05. お父さまが雇った家庭教師
家庭教師を招いて半月後、突然お父さまが帰宅した。
「当主である母親を亡くし、早く一人前に育て上げたいのは分かるが、公爵家の娘が作法もできないようでは困る」
要するに作法を教える家庭教師だという名目で、自分の息のかかった者を屋敷に入り込ませたいのだ。
「こちらは王宮でも評判の女性だ。教えは厳しいが娘のためになると思う」
そう紹介されたが、前世では見たことも聞いたこともない女性。
家名を聞いた限りでは、出身は地方の下位貴族の令嬢。裕福な平民の方が生活水準が良いような弱小貴族だ。もっと言ってしまえば親が持参金を用意できないから仕事をしているというより、娘の仕送りに頼らなければいけないほど生活が苦しい。
断ってしまいたかったけど、勉強ができても礼儀作法ができないようでは困るという、お父さまの言葉は正論だから断りにくい。既にもっと優秀な教師に師事しているのではない限り。
――仕方ないけど受け入れるしかない。
愛人自身や愛人の身内を送り込んでこなかっただけマシって思えば我慢はできる。
諦めて受け入れたものの、その日の内にもう後悔していた。教え方が無茶苦茶過ぎて。
女性は通いかと思えば住み込みで、起きてから寝るまでずっと一緒だった。常に横にいて、すべてにおいてダメ出しをする。
しかも教えのすべてが間違い。
これは私をダメ令嬢として育て上げ、娘がこんなのだから自分が公爵代理でなくてはいけないのだと、自分の正統性を主張するためだと、半日もかからずに理解できるほどだった。
「マリス、令嬢がそんなにガツガツ食べてはいけません。ぶくぶく太ってみっともなくなります」
朝食で出されたものをすべて食べようとしたら、半分以上残すように言われる。
五歳の子供を栄養不足にしようなんて、一体どういうつもりだろうと言わざるを得ない。作法についてもティーカップを持つときには小指を立てるだとか、菓子には手をつけてはいけないだとか。歩くときは小さな歩幅でちょこまかと歩けとか。
これは出来が悪すぎて当主としては不向きだとか、お父さまの監督下に置かなければダメだとか、言われるように仕向けているとしか思えなかった。
オベールに何か言いつけたくても、使用人とはいえ異性と二人きりなんてあり得ないと自分の同席を強要し、教師を追い出す指示を出しにくい。侍女のエメでさえ甘やかし過ぎて良くないと追いやられ、屋敷内で孤立するように仕向けられた。
――害がありすぎる。できるだけ早く追い出さないと。
とりあえず一日は我慢した。
二日目、私は行動に移る。
「お嬢様、何度言ったら分かるのです! 食事は全部食べてはいけません。これとこれとこれは下げます」
伸ばした手をピシリと叩かれ、パンとスープ以外はすべて残すようにと、テーブルの端に移動させられる。
「――――」
限界だった。
少し俯いて口元が見えないようにすると、聞こえないよう静かに魔法を詠唱した。
しばらくして家庭教師は目を閉じ眠り始める。
その隙に急いでオベールを呼び出し、新たな作法の先生の手配、できる限り有名で発言力のある女性を呼ぶように。
そして我慢すること、さらに三日――。
昼食の席で、相も変わらず食事の半分以上を残すように皿を移動させる。
「まったく公爵令嬢ともあろう者が、卑しいにも程があります!」
頭の上からきぃきぃ言われて不愉快になったところで、食堂室の扉が開け放たれた。
「聞いたことのない作法ですわ!」
入ってきたのはオベールよりも年上の老婦人だった。
キビキビとした足取りでテーブルの傍まで来ると、遠ざけられた皿を元の位置に戻す。
「育ち盛りの子供に食べさせないなんて、どういうおつもりかしら?」
「何なんですか! 私はこの方の親から任されているのです!」
強気口調だけど、やや後ろに引き気味の姿勢で言っても迫力が足りない。
「あなたお名前は? 見たところ教師は未経験のようですね。それに言葉遣いがなっていませんが、何を教えるつもりなのかしら?」
質す声は決して大きくない。だけど鋭い声には欺瞞を許さない厳しさがある。
「部外者が口を出さないでくださいませっ!!」
「そうなの。私は――」
家庭教師の言葉に老女が名乗った。
私でも知ってる有名な作法の先生だった。王宮では別の方に教わっていたから面識はないが。
「私は――」
家庭教師がしどろもどろになりながら名乗る。強者におもねる程度の頭はあったらしい。
「今後、教師の職に就くことはございません」
老婦人が教育者失格の烙印を押した。ほんの些細な欺瞞まで許さない屹然とした態度だった。
「幼い子供を虐待するような女性を、世間はどう見るでしょうね」
自分が悪い評価を下せば公の場に出るのは叶わないだろうと、匂わせる言葉が続く。
オベールが二人の間に割って入る。
「僭越ながら学園生時代の成績を取り寄せさせていただきました」
「確かに、これで教える立場になろうとは、よく思いました」
受け取った成績書に目を通した老婦人の、溜息の後に呆れ切った言葉が続いた。
「教えるにしては未熟過ぎます。今後、名を聞くことになれば、その時は貴族社会に身を置けないものと思いなさい」
脅しが口先だけでないのは、一度でも名を聞いたことがある人なら誰でも理解するだろう。高位貴族が娘の先生として招くような方だから。
元教え子の中には王女が降嫁した家もある。
金のために子供の成長を故意に妨げようとする人物だという噂を流されてしまったら、身の置き場はどこにもなくなってしまう。家庭教師として働くどころか、どんな悪条件の相手にも嫁げずに、一生を領地の片隅で生きていくことになるのは明らかだった。
出来の悪すぎた自称教育者を追い出した午後だった。
「――それで?」
「パトリス様は何もご存じなく、自分は騙されただけだそうです」
改竄された成績表と、金を積んで用意された紹介状。
「随分とお粗末な言い訳ね。でもまあ、お父さまのおかげでバラデュール夫人に師事できるのだから、結果的には良かったのかしら?」
助けに入ってくれた老婦人は、生徒を抱えていて教えることができないと断られた。今日は私を助けるためにと、無理を承知で一日だけ身体を空けてもらったらしい。
代わりにと紹介されたのは、礼儀作法に大変厳しいと言われる老婦人と同格の作法の先生。
先代王妃の侍女を務めたバラデュール夫人は、完璧な作法と称されるほど美しい所作の持ち主だ。
令嬢の母親や祖母から、是非にと請われて教えているうちに名声が広まっていった。現在は年齢を理由に半ば隠居状態らしい。
そんな有名かつ教わるのが難しい方への繋ぎが取れたことは、心から良かったと言わざるを得なかった。
「学問に関しては、お父さまが付け入る余地は少ないし、邪魔はされにくいでしょうね。とは言ってもまた横やりを入れられたくない。だから少し回り道をしましょうか」
学園の入学時期は初夏。
麦の収穫が終わって税収の見通しが立った後は、いろいろなものが動き始める季節だ。
「本格的な魔法の勉強をします。魔石と魔法陣を買うのに、思った以上に費用が掛かったわ。自分で魔法陣を作れたら安上がりだし、何より興味を持ったといっても違和感のない状況でしょう?」
既に私が教養の範囲以上の魔法を使えるのを、オベールは気づいている。お母さまの部屋に封印を施したのを知っているのだから。
身体が大きくなるのと同じように魔力量も成長期に伸びる。
だから既に習得済みだけど、あえて魔法の家庭教師を雇った。今は魔力量を伸ばすのを第一に、魔法の復習のような簡単な内容を学んでいる。
魔法は生活に必須の技術だから、誰しも生活魔法は使えるのが当然。騎士のような戦闘職なら追加で攻撃や防御魔法を使えなくてはいけない。
とはいえ魔法を生業とする魔法士の地位は低い。血統主義のこの国では、技量さえあれば成り上がれる職業が見下されるから。魔力量の多さは尊ばれるのに。魔法使い全般は低くみられる矛盾が、今のルスュール王国の現状だ。
魔力量が少なくても、制御が上手くて少ない魔力を効率良く使えれば、どうにかなるというのも魔法士が下に見られる理由の一つ。
「生活魔法だとか、教養の域を超えて学んでも、子供の気まぐれと思うかもしれない。少なくとも一年、二年で立場を追われるほどの脅威だとは思わなくなるんじゃないかしら?」
「上手くいくでしょうか?」
「運が良ければ?」
簡単に騙されるほど莫迦じゃない。人はどこまでもずる賢い生き物だと、前世で嫌というほど知った。お父さまは頭が切れる性質ではないといっても、アングラート公爵家の財産をいいようにできないと知ったら、こちらが予測する以上の冴えを見せてくるだろう。
「魔法の勉強に夢中なだけでは駄目でしょうね。今はまだ基礎学習の段階だけど、そろそろ領地経営や高等科の授業についていけるような勉強を始めるでしょう? お父さまには悟られないようにしましょう。学園入学前までは、基礎学習と魔法学習以外はお父さまが気付かないように。何時まで秘密にできるかわからないけど、できる限り時期を引き延ばしましょう。できるだけ優秀な魔法の家庭教師の手配を。子供が夢中になるような、楽しい授業をしてくれると尚いいわ」
お父さまは棚ぼた式に我が家の財産を得るのを期待しているのではない。明確な意図をもって財産を狙い、そのために私の足を引っ張ったのだから。




