第18話 壁にリスあり、障子に悪魔あり
二時間前。
レイモンドを残して本部拠点を出立したアナトが最初に向かったのは、自室のある訓練兵舎ではなく、その隣に建つ中央兵舎だった。吹き抜けを取り巻く階段を七階まで駆け上がり、いつものようにホールの隅でで作業をしていたエリンを捕まえたのだ。
その理由は単純明快。彼女の持つ共感能力、『拡大共感』を使わせてもらえるよう頼みに行ったのだ。
情報収集をするにも、アナト一人の力では、できることは高が知れている。そのため、情報収集のスペシャリスト(自称)であるファラン、というよりマロンの協力を得るのが最も効果的な手段だとアナトは判断した。レイモンドの読み通り内通者が本当にファランであれば、アナトの選択は滑稽極まりない愚行だ。だが、その時は運がなかったと諦めるより他にない。
そう決めたアナトが、本部であと一日は缶詰になっているであろうファランの協力を仰ぐために選んだ手段がこれだった。
「『特殊共感』をファランと繋げれば、奴と連絡が取れるんだ。頼む!」
「ウチ、嫌やよ!そんなワケわからん犯罪の片棒担ぐような話!」
面倒ごとに巻き込まないよう詳細な事情を話すわけにはいかなかったのだが、当然のごとくエリンからは猛烈な反発を食らった。だが、十数分にも渡る押し問答の末、「頼む、大事なヤツのために、どうしてもしなきゃいけないことがあるんだ!」というアナトの熱意の籠った言葉に、とうとうエリンが折れた。
「ウチ、ほんまに知らへんからね!」
そう言ってそっぽを向きながらもアナトに手を差し出してくれた彼女には、感謝してもしきれない。
とはいえ、『拡大共感』でどんな能力をどの対象に共有するのかは、能力者本人ではなく、その能力を使用する側の意思で決定できる。
そのため、一応本人の了解を取らずとも、こっそり体に触れることさえできれば『拡大共感』は発動可能なのだが、一応最後の手段を取らずに済んだことにアナトは安堵した。
『特殊共感』によって視覚と聴覚さえ共有できれば、大抵の意思疎通はできるようになる。
ファランに大まかな事情を説明し、『全共感』の力で偵察を手伝ってほしい、と頼むまでに、さほど時間はかからなかった。
そうしたあれこれを経て、現在アナトは中央兵舎に侵入を果たしている。とはいえ、アナト自身が潜入捜査に乗り出しているわけではない。そんなことをすれば、一分も経たずにバレるに違いない。
実際に中央兵舎を移動しているのは、ファランが操るマロンの体だ。アナトはその視界を『特殊共感』で共有させてもらっており、自分自身は訓練兵舎の自室の机に腰を落ち着けている。
机の上には訓練兵に配布される戦術書を開いて置いているので、傍目から見ればアナトが肘をつきながら勉強しているようにしか映らないはずだ。
なぜこんなカモフラージュをしているかというと、近くでアイリスに様子を見られている可能性が高いからだ。レイモンドはエリンとセレーナの護衛に戻ると言っていたため、ファランが本部に縫い付けられている以上、護衛の任に就けるのはアイリスしかいない。もし彼女がアナトの様子を窺っているなら、何もせず座っているだけだと、無駄に怪しまれる要因になってしまう。最悪気付かれても問題はないのだが、あの無邪気な少女を面倒ごとに巻き込むのは気が進まなかった。
机に向かっているとはいえ、あくまで学業に励んでいるのはポーズに過ぎない。実際のアナトの注意は、極めて難解な戦術書などではなく、マロンから送られてくる視覚情報に向けられている。手のひらサイズのマロンの視点のため、たまにすれ違う人の足すら巨大に見えて、普段とは違う世界の見え方に若干の興奮を覚える。だが、今はそんな浮かれていられる状況ではない。
アイリスに聞き咎められぬようやや抑え目の声で、アナトは 『特殊共感』を通してマロンに、否、正確に言えば、その体を『全共感』で操っているであろうファランへと呼びかける。
「ファラン、悪いな。面倒事に付き合わせて」
呼びかけた声に、反応する者はない。当然だ。マロンの体では、人語を発することはできない。アナトも別にファランからの返答を期待したわけではない。ただ一応、一方的にでも礼は述べておきたかったのだ。
と、
「別に構わねえよ。信用してくれてんのはありがたい話だし。でも、オレ、多分コレ見つかったら現行犯だよ?」
予想外に戻ってきた聞き慣れた声による応答に、アナトはビクッと肩を震わせる。驚愕を滲ませた声で、アナトは呑気な態度を崩そうともしないファランへ疑問をぶつけた。
「お前、なんで喋れるんだ?」
「いや、だって今オレ、『全共感』使ってねーもん。マロンの賢さ舐めんなよ」
けらけらと笑い声を上げながら、してやったり、とでも言いたげな様子で話すファラン。つまり、今マロンは、ファランの指示を受けることなく、人間二人の意図を理解して動いてくれているということだろうか。なんて出来たリスなのか。正直ここに雁首揃えている男二人より優秀かもしれない。
とはいえ、目的地までマロンが自分で走って行ってくれるなら、ファランと会話で意思疎通ができるので非常にやりやすい。今マロンが走っているのは、階段の手すりの上のようだ。高さからして、現在位置は四階の踊り場付近。目的地である七階まではもう少しかかりそうだ。
そんなことを確認していると、ファランの声が再び耳に届く。
「で、どうなんだよ。オレが捕まったら責任取ってくれんスか、司令 」
戯けた調子で喋るファランだが、その内容は決して冗談でもなんでもない。
ファランが言う通り、現在兵団の疑いの目は彼に向けられている。そんな中、こそこそ兵舎内部を彷徨いている姿を見咎められでもすれば、今度こそ内通者として吊し上げられる可能性は極めて高い。
そんな危険極まりない行動を、まるでちょっとした悪戯に加担してやっているような軽さで引き受けてくれたこの友人の鷹揚さが、アナトには有り難かった。それをファランが理解してやっているのかはわからないが。
だが、その感謝の念を素直に伝えることはどうも気恥ずかしくて、
「毒を食らわば皿まで、だ。その時は全力で庇ってやるよ」
「お縄前提で付き合わせてんのかよ。この悪魔」
見聞きする景色に注意を配りながらも、軽口を叩き合う二人。マロンはいつの間にか最上階である七階に到達したようで、今は木造の廊下を飛ぶように走っている。足元に見えた木目が、一瞬の後に凄まじい速さで後方へと移動していくのが『特殊共感』を介して伝わってきた。
その時、見えている景色が突然、なんの変哲もない廊下から、金属に囲まれた暗く湿った空間へと切り替わる。どうやら、マロンが錆びたネジの外れた排気口を見つけ、そこから内部へ侵入したようだ。中央兵舎のボロさには常々疑問を抱いていたのだが、今はその老朽化が自分たちに味方している。
その排気口をしばらく進むと、何箇所か明かりが漏れてくる部分が散見され始める。
そのうちの一箇所を見定めてマロンが体を突っ込み、差し込んでくる光が徐々に大きくなっていく。
徐々に足元がはっきりしてきたかと思うと、突如闇が晴れて正面に現れた金網にぶつかり、マロンの体が止まった。どうやら、ここがダクトの出口らしい。内部に異物が混入しにくいように、末端部は金網で塞がれているのだろう。
その金網の向こうに見えるのは、シンプルに整えられた兵舎の一室だ。
だがどうやら無人ではなく、その室内には人影が見える。
目を凝らすと、アナトはそれがよく見知った人物であることに気づいた。つい数時間前にも顔を合わせていた青年、レイモンドだ。
どうやら、エリンやセレーナの警護に戻ると言っていた通り、中央兵舎に帰ってきたところらしい。
外出用の兵服から小綺麗に洗濯されたものに着替えているようで、両手を交差させ、汗ばんだシャツをたくしあげて脱ぎ捨てている。そのために、鍛え上げられたレイモンドの上半身が惜しげもなく、窓から差し込んだ陽光の下に晒される。まあ当人は、二人の顔見知りから熱い視線を注がれていることなど、知る由もないだろうが。
「なんだ、レイかよ。野郎のハダカには興味ねーっての」
そう言ってファランが軽く舌打ちをする。女子と頑なに付き合おうとはしないくせに、女子の裸には興味があるというのだから、本当によくわからない男だ。
しかし、今はレイモンドの裸に見入っている場合ではない。アナトたちの本命は、この部屋の数室先にあるであろう、『耳』の長官の執務室である。上層部の中でも、諜報組織たる『耳』の長官という立場は、内通者として情報を横流しする上では非常に立ち回りやすい。手がかりがほとんどないこの状況で真っ先に疑うとすれば、この人物をおいて他にないだろう。
「このダクトがレイの部屋に繋がってるってことは、執務室があんのはあと三つ分くらい先か。おし、マロン、体借りっぞ!『全共感』!」
ファランの言葉とともに、よりはっきりとした意思を持ってマロンが動き出した。ファランのコントロール下に置かれたマロンの体は、迷うことなく後方を向き、分岐したダクトの合流点を目指して駆け戻る。
そうして何箇所か角を曲がると、再び暗闇の中に光の発出口が出現した。どんどん強さを増す眩い光が、暗闇に慣れたマロンの視界を白く塗りつぶす。
その光に目が眩んだマロン(ファラン)が一瞬目を閉じ、その瞼を再び開けようとした時、
「!?」
ダクトを塞いでいるはずの、金網の固定が緩んでいたのだろうか。
凄まじいスピードで走っていたマロンの体が、勢いそのままに金網に体当たりし、ダクトの外へと放り出される。
当然、マロンはダクトの口の真下へと落下していく。
だが、如何な不運が成せる技なのか。
そこにあったのは、ジュージューと音を立てながら、目玉焼きを焼いているフライパンだった。
その直中へと、マロンは墜落する。
アナトの視界いっぱいに、衝撃で弾き潰された目玉焼きの黄身が飛散していった。フライパンは、今や目玉焼きではなく、栗毛の哀れな小動物に標的を変えている。
「あっちぃ!!!あっち、あっつぅぅ!!やべぇ、これ死ぬ、マジで死ねる!」
思わず『全共感』を解いたのか、ファランの叫び声が聴覚を通して伝わってくる。だが、中途で意識を戻されたマロンの方は、突如自分を襲った厄災の正体など認識できまい。フライパンの中でジタバタともがき苦しんでいる様子が、視覚と聴覚の両方からリアルタイムに伝わってくる。その姿にいてもたってもいられず、アイリスに聞こえないよう押し殺した声で、アナトはファランを叱責した。
「さっさと逃がせ!フライパンの上で焼死とか、歴史的に見ても凄まじく情けないぞ!」
というか、マロンがあまりにも救われない。こんな男と契約を結んだのがそもそもの過ちなのかもしれないが、目玉焼きの隣で丸焼けになって死ぬのはあまりにも酷だろう。そして、その場合、守護者であるマロンを焼死させ、道連れになって死ぬファランは救いようのない間抜けだ。
「そうじゃんやべえ!『全共感』!」
間一髪、冷静さを取り戻したファランがマロンの体に慌てて戻り、飛び上がってフライパンから脱出した。
あと少しのところで『調理器具による焼死』という伝説を残すことを免れたファランに、アナトもほっと息を吐く。
幸い大火傷には至らなかったようで、少ししてマロンは近くにあった執務机の上に飛び移る。それを確認した直後、『全共感』を解いたらしいファランの声が響いてきた。
「いやー、あぶねあぶね。近年稀に見るレベルのくだらん死に方をするとこだった」
「その割に危機感が薄いな。お前はともかく、つまらないことでマロンを死なせてやるなよ」
そんなことを言い合っていると、どこからかカツン、カツン、という軍靴の音が耳に響いてきた。
ファランが缶詰めにされている部屋には、しばらくは誰も近づかないと言っていた。アナトも周囲を見回すが、人が近づいてくるような気配はない。ということは、この音の発信源は、おそらくマロンのいる部屋のあたりからだ。
そう即座に判断し、アナトはファランに注意を呼びかける。
「ファラン、誰か戻ってくるぞ!マロンを隠れさせろ!」
「よっしゃ、任せとけ!『全共感』!」
言葉通り、マロンが近くにあった飾り棚に這い上り、並べられていた置物の影に身を隠す。次の瞬間、扉が開いて、二人の人物が執務室へと入ってきた。
一人は、少し伸ばしたブロンドの髪を、首の後ろで簡素にくくっている人物。この部屋の主たる『耳』の長官、ドルテ・サジェストだ。
そしてもう一人は、アナトも武術大会で顔を覚えた、鋭い三白眼を光らせ、芝のような緑の髪を刈り込んだ強面の人物。グングニル・クランツ軍団長だ。
「軍団長!?おいおい、随分と面白そーな話になってきたじゃねえか」
興奮したような声でファランが宣う。もちろんその声が執務室内に届くことはないため、二人がマロンの存在に気づく様子はない。
とはいえ、先に立って部屋に入ってきたドルテ長官が真っ先に向かったのは、右側にある備え付けのキッチンだ。そこにあるのは、マロンが暴れたために無惨な姿を晒している目玉焼きだ。
マロンの栗毛が若干張り付いて残ってしまっているため、じっくり見られると即座に異常を看破されてしまうのだが、
「ふむ、今日はかなり上手く焼けたと思っていたのですが。これほど崩れているとなると、少々焼きすぎたのかもしれませぬな」
幸いそう納得してくれたようで、ドルテ長官は黙って火を消し、そのままフライパンを無視して執務机へと向かっていく。
その様子を見て、ファランが馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「いや、思ったよりトロくて助かったぜ。アナト、あいつは違うんじゃね?」
たったこれだけのことからそう断ずるのは些か時期尚早な気もするが、長官の姿が証拠を一切掴ませない間者の狡猾さとあまり結びつかないのも事実だ。
そんな価値判断を下されていることに気づくはずもなく、ドルテ長官は執務机からなにか本のようなものを取り出し、クランツ軍団長に渡している。
そのやや変わった装丁の青い本に、アナトは見覚えがある。記憶を辿るまでもなく、その既視感の正体には即座に行き着いた。
それは、アナトがローグの書斎から見つけだ出した一品だ。
気づいた瞬間、一気に背筋を冷や汗が降下していく。
なぜドルテ長官があの本を持っているのかは分からない。が、手にしてしまっている以上、アナトたちの独断専行が明るみに出た可能性は極めて高いからだ。
そのアナトの懸念を肯定するかのように、ドルテ長官はクランツ軍団長に向かって姿勢を正し、説明を始めた。
「これが、先ほどご報告にあげた日記帳です。戦略を立てる上で極めて有用である、と判断したとして、《魔術塔》から送られてきました」
そこでドルテ長官の言葉の中に聞き馴染みのない単語が混じっていたことに気づき、アナトは小声でファランに質問する。
「おい、《魔術塔》ってなんだよ」
「お前、知らねえのかよ。なんでも、公国お抱えの魔術師たちが、日夜魔術の研究に明け暮れてる場所らしいぜ。とはいえ、さっすがイルシア。そんなとこにパイプもってやがるなんてなー」
ファランの言葉が正しいとすると、イルシアは約束通り、このローグの手記の解読をしてもらえるように手配をしてのけたということになる。しかし、おそらくそれなりに口止めをしたはずなのに、その手記は長官の手に渡されている。ということは即ち、そうしなければならなかったほどの重大な情報が、この手記の中に含まれていたということだ。
もしかすると、その情報は、間者の正体を探る手がかりの一端になるかもしれない。
そう考え、アナトは情報を聞き漏らさないよう、いっそうマロンの聴覚に意識を集中させる。
「どうやらこの手記、キリルハイト訓練兵団のイルシア・シュルツガルト連隊長、アナト訓練兵、ファラン戦兵が、先日の休暇の折に、ジュスクという集落まで足を運び回収してきたものだそうです。どうやら、十年以上に渡って、アナト訓練兵と、かのローグ・スコット准将が生活していた地であるそうで」
「やっべバレてる。これ絶対後がめんどくせーぞ」
げんなりしたファランの声が耳に届くが、アナトが気がかりなのは後半の方だ。手記の解読を依頼する上で多少事情の説明は要しただろうが、アナトのプライベートに関わる内容までイルシアが話したとは思えない。なぜそんなことまでドルテ長官が承知しているのか。
その疑問は、続く長官の言葉で解消される。
「基本的には日々感じたことをつらつらと書き綴っているに過ぎないようです。ですが、アナト訓練兵の出自については大部分が明らかになりました。彼の姓はアムンゼン…、あの、ヴォルガ・アムンゼン大将の一人息子です」
「ローグ・スコット…。まさか、生きていたとはな。それに、ヴォルガ・アムンゼンの息子だと?いやはや」
長官と軍団長の会話に、アナトは、なるほど、と合点がいく。つまりは、日記内に、アナトのことについてもそれなりに詳細な話が記されていたということか。ここに、アナトのプライベートは公然の事実と化したと思っていいだろう。
そんなアナトの複雑な内心に構うことなく、ドルテ長官は淡々と話し続ける。
「は、しかしそのことよりも、非常に重大な情報が明らかになりました。悪魔の正体がなんなのか。我々が十年近く追い求めていた、その答えが」
その衝撃的な証言に、思わずアナトは息を呑む。
悪魔の正体。
《リンカー》を殺すその力。
なぜそのような力が自分に宿っているのか、それは、アナトがずっと知りたかった渇望だ。
それを一言一句逃さず聞くために、アナトは少しの音でも響かせてなるものか、と体を固くした。
しばしの静寂の後、ドルテ長官の言葉だけが、アナトの鼓膜を震わせる。
「手記によると、アムンゼンの家系の祖となる人物が朱雀から与えられたという加護が、綿々と子孫に受け継がれているようです。もともと、アムンゼンには魔を消し去る力があると言われていました。《リンク》の詳しい術の仕組みは発明した魔術師当人しか知りえぬでしょうが、これも魔術の一種であることには違いありません。《リンク》を破壊する能力は、これに起因していると述べられています」
「やはり血統か。それも、ある程度血の濃い者にしか発現しないようだな。悪魔どもが揃いも揃って同じ面構えなのも頷ける」
朱雀の加護。
創世の四柱のうちの一柱。この国の象徴でもあるその神の力が、子孫代々受け継がれている。
その突拍子もない話に、アナトは心中で激しく動揺する。
つまり、黒髪赤眼の兵士たちが《悪魔》と呼ばれ、顔を見たこともない人々から恐れられるのは、生まれつき定められていた運命だったということだ。生まれは選べない。そして多分、周囲からの評価も。
だが、惚けているわけにはいかない。長官たちの会話は、まだ終わってなどいないのだから。
そう意識を切り替え、アナトはいっそう鋭敏に聴覚を尖らせる。
その鼓膜に、クランツ軍団長の低く重々しい声が突き刺さった。
「それで、アナト・アムンゼン、であったか。あの少年がなぜ、スコット准将と共に、ジュスクなどという片田舎で生活していたのだ?」
「は、戦には関係なさそうな情報ですが、お聞きになりたいので?」
「構わん、話せ」
「では、端的に申し上げますと、前王国軍大将ヴォルガ・アムンゼンを殺したのは自分だ、という告白文が記されておりました。理由までは分かりませんが、王国の追跡から逃れるため、息子であるアナト・アムンゼンを連れて、ジュスクで十年以上潜伏していたようです。どうやら、十五年前に、王国内で何らかの変事が起きていたことは間違い無いかと」
流れるような、陳述。
そのあまりにも自然な告発に、アナトは一瞬、心臓の鼓動すら忘れた。
ファランが息を呑む音が聞こえたような気がしたが、それすらも、もはやアナトの耳には入らない。
「ふむ、ヴォルガほどの男がそう容易くやられるはずがないとは思っていたが、まさか准将の仕業だったとはな。十五年前に王国軍で混乱があったのは、なるほどそれが原因だったか」
クランツ軍団長が何事か話すのが聞こえたが、もはやその内容を理解するだけの余裕はアナトにない。
聞き取った内容は単なる文字の羅列として、脳内の記憶領域から廃棄されていく。
ーーーー前王国軍大将ヴォルガ・アムンゼンを殺したのは自分だ。
殺した。
誰が。
ヴォルガを。
父を。
母を。
それは。
誰だ。
誰か。
誰でもいい。
誰か、他にいてくれ。
いいや。
私だ。
ローグだ。
お前の、師だ。
ありえない。
ありえない。
ありえない。
いや、
ありえて、しまう。
幼い感情が、そんなの嘘だ、と理屈などかなぐり捨てて慟哭する。
ただ、ドルテ長官の言葉を、頭のどこかで納得してしまっている自分もいて。
そう、本当は、気づいていた。
武勇に名高いと言われていた王国軍大将を、ただの賊が殺せるはずがない。
そしてローグは、その行方知れずの息子を、国に保護を求めることもせず、連れ出してシュルツガルトまで逃げていた。
その少年と、人目を避けるようにして暮らす理由がローグにあったとしたら、その答えは一つしかない。
自分は、両親を殺した仇に育てられていたのだ。




