第13話 大会前夜
「なるほど。それはまたややこしい話を持って帰ってきたもんだね」
「笑い事じゃない。突然実は王国民だったなんて言われて、どれだけ俺が混乱したと思ってる」
小刻みに肩を震わせて笑うレイモンドを前に、アナトは思わず眉間に皺をよせた。
現在二人が腰を落ち着けているのは、中央兵舎最上階、『耳』の拠点がある階層のテラスである。
時刻は深夜を回っており、夜空に輝く月以外には、二人の会話の内容を知ることは能わない。
ちなみに、レイモンドはともかくアナトは明白な訓練兵舎の門限破りを実行しているため、仮にバレたら罰則は確実だ。ファランはともかくとして、イルシアがうまくやってくれていることを願うしかない。
そんな危険を犯してまでレイモンドに接触を図ったのは、十五年前の事情に明るい知り合いが、レイモンドくらいしか思い浮かばなかったからだ。そんな昔から軍に所属している人間は大抵上官なので、昨日ジュスクまで行ったことなど言えるはずもない。
「その点、お前はアイリスから話を聞いてたみたいだしな。いい相談相手がいて助かると思ったのに、その態度かよ」
「まあ相談料だと思って笑われておいてくれ。でも、ようやく合点がいったよ。なぜ王国の事情に明るくない君が、悪魔と同じ力が使えるのか」
「?王国出身だからってことか?確かに俺も、昔こっちに流れてきていた先祖の血が出たにしては特徴が強すぎるとは思っていたけれど」
「いや、それとは少し話が違うな。おそらく、悪魔の力は血の濃い血族に発現するのだろう。彼らの見た目が共通している理由があるとしたら、それくらいしか考えられない。だから、君が代々王国でも有名な軍人を多数輩出してきたアムンゼンの出なら、納得だ。アムンゼンといえば、魔を斬る英雄の家系だと名高かったからね」
その言葉に、アナトは改めて、アムンゼン家がいかに王国で名の知れた家名であったかを認識する。
現在二十三歳で、一桁の歳の頃から兵団に拾われて生活していたというレイモンドは、アムンゼン家の将校を何人も耳にしているはずだ。アナトも、数十年前に王国の軍閥制度を切り崩したというミルメ・アムンゼンの名くらいは聞いたことがある。
その中でも、前王国軍大将だったヴォルガ・アムンゼンは、その類稀な剣才と正確無比な陣頭指揮で恐れられていたらしい。
「休戦して以来、ぱったり噂が聞こえてこなくなったとは思っていたけれど、まさか王国でそんな変事が起きていたとはね」
「ああ、王国軍の英雄が闇討ちになるなんて、とんでもない大ニュースだろ?ルシェナはよくこの事件を隠し切ったな」
「それだけ、国に混乱が起こっていることを悟らせたくなかったんだろうね。それにしても、僕がさらに驚かされたのはもう一方の話の方だよ、アナト」
「もう一方って、ああ、ローグのことか」
レイモンドの言葉に、アナトは師の顔を頭に浮かべる。
アナトにとっては口数の少ない寡黙な世捨て人、という印象が強かったのだが。
「そう、ローグ・スコット准将だよ。彼もまた休戦以来名前を聞かなくなっていたけれど、まさかシュルツガルトに移り住んでいたとはね」
「准将、ね。未だに信じられない、そんな王国の重要人物に育てられてたなんてな」
「いったいどうして、准将がシュルツガルトの片田舎に移り住んでいたのか、僕にはさっぱりわからないよ」
「……ああ、俺もだ」
一瞬脳内をよぎった考えを、アナトは即座に打ち消してレイモンドの言葉に賛同する。
その一瞬の沈黙に特に疑問を挟むことなく、レイモンドは会話を続ける。
「それで、ローグ准将は」
「...死んだ、と思う。三年前の襲撃で。今思えば、あれもこのことと無関係じゃなかったんだろうな」
あの炎の夜、集落の騒ぎを聞きつけて様子を見に行ったローグの後を追って、アナトは襲撃に巻き込まれた。しかし、実際には襲撃者たちの標的はローグやアナトだったのではないだろうか。
それが真実であるならば、あの日殺された集落の人々には、なんの謂れもない災厄であったことは間違いない。どうか盗賊の襲撃であってくれとアナトは願わずにおれない。
しばし、テラスに吹き付ける風の音が聞こえるほどの沈黙が下りる。
それを先に破ったのは、腰掛けた椅子の上で居住まいを正したレイモンドの方だった。
「それで、君の力についてはなにか分かったのかい?アムンゼンの血統には、そういう力が発現していた、とか」
「いや、今のところはさっぱり。見つけた日記らしき本も、解読するまで数日はかかるらしい」
とはいえ、数日後には内容が明らかになるというのだから、それで調査が進展する可能性もある。ひとまずは、イルシアからの吉報を待つより他にない。
それを聞いて、そうか、とレイモンドは頷く。
「ともかく、間者の正体について手がかりが掴めなかった以上、君を武術大会に出すという上層部の判断は覆らないだろうね」
「まあそうだよな...。襲撃者に備えて、かなりの準備を進めてきているんだろうし。そう簡単に止めるわけにはいかないだろう」
それに口に出してこそ言われないが、上層部はアナトの不死者を超えた再生能力の存在をほぼほぼ認めている。端的に言えば、殺されても死なない化け物だと思われているということだ。囮としてこれ以上心配しなくていい存在はない。
だが、囮にされる側としては、やはり多少なりとも背筋が凍るのは致し方ないだろう。
いくら死なないといっても、もしまたあの激痛を味わうことになったら、と思うとぞっとしない。
そのアナトの様子を見て、レイモンドはくすりと笑う。
「そんなに心配しなくても大丈夫さ。明日の大会にはかなりの腕利きも招かれてるって話だし、敵も表立っては動きづらい。僕は不死者じゃないから命懸けで守る、なんてカッコいいことは言えないけど、できる限りの警護はさせてもらうよ。明日はエリンやセレーナも会場に行くことになっているからね」
そう言うと、さて、と手を打ち合わせてレイモンドが話を区切った。
「そろそろ一時を回るし、明日に備えて寝た方がいい。帰り道はアイが用意してくれたから、心配しなくていいよ」
そう言ってレイモンドが指さしたのは、テラスの横に設置された窓だ。よく見ると、窓の鍵が開けられている。
近づいて窓を開き外を覗き込むと、すぐ隣の窓枠に器用に体を預けたアイリスと視線が合う。
「兄ぃのお願いなら仕方がないのです。お部屋までは案内するのでついてきてください」
そう言うと、凄まじい身のこなしで近くの木を伝って、訓練兵舎の方へ移動していく。
すごく簡単に言われたが、これに追従しろということだろうか。
ちなみに現在地は、地上七階の窓。
馬鹿か。
しかしせっかく用意してもらった移動経路を無碍にするわけにもいかず、アナトも見様見真似でアイリスの立っていた窓枠に飛び移る。着地の衝撃で修復もろくにされていない中央兵舎の窓枠はぐらりと揺らぎ、一瞬全身から血の気が引いた。
少しして気分を落ちつけたアナトは、くるりと背後を振り返ってレイモンドに顔を向けた。
「だいぶ参考になる話だったよ。もしかしたらまた何か聞きに来るかもしれないけど、その時はよろしく頼む」
「いや、こちらこそ興味深い時間だったよ。くれぐれも帰り道には気をつけなよ」
笑って手を振るレイモンドに軽くアナトも手を振り返し、再び道と呼べない帰還路に視線を戻す。これから要求されるのは、まさしく落ちたら終わりの決死行だ。
最悪足を滑らせて地面に落下したとしても死にはしないのだが、死ぬような思いを味わわされるのは確実である。というか、明日大会に出るどころではなくなる。
普段の厳しい訓練で培った技術を総動員して、アナトは夜の空中散歩へと踏み出し、
「あ」
一歩目から盛大に、その足が空を掻いた。
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「それで、レイモンドと話はできた?」
深夜、窓を伝って部屋に戻ってきたアナトを出迎えてくれたのは、普段結んでいる髪も解き、すっかり寝支度を整えたイルシアだった。見慣れている姿ではあるはずなのだが、月明かりに照らされた様子がいつもより蠱惑的に見えて、無意識に心拍数が上がってしまう。僅かに赤くなった頬に気づかれないよう素早く部屋の中に入り、カモフラージュとして身につけていた黒いマントを脱ぎ捨てた。
「ああ、なかなか面白い話が聞けた。帰り道は散々だったけどな」
「別に普通の道だったのです。アナトさんがどんくさいのがいけないのです」
「普通の道で死ぬような目に遭わされてたまるか。たぶんもうこの靴だめだぞ」
心外そうにぷりぷりと怒るアイリスだが、おそらく客観的に見てアナトの評価は間違っていないはずだ。
特に5mmほどの出っ張りしかない訓練兵舎の塀を手の力だけで登ることを要求されたのは予想外を通り越して本当に冗談だと思った。
結果、無理矢理足がかりを探った結果、ただでさえ寿命が近かった靴は底が完璧に削れてしまっている。
こんな時間まで付き合わせたアイリスには悪いが、これならば一晩中野宿した後こっそり兵舎に戻る方が楽だったかも知れない。
「なんか、大変だったみたいだね...。アイリスも遅くまで付き合ってくれてありがとう」
「別にお仕事の一環ですし構わないのです」
イルシアの労いの言葉に、澄ました調子で答えるアイリスだが、緩んだ頬を隠しきれていないので逆効果だ。こういう素直さを見ると、年相応の少女であることを改めて実感させられる。
そのへにゃへにゃした笑顔のまま、アイリスはアナトに向き直った。
「では、わたしは近くで待機してるので、なにかあったら大声で叫ぶのです」
そう一言残して、アイリスの姿が窓のところから消え失せた。
まるでうっかり手を離して落下したかのような勢いだったが、彼女ならばそんな心配はないだろう。あの化け物じみた身体能力があれば、たいていのことはなんとかなるはずだ。
どこか収まりの良いところで引き続き護衛任務に当たってくれるのだろう。
アイリスが去って緊張の糸も解け、アナトはその場で軽く伸びをする。
するとこちらに背を向けていたイルシアが、部屋の机の上から紙片のようなものを手にしたのが目に留まった。
「そういえば、明日の大会の組み合わせが決まったって連絡があったわ。はいこれ」
イルシアが机の上から取り上げた紙を受け取って目を通すと、十数組の対戦表が書き連ねられている。
どうやら勝ち上がり戦をするわけではなく、一試合で実力を見極めようということらしい。精鋭部隊の選抜のため、他国との友好のため、という建前こそあれど、実態は間者を炙り出すためのデコイなのだから、無駄に時間をかけることはしない、ということだろう。
ともあれ、アナト自身の実力は同級生の中では上位、といったくらいなので、二年上の訓練兵までひっくるめた面々で構成された大会に放り込まれようものなら、場合によっては数分も保たないだろう。
そんな己の実力のなさに苦笑しながらも、アナトは明日対戦を余儀なくされる相手の名前を確認する。そして、その名前に行き着いた時、思わず顔を顰めてしまった。
「カスパール・シャルビエール...。あいつか、厄介だな」
脳裏に浮かぶのは、一週間ほど前に彼との間で起こったいざこざだ。
いけすかない奴だが、実力だけは確かなので一層タチが悪い。
「剣術ならともかく、魔術もありの試合だからな...。あれ、俺勝てなくないか?」
「あ、もう弱気になってる。男の子なんだから、やってやる、くらいの気概は見せないと」
「彼我の戦力差を客観的に分析しただけだ。遠隔攻撃に剣一本で立ち向かうのはどう考えても分が悪いだろ」
「なら、その分析を戦術に活かさないとね」
まっとうな指摘に少々不服げになったアナトを見て、イルシアはなぜか楽しそうな様子だ。
「なんで、やけに楽しそうな顔してるんだ」
「ううん、随分アナトも素直になったなー、と思っただけ」
「いつと比べた話だよ、それ」
おそらく、比較対象となっているのは彼女と出会った当初のアナトだろう。
当時ローグ以外の人間とほぼ接したことがなく、他人とのコミュニケーション能力を成長させる機会を得られなかったアナトは、しばらくイルシアとろくに口を利くこともできなかった。
それが今はこうしてちょっとした弱音も吐けるような関係になったのだから、人生わからないものだ。
三年前の自分を思い出して、アナトは気恥ずかしさで軽く頬を掻く。
その横で簡素な木製のテーブルの前に置かれた椅子にイルシアは腰掛け、中途で止めていたらしき髪の手入れを再開させる。おそらく、寝る直前の身支度をしているタイミングでアナトが戻ってきたのだろう。
なにせもう深夜を回っているのだから、いつまでもだらだらと起きているわけにはいかない。
そう思ったアナトが若干破れたズボンの塵をはたいていると、
「そういえば言い忘れてたんだけど、実は私も大会に出ることになったの」
「へー、そうなのか。って、え⁉︎」
あまりにも日常会話の延長線上くらいのテンションだったのでうっかり聞き流しそうになったが、イルシアの言葉を遅れて脳が理解し、アナトは驚きを隠せない。
「確かに訓練兵ではあるだろうけど...。そもそもお前に勝てるような相手なんていないんじゃないのか」
「お飾りの連隊長だって思ってる人も少なくないし、ちゃんと戦えるところ見せておいてもいいかなって。それに、相手も悪くないし」
言われて対戦表を見返すと、一番上にイルシアの名前が記されている。その隣に書かれているのは、アナトもよく知る少年、ファランの名だ。
「ファラン...、まぁ一方的にはならない、か?」
昨日の決闘の時はフルボッコにされていたものの、あれは腰が引けたファランに、珍しく有無を言わさぬ勢いでイルシアが打ち掛かっていったから、という部分もある。
実際には、ファランも戦兵ではあるのだし、手も足も出ないほどの実力差ではないはずだ。
それにしたってイルシアが負けるのはなかなか想像ができないのだが。
ただガチンコの戦闘となると、ファランは加減を知らないところがあるので少々不安は否めない。
「もし怪我でもさせられたら、俺はあいつを殴りにいくぞ。いや、たぶん返り討ちだけど」
「どうせなら最後までカッコつけてほしかったけどなー。流石にファランくんもそれぐらいの判断力は働くでしょう」
そう言って身支度を終えたらしいイルシアは椅子から立ち上がり、ふぁぁ、と可愛らしい欠伸をする。
「ごめん、私そろそろ寝るね。アナトもあんまり夜更かししちゃだめだよ」
「わかってる。明日寝不足で戦わされるなんてのは洒落にならないからな」
アナトの返答に満足そうにうなずき、イルシアは寝具としてあつらえられた、部屋の右側にある二段ベッドに移動していく。上の段をアナト、下の段をイルシアが使っているのだが、理由はあまりのボロさゆえに体重関係なくミシミシ音がなってしまうのをイルシアが気にしたからであったりする。
訓練兵に与えられる部屋には、基本的に必要最低限の設備しかない。連隊長であるイルシアは本来ならもう少しグレードの高い個室をもらってもよさそうなものだが、彼女自身が訓練兵と同じ扱いを望んだため、こうして相部屋をもらうこととなっている。
とはいえなぜ異性であるアナトがイルシアと相部屋に落ち着いているのかというと、(村で二年も共同生活をしていたので今更気にしてもどうしようもないという理由もなくはないが)リンカーは守護者との距離が空きすぎないように、基本的に近い場所にいることを望ましいからである。万が一夜間に襲撃があった場合、離れていては能力が十全に発揮できないし、なにより不死者が守護者の盾になることもできない。心臓ともいえる存在が目の届かないところにいるのをよしとする人間は多くはあるまい。
それがカスパールが揶揄したように、要らぬ誤解を生む要因でもあるのだが。
「じゃあ、おやすみ。明日がんばろうね」
「ああ、おやすみ」
そう言ってベッドに潜り込んだイルシアが目を閉じたのを確認して、アナトは部屋の角に設られた、身支度用のスペースに移動する。天井から取り付けられた簡易的なカーテンを動かし、手早く汚れた衣類を脱ぎ捨てて寝巻きに着替えた。明日以降の休日に洗濯できるようまとめて汚れた服を洗濯かごに押し込み、アナトも二段ベッドのところへ移動する。
疲れていたのだろうか、既に夢の世界へ旅立っているイルシアの顔に一瞬視線をやってから、アナトも音を立てないよう注意深く上段に上って体を横たえた。ここ最近の疲労もあって、アナトはたちまち夢も見ない眠りへと落ちていく。
_____そして、戦いの朝は訪れる。




