記憶
義心は、玉を取ってすぐに維心の居間へと戻って行った。
直近の記憶だけだったので、本当に小さな玉だったが、敢えて複製にした。
記憶そのものを取ってしまっても良かったのだが、それをして碧黎が後で処理する時に、何かあってはいけないと思ったのだ。
義心は、維心がもう奥へと入っただろうとは思ったが、一応、居間の方から声を掛けた。
「王。記憶の玉を取って参りましたが、いかが致しましょうか。」
すると、奥の間の方から盛大にため息が聴こえて来たが、維心は答えた。
「…参る。」
そうして、襦袢に袿を引っ掛けただけの姿で、すぐに出て来て、正面の椅子に座った。
「寝ようかと思うたが気になって、維月も眠れぬようであるし。して、どうであったか。」
義心は、玉を手の上に置いて、差し出した。
「まだ確認しておりませぬ。すぐに戻って参りましたので。」
維心は、頷いてその玉を気で浮かせて、言った。
「…維月。主も見るか。」
維月は、奥からすぐに出て来た。
どうやら、扉の前でまんじりともせずに聞き耳を立てていたらしく、きちんと袿を着ていた。
維心には、それが分かっていたのだろう。
「はい。見たいですわ、いったい何を言いに参ったのか。」
維心は、頷いて玉に力を込めた。
「ならばあの壁に。」と、正面の壁を指した。「そこへ投影しようぞ。」
義心も、膝をついたままそちらを見る。
玉から、光がサーッと壁に流れて行ったかと思うと、涼夏が見た光景が、そこに映し出された。
最初、涼夏は寝転がって牢の天井を見ているようだったが、ハッとしたように振り返った。
そこには、ブルーグレイのかなり鋭い瞳で、銀髪に黒い毛束が幾つか入った髪の、かなり整った顔の神が浮いていた。
その神は言った。
「…主は誠に浅はかであるなあ。我がせっかく見に参っておったのに…気付きもせずで。おまけに愚か。それでは捕まるのも道理だと思うたわ。」
炎嘉様と雰囲気は似ているみたい。
維月は、その話し方や動きを見て、そう思った。
「…誰?」
涼夏が問う。
相手は、フフンと鼻で笑った。
「誰だと思うのだ?我らは既に会うておるぞ。ちょっと人のふりをしておったら、まんまと主は我が神だと気付かなかったがの。」
義心は、ハッとした顔をした。
「…大陸で。ルーカスと名乗り、人のふりをしておりました。姿は全く違いますが、感じは似ている。ルチェゴルスクという町で、亮太を涼夏を自分の屋敷だという所に住ませていた男です。ヤーコフという、迅と共に働いていた男と対面していたのを、我は見ております。」
ということは、この神も涼夏を追っていたという事になる。
「…え。その、声…でも、知っているのは人の、ルーカス…。」
涼夏が、あり得ない、という顔をして言う。
相手は、浮き上がって宙で胡坐をかくと、言った。
「主は誠に浅はか。人に落とされるというのも道理よな。我は、そのルーカスよ。最も、誠の名はそうではないがの。とりあえず、便宜上それで良い。それより主、ここから出たいか。」
涼夏は、え、と固まった。
そして、両脇の迅と亮太の様子を窺うように視線を動かす。
ルーカスらしい男は、言った。
「ああ、案じる事は無い。寝かしておるゆえ。そっちの人の男もの。」とルーカスは笑った。「それより、どうなのだ。別に我はいい。だが、このままここに居れば間違いなく主は人になるぞ?それで良いのか。」
涼夏は、悩んでいるようだ。
男は床に降り立った。
「…そうか。ま、そこまで愚かではないようよ。」と、指を立てた。「主がウンと申したら、我が殺しておった。なぜなら他の神の甘言にも簡単に乗るような女だからぞ。いくら何でもそこまで愚かではなあ。とにかく、我は主に聞きたいことがあったからここへ来た。主は、面倒を見てやった我に何も返さず逃げたであろう。恩は返さねばならぬ。それは神であろうと人であろうと変わらぬ。主は我に、そちらの男の分と合わせて恩を返すのだ。」
この男は、これに恩を売ってそれを返させる名目で何かを聞き出そうとしておったのか。
維心が思って眉を寄せる。
涼夏は、茫然としていたが、ハッと我に返って、相手を睨んだ。
「…だいたい、あなたがルーカスだというのが本当かも分からないわ。あの人は、玲奈さんをそれは愛していたから、傍に居ないのがおかしいし、今頃はルチェゴルスクのはずだもの。顔だって似ても似つかないし。」
相手は、呆れた顔をした。
「人に見せるのに同じ顔でなど主ぐらいのものぞ。目立って仕方がないではないか。我は顔立ちが美しいからの。」
維月は、苦笑した。
確かに美しい顔立ちだが、それを自分で言ってしまうところに炎嘉を感じて可笑しかったのだ。
男は続けた。
「それに、玲奈は暗示にかかっておっただけ、我は愛しておるふりをしておっただけ。あれは、主らと話すために我が準備した舞台装置でしかない。今頃は、本来の持ち主が戻って普通に回っておるわ。町ごと暗示に掛けねば潜むなど無理ぞ。主には無理だろうがな。」と、腕を組んで涼夏を見ろした。「何ぞ、主らが残した車を家に持って行っておいてやったのに。無ければ困るだろうと思うての。そちらの亮太という人は、誠に善良な奴であるし。少しぐらい便宜を図ってやって良いかと思うて。で、答えるのか答えないのか。もし、恩を返さぬつもりなら、今ここで死んでもらうがの。我は礼儀を弁えぬ神が殊の外嫌いなのだ。どうせ、主が死んでも誰も気にせぬだろうて。どちらか選べ。」
他神の宮に侵入している、主はどうなのよ。
維心は思った。
涼夏は、歯を食い縛った。
このままでは殺される、と思ったのか、観念したように言った。
「…分かったわ。何が知りたいの?」
男は、ククと笑った。
「良い心掛けぞ。まず、主らは何を知っておるのだ。」ルーカスは、鋭い目を急にもっと鋭くして、涼夏を見た。「龍王が血眼になって探すほど、主らは何を知っておる?」
…やはりそれか。
維心は、じっと映像を見つめているが、腹を立てているのは間違いない。
涼夏は、じっとその目を睨み返したが、視線をそらして、言った。
「…我は、過去の事を。月が神世に現れた昔から、世の皆が知らぬ事まで詳しく頭に持っているわ。それだけよ。」
男は、ほう、と片方の眉を上げた。
「過去か。未来ではなく?」
涼夏は、目を反らしたまま頷いた。
「そう。未来なんか知らないわ。ただ、最上位の王達の知られたくないような個人的な事まで、知っておるのよ。だから追われていたの。」
…内容を聞き出すより、玉にして取った方が早いが…どうするのだ。
維心が思っていると、男は、目を細めた。
「…ふうん。」と、手を上げた。「ならば主、死んだ方がいいな。そっちの男も。いつまでも生かしておったら面倒ぞ。」
え…!!?
涼夏も思ったようだったが、維月も維心も、義心も思った。
内容を聞きもせずに殺す…?
それが、いったいこの男にとって何の利があるのだ。
涼夏は、あまりの事に驚いて、思わず身を退いた。
だが、この狭い牢の中で、隠れる場所などない。
涼夏が震えていると、男は一瞬、チラと背後を見た。
かと思うと、スッと、跡形もなく消えて行った。
「…瞬間移動ぞ。遠くへは行っておらぬ。」
維心がそれを見て言う。
すぐに、地下牢の扉が開いて、義心が飛び込んで来た。
「…誰ぞ?!」と、回りを見た。「…誰か居ったか。」
涼夏は、ガクガクと震えていて、声が出ない。
隣りの部屋で、迅が動いた音がした。
「…義心殿?何か…?」
義心は、迅を見た。
「ここに誰か居らなんだか。覚えのない気がここからしたのだ。」
迅は、眉を寄せた。
「…いえ…寝ておったので。誰かが来たなら気取るでしょうが…」
眠らせてあると言っていた。
迅はそれで、目が覚めなかったのだ。
義心は、まだガクガクと震えている涼夏を見た。
「涼夏。主は見たのではないのか。」
涼夏は、カクカクと頷いた。
だが、答えなかった。
義心は、チッと舌打ちをした。
「…まだ遠くへは行っておらぬだろう。」と、足を戸口へ向けた。「参る。また後で尋問ぞ。面倒であるから記憶の玉でも良いわ。」
そう言って、義心は出て行った。
そこで、玉の記憶は終わった。
維月が、言った。
「私が会ったのは、あの男で間違いありませぬ。」維月は言った。「間違いなく、あの男でありました。」
維心は、頷く。
「だろうの。義心が来たのを感じて、さっさと脇の侍女の通用路へと移動したのだ。我の結界があるので、遠くへは飛べぬ。それをすると我の結界に当たった時点でバラバラになるからの。とはいえ、あれが出来るということは、かなりの力を持っておる。記憶では気の大きさまでは分からなんだが、かなりの気と技術を持っておるのは確か。問題は、あんな神など我には全く覚えがないと言う事ぞ。」
維月は、言った。
「炎嘉様と同じぐらいは気があったと思いまする。私の攻撃もあっさりと避けておりましたし、見極めておりました。まさか…神世に、あれほどの神がまだ居たとは。」
維心は、ため息をついた。
面倒がやっと片付くと思った矢先にこれぞ。
しかし…。
「…あれは、過去の我らの知られたくない事を涼夏と迅が知っておると聞いた時、内容など聞きもせずに殺すと言うた。全く内容には興味がないようだった。これを、何と見るかぞ。」
義心は、頷いた。
「は。味方と見るか、敵と見るか…相手の真意も分からぬ上、その正体すら定かではないので、何やら不気味は心地が致します。」
維心は、頷いた。
「また面倒ぞ。焔が発狂しそうだの。」と、立ち上がった。「とにかく、あれの記憶は無事ぞ。朝になったら碧黎に連絡して何が何でも明日、あれらを処断させる。天黎がどうの言うて時を伸ばしておったら碌なことが無いわ。とにかく、急がせる。」
義心は頭を下げた。
「は!」
そうして、そこを出て行った。
維心は、義心が去ってからその玉を消そうかと思ったが、炎嘉にも見せておこうと考え直し、それを脇のサイドテーブルへと置いて、維月と共に奥の間へと戻ったのだった。




