02-2. 当主への道
一通り目を通した納税資料から、具体的な小麦の収穫高や年貢、備蓄量を書き出してみる。
備蓄は一年分。大体、どこの領地でも同じような量だ。災害によってまったく作物が収穫できなくても、翌年まで食いつなげるようになっていて、よくある天候不良や災害なら十分。
でも三年後の水害対策は一年では足りなかった。豪雨により領地の作物は全滅した上に復旧工事が遅れ、翌年以降も収穫が激減したのだ。最低二年分の備蓄は欲しい。
それと可能な限りの洪水対策。二年以内に領内の全ての河川の決壊を防ぐことはできないけど、一番大きな被害をもたらした箇所の対策くらいはどうにか終わらせたい。
――領地に行って代官たちと話をしなくては。
大規模な工事になるから、できる限り早く動かないと。
実務に当たっている家臣たちとも直接顔を合わせなくてはいけないだろう。
それと対策費の捻出をどうするか。
呼び鈴を鳴らしてオベールを呼び出した。
「御用でございますか」
「ええ、今後の方針を決めたの」
自分の前に座るように手で示しながら、家臣と打ち合わせるための席に着く。
「アングラート公爵家として前公爵の喪に服す期間を三年とします。お母さまの今までの交際費は全て領地運営費に流用。私の衣装代も最低限にします。お母さまの子供時代のドレスを着ければ、ほとんど仕立てなくて済むわ。お父さまの交際費はそのままで構わないけど、何があっても一切の増額は認めないで」
実権を握ったお父さまは自分に甘く、なんやかんやと理由をつけて交際費を公爵家に負担させていた。
きっと今回もしっかり者のお母さまが居なくなって好き勝手やろうとするだろう。
だからこそ予め執事に言い含めておかなくてはいけない。
「お嬢様、公爵家は借金もありませんし、困窮もしておりません。そのように緊縮財政をするのは不要どころか、他家から侮られることを考えますと下策でございます」
オベールは感情を見せない顔で反対の立場を取る。
「しかも先代が亡くなってすぐに令嬢が時代遅れのドレスを着るなど、悪い噂を立ててほしいと言わんばかりでございますな」
溜息を堪えているような、不遜な言い方だった。
私が見た目通りの五歳だったら、きっと泣き出してしまっていたと思う。
「領地の土木工事に莫大な費用が必要よ。近年は水害が全く無かったこともあって、長い間、河川の補修は全然行ってないの。そろそろ傷んでる時期ね。亡くなる直前にお母さまが対策しなければとおっしゃっていたわ。実行する前に亡くなってしまったけれど……。お母さまが言ったからという理由ではないけれど、何より良い機会なのよ。ここ数年は不作がない。昨年は豊作だったし、今年もこのまま行けば豊作になるから、農民が食べるのに困らないでしょう? 麦の備蓄を増やすのは簡単で費用もさほどかからないわ。河川の補修に必要な人手は領民を雇えば大したことがないとはいえ、専門家を雇うのは高くつくし、石材がどれだけ要るか、場合によっては予想以上に費用が嵩む。社交を控える名目が立つ今が、領地改革に最適なの」
「――!!」
初めてわかりやすくオベールの表情が驚愕に彩られた。
「マリスお嬢様……」
「私のドレスなんて『お母さまをできるだけ感じたくて、お母さまの子供時代のドレスばかり選んでいる』と言えば良いのよ。不憫に思われこそすれ、金銭的に苦しいなんて思われない。子供の服なんて直ぐに背が伸びて着られなくなるのに、何枚も仕立てるなんてお金の無駄遣いよ」
子供用とドレス代を侮ってはいけない。
コルセットはつけないし、使う生地は少ないとはいっても、基本的な作りは大人のドレスと同じだし、素材も同じ。公爵家の体面を考えれば、上質な絹地にたっぷりとレースやフリルを使う。下層労働者の年収よりもドレス一枚の方が高くつくのだ。
「そこまでお考えとは……」
表情が和らぎ、目が潤む。
でも丸め込むにはまだ足りない。
頭を下げようとするオベールを制止して、にっこりと微笑んでみせた。
「お母さまは私とおしゃべりを楽しむように、領地経営のお話をたくさんしてくれていたの。その中で『そういえば堤防の補修を考えなきゃ』って。今年の税収報告の時にでも代官と相談すると言っていたわ。収穫の時でも良いけど、お母さまのことも私の口から伝えたいし、挨拶もしたいから……。ついでに備蓄の件と合わせて話をしてこようと思うの」
豪雨対策ができたとしても、今みたいな説得方法だと手柄はすべてお母さまのものになる。とはいえ遺志を継いで行動したことは、後継者としての立場を強くするだろう。実績が何もない小娘どころか幼な子の域を出てない私は、前当主の威を借りなければ立ち位置を維持できない。そして公爵家の領地経営を安定させることは、足場固めにとても重要だった。
「できるだけ早く動きたいから、明日、領地に向かいます。できるだけ早く先触れを出して」
まだ昼食前だから、食後に荷造りを始めても十分に時間はある。
「明日……でございますか。護衛の手配がございますから、無理でございます」
護衛なら常勤のお抱え騎士がいるのに、手配とはどういうこと?
「王都を出るのであれば、最低でも騎士は五人つけるものです。当家で抱えているのは二人ですから、ほかに三人手配する必要がございます」
お母さまが亡くなってから公爵家を出されるまでの間、一度も王都を出なかったから知らなかった。護衛が数人いたのは覚えていても、正確な人数を覚えていなければ、臨時に騎士を雇っていたなんてことも。
――私は何も見ていなかったのね……。
こんなだから、次期当主として認められなかったのかも。
「お嬢様、何事も経験でございます。最初から何もかも出来るものではありませんよ」
そう言いながら浮かべた笑みは、お母さまが生きていたころの、私を公爵家の一員として、お母さまの娘として大切にしてくれていたオベールの顔だった。お母さまが亡くなってから十二年、一度も目にしていなかった……。
懐かしいその笑顔に、一瞬、泣きそうになって、慌てて気持ちを引き締める。
――小さなことに一喜一憂してはダメ。
もっと先を見ていなければ……。
目先のことばかり見ていては足をすくわれやすくなるのは、かつて経験したこと。
私がつまずけば家門がつまずく。
アングラート公爵家が揺らいでは、私の立場が微妙になってしまうのだから。
敵に付け入る隙を与えてはいけない。
公爵家にとって不要だと思われれば、例え唯一の後継者だったとしても排除されるし、再びエリク王子の婚約者に推薦されてしまうかもしれない。
でも名実共に正統と謳われる後継者であれば、当主の座を外戚に譲れなんて命令を、国王でさえ出せなくなる。
王子の婚約者に選ばれたのは今から六年後、十一歳のとき。
その前の――。
三年後の大災害。
六年後の婚約者選定。
この二つを乗り切らなくては。
私は六年後までに必ず、次期アングラート公爵としての立場を盤石にしなくてはいけないのだ。
今日はそのための一歩を踏み出したに過ぎなかった。




