第12話 悪魔の出自
隠し扉の先に広がっていたのは、小さな書斎のような部屋だった。
中央に置かれた文机を挟み込むようにして設置された本棚には、膨大な量の本や資料が詰め込まれている。そこに収まりきらなかったと思われる本が、部屋の隅にうず高く積み上げられていた。
輝石を持ち上げて題名をいくつか照らしてみると、歴史や文化、学術など、さまざまな分野の書物が納められていることがわかる。
アナトが幼い頃から、ローグはたまに本を読んでいて、よくそれを拾い読みしていたものだ。
近くに本を売っているような場所もないはずでどこから持ってくるのだろうかと不思議に思っていたのだが、どうやらここに所蔵していたものだったらしい。
ふと下の方の段をみると、色褪せた絵本のようなものが置かれていて、かつて一生懸命にそれを読んでいた思い出が蘇った。
「うはぁ、こりゃすげえ。数百冊くらいあるんじゃねーの」
書庫を思わせる部屋の様相を目にしたファランが、そう感嘆の声をあげる。
確かに、これだけの資料がある中からローグについての手がかりを探し出すのはなかなか骨が折れそうだ。
すると、一足先に調査を始めていたらしいイルシアが、本棚から体を起こしてこちらに手招きする。
「ねぇ、ちょっとこれ見て」
アナトが言われた通りに横に移動すると、イルシアは本棚の一角を指さした。そこには、大量の薄い紙のようなものが刺さっている。
試しに一組取り出してみると、何やら大小の字でさまざまな事柄が記述されている。左上に視線をやると、そこには数年前の日付が印字されていた。
横から覗き込んできたファランが、ああ、と納得したような反応を見せる。
「新聞か。街とかじゃ結構出回ってるけど、こんなとこで読んでるっつーのは珍しいな」
「うん、日付は結構飛んでるけど、毎月一度くらいは読むようにしてたみたい。もしかしたら、何か手がかりになるかも」
イルシアの提案に、ファランがうなずいてしゃがみこみ、本棚から十数枚分の新聞を古そうな側から取りだす。
「じゃあオレはこれちょっと上で調べてみるわ。ここじゃけっこー見辛そうだし。お前らは他になんかないか探してみてくれ」
「わかった、何か気が付いたら教えてくれ」
紙束を持って地上に戻っていくファランを見送り、アナトはイルシアと共に部屋に残される。
改めて部屋をぐるりと見渡してみるが、目立って気になるものは特にない。やはりしらみつぶしに調べてみるしかないだろう。
「イルシア、とりあえず本棚を調べていこう。もし変わった本があれば、そこから何かわかるかもしれない」
「そうだね、分かったわ」
イルシアも特に異論はなかったようで、アナトの提案に賛同する。
ひとまずイルシアが左から、アナトが右から本を調べていくことにしたが、アナトは目の前に並べられた膨大な量の書物に圧倒される。
目につくのは、シュルツガルトの歴史を記したと思しき、何冊にもわたる分厚い辞典のような本たちだ。軽く一冊目を引き出してみると、それこそ神話のような時代の内容から記述が始まっている。
世界は何もない海から四柱の創世神が五つの島を創り出してできた、と言われているが、それが本当かどうかは随分と怪しげな話だ。
一応シュルツガルトを創ったのはそのうちの一柱である朱雀だと言われているので、兵団の部隊はその体の部位の名を冠した名前を付けられているのだが。
分厚い歴史書を棚に戻して次なる標的をアナトが見定めていると、イルシアが声をかけてきた。
「ねぇ、アナト、少し聞いてもいい?」
「どうした?何か見つかったのか?」
アナトの問いかけに、イルシアは首を横に振る。
「そうじゃないんだけど...。ローグさん、ってどういう人だったのか、ちょっと気になっちゃって。アナト、ここを調べるって話が出た時、なんとなく自分が行きたい、って思ってたような感じがして」
そのイルシアの言葉に、アナトは虚を突かれる。
確かに、いくら上層部の中に敵の間者が紛れ込んでいる可能性があったとしても、彼女ならばアナトに危険が及ばない方策をいくらでも考えられたはずだ。それでもそうしなかったのは、アナトの考えを漠然と見抜いていたからだったのだろう。
十年以上過ごした思い出の場所を、土足で踏み荒らされることへの不快感。
そんな幼い感情を。
自分でも意識していなかった思考を見抜かれたバツの悪さに、アナトは軽く頭を掻きながら返答する。
「そうか、別にすごく思い入れがあるわけでもないんだけどな…。ローグの話は、なんとなくしてこなかっただけだよ」
実際、この場所では寝て食べて起きて、特に中身のない空虚な生活を送っていただけなので、思い出の地、という表現ならむしろイルシアと二年間過ごした村の方が適切だ。
ただ、二年間、イルシアの家で寝起きさせてもらっていたときも、あの事件の日を思い出させないようにという気遣いからか、イルシアが強いて事情を聞こうとしたことはなかったので、アナトもなんとなく話すことのないまま過ごしてきてしまった。
だが、三年経ってようやく足を運ぶことができた今が、話しておくべき時なのかもしれない。
アナトは、本を調べる作業の手は止めないまま、口を開いた。
「そうだな、俺は両親の顔を知らないから、ローグを一言で表すなら育ての親、なんだろうけど、どっちかというと師匠、っていう感覚の方が強かったな」
「厳しい人だったの?」
「叱られた覚えはあまりない。でも甘えさせてくれた記憶もないな。ローグは狩りのやり方とか食べられる野草の種類とか、生きるために必要な知識は色々と教えてくれたけど、俺がなにか失敗して痛い目みたとしても、『そうか』としか言わなかった」
一番酷かったのは、アナトが六歳のころ、猪狩りに失敗して大怪我をした時のことだ。ぼろぼろになったアナトを見て、ローグは心配や慰めをするでもなく、
『その程度の傷では死なん』
とだけ言ってまた己の作業に戻っていった。
仕方なく、声もあげずに涙を流れるままにし、以前調合法を教えてもらった傷薬と使い古された包帯で手当てをしたのが懐かしい。
「ともかく、必要最低限のことだけ教えて、それ以外は干渉しない、っていう感じだった気がする。そのおかげで大抵のことは自分でできるようになったんだけどな」
そういう意味では、家族というよりも、身近な他人といった方が適当な気がする。ローグはあまり口数が多い方ではなかったし、自然、アナトも一人で過ごしている時間が長くなった。それでも、成長するまで寝床を提供し、生きる術を教えてくれたのだから、感謝の念はある。
「ともかく、手のかかるガキの頃から面倒を見てくれてたからな。ローグが拾ってくれてなかったら今俺はどうなってたかわからない」
「ローグさんは、アナトのご両親の知り合いだったの?」
「ああ、一度だけ、本で家族の話を読んで、どうして俺には両親がいないのかローグに聞いたことがある。まともに答えてはくれなかったけど、いつもほとんど表情を動かさないローグが、その時だけはすごく辛そうな顔をしていたのを未だに覚えてる。それ以来、二度とローグに両親の話は聞かなかった」
「そっか...。たぶん、大切な人たちだったんだね」
「かもな。っと、これはなんだ?」
アナトはイルシアとの会話を中断し、目に留まった周りの書物とはやや装丁の異なる、青色の表紙の本を引き出す。輝石で照らしてみると、よくわからない手書きの文字で、何ページにも渡って記述がなされていた。それを覗きにきたイルシアが、その文字の正体を即座に看破する。
「これ、たぶん古代文字だと思う。魔導書の記述とかにはよく使われてるはずだけど、これはそんな感じには見えないね」
「うーん、日付らしいものも書いてあるし、日記じゃないか?万が一にも人に読まれないようにしたんだろ」
パラパラとめくってみるが、筆跡からしてローグのものと考えてよさそうだ。もしかすると、この中に何か重要な手がかりが隠されているかもしれない。ただ、アナトはもちろん、イルシアやファランも古代文字など読めないのが大きな問題ではあった。
「とはいえこのまま読めないっていうのも困るしな...。イルシア、兵団で誰か古代文字が読めるやつに解読を頼んでくれないか?できればあまり表沙汰にならないように」
「えー、簡単に言ってくれるなぁ。あてを探すの、結構大変なんだよ?」
「頼む。俺にできることならなんでもするから」
言ったから、しまったなんでもは言い過ぎた、と思ったが、口に出してしまったことを引っ込めることはできない。
しばし固まったアナトに、イルシアは悪戯っぽく表情を変えた。
「お、言ったね。じゃあ明日のお昼、私に付き合って!こないだおいしいご飯屋さんの話聞いたから、行ってみたいと思ってたの」
「げ、そんなに今月も余裕ないんだけどな...。仕方ないな、わかったよ」
やった、と煌めくような笑顔を見せるイルシア。まあこの笑顔を見るためなら、一回分の昼食代くらい安いものだろう。それに、おそらくこれは口実で、本当はアナトに気を遣わせないようにしようとしたのだろうから、文句を言う気も起こらなかった。
そんな会話をしていたところへ、ファランが出入り口のところからひょこりと顔を覗かせる。
「おーい、そこでいちゃついてる二人ー!なんかすげぇ記事見つけたからすぐ上がってこい!」
「「いちゃついてない!」」
きれいなユニゾンで言い返したアナトたちの言葉を鼻で笑って、ファランはまた入り口の向こう側へと姿を消す。
釈然としないものを感じつつも、無視しておくわけにもいかないので、大人しくアナトは地下書庫を後にした。
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押し入れから体を引き出すと、部屋の中心の囲炉裏の横で新聞を広げたファランがこちらに手招きをしている。
その周りには他の新聞が乱雑にばら撒かれ、惨憺たるありさまを呈していた。後で片付けが面倒そうだ。
仕方なくそれらを踏まないように移動し、アナトはファランの向かい側に腰を下ろす。
「で、いったいなんだ」
「これ見ろよ。十五年前の新聞みてえなんだけど」
そう言ってファランが指し示したのは、ある新聞の一面を大きく飾っている写真だ。
白黒なので細かくはわからないが、黒髪の男性と妻と思しき穏やかな顔の女性が映り込んでいる。その女性の腕の中には、布で包まれたあどけない顔の赤ん坊が抱かれていた。
だが、男性が身に纏っている立派な軍服は、シュルツガルトの兵服とは趣を異にしている。
よく見ると、新聞の体裁も周囲の他のものとは少し異なっていた。
「ああ、これはシュルツガルトじゃねえ。ルシェナの新聞なんだよ。んでほら、ここ読め」
ファランに言われるがままに、アナトは新聞の右上に記された文章を音読する。
「一昨日、王都で発生したヴォルガ・アムンゼン夫妻の殺害事件について、犯人の行方は依然として掴めていない。息子のアナト・アムンゼンの所在も、現在のところ手がかりが掴めず...⁉︎?」
思わず記事から目を離し、アナトは穴が穴が開きそうなほどファランの顔を見つめる。咄嗟に与えられた情報に、頭が追いつかない。
王都、というのはシュルツガルトではまず使われることのない表現だ。公宮のあるキリルハイトは、国民からは公都と呼称されている。にもかかわらず、王都という呼び名が使われているということは、これはシュルツガルトではなく。
そのアナトの思考を読んだかのように、ファランは頷いて別の紙面を手に取る。
「そうだ、王都ってのはルシェナの話だ。そんで、このヴォルガって男の名前。調べたら他の記事にもちらほら載ってたぜ。どっかで聞き覚えがあると思ったよ。王国軍の前大将だった」
王国兵で大将、といえば、ほぼ最上級の階級に匹敵する。その男がこの写真の通り黒髪で、そのアナト・アムンゼンという赤ん坊の行方が、十五年前のその日以来知れていないのだとしたら。
「そんな偶然、あるわけがない...」
呻くように呟いたアナトの言葉を、ファランは引き取って結論づけた。
「十中八九間違いねーだろ。アナト、お前は十五年前に殺された、王国軍大将の息子だ」




