処断
次の日の朝、維心の遣いを送るまでもなく、碧黎は起きてきた維心と維月を、居間で迎えた。
どうやら、起きるのを待っていたようだった。
「目覚めたか。あれらの処分であろう?」
維心は、もはや勝手に来たことを咎める気にもなれなくて、ため息をついて維月と共に椅子に座った。
「その通りよ。昨夜の事は知っておるか。」
碧黎は、頷く。
「知っておる。見ておった。また逃げてはまずいのであやつらの事は常、見ておるようにしておるのだ。義心に気取らせたのは我ぞ。」
つまりは見ていてまずいと碧黎が動いたのだろう。
維心は、またため息をついた。
「つまりは、義心であっても主に手伝われなければ気取れぬほどの手腕の持ち主か。」と、碧黎の目を見つめた。「あれの正体は知っておるのだな?」
碧黎は、また頷く。
「知っておる。だが、そのうち分かるわ。今は言えぬ。」
だろうな。
維心は、仕方がないと続けた。
「して?来たと言うことはそちらは収まったのか。」
碧黎は答えた。
「おお、主が閨の巻物の閲覧に来いと言っておるのを聞いておったから、その直後に来て見て来たのだ。お陰で昨夜やっと婚姻できたそうな。誠に安堵した。礼を申すぞ、維心。」
維心は、驚いた顔をした。
「何と申した?もう来ておったのか。」
碧黎は、頷いた。
「直後にの。知らぬのか。」と、首を傾げた。「…まあ気取れぬわな。あれは自然に動くゆえ。」
まさか勝手に来て勝手に見て帰っていたとは。
そもそも閨の巻物の場所は教えてもいないのに、奥の間の寝台脇まで勝手に入って来ていたということなのだ。
「…見せるとは言うたが勝手に奥に入って良いとは一言も言うておらぬのに。」と、息をついた。「ま、言うても始まらぬ。もう良いわ。して?さっさと処分してくれぬか。面倒が起こるのはもう懲り懲りよ。」
碧黎は、頷いて立ち上がった。
「参ろう。あの二人と、人の男の処分をの。とはいえ…少し考えねばならぬかと。」
維心は、顔をしかめた。
「なんぞ?また何かあるか。」
碧黎は、頷く。
「人の方の記憶がの。ま、良い。どうせ過去の物語とかは全て消すのだし、人はその物語については知らぬ。問題ない。」
維心は、立ち上がった。
「ならば参ろう。」と、維月を見た。「主はここで待て。」
また何か言い出したらと思っているのだろう。
維月は、立ち上がって頭を下げた。
「はい。恙無くお務めくださいますように。」
そうして、碧黎と維心はそこを出て行った。
牢の前で待っていた、義心が先に牢の扉を開いて、中へと入って行く。
維心は、亮太がまた気を失ってはいけないので、気を極限まで抑えて、対面に備えた。
「地と王が参られる。」
声が聴こえる。
その後にそこへ入って行くと、涼夏と迅が頭を下げて待っており、亮太も人らしくそれは深々と頭を下げて立っていた。
…そこまで下げずで良いのに。
維心は、内心苦笑していた。
「表を上げよ。」維心が言った。「これより、地の碧黎が主達の処罰を行う。」
碧黎は、頷いた。
「まずは迅。」迅が、緊張気味に顔を上げる。碧黎は続けた。「維心から聞いておるな。主からは過去のことを書き記した書の中身を全て取り除くことで陸の宮へ帰ることを許す。主が己の宮を案じてのことであるのは、我らには分かっておったからの。まずは、主の記憶から。一番手っ取り早いのが主であるから。」
迅は、頭を下げた。
「あのようなことをしでかした我に温情を賜り、感謝致しまする。」
碧黎は頷いて、手を上げた。
碧黎の手からは光すら出なかったように感じたが、手の平の上にはコロンとピンポン玉のような玉が転がって落ちた。
だが、維心には碧黎の力が迅を確かに捉えたのが見えた。
「これがその記憶。」驚いていると、それは目の前で燃えて一瞬で昇華した。「終いぞ。主はそこから出ても良い。」
スッと牢の格子から光が消え、義心がその鍵を開いた。
迅は、戸惑ったようにそこから足を踏み出した。
「…何も変わっておらぬような…。」
碧黎は、苦笑した。
「いいや。己の頭の中を探ってみるが良い。思い出せるか?」
迅は、目を虚空に向けて考え込む顔をした。
そして、驚愕した顔で碧黎を見た。
「…何も。何も思い出せませぬ。」
だろうの。
碧黎は、頷いた。
「今目の前で消えたからの。」と、涼夏を見た。「主は少し待て。次はそちらの勘の良い人。」
亮太は、ピクリと肩を震わせた。
「…はい。私ですか。」
碧黎は、頷く。
「そう主。主は人には珍しいぐらいに善良ぞ。最近の人は善良になりつつあるが、その中でも主らの家族は殊の外そうであるわ。恐らく次は神として生まれようほどにの。なので神である涼夏と縁が繋がったのだろうの。此度は成るべくして成ったこと。次の生への準備のようなものであろう。試練を与え、そして見極めた後に寿命を全うして黄泉へと参ったその後に、戸惑うことがないようにと。主は涼夏に対して誠実であった。試練を乗り越えたのだ。よって主は、恐らく次は神。心して人としての最後の生を全うするが良い。神は甘くはないぞ。人には親切な神も、同じ神には殊の外厳しい。なぜなら、正しくあって当然であり、若い未熟な人の命とは違うと分かっておるからぞ。新参者となる主には、また厳しい試練が待っておる。せめてそれが苦にならぬよう、これからは正しくあろうとするが良い。自然、その記憶が次の生を助けよう。左様心得て、主はこの後人に落ちる涼夏を助けてやるが良い。それが主の責務ぞ。できるか。」
いくら善良でも、そんなに一気に話して理解できるのか。
維心が思っていると、やはり亮太は困惑した顔をしていた。
「…あの…よく分かりません。」亮太は、続けた。「ですが、涼夏ちゃんの事は任せてください。必ずきちんとお世話します。忘れてしまうだろうけど…自信はあります。」
碧黎は、苦笑した。
「そうか、理解できぬか。」亮太は、何の事だろうと戸惑う顔をした。碧黎は言った。「主の記憶はそのままにするのよ。神が確かに居て人を、土地を守っておることは人々に話しても良いが、ここでの出来事は話してはならぬ。涼夏が女神であった事実もな。本人は何も憶えておらぬから、言うたところで戸惑うだけだが、人に落とされたなど、知って良いことではあるまい。なので、言うでないぞ。主ならばできると見て、主に涼夏を託すのだ。記憶も神の命も失って、放り出されてまともに人世で生きるのは難しい。ゆえ、主に頼むのだ。できるな?」
…これの記憶は消さぬのか。
維心は、聞きながら思った。
思えば、特に亮太には過去の記憶などないし、絶対に消さねばならぬわけではない。
神世のことも、いくら亮太が必死に皆に話しても、恐らく多くの人は夢でも見たのだろうと信じないだろう。
ならば、記憶を置いておいた方が、涼夏のためには良い。
「…はい!」亮太は、何度も頷いた。「はい!分かりました!死ぬまで誰にも言いません!神様が確かに居ることは、みんなに話して回ります!だってそのお陰でみんな生きられているのを、オレは知ったから…。」
碧黎は、満足げに頷いた。
「ならば主はこれで終いぞ。」と、涼夏を見た。「涼夏。」
涼夏は、涙を流していた。
恐怖ゆえかと思ったが、涼夏は言った。
「…ありがとうございます。本当に、ありがとうございます、碧黎様。我は…ただ放り出されるのではないのですね。」
嬉しいのか。
碧黎は、微笑んで頷いた。
「我にとり命は皆大切ぞ。とはいえ主は、神として生まれるのが早かった。まだ幾度も転生せねばならぬが、また神になることもあろう。迅はの、そもそもが次は神に昇華できる命であったから、務まったのだ。主にはまだ早かった。それだけなのだ。つらかったの、涼夏。もう良い、残りは幸福に生きるが良い。」
涼夏は、何度も頷いた。
そして手を上げる碧黎の前で、チラと隣りの亮太を見た。
亮太は、心配そうにしていたが、頷いて無理に笑った。
「大丈夫。オレが側に居るからね。」
涼夏は、微笑んで頷く。
そして、前に立つ迅の方を見た。
「…迅。ありがとう、未熟な我を諌めてくれて。また、どこかで。憶えていないだろうけど。」
迅は、頷いた。
「案外に楽しかったぞ。」
迅が言うのに、涼夏はまた涙を流した。
「…では、記憶を取る。」
碧黎は、やはり手早かった。
迅よりは手こずったようには見えたが、それでも思うように記憶を取れたようだった。
「涼夏ちゃん!」
涼夏がその場にくずおれたので、亮太が慌てて叫んだ。
碧黎が、首を振った。
「問題ない。」と、手の上の大きめの玉を迅の時と同じように着火させて昇華させた。「後は維心ぞ。」
光が消えている格子の入り口を義心が開き、維心は中へと入った。
「…主がやれば良いのに。」と、維心は義心から刀を受け取って引き抜いた。「我にさせおって。」
「え…」亮太が、悲鳴を上げた。「何をするんですか?!」
「人にするのよ。」碧黎が答えた、「神の命を切り離すのだ。」
まあ、普通に見たら殺すように見えるわな。
維心は、じっと涼夏の頭の上の、神の命の辺りを狙って、そしてそれをスパッと切った。
すると、涼夏の髪は真っ黒になり、長い黒髪が床に流れている様になった。
「…ま、あれは神の気の色であったから。」維心は言った。「白髪でなくて良かったの。」
白髪だと嫌だとか何だとか、話していたのは知っている。
亮太は、刀を鞘に戻す維心を、じっと見つめた。
だが、何やら眩暈がしたように、ふらふらとふらついた。
それを見た維心が、言った。
「これだけ抑えておってもダメか。」と、義心を見た。「早く連れ出してやるが良い。我の気に当てられて来ておるのだ。前とは違って極限まで抑えておるのに。」
碧黎は、ハッハと笑った。
「主は足りぬなあ。我を見習えばよい。全く気取らせぬようにできるのだぞ?」
維心は、地と一緒にするなと刀を義心に渡しながら言った。
「うるさい。主とは根本的に違うわ。」
亮太も、牢の格子から解放されて出て来たが、一目散に涼夏の牢の中へと直行して様子を見ていた。
維心はそれを苦笑しながら見て、傍らの迅を見た。
「迅。主は陸に知らせを送っておく。それまでは客間に部屋をやるゆえ、そこで陸の迎えを待つが良い。主にはもう、何の懸念もないゆえな。逃亡した罪は、記憶を取ることで償ったとする。昌士を助けて、宮を円滑に回すが良い。」
迅は、頭を下げた。
「は。何もかも、ありがとうございました。」
維心は、碧黎を見た。
「では、戻るか。」と、義心を振り返った。「後は任せる、義心。蝦夷までその二人を送らせよ。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そうして、維心は牢を出た。
碧黎は、その後何も言わずに、維心の目の前でスッと消えて行った。
…何をどう取ったかぐらい説明して参れば良いのに。
維心は思ったが、前に沙汰の話をしたときに、生きるために必要なものだけ残してとか言っていた。
恐らく、それで説明は充分だろうと言うことなのだろう。
やっと終わった、と、維心は足を奥宮へと向けた。
後は、侵入者の男のことだけだった。




