらしい。
それでも、少しはマシになったと、近い内にこちらへ連れて戻ると聞いていた。
義心からは、碧黎から聞いた事のあらましの報告を受けた。
遅れて集まって来た最上位の王達を前に、白虎の宮で全てを皆に伝えた。
事のあらましは、こうだ。
維心が夏奈の記憶から汲み取って推測した通り、最初は夏奈の高峰に対する怨嗟の念から始まった。
涼弥に執着し、涼弥が自分を本気で放り出すはずなどないと考えていて、高峰の圧力のせいだと、引き取ってくれた父親を恨んでいた。
どうしても涼弥の元へと帰りたいと、その最後に言われた宮を回す能力や、高峰の宮を出るだけの力が欲しいと願い、それが怨嗟の念と合わさって術が形作られてしまった。
佳織が、同じ想いを持って近くの宮に戻っていたので、その想いを感じて繋がりそこから力を吸い取り始めた。
維月は、維心達から話を聞いて、夏奈に同情し、地の目を使って夏奈を観察していたが、そのせいで夏奈と感情的に繋がりを持ってしまう。
碧黎が気取って遮断し、それ以上見れないように、夏奈の力が維月を捕えないようにと、気遣っていた。
それでも繋がりが絶てていなかったことを案じていたが、維心の強力な結界の中に居た維月には、全く夏奈も手を出せなかったようで、力はしっかりと遮断され、維月にはその僅かな心情だけが漏れて来てシンクロしていた。
それだけの事だったが、力を持つようになって狂って行った夏奈の感情は、維月を段々に強く翻弄するようになっていた。
祟り神になる直前などは、なので完全にシンクロするような形にもなり、碧黎は危機感を覚えて維月を眠らせ、十六夜を戻らせて維心の手助けをさせようと考えた。
いよいよ祟り神になるかという時に、志心と志夕が襲われた。
そこから後の事は、維心も炎嘉も焔も箔炎も、知っている通りだったのだ。
それを白虎の宮で聞いた、炎嘉が言った。
「…ならば、碧黎には早くから全てが見えていたという事であるな。」と、話し終わった義心を見た。「あれは、どこまで知っておったというておった?志心のことは。」
義心は、下を向いた。
「は…。何分、地であるので…。」
知っていたのか。
皆が、その答えでそう思った。
だが、言うなと言われたのだろう。
維心は、息をついた。
「あれが、傍観するしかないのは今に始まったことではない。今は天黎が側近くに居るし、余計に何も言えぬのだと思うぞ。それでも、維月が取り込まれるのは阻止しておってくれた。志心は命を落とさなかった…蒼が、まだ志心の先が見えないと言うておったのだから、気付くべきであったのよ。もし何かあるのなら、志心ではなかったとの。志夕は…恐らく、蒼が見ておったなら、気取っておったやもしれぬな。そして、言えぬで悩んでおったろう。蒼には、なので先を聞くなどしてはならぬのよ。普段は見ないと言うておったのだからの。」
焔は、頷いた。
「誠に思いもしないことがあることぞ。これからは、ああいった事は下位に任せてはならぬわ。」
箔炎が、顔をしかめた。
「下位とて三番目ぞ。そんな対応もできぬ宮を三番目に据えておった我らにも責任はある。やはり今回、しっかりと序列を見直す事にして正解だったということよ。この機会に一気に精査して、能力の低い宮は全て下位に叩き落とすべきぞ。」
それには、炎嘉も頷いた。
「そのつもりぞ。此度の事は、高峰の宮を残すとしても下位に落とすことは間違いないと思うておる。それに…これだけの事を起こした責任は、涼弥にもあるとして沙汰を考えるよりない。志夕が死んでおる。事が大きいゆえ、あちこちタダで済ませるわけには行かぬ。」
焔は、ため息をついた。
「その通りよ。離縁したとはいえ、それが原因となればの。まあ、下位に留め置きぐらいで良いだろうが、皇子皇女がの…罪人の血を引いておるゆえ、軽犯罪ならこの限りではないが、問題になろうな。清はどうする?」
それには、維心が首を振った。
「清は良い。あれはしっかり佳織を最初から封じておった。結局、その気を利用されて死んでおるし、あちらは沙汰は要らぬだろう。そもそもが、自立を諦めて陸の傘下に下ることになっておるしな。」
駿が、割り込んだ。
「では、師走の会合がもう目の前だが、そこで全て済ませるということに?」
炎嘉は、頷く。
「そのつもりぞ。ゆえ、主らさえ良いのなら我と維心でサッサと決めてしまおうかと思うておる。年明けには塔矢、吉賀、陸の宮が序列を上げて傘下を抱えて回し始めることになるし、その前に済ませてしまいたいのだ。だが…この様子では、正月の休暇には志心は来れまいな。喪中であるし。」
焔が、何を言う、という顔をして炎嘉を見た。
「沙汰の件はそれで良いが、志心は何故?志心こそ癒しが必要なのではないのか。騒ぐのは無理やもしれぬが、皆で温泉にでも浸かって穏やかに語らっておった方が良い。気分転換が必要ぞ。めんこも、本来の戦うのではなく、眺めて感想を言い合ったりして。あれは香も好きであるから、皆で渾身の出来の香を持ち寄ってはどうか?」
維心が、ため息をついた。
「それはまた考えようぞ。今の志心に正月の話などまだ早い。直前になってから決めれば良いわ。とにかく、今はこれまで。師走の会合での。炎嘉、主は我と宮へ参れ。話を詰めようぞ。」
炎嘉は、頷いた。
「疲れたが参るわ。ではの、皆よ。どちらにしろ、我は志心が無事であっただけでも安堵した。ではな。」
そうして、二人は義心を連れて龍の宮へと飛び立った。
他の王達も、重苦しい気持ちで暗い雰囲気が漂う白虎の宮を後にして、帰路に着いたのだった。




