第11話 故郷への帰還
数十分後、村を出たアナトたち三人は、本来の目的地、ジュスクの手前に差し掛かっていた。
この先は山林地帯に続くばかりで村の数も少なく、舗装されていない道を歩くものは他にいない。
前を歩くイルシアは、普段明るい彼女にしては珍しく口数が少ない。その元凶たるファランは、アナトの後ろでしきりに腰のあたりをさすっている。
「いや、オレが悪かったからそろそろ機嫌直してくんねーか?甘んじて罰も受けたんだし。正直まだちょっと左ケツの調子が出ねえ」
「ケツに調子もクソもないだろ。罰と言ったって、お前がただ負けただけじゃないか」
ぶつぶつと不満を口にするファランにアナトが突っ込みを入れる。基本鷹揚なイルシアをここまで怒らせていることからもわかるが、百ゼロでファランに非があるので正直弁明の余地はない。
マロンの体を借りて、彼女の服の中に飛び込んでいったこの男が何をしたのかはイルシアのためにも想像しないでおくが、ともかく騒ぎが収まり、村人に丁重にいとまを告げて戻ってきたイルシアが開口一番口にしたのは、
「ファラン、あなたに決闘を申し込みます」
だった。
ちなみに、王室との関係を絶ったとはいえ、やんごとない立場だった彼女が護衛も付けずに一人で生活することを許可されたのは、そんじょそこらの悪漢では到底相手にならないほどの実力者であることが理由であったりする。
「まさか道端に転がってるただの枝が、あんな凶器になるとはな」
先刻行われた凄まじい戦いを回想して、アナトは改めて感嘆を覚える。仮にアナトがイルシアと真剣勝負をしたら、おそらく五秒も保つまい。イルシアを本気で怒らせるようなことは絶対にしまい、とアナトが決意を新たにした時、隣を歩くイルシアが、はぁ、と嘆息した。
「もういいよ、私が二人を待たせすぎちゃってたのもよくなかったし。できれば言葉で伝えてほしかったけど」
「うっわ女神...。なんかオレ、自分のやったことががすげぇ恥ずかしくなってきたわ」
「そこは初めから恥ずかしく思っておいてくれ、ったく」
寛大すぎるイルシアのおかげで、ひとまず争いに決着がつく。
その直後、ちょうど小高い丘の頂上に至り、周囲の木々による目隠しがなくなって、眼下に目指す目的地の集落が広がっているのが視界に飛び込んできた。
「あ」
思わず声をあげたアナトは、その様子に思わず足を止める。
そこは、さきほどのイルシアの故郷である村よりもさらに小規模な集落、いや、かつて集落だったと思われる場所だ。
すでに民家らしき建物はほとんど黒焦げになって焼け落ち、その上を無秩序に茂った雑草が覆い尽くしている。
かつてジュスクと呼ばれたこの集落が、アナトが幼少期を過ごした場所だ。訪れるのは三年ぶりだが、その様相からは、もはや懐かしさを感じることはできそうもない。
この場所を見るのは初めてなファランが、眼下に広がる集落を見回して口を開く。
「ここがお前の故郷、か。ほんとになんも残ってねぇのな」
「故郷、というのが正しい表現かはわからないけどな。あのとき逃げおおせた人はいなかったはずだし、誰も復興しようと思わなかったんだろう」
ただ住んでいたに過ぎない場所を故郷と呼んでいいものか迷ったアナトは煮え切らない答えを返す。実際、アナトが暮らしていたのはこの集落の内部そのものではなく少し外れたところなので、よく見知った無関係の場所、という印象が拭いきれない。
当時結局どういった形で衛兵隊に処理されたかはわからないが、おそらく集落全体を狙った手練の盗賊の仕業だとでも決着したのだろう。遺体などは片付けられているはずだが、焼け跡が整理されている様子などはほとんどなかった。
普通に暮らしていたのならば、知り合いが軒並み暴力によって血の海に沈んだことを憤り、悲しみに暮れていたかもしれない。
しかし、赤ん坊の頃からここで育ってはいたものの格別会話を交わすこともなかったため、アナトは特段この地やそこに住んでいた人々に対して強い思い入れがあるわけではない。こうして三年も足を運ぼうとしなかったのがその証拠だろうか。
ただ、十年以上生きた場所に戻ってきたのだという実感が、なんとはなしにアナトの足を止めさせた。
しばし茫然と立ち尽くすアナトに、イルシアが振り向いて声をかけてきた。
「それで、アナトはどこで暮らしてたの?今日はそのためにここまで来たんだから」
「ああ、それほど集落からは離れてない。こっちの竹藪を奥に入ったところだ」
そう言ってアナトは、丘の下に広がる集落から視線を外し、右手に広がる鬱蒼とした竹藪を指し示す。
少し見たくらいではわからないようにカモフラージュされているが、よく見ると人一人が通れる程度の隙間が作られている。
集落と違って、多少の年月を経ても変わらない様子に、アナトは初めて郷愁の念を覚えた。
「ここを通って少し行ったところだ。狭いから、その辺に体引っ掛けないように注意しろよ」
「わーかってるって。オレもそれなりに野戦には慣れてんだから心配すんな」
そう言ってぐっと指を突き出すファランに頷き返し、アナトは身を屈めて竹藪の中に侵入していく。
しかし、かつては苦もなく通れたトンネルの広さが、今のアナトには少々億劫で、それが三年間での自分の成長を否応なく感じさせた。
だがその違和感も長くは続かず、しばらくすると一気に道が広がり、切り開かれた空き地にたどり着く。
多少夏草が生い茂っているが、歩く分にはさほど面倒を感じない。そして、その奥に、三年前と変わらぬ姿で、一軒の木造の小屋が建っていた。
雨風に晒されて所々腐食しているが、立て付けの悪い扉やありあわせのベニヤ板で作った屋根は、かつてと全く変わっていない。
その時代と隔絶された姿に、アナトはありし日の自分と、その隣で視線も合わせず黙々と籠を編む、無精髭の男の姿を幻視する。
ローグ・スコット。アナトが育ての親について知っているのは、彼の名前と、狩猟の名手ということくらいだった。口数も少なく、まともに会話した記憶もほとんどない。それでも、この場所で過ごした思い出には、常にローグの姿がついて回る。
しばし呆然と立ち止まるアナトの肩を、後ろから追いついてきたファランが叩く。
「おい、ぼさっとしてどうしたよ」
「__いや、なんでもない。行くぞ」
イルシアも竹藪から抜け出してきたことを確認して、アナトは古びた掘立て小屋の扉へと向かった。
日曜大工程度の知識で作り上げられたため、入り口の木製の引き戸は、普通に開けようとしてもうまくいかない。
だが勝手知ったるアナトが扉の右下の一点を正確に蹴り飛ばすと、ガコッという音とともに玄関の扉が横に開いた。
中に入ると、外観と変わらず質素な内装が目に飛び込んでくる。
剥き出しになった地面の上に麻でできた敷物が敷かれ、その上にちょっとした生活用品が片付けられることもなく散らばっている。部屋の中心部の地面には穴が掘られており、簡素な囲炉裏のような場所が用意されていた。
集落が襲われる前日に捕まえた野うさぎの骨が、かつてここで生活していた証拠をかろうじて残している。
内部の様子を目にして、ファランが驚きの声を上げる。
「すげぇな、こんなとこで生活してたのか。寝床とかどうしてたんだ」
「奥に押し入れがある。だいぶぼろぼろだったけど、布団とかならそこに入れてたはずだ」
へぇ、と物珍しげな様子をみせるファラン。確かファランの出身はキリルハイトだったはずなので、なるほどこんな暮らしとは無縁だったのだろう。むしろ、王城で生活した経験がありながら、普通の村の暮らしを経験しているイルシアの方が慣れた様子だ。
イルシアは大まかに部屋を見回した後、アナトの方に顔を向ける。
「それで、心当たりはあるの?ローグさんが、色々と物を保管してた場所」
「ああ、たまに押し入れの方で何かやってたから、そのあたりが怪しいんじゃないかと思う。ファラン、頼めるか」
「へいへい、力仕事なら任しとけって、っと」
アナトの言葉に応じて、手早く押し入れの中から汚れた布団を始め細々としたガラクタを引き摺り出すファラン。
ファランの手によって、瞬く間に獲ったイノシシの皮で作った靴や、鹿の角を削って作った小型の槍など、何年前に作ったかもわからない代物が床に積み上がっていく。
やはり、こういう力仕事は見かけに反して筋肉バカのファランに頼むのが手っ取り早い。
見た目にはむしろ痩せ型に見えるのだが、どこにこれほどの筋肉をつけているというのだろうか。
そうしてアナトが感心している間に押し入れの中を覗き込んだらしいファランが、向き直って声をかけてくる。
「おう、とりあえず中に入ってたもんは出したが、暗くてよくわかんねえや。灯りとか持ってねぇ?」
「輝石ならいくつかあるぞ。ほら」
懐から取り出した輝石を、アナトはいくつかファランに投げてやる。
ありがとよ、と受け取ったファランがそれを床に叩きつけて砕くと、一際明るい光が発される。
輝石は、主にノルザークで採掘される、エネルギーを含んだ鉱石の総称だ。稀にこのエネルギーを制御できる人間もいるらしいが、普通はこのように砕いてエネルギーを取り出すことで簡易的な灯りとして使用される。
明々とした光が部屋を照らし出し、押し入れを覗き込んだファランが何かに気づいたかのように声を上げた。
「なんか、奥に隙間っぽいとこが見えるな。ちょっと調べるからコレ持っててくれ」
そう言って投げ渡された輝石をキャッチし、アナトは押し入れの前まで移動して内部を照らしてやる。
ちらと覗き込んでみると、確かに奥の方にファランが言うように腕が差し込めるぐらいの隙間が見えていた。
両手を自由にしたファランは、座り込んで体勢を整える。
「いくぜ、《全共感》!」
そう言ったかと思うと、ファランの体から力が抜け、がくりと項垂れる。それに呼応するようにして、ファランの懐からもぞもぞとマロンが這い出してきた。
いや、正確には、今のマロンの意識は本来のそれではなく、ファランによって上書きされている。
これが五感だけでなく行動や意識までも共有する《全共感》の能力だ。
マロンの体を操るファランは、そのまま隙間の間へと体を滑り込ませていく。少しして、ぶしゅん、とかわいらしいくしゃみが聞こえてきたので、なるほどなかなか埃はすごそうだ。
それから幾ばくもしないうちに、ぱちり、とファランの目が開く。
「うへぇ、ゴキブリが住み着いてやがった。おい、なんかレバーみたいなのがあったぜ。仕掛け扉かもしれねぇ」
「それは災難だったな...。わかった、引いてみてくれ」
「はいよ、っと。《全共感》!」
再びマロンの体に戻ったファランがレバーを動かしたのか、ぎぃっ、という木材が擦れるような音が聞こえてくる。
と、ガコッという音とともに、押し入れの下段の板が微妙にズレた。
板を取り除けてみると、そこには地下に続くと思われる空間が口を開けている。十年以上住んでいた家にこんな場所が隠されていたとは、アナトにとっては驚きでしかない。
「どうやら当たりだったみたいだな。ファラン、戻ってきていいぞ!」
アナトの呼びかけに反応して、マロン(ファラン)が隙間から駆け戻ってきた。一拍おいて、自分の体に戻ったファランが、煤だらけになったマロンを手で掬い上げて埃を払ってやる。
「いやー、汚ねぇとこに突撃させて悪かったな。あとで川の水で洗ってやっから」
「もう、それまでそのままじゃかわいそうでしょ。マロン、こっちおいで」
イルシアの言葉に、マロンはぴょん、とファランの手から出てイルシアの胸元に飛びつく。それを手に乗せたイルシアが、軽く水で濡らしたハンカチで汚れを拭き取ってやった。
「はい、これで随分綺麗になったね。さあ、行きましょ」
元通り栗色の毛並みを取り戻したマロンをファランに預け、イルシアは真っ先に狭い押し入れの奥の空間へと体を潜り込ませていく。
一切の躊躇のないその姿勢に、慌ててアナトとファランも、彼女の後を追って穴の中へと身を躍らせた。




