01. やり直しの公爵令嬢
「――様、……お嬢様」
誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。起床を促す声だ。
――嫌、もう何もしたくない。
ずっとこのままでいさせて。疲れたの、もう嫌。
指一本動かすのも億劫で何もしたくないというのに、呼びかける声は続く。
「マリスお嬢様! 朝です。起きてください」
バサリという音がした直後、ひやりとした空気が身体にまとわりついた。
「――!!」
飛び起きた私は目を見開いた。良く知る自分の部屋だ。
「生きてる……?」
――どういうこと?
私は全魔力と全生命力を使った禁忌の破壊魔法を使って死んだのだ。生きている筈がない。
――一体、どういうことなのだろう……。
熟考に入った私に、使用人の声が降り注ぐ。
「お嬢様、早く起きて支度をしてください。奥様の葬儀に間に合いません」
――!!
お母さまが亡くなられたのは私が五歳の頃だ。
どういうことかと思いながら目線を下に落とせば、小さな手が見える。急いで寝台から降りて鏡を見れば、そこには幼子の姿が映っていた。
――どういうこと……?
三度の疑問。
死ななかった代わりに時間を遡ったというの?
あまりにもあり得ない展開に全てを否定したいが、事実、鏡に映る私の姿は幼い。
――夢……?
夢を見ているの?
もしかしたらお母さまが亡くなってから、私が死ぬまでの十二年間は夢だったと?
あんなに生々しい夢なんか見る?
痛みも苦しみも、それどころか音も匂いも味も感じる夢なんて。
頭がおかしくなったと言われても、まだ時間を遡ったと考える方が現実的だとさえ思えてしまう。
それよりもまだ、魔法によって戻ってきたと思った方が現実的だとさえ思えてしまう。
もしかしたら………………現実的な夢ではなくて、現実だったとしたら。
「お嬢様、お早く。お着換えしなくては」
再びの言葉。
見慣れない……いいえ、かつて私の侍女だった者。私同様、若くなっていて誰だか判らなかっただけだ。
「リリア、本当にお母さまの葬儀なの?」
「ええ、本当にご葬儀でございます」
私がお母さまの死を受け入れられないと思ったリリアは、沈痛な面持ちで肯定した。
私の体感時間ではお母さまが亡くなってから十二年も経っている。
目を覚ます以前の私は十七歳だった。とうの昔に折り合いがついているのだが、目の前の侍女からすれば、私は母を亡くしたばかりの、五歳の少女だ。
夫婦仲が良いとは言えなかった両親。
ほとんど家に帰ってこなかった父。
家族と呼べる唯一の存在だった母を亡くして、一人娘の私は天涯孤独の身の上となった。
――夢か現実かわからないけど、とにかく冷静にこの場をやり過ごすしかないわね。
何度か深呼吸をしながら気持ちを落ち着ける。
「最後のお別れをしなくてはね。お母さまに安心していただけるよう、しっかりしなくてはいけないわ」
自分に言い聞かせるように呟けば、リリアが目頭を押さえるのが視界の端に映る。
今くらいの年の頃、私によくしてくれた侍女だった。
「支度を手伝って」
リリアに言いつける。
こうやって支度を手伝わせるのも、あと何回もないだろうとぼんやりと考えながら。
「お母さま……」
棺に納められた母と対面すれば、知らずに涙が溢れ出す。
二度目の葬儀であり、別れから十二年も経っているというのに、お母さまの顔を見たら胸が締め付けられそうに痛い。
――どうせ人生が戻るなら、お母さまが元気なときまで戻れば良かったのに……。
領主として教えていただきたいこともあるし、何よりもお母さまともっとお話がしたかった。
あまり社交が好きではなくて、領地で山歩きをしたり川遊びを一緒に楽しんだりしたお母さま。釣りを教えてくれたのもお母さまだ。
葬儀は厳かな雰囲気の中、しめやかに執り行われた。
参列者は国の重鎮が多い。
式の後は錚々たる面々が挨拶に来る。
筆頭公爵家の当主の葬儀なのだから、当たり前の光景だ。
前回の人生では、私は泣きじゃくって挨拶どころではなかった。
でも今回はそんな失態は冒せない。ぐっと涙を抑えつつ、一人ずつ言葉を交わすことができた。
身体年齢は五歳だけど、中身は十七歳なのだからできて当然であって、自慢にもならないけど。
父は前回同様、終始無表情だった。社交界ではおしどり夫婦と言われている両親だから、涙を堪えるために無表情でやり過ごしているのだと、好意的な評価をしてくれる人が多かった。実際には邪魔な女がいなくなったのが嬉しくて、笑いそうになるのを必死に堪えているだけなのだけど。
貴族の夫婦なんておしどり夫婦と言われていても、実際は夫も妻も愛人がいるなんてザラである。両親も例に漏れず、夫婦仲は冷え切っていた。
世間の評判とは違い、実際の父は家にほとんど帰らず、愛人の家に入り浸りだ。
しかも父には私と誕生日があまり変わらない娘までいる。まともな父娘らしい会話を一度たりとも交わしたこともない。世の父親とはこういうものだと思っていたから、学園に入学してから同級生の父親との違いに戸惑ったものだ。
――これが最後のお客様ね。
既に弔問客は一人を残して帰宅の途に就いていた。悔やみの言葉が右耳から左に抜ける。故人の友人ではなく立場を慮っての社交だから、定型文の言葉だった。
――ようやく気を抜けるわ。流石に疲れた。五歳の体力ってこんなものだったかしら。
多くの弔問客と接した後だから、悲しみは緊張で上書きされている。
今は疲れて早く休みたいという気持ちで心はいっぱいだった。
馬車の後ろを見送った後は自室に直行だ。
「今日は疲れたから夕食はいらないわ。もう寝たいの」
「ではお着換えを」
普段なら一口だけでも食事をという侍女たちだけど、疲れ切っているのを見て取ったのか、何も言わず黒いドレスを脱いで夜着に着替えるのを手伝ってくれた。
「今日のお嬢様はご立派でした。ゆっくりお休みくださいませ」
「おやすみなさい」
侍女の言葉に就寝の挨拶を口にして目を閉じた途端、眠りに落ちていく。
――思った以上に疲れていたみたい……。
目を覚ましたのは、まだ侍女が起こしに来る前だった。
――昨日の疲れが完全に取れている。子供の回復力って凄いわ。
あんなに疲れて夕食も食べずに寝たのに、今朝の目覚めは良くて、少しの疲れも残ってない。回帰前は十七歳で、まだまだ若い年頃だったけど、翌日に疲れを残すのはよくあることだったのに。
――今日やることは……。
執事から執務室の鍵を得ることね。
初日が肝心。
当主としての第一歩は、領地の状況を把握すること。
領地に行って代官たちとも会わないといけないけど、まずは帳簿の確認から。
お母さまが生前きっちりと仕事をこなしていた。
――だから直近数年の書類を読むだけで、ある程度は状況を把握できるはず。
そこまで考えたときにドアがノックされ、侍女が部屋に入ってきた。
「まあ、もう起きていらっしゃったのですね」
少し驚いた顔になっているのは、既に着替えまで終わっているのを見たからね、きっと。
「おはよう、早く寝たせいか早く目が覚めちゃったの。いつもこんなだと良いのだけど」
侍女が遅かったのではなく、私が早かったのだと言っておく。
本来、主人を起こすのも着替えを手伝うのも侍女の仕事だ。
入室したときに主人が身支度を終わらせていたら、普通は部屋に入るのが遅すぎたことになるもの。
「お父さまは?」
「旦那様は既にお仕事に向かわれました」
「そう――」
帰宅は夜遅くか、それとももう帰ってくる気がないのかもしれない。
お父さまにとって本宅とは愛人とその娘が待つ屋敷であって、アングラート公爵家の街屋敷ではないのだから。
王宮で官吏の職についているとはいえ、あまり有能ではない貴族の次男や三男が就くような、肩書は立派だけどブラブラとしているのは家としての体面が悪い子息のために与えられる官職でしかない。
国としてもタダ飯食らいを養う気はないから、まともな仕事にはありつける。仕事をしなくても馘にならないけど給料は下がる。出世街道から外れているとはいえ、自分の食い扶持分の仕事はしろということなのだ。
時間を遡る前、お父さまの悪い評判を聞かなかった。きっと仕事は真面目にこなしているのだろう。
アングラート公爵家からは、配偶者として体面を保つだけの交際費などが支給されていたとはいえ、貴族の愛人が多く住むという、王都の高級住宅地に小さいながらも屋敷を構え、愛人と娘を養うほどのお金にはならない。
だからなのか、公爵家からは交際費とは別に、ガルリオ領という小さいけど滋味豊かな領地を預けていた。名目上は当主補佐。領地経営をする代わりに、税収を好きに使って良い。
好きに……とはいっても道の整備や堤防の修復など必要な出費もあるから、利益の全額を使えはしない。本当だったら。
お父さまは貴族の特権とばかりに、すべてを自分のためにしか使っていないから、災害などに見舞われたら目も当てられない結果になる。
というよりなった。
それでも懲りずに放置して搾取を続けたから、税収が回復することはなくて。前世では代わりの収入源とばかりに公爵家を乗っ取ったのよね。
社交界では洒落者として通ってる衣装道楽だったから、衣装代はお母さまの数倍もかけていたし、交際費だって多かった。
そのせいでいつだってお金の工面に困っていた。愛人や愛人との間に生まれた娘に贅沢をさせるため、何より自分自身が贅沢をしたいがために。お母さまは結婚前から付き合っていた愛人に気を使ってガルリオ領を預けていたというのに、恩を仇で返されたことになる。
――ロクでもない父親よね。
いくら妻の仕事に口を出さないような夫が必要だったとしても、もう少し相手を選べば良かったのに。お母さまの結婚相手を決めたお祖父さまには物申したい気持ちだ。
――今回はうまく立ち回って、お父さまから公爵家を追い出されないようにしないと。
前世と違って知識と経験がある今世なら領地経営ができる自信がある。
――最初にやることとしては……当主としての仕事をするんだから、まずは執務室の鍵が必要ね。
当主代理として、公爵家の懐刀である執事を納得させないと。
いくら一人娘といっても五歳の私では当主にはなれない。この国――王国では成人年齢に達しなければ、家を継ぐことができないのだから。
――今度は人に軽んじられることも、自分がダメな人間だと卑下することもしない。立派な公爵家の当主になってやるんだ。
私は決意を胸に、やり直しの人生を歩む。




