03. 学園入学
お母さまが亡くなって二年が経過した。
私は今年で七歳になる。領主としての活動が軌道に乗ったとは言い切れないけれど、執事や家令、代官たちは私を新米領主として認めてくれている。そんな訳で、領主としての仕事に全力を注いでいたのを少し抑えて、今年から学園に入学することにした。
多くの学生は十二歳で入学し十六歳までの四年間在籍して卒業していくことが多いけれど、別に年齢制限はないので、七歳で進学しても全く問題はない。
ルスュール王国では強制ではないものの、殆どの貴族や裕福な平民は教育機関に通う。王都にある王立学園は、殆どの貴族の子女や下手な貴族よりも裕福な平民が通う、この国きっての名門学園だ。
この国の成人年齢は十七歳で、家を継ぐのは成人に達してからになるけれど、特例があって、学園を良い成績で卒業すれば、みなし成人として卒業と同時に当主になれるのだ。
もっとも学園長推薦も必要なので、それなりに大変だ。
王立学園の学科は、女子だけの淑女科、男子のみの騎士科、男女共学の高等科、魔法科がある。
富裕層は幼い頃から家庭教師に学んでいるので、淑女科や騎士科の座学程度なら、学園に通う頃には一通りのことは学び終えている。淑女科はどちらかといえば人脈作り、婚姻相手を探すのが主目的だ。
騎士は王国の花形職業で、貴族の跡取りは基本的に騎士科を卒業する。他にも剣で身を立てようとする貴族の次男以下が続く。
高等科は家を継がない次男以降の男子が文官になるために選択する。たまに軍人家系に嫁ぐ予定の女子が、領地経営を学ぶために入学する程度だ。
魔法科は、医術師、魔法薬師、魔法騎士、魔道具師など、魔法を使う全てを網羅する学科だ。とても高度な学問だけど、魔力量が多く、技術さえ身に付ければ平民でも出世できる職業が多いため、血統主義のこの国では立場が低く、他の学科の学生からは差別的に扱われる。
私は魔法科を選択した。立場的に低く見られることは覚悟の上だ。第二王子の婚約者は病に倒れて亡くなった。今となっては失われた知識だけれど、魔法が盛んだった古王国時代の魔法書に特効薬が載っていたのだ。薬を作るには薬の調合スキルが必要だった。
私がその魔法書を知ったのは、前婚約者が亡くなって数年後のことだったから、前世で死を回避することはできなかったけれど、今世なら間に合うかもしれない。
それに医術師が来ないような田舎の村にポーションを行き渡らせることで、領民の病の蔓延をある程度、抑えることもできる。高等科で習うような領地経営に関しては、前世で既に学習済みだった。領主の立場からも魔法科の選択は悪くないと思っている。
入学式の当日は、新入生が講堂に集められる。全学科の学生が集まるのは入学式や卒業式など行事の時だけだ。
それ以外は別々の校舎で学ぶ。唯一、ダンスの授業だけは淑女科と騎士科の合同になる。平民の多い魔法科や貴族と平民が半々くらいの高等科は、授業そのものが無かったりする。年に二回、ダンスを踊る機会のあるパーティーがあるというのに。
平民の扱いって酷いわね。
全学科の新入生が集められた入学式は、講堂で行われたけれど、前の方に淑女科と騎士科が、その後ろに高等科、魔法科と続く。
正直言って、魔法科の席では学長のお顔が良く見えない。フードですっぽり顔を隠している不審者感漂う学生に、近寄られたくないという忌避感が先だって遠ざけられているのかもしれないけれど。
制服は各学科で生地は全く同じ、絹を使った上質な物だけれど、デザインは学科毎に違う。踝丈のドレスで裾にフリルがたっぷりついた清楚かつ優雅な感じの淑女科と比べて、魔法科はたっぷりとしたローブで顔を完全に隠せるフードが付いている。
学長の挨拶と簡単な注意事項があった後は、学科毎に別れての入学説明が待っている。私たちは担任と思しき教師に連れられて、魔法科の校舎に移動する。
学科毎に校舎が違い、食堂も校舎に付属している。唯一、図書館と講堂だけが、全学科共通で使用する施設になる。
魔法科の校舎は教室と教室と同じ大きさの演習場、校舎とは別棟の大きな演習場があった。教室に入れば、机は半円状一列に並んでいる。
席は決まっていないから適当に座れと言われ、皆が近くの椅子に座る。
「これから君たちの卒業まで担任を務める、ユーグ=レジエだ。専門は魔法理論と魔術回路論になるが、魔法実技の生活魔法も教えている。他の学科は専門の教師が教える。初歩的なことを教える教師も、王宮魔術士の資格を持つ優秀な教師だ。初歩しか教えられないと思っていると手痛い失敗をすることになる。忘れるな」
過去に初級指導をする教師を馬鹿にした学生がいたのかしら? いたとしたらびっくりなのだけど。
「ルスュールでは魔法士の地位が低い。貧民でも魔力が強ければ出世できることが理由だが、そのために上流階級では魔法で身を立てる者を差別的に扱うことも多い。今年の入学者も多くはそういった階級の出身だ。皆がそのうちにフードを外して顔を出す日が来るが、強要はしないように。名もそのうちに知ることになるが、家族にも誰が同級生か話すのは控えること。基本は通り名を使うことになる。通り名は校章の下につけているブローチに名前が彫り込まれいる。そのブローチは学園を卒業してからも使うものだから大切に扱うように」
そういえば魔術士名はどうするのか、入学申請をした時に聞かれたのだった。
私はユエィンという古語で『月の雫』という意味を持つ花を選んだ。世間的には滅多に見つからず幻の花と呼ばれているけれど、実は龍の祠近くに良く咲いていたりする。
ユーグ先生の話が終わると、自己紹介が始まった。全員フードを取らない。声から男女を判別するのだけど、声変わりしていない男の子は、女の子と区別がつかない。
「初めまして、ユエィンです。暮らしが楽になるような、そんな魔法士を目指しています。誰にも作れないような凄い魔法薬ではないけれど、安価で効き目が常に一定な魔法薬の量産や、安く長持ちをする魔道具など、そういったものを作れるようになりたいと思っています」
同級生たちも次々と自己紹介を始める。
魔法騎士を希望する攻撃魔法が得意なルー・アーフェン(銀狼)とネール・アーフェン(黒狼)
魔道具作りを覚えたいヴィネ・ルール(紅菫)
魔法理論を極めたいスカラ(空)
魔法薬専門の薬師になりたいア・フォート(使徒)
医術師志望リーリアン(百合)
様々な目的で入学しているけれど、皆目的がはっきりしている。
「講義は各自違う。入学までの習熟度が違うからな。時間割はこの後、教師控室に取りに来るように」
そうユーグ先生が締めくくると、講堂からの移動と同じように、先生の後ろをフードを目深に被った学生がぞろぞろと付き従う。何か不審者の列みたいだった。
そういえば、前世で淑女科に通っていたときは、みんな魔法科の学生を遠巻きに見ていた気がする。
「ユエィン君は卒業まで本名を名乗る気はないのかね?」
控室で先生の向かいに座るのと同時に尋ねられた。そうだと応えれば理由を聞かれる。
「アングラード公爵家はお母さまの死により当主不在です。学園を卒業することでみなし成人となりますから、それを以て当主の座につきたいと思っています。でも現在の当主代理であるお父さまとは仲が良くないものですから、当主の座に就くまで学園に通っていることを内緒にしておきたいのです。でないと家を乗っ取られる可能性があるものですから」
「判った。ではこちらもそのように計らう。卒業と同時の当主就任を目指すなら、それなりに学業優秀でないと学長推薦は貰えない。できれば論文か何か、学外でも認められるような成果があれば確実だ」
「実績ですけれど、入学と同時に高等科の卒業資格を頂いていますの。それを以て当主足りえる実力有と認められないでしょうか。後はお母さまが亡くなってからの当主としての領地の収支ですとか、領内での実績ですとか」
「高等科の成績と領主の実績は判らないから、後で高等科の教師に相談してみよう。ところで淑女科の方は卒業資格をどうする?」
「淑女科の方は人脈作りのために、当主に就任してからのんびりと通おうかと思っています。作法に関しては家庭教師から問題ないと言われていますし」
「学園を卒業した後に、もう一度通うのはかなり珍しいことだが、例がない訳ではない。頑張り給え」
にこりと笑って手帳を閉じる。普段は怖い顔だけれど、笑みを浮かべると優しい顔になる。ちょっとドキドキしてしまった。先生からすれば七歳の子供が何をませたことをと思うのだろうけれど。
「時間割はこれだ。君の場合は、戦闘魔法は初級から、他は上級を目指すようだから、飛び級向けの講義を一月行った後、適切な難易度の講義に割り振られる。実力が無ければ上級を目指していても中級からだ」
「判りましたわ。では失礼いたします」
時間割を手帳に挟んで、一礼した後に退出する。今日はこれで帰宅だ。そのまま校舎脇の馬車停まりまで向かう。学園にはそれほど長くいないと言ってあるので、今日は登校した後、この場で待ってもらっていた。
馬車に乗り込むとエメが馬車の中で待っていた。
「お帰りなさいませ、マリスお嬢様」
エメの微笑みに力を抜いて抱きついた。やっぱり腕の中は心地よい。
その後、手伝ってもらいながら着替える。私が学園に通っているのは、王都にある街屋敷ではエメとオベール、そして副執事の三人だけしか知らないのだ。突然、毎日外出するようになるのは不審を抱かれるので、半年くらい前から徐々に外出を増やしている。それとお父さまに繋がる使用人は、お母さまが亡くなってからゆっくりと私から遠ざけるようにしている。リリアは私の専属侍女になれないと判って、別の屋敷に転職していった。他も年頃になって結婚退職した使用人の補充を家令や代官からの推薦で、領内の女性を採用したりして、徐々に私の息がかかった使用人で固めていっていた。もうしばらくすれば、私の行動を詮索するような使用人はいなくなるだろう。尤もその前に学園を卒業してしまうだろうけど。
馬車の中で外出用の昼用ドレスに着替える。中は見た目より広くとってある。着替えやすいように一部椅子が折り畳めるようになっていたり、中にドレスが仕舞えるようになっていたりする優れものだ。
一応、入寮申請もしてあるので、たまに旅行と称して学園に籠ることもできる。
入学直前に寮の確認と挨拶を兼ねて、何日か利用している。寮も学科毎に別棟になっている上、校舎の近くにあるので、他の学科の学生と出くわさなくて済むから便利だ。
しかも同級生同様、寮生たちも不干渉で、適度に無関心で居心地が良かった。もし可能なら、卒業までできるだけ寮生活を楽しみたいかも。