03. 12年ぶりの領地
「行ってくるわ」
見送るオベールを一瞥する。
五歳の幼女の身体では、一人で馬車に乗り込むのも一苦労だから、侍女の手を借りなくてはいけない。
立場を完全に無くすまでに六年の猶予があるのは助かるけど、大人の手を借りなくては日常生活を送れないのは、直近の問題として困りものだった。
溜息をつきたくなるのをこらえながら、心の中でぼやく。
出発まで思った以上に時間が取られた。もうこれ以上、少しだって時間を無駄にはしたくない。
本当だったら葬儀の翌日に出立予定だったのだから。
――なのに護衛の手配が間に合わないなんてね。
出発まで五日もかかってしまった。これからやらなくてはいけない事の多さを考えたら、時間が足りないっていうのに。
でも時間ができたおかげで更なる経費削減を検討できたのは良かったのかな?
結果は全然良くなかったけど。
直近で言えば経費は削減できるどころか、むしろ出費が増えそうで頭が痛い。
理由は私の家庭教師や作法の教師が必要になるから。
教師の給金の方がはるかに高くなりそう。早々に必要ない事を使用人たちに理解させる努力をしないと。
王族の妃として教育を受けた私にとって、淑女として、また貴族家の当主として家庭教師から学ぶ事柄は少ない。作法に至ってはまったくないと言い切っても良いほどだ。
手を付けたのは経費削減に続いて、人事も少しだけ。
お母さまの侍女だったエメを、私専属の侍女に。
前世――生まれ変わった訳ではないから、正確には前世とはいえないのかもしれないけれど――ではお父さまに辞めさせられるまで、ずっと私を気にかけてくれた唯一の使用人でもあり、お母さまと同じように甘えられる唯一の存在でもあった。
時間が巻き戻った現世で最初に顔を合わせたリリアが、かつては私の専属侍女だった。今まで私の専属はいなかったけど、一番世話をしてくれた回数が多かったという理由で。
だけどリリアは前世で私を裏切って、お父さまに逐一報告を上げていた。その記憶が頭から離れなくてダメだった。嫌な記憶と同時に、優しくしてくれた思い出があったけれど無理だった。
どうしても生理的に受け付けられなくて……。
エメならほかの使用人と違って、安心して身の回りを任せられる。前世の私が屋敷の中で不遇を囲っていたにも拘わらず、それほど不自由でなかったのはエメの手腕だ。何よりお母さまの娘時代から公爵家に勤めているから、屋敷の生き字引的なところもある。最古参の使用人の一人でもあり、執事でさえ頭ごなしに何か言うことはできない。
今回の領地への視察では王都に残ってもらったけど、それはまだ私がアングラート公爵家を掌握せず、家臣から後継者として見られているとは言い難いから。
私の不在時に屋敷内で何かあったとしても、報告がなければ知ることができない。
だから今回はあえて残ってもらった。
「お嬢様、ご気分が悪いのでしょうか?」
考え事をしていたせいで黙り込んでいたら、付き添ってる侍女が心配そうにこちらをうかがっていた。
「馬車酔いしたんじゃないの。ちょっと考え事をしていただけよ」
安心させるようにふわりと笑ってみせる。
「領主、といってもまだ代理だけど、初仕事でしょう? 緊張しているの」
「確かに緊張しますよね。でも無理はしなくて良いんですよ。お嬢様はまだ五歳ですから、できなくて当然なんです」
年若い侍女は後継者とはいえ幼い少女一人に重責を背負わすなんてと、私の立場に同情的だ。
この侍女は王都生まれ王都育ちだから、アングラート公爵家に対する忠誠心というよりは、雇用主に対する忠誠心くらいしか持ち合わせていない。
今は公爵家にとって有益か否かが忠誠の基準になっている、領地出身で公爵家への忠誠厚い使用人よりも、彼女みたいな使用人が傍にいてくれる方が居心地が良い。
「大丈夫。領地の屋敷までたったの二日じゃない。宿だって領地に入ってすぐの宿場町だし、公爵家の専用室がある常宿だもの」
馬を乗り換えながら急げば、その日中に着くほど近い。
人にも馬にも負担がかかるから、理由がない限りこまめに休憩を入れながらの旅程になるだけで。
王都に近い領地だから、小麦の売り先が確保できて良かったとしか今までは思っていなかった。
でもこれからを考えると移動時間が少ないのは、非常に大きな利点の一つ。立場を確立するまでの間は、お母さまの時代よりも頻繁に、王都と領地を行き来するかもしれないのだから。
* * *
車窓からの風景が変わった。
ゴツゴツとした岩肌がところどころ地表に出ている荒地から森へ。
さらに豊かな穀倉地帯が広がった。
――今年も豊作が期待できそうね。
お父さまに預けてある土地だっていうのが業腹だけれど。
辺り一帯はアングラート領より王都側に隣接するガルリオ領。お母さまと結婚したときに、公爵の夫としてふさわしい仕度を整えられるようにと、領主代理の権限とともに収入を預けられた土地だ。
小さくても実り豊かな穀倉地帯。
――お父さまにはもったいないわ。仕事をしないで放置しているのだもの。
領地に何かあったとしても対処できないような、無能な領主代理なんていらないのよね。運用が前提だというのに収益を受け取るだけで何もしていない。せめて収益を投資するなりして、収入を増やす努力くらいすれば良いのにそれすらしていない。あるだけお金を使い果たしている情けないのが、私のお父さま。
ガルリオ領を抜けてすぐの宿場町に到着して一泊。少しのんびり宿を出ても、領地屋敷に到着するのは夕食よりかなり前だ。
「お帰りなさいませ」
屋敷に到着して馬車を降りるのと同時に、玄関前に勢揃いした使用人から頭を下げられる。お母さまについて来たときとまったく同じ光景だった。
涙が出そう。五歳の幼女相手でも、お母さまとご一緒したときと同じようにしてくれるなんて。
十二年もの間、駄目な女だと誹られ続けていたから、余計にうれしく感じる。
手を借りながらゆっくりと馬車を降りる。その間にも使用人は頭を下げたまま微動だにしない。
ちらりと侍女を見上げると、意を介したように小さく頷いた。
「皆さん、顔を上げてください」
私の代わりに言ってくれる。目を見ただけで何を言わんとするか瞬時に理解してくれるから助かった。
「お嬢様、既に総代官が応接室にて待っております」
「そうなの? 旅装のままだけど、このまま会うわ。待たせるよりも良いと思うの」
領地の屋敷を管理している家令が、使用人の列から一歩前に出て報告してきた。
着替えずに会うと言えば、さり気無く侍女が外套を脱がせてくれる。家令の対応が子供のそれではなく後継者としての対応なのは、オベールから連絡がいってるからなのだろう。応接室で待っていた総代官も同様だった。
「このまま順調に麦が収穫できれば、昨年以上の豊作になります」
「何よりだわ。夏の終わりに嵐が来ないことを願うばかりね」
報告を受けながら書類に目を通す。小麦の作付けや収穫で忙しい時期以外に作られる作物も収穫が微増していた。
その事実が意味するのは領民が出稼ぎに行かなかったということ。
小麦以外は作付けも微々たるものだし、自分たちが食べるが基本だから、お金がなければ男たちは出稼ぎに行き、残った老人や女子供だけになる。食い扶持が減るけど、そもそも食べる人も同時に減っているから問題にはならない。
出稼ぎに行く領民が少ないのは、豊作が続いて生活にゆとりができたお陰かしら?
現金収入が減るとはいえ、家族と離れて暮らすのは不人気だから、稼ぐ必要がなければ出稼ぎにはいかない。
殆どの村で畑が微増しているのは、人口が増えているからだと推測できる。
アングラート公爵家の治める領地では、豊作による収穫増よりも税の増加の方が緩やかで収入が増える。他家の領地だと、豊作でも収穫増の分だけ増税されて農民の収入は増えない。
そのほかには昨年よりも村が二つ増えていた。
本来、農民が結婚や家族の不幸以外の理由で元の領地を捨てて違う領地に移動する、所謂領地替えは違法だ。でも一時的な出稼ぎは多めに見られている。
だから出稼ぎに見せかけて、住みやすい領に逃げる農民は一定数いる。何年も続く豊作であっても暮らしが良くならず、凶作対策の備蓄もできないような生活はキツい。豊作だからと増税するのに、凶作年に減収しない貴族も多い。
アングラート公爵家なら凶作なら減税といわず無税にする年もある。それどころか代官屋敷で備蓄する麦を放出するから、飢えて死ぬ心配が少ない。
住みやすい領地を求めて少しずつ農民の転入が続いた結果が、村の増加になったのだろう。
開墾したばかりの土地は収穫が少ない。まともに作物が育つようになるまでの間は、無税どころか領主から食料の支給まである。経費は公爵家の持ち出しになるけど、数年もすれば収穫が上がって税を納められるようになるから、長い目で見れば収益は上がるのだ。
報告書から近隣の領地の様子まで察せられて、溜息の一つもつきたくなった。
「相談があるのだけど……」
報告書から顔を上げて、相談という名の指示を話し始めた。
王都の街屋敷で確認した報告書以上に良い状況だから、安心して切り出せる。
「領民が増えたでしょう? 今の状況で嵐が来たりして作物が全く収穫できなかった場合、今の備蓄量では足りないと思うの。それで今年の麦が豊作だったら備蓄を倍に増やしたくて」
「何年かけて倍にするお心算ですか」
「できれば三年以内に。元々、各村の倉庫は少し大きめに作っているから、そこに入るだけ入れて、入りきらない分はこの屋敷の倉庫に、それでも入りきらない分は代官屋敷に保管したいの。それとね、今は備蓄分を四年かけて入れ替えているけれど、それを三分の一ずつ、三年かけて入れ替えるようにするわ」
総代官が難しい顔をする。思った以上の増税なのだから当然かもしれない。
「三年以内とおっしゃいますと今年と来年の税収は随分増えますね」
「そうね、大体だけど三割増しになるかしら。いきなりの増税で反発があると思うけど、農民を納得させて欲しいの」
「備蓄を倍……税率が六割くらいですか。確かに大増税ですから、反発は必至ですね。納得させられるかどうか」
安易にできるとも、やりましょうとも言わない。
「反発を減らすためにも、できるだけ領主館ではなく各村の倉庫の備蓄量を増やして。公爵家の懐に入れるのではなくて、凶作時に自分たちが食べるためのものだと分かれば、反発は減らせるでしょう」
領主に取り上げられるものではなく、自分たちのための負担となれば、農民も納得しやすい。自分たちで保管しているから、口先だけとも取られづらい。
「どうですかね……それと倉庫のゆとりはお嬢様が思ってるほどありません。まあ村の集会所を潰せばどうにかなると思いますが。しかし食料の備蓄向きな建物ではありませんから、長期保管はできませんよ」
「魔石と魔法陣を支給するわ。風と火の魔法を組み合わせれば、建物の中を冷やして長期保管可能な状態にできると思うの。王都に帰るまでに必要数を出してくれたなら、今年の収穫時期までに必要数を用意します。それと費用は負担するから補強工事を行って、倉庫として使えるようにして」
「後ね、洪水が起きたのが随分と昔で、以降は堤防の補修をしていないでしょう? 資金に余裕がある時にまとめてやってしまおうかと思って」
「それは……豊作で収入が上がっているとはいえ、領内全域となると、費用がかかるのでは?」
「ええ、随分と費用が嵩むわ。だから備蓄分を買い取る余裕がなくて農民に負担させるの。それと流石に領内全域を一斉に補修するのは人手が足りなくて無理だから、決壊した時に被害が大きく出そうなところを優先してやる心算よ」
領内を流れる一番大きな川が被害も一番大きい。前世では三年後の豪雨でも一番被害が大きく、水害地域の復興は大変だった。しかも元通りに農作物の収穫ができるようになったり、牧場の収益が元通りになるのに、五年も六年も必要だった。
「お母さまの喪に服するから、社交を控えることになるでしょう? もっとも私が幼いからお母さまのいらっしゃらない今、喪に服さなくても社交を行うことはないのだけど。交際費を丸ごと災害対策に使ってしまう予定なの。堤防工事の人足は近隣の村人が総出になると思うけど、ちゃんと現金で手当を出すから、ちょっとした臨時収入になると思うわ」
実質的な増税により小麦が手元に残る分は減る。でも村によっては現金収入が増える。一部の村とはいえ領地全域に及ぶ事業だから、数年後には自分たちの村でも工事による現金収入の機会があると思えば、納得する農民は増えるだろう。
「飴と鞭ですな」
「結果的にそうなるかしら? 別に馬車馬のように働かせる気はなくてよ。搾取をする気もね」
あまりしゃべりすぎると、五歳ではないとバレるかしら?
言いたいことを全部言い終わった後だから、今更という気ではあるけれど、一応気にしてみる。オベールからの手紙によって、お母さまの遺志を継いだ娘が次期領主として戻ると連絡してもらったから、私一人の考えではなく、お母さまの事業計画だと思ってはいるだろうとはいえ。
五日後、領地にいる代官たちが備蓄増加の検討を終え、必要資材の報告書を上げてくる。
それを携えて王都に戻る馬車に乗り込んだ。
次期当主としての初顔合わせは、成功裡に終わったと言える。
――とりあえず上手くいった……そう思っていいのよね?
領地に大きな傷跡を残す洪水対策は始まった。
結果が出るのは三年後だけど、前世より少しでも被害が少なくなれば……最低でも洪水の翌年まで悪影響が出ないようになってくれれば、お父さまに付け入れられる可能性は減るハズよね……。




