02-1. 当主への道
「オベール、執務室の鍵をちょうだい」
「執務室は遊び場ではございません」
即答か。
執事の立場からすれば当然かもしれない。
特に忠誠心の高い古参使用人ともなれば。
オベールは先代当主であるお祖父さまの頃から、アングラート公爵家に仕えているほどの古参だ。我が家への忠誠心は雲を突き抜けるほど高い。
そんな執事が当主一族の直系とはいえ幼女相手に、執務室なんて重要な部屋を簡単に明け渡したりはしないのは当然。
だからって引き下がってはいられない。未成年とはいえ当主代理として有用なところを見せないと、また破滅への道を辿ることになるのだから。
「お母さまが亡くなった今、誰が領主の仕事を行うというの? お父さまは一切何もしないというのに」
そもそも帰宅するか不明だ。
「しかしながら、お嬢様はこれから勉強する身、領主の役割をこなせません」
「その判断は執事の分を超えているわ。唯一の正当な後継者が執務をするのは当然のこと。それにお母さまには時々、領主の仕事を教わっていたの。今すぐ完璧に仕事をするのは無理でも、それなりにはできるわ」
お母さまに教わったというのは嘘だ。
十二年前の私はお母さまの近くで、邪魔にならないように遊んだり、子供向けの本を読んでいただけ。
だけど時間が巻き戻る前は王子の婚約者として、自分にも他人にもとても厳しい王妃さまから教育を受けていた。婚約者である王子に与えられた領地を維持する手伝いを、何年もやっていたのだ。全くの素人どころか領地経営の経験者である。
「私以外の誰に仕事をさせるつもり? お父さまは絶対に仕事をしないわよ。ガルリオ領の様子からわかると思うけど。それにアングラート家に思い入れはないから、好きなだけ愛人のために財産を使い込んで家を傾けるでしょうね。もっとも家に寄り付かないから、仕事を任せられないけれどね」
「……」
無言のまま「確かに」という顔になった。
お祖父さまとお母さまが重用していただけあって、有能な執事だ。時として表情を消して相手に情報を与えないようにする老獪さもある。
とはいっても長年、同じ屋敷に暮らしていれば、何を考えているのか察することはできるのだけど。
今のオベールは物を知らない子供の大言壮語なのか、年齢に見合わない優秀な後継者なのかを見極めようとしているってところ。
「お前は状況を把握できていないようね。三大公爵家の一角である、アングラート公爵家の当主が不在なのが問題だと」
少し挑発する。
問題を理解していないなら、耄碌したのを理由に職を解くと圧力をかけてみた。
もっともお母さま亡き今、王都の街屋敷で一番の権力者は執事だから、私の脅しなんて鼻先で笑っちゃうほど役に立たないが。
オベールは一向に譲る気のない私に、渋々といった様子で執務室を開ける。
でも鍵は私に渡さないし、執事見習いを目付役として置かれた。業腹だけど仕方ない。部屋には私一人しかいないものと思って書類に目を通そう。
状況を割り切って年ごとにまとめられた書類に目を通す。直近五年ほど。
豊作のおかげで税収は安定しているし悪くない。災害も発生していないから、復興のために臨時支出がないのが一番大きい。社交はしていない訳ではないけど、本当に最低限だからドレス代も交際費も少ない。
要するに公爵家の懐は温かい。
――大規模な領地改革をするなら、潤沢に資金のある今が絶好の機会ね。
過不足なく領地を治めるだけでは評価されない。特に実力不足だと思われている時には。
前領主の成果がそのまま反映されたと思われるから。
次期当主としての頭角を現さなければ立場を追われる。年齢を言い訳にしていれば、早々に自分の居場所はなくなってしまうのだ。
――前の人生みたいに何もかも奪われて破滅してやらない。
誰かの私欲のために犠牲になんかなってやるもんか。
せっかく五歳まで時を遡ったのだから今回は失敗しない、絶対に。
そのため決めたことが二つある。
・居場所を作り、奪われないだけの力をつける
・破滅の原因を一つずつ取り除く
以前は流されるままに生きた結果、私を疎ましく思っていた婚約者のエリク王子とお父さまによって排除されたのよね。
一人娘である私が後継者から外されたのは、当主として望まれる能力がない……要するに無能だと判断されたから。ただの貴族令嬢のように生きた結果、家令や執事たちに見放されて、公爵家を我が物にしたいお父さまと手を組まれて追い出された。
遠因として私より前にエリク王子の婚約者だった令嬢が病で亡くなったことや、お父さまの愛人が亡くなったというのもある。
役立たずだから後継者から降ろされたと誹られ、王子から愛されない婚約者と後ろ指をさされ、死ぬまで辛い思いをし続けたのよ。
お父さま自身がアングラート公爵にはなれない。
この国――ルスュール王国の相続法によって、正統な血筋以外は後を継げないからだ。血を受け継がない婿や嫁は後を継げない。正統な後継者が成人になるまでの代理人の立場にはなれても。
だから入り婿のお父さまはアングラート公爵ではなく、前公爵の娘であるお母さまが公爵だった。次期公爵は今のところ私。お父さまはあくまで私が成人するまでの間、公爵代理を務めるだけになる。公爵家の血を引いてない異母妹も、お父さま同様、我が家を継ぐことは不可能だ。
でも逆に言えば血縁でさえあれば後継者にはなれる。
アングラート公爵家の血を継ぐ婿を、異母妹と結婚させれば家の乗っ取りが可能。
現在、継承権を持つのは私のほかに母の妹に当たる叔母が一人だけ。叔母は既婚の身であり、継承権を放棄済みだから、私を排除しても公爵家はお父さまの手に入らない。
でも二年後、叔母さまは息子を産む。翌々年に二人目の息子が生まれ、私は唯一の後継者から、ただの第一位の継承権を持つ令嬢となる。
叔母さまの長男は嫁ぎ先であるフェドー伯爵家の後継者だから、異母妹の婿にはなり得ない。でも次男が継ぐ爵位はない。この子が前回、異母妹の婚約者になったのだ。
従兄弟たちが生まれるのは阻止できないし、するつもりもない。
猶予は少なく見積もって四年。
――それまでに領主として実績を積んでおかなきゃね。
執事を始め、領地を治める代官たちといった公爵家の有力な家臣たちを味方に引き込められれば、易々と後継者の座から引きずり降ろされるようなことはなくなるだろう。
執事のオベールは忠誠心が高いけど、それは私に対するものではなく家に対するもの。過去では私を排して従弟と異母妹を後継者として迎え入れる方が、アングラート公爵家にとってより良いと判断したから、お父さまに与して家から追い出すのに協力した。
今の私は普通の五歳児ではなく、十七歳までの記憶があるんだから、流されたところで前回と同じくらい悲惨な結末を迎えるとは言い切れないけど、安穏としたまま公爵家を継げるとも思えない。
実績を上げるなら、近い将来起きるだろう災害対策が一番よね。
結果を周囲に示せるだけでなく、領地への被害も抑えられる。前回と同じように事件や災害がおきるとは思わないけど、手を打って損はない。
最初は三年後の豪雨対策に着手から。あれは被害甚大だった。結果を出せれば、状況は私に有利だ。
収穫時期の少し前は嵐がおきやすい季節でもある。例年通りなら何も問題にはならないけど、今から三年後――といっても嵐の季節は春で今は初冬だから実質二年半後に、数十年に一度とも、数百年に一度とも言われる酷い嵐に見舞われる。結果、国の大半で農作物が壊滅的な打撃を受けた。アングラート公爵家の領地も然りである。
お父さまの預かるガルリオ領は、アングラート領よりもさらに悲惨だった。復興資金がなかったせいで。
領地を流れる川の堤防が決壊し、小麦を含むすべての作物が壊滅的な被害を受けていた。
でも蓄財をしていなかったせいで復興資金がなくて、ほとんど回復せず荒れるに任せていた。公爵家のほかの所領も自分達の復興が優先で、ガルリオ領まで手が回らなかった。
結果的にお父さまは生活の質を落とさざるを得なかった。唯一の救いは、多くの貴族が打撃を受けたために、社交そのものが地味になったことだろうか。
その二年後、今から五年後に、流行り病によって父の愛人が亡くなり異母妹が屋敷に引き取られる。備蓄のほとんどを掻き出し、それでも復興途中で貴族も苦しかった時期だから、平民だけでなく多くの貴族も犠牲になっている。愛人が死ぬのを阻止できるかは分からない。でも資金が潤沢にあれば、薬や医術士を手配することが容易になる。結果的に助かる可能性は上がるだろう。
――具体的な対策を立てるには、まず具体的な数字を出さないとね。




