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嫌な気配

月の宮では、蒼が居間で志心の訪問を受けていた。

ずっと滞在しているので、毎日ほど政務が終わった頃に居間へとやって来るのだが、今日はまだ午前中の会議が終わった時間に来たのだ。

どうしたんだろうと志心を見ると、志心は部屋着ではなく、外出用の着物を着て、立っていた。

「蒼。すまぬな、長い間。一度宮へ帰って来ようと思うのだ。」

蒼は、急な事だったので、驚いて言った。

「お座りください。急なことですね。今朝、志夕から書状が届いていたそうですが、それでですか?」

志心は、言われるままに蒼の前へと座って、頷いた。

「いくら何でももう二月近くこちらに居るから。いつまでも放って置くわけにも行かぬのだ。志夕が言うのは、何やら高峰の宮の方角からの気が、大きくなっているように思うと申すし、不気味に感じて一度、戻ってくれないかと申すのよ。我が死んでおるならいざ知らず、生きておるのに宮を志夕に丸投げするのもの。」

蒼は、頷いた。

「そうですか。確かに十六夜も、ワケが分からないけどなんだか知ってるような気のような気がする、と言って毎日ピリピリしてますしね。女神なのでそんなに大きな気でもないはずなのに、最近では倍ぐらいに感じる時があるとか言って。オレも見てるんですけど、確かに大きくなっているような気がします。」

志心は、眉を寄せた。

「…気が大きくなるとて、あれの気は大した事は無いが、それでもあり得ないことよ。生まれ持った気は、大きくしようにもどうにもならぬもの。それができるのなら皆やっておる。皆が維心に平伏さねばならぬのは、だからこそなのだ。どうにかなるなら、世は未だに戦国ぞ。己が天下をと必死であろうからな。」

蒼は、渋々頷いた。

確かに、気が大きくなるなど、昔碧黎が翠明と公青にやったように、誰かの気と入れ替えるよりないだろう。

だが、入れ替えることすら、できる能力を持つ神は居なかった。

「でも、確かに大きくなっているように感じるんですよ。どうしてだろう…。」

何やら、後ろ寒い感じを受ける。

あるはずのない事が、起こっているという事だからだ。

志心は、ため息をついた。

「ま、見て参る。何があろうと我の結界は動じぬだろうが、高峰とその周辺の宮はそうではないからの。あれらとは近いし何があったらしょっちゅう陳情に参るから、我も気になっておるのだ。志夕では気が回らぬだろうし、見回って来る。主は上から見ておるが良い。」

蒼は、頷いたが立ち上がる志心を見ていると、何やら急に胸騒ぎがした。

何だろう…行かせてはいけないような気がする。

「志心様。」蒼が言うと、志心は振り返った。「あの…志心様が、戻るしかないのでしょうか。」

志心は、驚いた顔をした。

「今申したではないか。我が戻って見て参るしかないだろうが。」

蒼は、首を振った。

「オレ、なんだか不穏な感じを受けるんです。志心様がお帰りになることに…なんだか、帰って欲しくないみたいな。」

だが、志心の命はまだあるように感じる。

寿命が近い神のそれではない。

それなのに、どうしてこんな風に感じるのか、蒼にも分からなかった。

志心は、苦笑した。

「なんぞ、戦に向かう王に追い縋る妃のような顔をして。」蒼がえ、と思わず身を退くと、志心は笑った。「問題ないぞ。案ずるな。主には我が、今にも死にそうに見えるのか?」

志心は、蒼にそれが分かるのを知っていて言っている。

蒼は、首を振った。

「いいえ、そうではないんです。なのに、そんな風に感じるから自分でも戸惑ってて。」

志心は、ため息をつくと、蒼の頭を撫でた。

蒼がびっくりしていると、志心は笑った。

「主はまるで息子のようぞ。蒼よ、何度も申すが、我はもう思い残す事もないのだ。仮に寿命ではなく何かと戦って死ぬとすれば、それもまた我の最期に相応しいとは思わぬか?我一人が黄泉路へ向かったことが無いのだからの。仮に死んだとしたら、少し休んだ後、また戻る。一時の事ぞ。ゆえ、今はこれまで。」

志心は、そう言って微笑むと、居間を出て行った。

蒼は、それで更に胸騒ぎが大きくなるのを感じていたが、志心を留めることは、できないと黙って見送るしかなかった。


蒼は案じていたが、志心は問題なく久しぶりに白虎の宮へと帰り着いた。

月の宮に居ても自分の結界から外の様子は見えていたのだが、実際に見ると想像以上に面倒な気だった。

ただ、それは志心が面倒に思うあの、嫉妬や怨嗟の気とは、違って来ているように見えた。

それでも、厄介なのには変わりない。

志心は、険しい顔のまま、白虎の宮の到着口へと降り立った。

「父上!」志夕と臣下達が、それを気取って必死に奥から走って出て来た。「ようお帰りに!あの、例の気が思ったより厄介で、それも大きくなって来ておるように感じるのです。日に日に育っておるような…不気味に感じて、お戻り戴いた次第です。」

確かに、大きく感じる。

志心は、頷いた。

「留守の間よう守ったの。我が居らぬようになった時の事を考えて、しばらく任せてみたが主は滞りなくやっておったようぞ。後は、非常時の対応であるな。」

志夕は、頭を下げた。

「は…。誠に、このような時には狼狽えてしもうて。」

志心は、苦笑した。

「良い、我とてこのような面倒は久しぶりぞ。とにかく次の会合までにはしっかり状況を見て報告できるようにしておかぬことには、あれらは恐らく聞いて来るぞ。それにしても、いつまでも放置しておるわけには行かぬな。いっそ、何が起こしてくれたらさっさと処分できるのだが。」

志夕は、え、と目を丸くした。

「何か起こるとて、起こってしもうたら大変な事になるのでは。」

志心は、奥へと歩きながら苦笑した。

「何があってもこの結界内は問題ない。被害を受けるのはこの結界の外だろうぞ。だが、何も起こっておらぬのに勝手に奥へ踏み込んで、懸念の元を処分するわけには行かぬだろうが。そもそもがの、我らにそんなことをさせる高峰が悪いのだ。己の手に負えぬのならさっさと己で手を下して処分しておけば、こんなことにはならぬのに。我らがどうにかしろと言う言葉の裏には、己でどうにかできないのなら処分しろという意味が隠れておるのだ。だが、できぬのだろうの。今も感じる所をみると。」

志夕は、下を向いた。

高峰にとっては、いくらおかしな気を発していても、娘なのだ。

それを処刑するなど、簡単に命じられることではなかった。

志夕にはそれが分かっていたので、父の言うことは分かるのだが、手放しで同意することは出来なかった。

志心は、そんな志夕の様子に気付いて言った。

「…志夕、王とはの、己がしたくない決断とせねばならぬもの。」志夕は、志心を見た。志心は続けた。「それが例え妃や子を処分するということでも、それが宮の多くの神を害するのなら命じるしかないのだ。王は、臣下民を守るために存在する。ましてこの最上位の宮は、世の中を穏やかに保つ責まで負っておるのだ。そこに己れの感情など差し挟めないのだ。我は、仮に主が同じようになったとして、己の手に負えぬとなれば、躊躇わず斬る。主もそうするのだ。我なら己が神世を害すると思うたらその場で迷わず己の命を断つぞ。それぐらいの覚悟がないなら、王座になどつかぬ方が良い。宮を失う未来しかないであろうからの。」

志夕は、項垂れた。

もう良い歳になるのに、まだ父に頼ってうじうじと決められずにいる、自分にはまだ無理だ。

志心は、そんな志夕に誰もが通る道だと苦笑して、居間へと歩いて向かったのだった。

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