第16話 魔術師と、悪魔と、闖入者
カスパールの雷撃によってもたらされた、今までにない規模の破壊。凄まじい勢いで立ち上った土煙が、競技場全体を覆い尽くした。まるで濃霧の中に取り込まれたかのように、数メートル先も見通せないほどの粉塵が、空中を乱舞している。
明らかな異常に騒然とする観衆。
そして、それはこの破壊を成した張本人であるはずの、カスパールも同様だ。
「なんだ、この威力!?そんな魔力は込めてないぞ!」
狼狽するカスパールの声を耳に入れながら、アナトは爆風によって生み出された土埃の中を疾駆する。目印は、カスパールの前に浮かぶ、黄色の魔法陣の光だ。
この爆風を作り出した直接の原因はカスパールの魔法だが、あえてその威力を上げさせたのはアナトの仕業である。
実は、アナトが試合に持ち込んでいたのは、煙玉だけではない。
輝石。
この石が発するエネルギーは、加えた衝撃によって大きく左右される。軽く手で地面に打ちつけたくらいではせいぜい灯りとして使える程度の力しか発揮しない。だが、それこそ石が粉砕されるほどの衝撃を加えると、輝石は火薬を爆発させたかのような勢いで飛び散るのだ。
アナトはこの輝石を、隠れている隙に十数個岩山に混ぜ込んでおいた。そして、狙い通り、カスパールの雷弾が着弾し、すさまじい爆発が起きたのだ。爆風は地面の砂を巻き上げ、人工的な煙幕を生成する。
魔術師であるカスパールに、剣で正面から挑むのは愚策。
カスパールの虚を突いたこの隙に、土埃に紛れて奇襲すること。それこそがアナトの真の作戦だ。
黄色の光が、すぐ目の前に近づく。
そこで一瞬立ち止まり、アナトは念のため、岩山で稼いだ時間で作り上げたあるものを地面に設置した。数秒もかからずその行為を完遂し、そのままアナトはカスパールに向かって駆け出す。
そして、数歩踏み出したところで、
「がっっ!!!!」
足元から凄まじい衝撃に突き上げられ、アナトの体は数メートル後方へと吹き飛ばされた。
「な、にが」
雷に打たれたかのような衝撃。いや、ような、ではなく、打たれたのだ。
震える体を叱咤し、かろうじて視線を、さきほど攻撃を受けた地点へと向ける。
その地表に描かれていたのは、鈍く黄色の輝きを放つ魔法陣。
おそらくは、接触を感知して発動し、下から突き上げるようにして稲妻を射出するトラップだ。
衝撃によって手足が麻痺し、アナトはその場から立ち上がることができない。
数瞬のち土煙が晴れ、その向こうからカスパールが姿を現した。
「おー、すごいすごい。さすが、弱っちいやつは考えることが姑息だねぇ。でも、これでもう逃げられないよなぁ?」
引き攣った笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらに近づいてくるカスパール。
その目の前には数十の魔法陣が展開され、それに対応する転移の魔法陣が上空に煌めいている。
そして、その全てがアナトに照準を定めていた。
当然、地面に転がるアナトには、その攻撃を避ける術はない。
その様子を見て、カスパールは嘲るような表情を浮かべ、
「ここまで僕の手を煩わせてくれたんだ、嬲り殺しで我慢しておいてやろうと思ったのに。空から降る雷が、お前への天罰だ」
そう吐き捨てるように言って、手元の魔法陣に、さらに魔力を集中させていく。
その足取りは一歩一歩が仰々しく、視線は目の前に倒れ込んでいるアナトにしか注がれていない。
だからこそ、カスパールの反応は、その変化に対して致命的なまでに遅れた。
ガキン!
緊張に静まり返った競技場内に、乾いた金属音が響き渡る。
音の原因は、地面に転がる石ころに紛れるようにして設置された、金属製の罠だ。
二枚の半円型の金属板は、中央の板の上に獲物の足が乗ったことを感知すると、ばね仕掛けで留め具が外れ、中心部へ向けて跳ね上がるような仕組みになっている。
その錆びた茶褐色の金属板が、カスパールの右足を、足首の辺りまで挟み込んでいた。
「う、ぎゃあぁっっ!!!!足がっ!僕の足がっ!?」
あまりに唐突に食らったダメージに、カスパールは情けない悲鳴を上げてその場にへたり込む。
足を押さえたカスパールは、咄嗟に罠から足を引き抜くことを選択したようだ。
だが、それは悪手。
獣用の金属罠は、そこから抜けようとすればするほど、さらに肉体に食い込む仕組みになっている。
金属の板はさらにその足の肉に食い込み、その圧力に負けた皮膚が引き千切られ、露出した毛細血管から、血液が流れ落ちていく。
「ぎゃあああああ!痛い!痛い!いたいいたいいいたい!」
痛覚信号に蹂躙されていくカスパール。もはや魔力を制御している余力はなさそうだ。
展開されていた魔法陣が溶けるように消滅していくのを確認し、麻痺から脱したアナトは、ゆっくりとその場から立ち上がる。
念の為、カスパールのいる場所との延長線上に、罠を設置しておいて正解だった。
ローグに教わった狩猟技術の中には、岩山に住む野生動物を狩るための知識も含まれている。
最初岩陰に身を潜めていたのは、この罠を作るための時間を稼ぐのが目的だった。
そして、土煙による撹乱を利用して、数秒の間に罠をカモフラージュして仕掛けておいたのだ。
足の激痛に悶絶するカスパールに近寄りながら、アナトは黒刀を鞘から引き抜いた。
「終わりだ、カス真珠」
このまま刀を奴の首筋に当てれば、試合は終わる。
魔法陣はまだいくつかカスパールの前に展開されているが、もうそれを起動させる気力は残っていないだろう。
上空を見上げても、稲妻が発されるような素振りを見せるものはない。
ただ、
そのいくつもの黄色の魔法陣の中に、
いつの間にか、黒い魔法陣が、一つだけ混じり混んでいて。
アナトは咄嗟に、視線をその魔法陣の下、観客席へと走らせた。
その人影まばらな観客席の最前列に、一組の男女が腰を落ち着けている。
その正体を、アナトの位置から直接視認することはできない。
だが、『特殊共感』でイルシアの位置を把握していたアナトにはわかる。
それは、イルシアが立っているはずの場所だ。
その事実に気づいた瞬間、凄まじい悪寒が、アナトの全身を貫いた。
「まさか、イルシアっ!!!」
勢いのまま、上空に残された、転移の魔法陣に視線を走らせる。幸運にも、黒い魔法陣の真隣に、カスパールの魔法陣はかろうじて残されている。その紋様は、双頭の鷲。
アナトの正面右手側にある魔法陣と繋がっているはずだ。
そう理解した瞬間、アナトは躊躇することなく、双頭の鷲の、金色の魔法陣の中へと飛びこんだ。
「お前、一体何を!?」
カスパールの叫びに、アナトは言葉を返す余裕などない。
転移が起きる。
直後、視界が開けて、抜けるように青い空と、そこに浮かぶ不気味な魔法陣が目に飛び込んできた。
すぐに二十メートルほど下の観客席に目をやると、そこには予想通り、見慣れた二人の人物がいる。イルシアとレイモンド。アナトの登場に、二人を含めた眼下の観客たちの間で騒めきが広がる。
「アナト!一体何が」
「今すぐ逃げろ!」
レイモンドの呼びかけに、アナトは普段よりも数段上げたトーンで怒鳴り返す。
その態度に事情はわからないながらも危険を感じたのか、口々に騒ぎ立てながら、観客たちが席から立ち上がっていく。
それを認めた直後、未だ空中にあるアナトの目の前で、黒々とした魔法陣が鈍く輝きを放った。一瞬遅れて、そこから人間が吐き出される。
その姿に、アナトは嫌と言うほど見覚えがある。
漆黒の髪を風に逆立て、驚きの感情を血赤の双眸に宿した少年。
______悪魔。
空気抵抗による凄まじい逆風が体を突き上げ、うまく四肢の制御ができない。
それでもアナトは、必死に悪魔に向けて刀を振り抜いた。
だが、苦し紛れの攻撃が、敵に当たるはずもない。
案の定、アナトの攻撃は相手の剣によって弾かれる。返し様に、見事なボディーバランスで剣を構えた悪魔の一撃が、アナトの左脇を差し貫いた。
「ガハッ!!」
傷を負った左脇から、ぼたぼたと血が滴り落ち、空中に血の雨が降る。だが、それに構わず、アナトはその剣の刀身を左手で掴んだ。
刀身に接した手のひらから、さらに大量の血が溢れだす。
だが、痛みなどどうでもいい。
これを放したらイルシアに危害が及ぶのだ。
その一心で、赤く染まっていく手掌の痛みを無視し、一層強く刀身を握り込む。
「チッ」
小さく舌打ちし、悪魔は諦めたように剣の柄から手を離した。
代わりに、自由になった手を、服の胸ポケットへと差し入れる。そして、瞬く間に取り出した物体を、眼下の客席へ向けて投擲した。そこにはまだ、観客を逃すため後に残っていたイルシアとレイモンドの姿がある。
その物体の正体は、
_____晶石。
わずかな衝撃によってでも爆発する、輝石以上のエネルギーを孕んだ、恐るべき鉱石。
「逃げろ!!!!」
アナトの叫びと同時に、着弾した晶石が爆発する。
その爆発から一瞬後、アナトと悪魔は上空から爆風に煙る客席へと落下した。
もんどりうって転がるアナト。その身体は、背後で何者かによって受け止められる。
「アナト!」
振り向くと、心配そうな表情を浮かべたイルシアの姿が目に飛び込んできた。アナトを抱きとめてくれたのは、どうやら彼女だったらしい。若干砂埃を被ってはいるものの、目立った外傷はなさそうなことを確認し、アナトはひとまず胸を撫で下ろす。
そして、彼女の背後には、晶石の爆発によって生み出されたであろう、瓦礫の山が堆く積み重なっている。
その奥から、石材の破片を押しのけて、レイモンドが姿を現した。
「レイモンド!大丈夫か!」
「ああ、ちょっと背中を石がかすっただけだ。問題ないよ」
アナトの問いかけに落ち着いて返答したところを見ると、レイモンドにも大事はないらしい。
背中から少しばかり血が滴っているが、彼の言う通り重篤な傷ではなさそうだ。
身を呈して二人が観客を逃してくれたおかげか、これだけの惨状にもかかわらず、周囲に他に傷を負った者がいる様子はない。そのことに安堵し、アナトは視線を正面の敵へと向けた。
少年の、自分とよく似た血赤の瞳。
その油断なくこちらを睨め付ける双眸が、アナトの動揺に揺れる目を射抜く。
その視線には、そら恐ろしいまでの激情が込められていた。
憎しみ。
アナトという人間を、骨の髄から焼き焦がしたくてたまらない。そんな狂気的な怒りを孕んだ視線だった。
アナトは、三年前に集落が襲われるまでは、ローグ以外の人間と一切関わることはなかった。朝起きて、狩りに出て食糧を調達し、それを食べて寝るだけの生活。友人と呼べるものは、たまにローグから拝借する本くらいしかなかった。
そして、そのローグも、アナトには対して関心を向けようとはしなかったのだ。
兵団に入ってカスパールのような人物から悪意を向けられることはあったが、それはあくまで鬱憤ばらし程度の意味しか持たない。
憎しみを抱くということは、相手に対して相応の関心を持っていなければありえないのだ。
ゆえに、アナトが他人からこれほどの負の感情をぶつけられたのは、生涯初めての経験だった。
そのどす黒い感情の矛先を向けられ、思わずアナトは身を竦ませる。
その憎悪に燃える瞳を見開いた少年の唇から、羽音のように微かな響きが漏れた。
「…悪魔め」
その呟きがアナトの耳に届くかどうかといった瞬間、突風が吹いた。
否、それはただの風ではない。目にも留まらぬ速さで、二人の人物が悪魔の首に刃を突きつけた行動の余波だ。
瞬きのうちにその所業を成したのは、遠く離れたロイヤルボックスから、異常に気づいて駆けつけた、人間離れした実力の持ち主たちだ。
『救国の英雄』ソルグと、『赫き戦神』カイル。
伝説の戦士たちが、この競技場に現れた闖入者に対して、本気で剣を向けている。
チェックメイトだ。
どうあがいても、この状況から抜け出せるはずはない。
誰もがそう確信していた。
だが、悪魔は、眉ひとつ動かすことなく、
「『共感転移』」
そんな単語が耳に届いた次の瞬間、予想を嘲笑うかのように、悪魔の姿がその場から消滅した。
「何?」
僅かに剣の切先を下ろし、ソルグが低く呟く。
即座にアナトも周囲に視線をやるが、逃げていく少年の姿はどこにも見当たらない。
「ありゃりゃ。まさか、気配も残さず消えるなんてねー」
飄々とした口調でそう嘯くカイル。
しかし、態度とは裏腹に、その瞳は腹立たしげに鋭く細められていた。
間者の尻尾を掴むために、大変な労力を割いて計画された武術大会。
その努力を嘲笑うかのように、悪魔は、この空間から脱出してのけていた。




