第15話 疾風迅雷
イルシアとファランの試合の決着から数分後、アナトは自分の試合に向けて支度するべく、控室へと足を運んでいた。背後に付き従うのは、もう一人の護衛不在の穴を埋めてくれている紫の髪の少女、アイリスだ。
先程の試合の興奮が冷めやらぬようで、頬は上気し、目は宝石のように輝いている。
「アナトさん、さっきの試合、ほんっとに凄かったですね!リス兄ぃの機転にも驚かされましたが、それに対する連隊長の強さたるや!『特殊共感』は伝令用の能力だとばかり思っていましたが、まさかあんな使い方があるなんてビックリなのです。わたしもあんな風に戦えるようになりたいのです!」
息も切らさず矢継ぎ早にまくし立てるアイリスに、アナトはああ、とかうん、とか気の無い返事を返すことしかできない。
別に先程の試合に感銘を受けなかったわけではもちろんないが、情熱のままに誰かと意見を交わすというのは、やはりまだどうも慣れない。
いまいちノリの悪いアナトに、アイリスは不満げな表情を隠そうともせず、
「もう、アナトさん!もう少しなんとか言ってくださいよ!一人で喋ってるとわたしがバカみたいなのです」
「ああ、悪い…。自分の試合に意識が向いてて」
一段とトーンを上げて文句を言ってくるアイリスに、アナトはもっともらしい理由をつけて話の矛先を変えさせる。
それになるほど、とアイリスは素直に納得した表情になった。なんとも扱いやすい少女で助かる。
「アナトさん、確か魔術師と戦うんでしたよね。こう言ってはなんですが、勝ち目は結構薄いのです」
「そんなことは分かってる。でも、相手はあのカスパールだ。ただやられるわけにはいかない」
アイリスの厳しい指摘に、それでも強い意志を込めてアナトは拳を握り込む。
普段から事あるごとに難癖をつけてくるカスパールに、ここで完敗したらそれこそ何を言われるか分かったものではない。どれだけ不利であろうとも、最低限の意地は見せつける必要がある。
しかし、アイリスの言う通り、魔術師であるカスパールを相手取るのはかなり厄介だ。なにせ、魔術を使える人間は非常に限られるので、戦場でも魔術師は魔術師同士で戦うことが多く、普通の兵士が、彼らと戦うことを前提に修練を積んでいるケースはほとんどない。
事実、アナトも弓矢に対してならば多少対応できるよう訓練したことはあるが、剣で防ぎようのない遠距離からの攻撃を、いかにして防げばいいのかなどわからない。
そこで、うーん、と少々考え込んでいたアイリスが、ぱっと顔を上げて、
「そうです、確か魔術にはいくつか属性があったのです。炎、雷、風、水…。大抵の魔術師は一つの属性しか使えませんから、相手の属性を見極めることができれば、多少攻撃の種類を予測することはできるはずなのです」
「へぇ、例えばどんなのだ?」
「そうですね、例えば風属性であれば斬撃に似た攻撃のはずなので、煙幕みたいなものを用意できれば攻撃を見切ることはできるのです。水属性は捕まれば厄介ですが、アナトさんの足の速さなら、素早く勝負を決めれば問題ないかと」
「なるほどな、参考にさせてもらう。いくつか道具を持ち込むことも許可されてるみたいだしな」
出場者は、己の好きな武装に限らず、殺傷力のないちょっとした道具なら試合に持ち込むことが許可されている。例えば、先程アイリスが例として挙げた、煙幕などがそうだ。
ひとまず煙幕はいくつか持ち込んでおこうとアナトは決意する。道具のいくつかは控室にも用意されているはずなので、そこで使えそうなものを見繕えばいいだろう。
そんなことを話しながら歩いていると、いつの間にか控室のある廊下に差し掛かっていた。その時、ちょうど扉を開けて外に出てきた人影が目に留まった。数分前まで競技場で名試合を披露していた、イルシアだ。試合の時の装束とは打って変わり、彼女にしてはやけにシンプルで地味とも言えるような服装をしているが、見紛えるはずもない。
アナトは軽く右手を持ち上げ、イルシアの側に歩み寄った。
「お疲れ、いい試合だった。ファランが『全共感』を使っているのに気がついたのは流石だったな」
「たまたまだよ。上から見たら試合がどうなってるのか、ちょっと気になっただけ」
そう言ってなんでもないことのように微笑むイルシアだが、無意識にでも危険を察知して行動に移せたのだから、その実力は疑うべくもない。
アナトは軽く首を横に振って、
「それでも、咄嗟の時にどう判断できるかが戦いには肝要だ。それを実践できてるのは、誇っていいと思うけど」
「もう、誉めても何も出ないよ?」
「『特殊共感』での死角のカバーか…。俺も試合で使わせてもらおうかな」
しばし流れる穏やかな時間に、思わずアナトは現実を忘れる。その会話に水を指したのは、「あのー」と声を掛けてきたアイリスだった。
「お話に花を咲かせるのは結構なのですし、わたしも連隊長とはもっとおしゃべりしたいのです。ですが今、アナトさんにそんな余裕はないのでは?」
そのアイリスの指摘に、イルシアはしまった、と口に手を当てて、
「ごめんね、もうすぐ試合なのに引き止めちゃった」
「いやいいよ、先に声かけたのは俺だし」
とはいえ、アイリスの言った通り、かなり時間は迫ってきている。聴覚に意識を集中させると、会場から一段と大きな歓声が響いてくるのが聞こえた。
第二試合が佳境に入ったのだろうか。もうアナトの出番まで間はない。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「うん、頑張って。…見てるから」
「ああ」
短く答えて、アナトはイルシアの横を通り抜け、控室の扉をくぐり抜けた。
=========================================================
「第三試合、キリルハイト訓練兵団所属、魔術師カスパール・シャルビエール 対 キリルハイト訓練兵団所属、アナト!」
場内から放たれたクランツ軍団長の一声に応じて、入場門の手前で待機していたアナトは、そこで様子を見守ることとなったアイリスから、「頑張ってください」、という激励の言葉を受け取って、太陽の下へ足を踏み出した。この競技場は屋根がないため、太陽の光が直接肌を焼く。じりじりとした暑さに、手のひらには早くも汗が吹き出し始めていた。
中空に向けた視線を正面に戻すと、対面の入場門を通り抜けて現れたカスパールの姿が目に飛び込んでくる。
この日のためにしつらえさせたのか、仰々しい飾りで過度に装飾されたマントを身に纏い、その留め具の部分には、例の如く魔術師のシンボルたる青龍があしらわれていた。
こちらへ堂々とした足取りで向かってくるカスパールは、よく手入れされた金髪を風に靡かせ、観衆へと得意げに手を振って見せている。
カスパールはアナトに視線を合わせようともしない、というか、そもそも眼中にすら入っていないようだ。
近接戦闘ならばいざ知らず、魔術ありの試合ならば、天地がひっくり返っても負けることはない、と高を括っているのだろう。しかし、格上の相手が舐めてかかってくれるのであれば、アナトにとっては好都合だ。
暫ししてアナトとカスパールの両者が開始位置についたことを確認し、クランツ軍団長が、右手を高々と天に掲げる。
「それでは、試合、開始っ!」
放たれた開始の合図と同時に、アナトは素早く懐から煙玉を取り出し、地面に叩きつけた。
即座に噴出した白煙が競技場の中央の空間を包み込み、カスパールとアナトの間の視界を遮る。
その隙を見逃さず、アナトは手近なところにある岩影へ飛び込むようにして身を隠した。
第一試合でファランが地面を砕いた時点で、既に競技場は十分以上に岩山のような様相を呈していたのだが、今はそれよりもさらに地面の凹凸が激しくなっている。第二試合の選手が一体どんな無茶な試合をしたのかはわからないが、いずれにせよ、おかげで身を隠しやすくなったのは僥倖だった。
煙が僅かに晴れてきたところで、アナトは岩山に身を隠したまま、縁ギリギリに張り付くように身を乗り出して、カスパールの様子を伺う。
「ちっ、こすっからい手を使うよねぇ、小物は!」
カスパールの声が、煙の向こうから聞こえたのを認めた直後、
バシィィィィィィィィィィ!!
凄まじい轟音と共に、金色の閃光が白煙の向こうから去来し、人工的に作り出された偽りの霧を吹き散らしていく。
目で追うことすら難しい、超高速の光による破壊。アナトは、払拭された煙の向こうから現れたカスパールに視線を向ける。
その手前の中空に浮かぶのは、未だ紫電を纏って妖しく輝く黄色の魔法陣。間違いない。閃光の正体は、ここから放たれた稲妻の弾丸だ。威力からして、仮に一度でも食らえば、アナトの意識が保つかは怪しい。
岩山の影に体を引き戻したアナトは、己の不運に、思わず自嘲の笑みを浮かべ、悪態を吐く。
「はっ、よりにもよって雷属性とはな」
攻撃魔術の中でも、特にスピードに特化した雷魔術は、避けるより他に術のないアナトが戦うには、最も相性が悪いといっても差し支えない。どうやら、これは一筋縄ではいかなさそうだ。
そう確信したアナトは、次なる一手に備えて、《リンク》を発動させる。
「『特殊共感』」
呟きと共に、岩と土に煙る景色が、鳥瞰的な視点へと転換する。
イルシアの受け売りではあるが、こうして戦場を俯瞰するのは、的確な判断を下す上で確かに有用だ。
白煙はほぼ消え去り、岩陰に潜む己の姿と、10mほど離れた位置で複数の魔法陣を展開するカスパールの様子がはっきりと視認できる。
見えている景色からして、イルシアがいるのは競技場の右手側の観覧席だろうか。
彼女の隣にはレイモンドもいるようだが、今注意を払うべきはカスパールの動向の方だ。
姿を消したアナトに、カスパールは腹立たしげな様子を取り繕おうともせず、
「どうした、悪魔!隠れてたってどうにもならないぞ!」
ズガァァァァァァァン!!!
轟音と共に、アナトの斜め前に積み上がっていた岩山が粉砕される。
新たにカスパールによって生み出された魔法陣から射出される迅雷の暴力が、岩山と化した競技場から着実に障害物を排除していっている。しかも、どうやらただ単に魔法陣から雷を放っているわけではない。
よく見ると、雷を生成している魔法陣の後ろに、もう一つ違った紋様の魔法陣が浮かんでいる。
そして、その紋様の魔法陣が競技場の別の場所にも浮かんでいて、そこから稲妻が発されているということは、
「電撃魔法と転移魔術を組み合わせているのか…、厄介だな」
カスパールがやっているのは、生み出した電撃の威力をそのままに、転移魔術で全く別の場所から攻撃を打ち出す、という芸当だ。発射点を見極めにくいので回避も困難であり、いつどこから攻撃が飛んでくるか分からない怖さもある。
しかし、同じ視点から見つめているのならばともかくとして、こうして俯瞰して見ている分には、どの紋様の魔法陣から次弾が発射されるのかを見極めることは容易い。
転移魔法の位置は、各魔法陣によってその文様が微妙に異なることから、組み合わせが判別できる。
例えばあの左奥の魔法陣は、カスパールの左手の正面にある魔法陣と紐づけられているようだ。
それに注意さえ払っていれば、いつまでこの岩山の影に隠れていられるか、なんとなく判断がつく。
とはいえ。
ズガァァァァァァァン!!!!
ドォォォォォォォォォォォォーーーーン!!!!
次々に雷鳴が走り、凄まじい轟音が発されたかと思うと、競技場内の岩山が一つずつ割り砕かれていく。
もう、身を隠せる岩山の数は、数えるほどしか残されていない。まもなく、アナトのいる岩山にも、雷撃が襲来するはずだ。これ以上、黙って座り込んでいるわけにはいかない。
アナトは、手元で組み立てていたあるものに視線を落とし、
「時間稼ぎは、これくらいが限界か」
そう口にし、隠れ場所から飛び上がるようにして、岩山の上へと体を躍らせた。
ついに姿を現したアナトを見て、カスパールはほくそ笑む。
「ようやく観念したようだね。そうそう、無駄に足掻こうとしないで、そうやって最初から負けを認めていればいいんだよ」
嘲笑と共に、無防備なアナトに向けて、カスパールは魔法陣の照準を転換させ。
一際強く光を放った金色の魔法陣から、遅れて雷鳴が耳朶を震わせるほどの速度で、流星のごとき鮮烈な光が解き放たれる。
直後、
目を焼くような白光が、爆音とともに競技場を塗り潰した。




