表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
45/46

第45話 畳の匂いと始祖の再来

 畳の匂いが、やけに濃い。


 通された座敷は、音を吸い込むように静まり返っていた。


 床の間、掛け軸、欄間――どれもが古く、重い。


 “家”ではない。


 “系譜”そのものだ。


 凛の背を追い、虎徹とアンジェリーナは進む。


「ここで」


 短く告げられる。


 座布団の前。


 虎徹は迷いなく座る。


 アンジェリーナは一瞬だけ遅れた。


 ――踏み込んだ瞬間、理解した。


(ここ……ヤバい)


 空気が、違う。


 ただの屋敷じゃない。


 “喰う側”の場所だ。


 座る。


 呼吸を殺す。


 待つ。



 ――沈黙。



 やがて。


 襖が、音もなく開いた。


 影が、滑り込む。


 そのまま――上座へ。


 座る。


 ようやく、輪郭が定まる。


 少女だった。


 幼い。


 だが、古い。


 長い赤髪が、畳に落ちる。


「……久しいの、虎徹」


 声は軽い。


 だが、重い。


「……はい」


 虎徹は頭を下げる。


「息はしておるようじゃな」


 わずかに口元が歪む。


 笑っているのかどうか、わからない。


 沈黙。


 視線が、横へ流れた。


 アンジェリーナへ。


 ――見られた。


 それだけで、背筋が軋む。


「それが」


 一拍。


「お主の“連れ合い”か」


「はい。アンジェリーナといいます」


 アンジェリーナは、遅れて頭を下げる。


「……虎の匂いがするな」


 小さく、吐くように。


「似合いじゃ」


 それだけだった。


 許しでも、祝福でもない。


 ただの“評価”。


 それでも――


「ありがとうございます」


 頭を下げるしかない。



 沈黙。


 長い。


 耐え切れず、息が浅くなる。



 そのとき。


「――百目」


 唐突に、落ちた。


 空気が変わる。


「会ったな」


 否定は、意味を持たない声音だった。


「……はい」


「武器を、もらった」


「……はい」


「ナリカワに、借りを作った」


 逃げ場はない。


「……はい」


 そこで。


 止まった。


 視線だけが、動く。



 ゆっくりと。


 深く。


 値踏みするように。


「……堕ちたの」


 それだけ。


 静かすぎる一言。


 だが――


 内臓を、直接握られたような圧。


「山本の名が泣く」


 淡々と。


 事実のように。


 切り捨てる。


 ――その瞬間。


 アンジェリーナの中で、何かが切れた。


 脳裏に焼き付く。


 血。


 爪。


 父。


 あの戦い。


 そして。


 “助けてくれ”と叫んだ自分。


 ――否定された。


 今、この場で。


 すべてを。


 ゆっくりと、立ち上がる。


 虎徹が視線を向ける。


 止めない。


 ただ、見ている。


 ――いいのか?


 問わない。


 アンジェリーナは、答えない。


 ただ、前を向く。



「……てめぇ」


 低い。


 震えている。


「なめてんじゃねぇぞ」


 一歩。


 踏み出す。


 その瞬間。


 視界が反転した。


 床。


 天井。


 逆さま。


 呼吸が詰まる。


 見えない何かに、首を締め上げられる。


「が……っ……」


 宙に吊られる。


 指先すら動かない。


「よい」


 少女は、初めてわずかに笑った。


「それでよい」


 楽しんでいる。


「皆、萎びる」


「つまらぬ」


 ゆっくりと、立ち上がる。


 空気が、沈む。


 重力が増したように。


「だが」


 一歩。


 畳が軋む。


「お主は、牙を剥く」


 アンジェリーナを見下ろす。


「気に入った」


 その瞬間。


 拘束が解けた。


 落ちる。


 畳に叩きつけられる。


「……っ、は……っ」


 呼吸が戻る。


 その横に、影。


「立てるか」


 虎徹。


「ああ……」


 掠れた声。


 それでも、笑う。


「上等だ……クソババア」


 口の端から血を拭う。


 立ち上がる。


 その目は、死んでいない。


 むしろ――


 燃えている。


 虎徹も、ゆっくりと武器を抜く。


 青龍刀。


 刀身の“眼”が、ぎょろりと動く。


 ――空気が、歪む。


「よい」


 少女――千代子が、首を鳴らす。


「では」


 その身体が、わずかに変質する。


 指先が伸びる。


 爪が、角が。


 “人”の輪郭が、剥がれていく。


「遊ぼう」


 笑った。


 それは、子供のそれ。


 だが中身は。


 深淵。


「わしの名は千代子」


 一歩、踏み出す。


「向こうでは――ミレンニス」


 空気が、裂ける。


 虎徹の背後に、十の刃が浮かぶ。


 アンジェリーナの爪が、月光を裂く。


 誰も、退かない。


 ここは、血の座敷。


 試されるのは。


 血か。


 それとも――


 選んだ絆か。


 ――戦いが、始まる。



 空気が裂ける。


 虎徹の背後――十の青龍刀が、唸りを上げて浮かび上がった。


 刀身に刻まれた“眼”が、一斉に開く。


「――喰らえ」


 静かに。


 だが、確信を込めて。


「《十戒武装デカログ・アーセナル》――雷撃!!」


 次の瞬間。


 十条の雷が、同時に解き放たれた。


 閃光。


 轟音。


 畳が焼け、空気が爆ぜる。


 ――直撃。


 千代子を中心に、すべてが飲み込まれた。


 だが。


「……ほう」


 声が、落ちる。


 千代子は、動いていた。


 両手を交差。


 その中心へ――雷を“集める”。


 逸らすでも、防ぐでもない。


 “束ねる”。


 暴れ狂う雷光が、収束し、ひとつの塊へと押し込められる。


 そして。


 ドン、と。


 畳に叩き落とされた。


 爆ぜる。


 煙が立ち込める。


 視界が、白に塗り潰される。


 ――その中を。


 影が、走った。


「――もらったァ!!」


 アンジェリーナ。


 低く、獣のように。


 煙を裂いて、踏み込む。


 一閃。


 二閃。


 喉元を狙う、迷いのない爪。


 だが。


 紙一重。


 すべて、躱される。


「……まあまあ、じゃな」


 煙の中。


 気配が、揺れる。


 その一瞬。


 ――掴まれた。


「っ――!?」


 手首。


 逃げ場はない。


 次の瞬間。


 視界が跳ね上がる。


 叩きつけられる。


 畳が砕け、床が抜ける。


 そのまま下へ――


 地面に、めり込んだ。


「がっ……!!」


 息が潰れる。


 そこへ。


「――ッ!!」


 虎徹が踏み込む。


 青龍刀を振り抜く。


 一直線。


 迷いのない一撃。


 千代子は、僅かに身を傾け――躱す。



 だが。


 ほんの、紙一重。


 頬を掠めた。


 赤い線。


 血が、落ちる。


 ぽたり、と。


 静寂。



「……龍左衛門以来じゃな」


 千代子が、笑った。


 初めて。


 心から。


 歓喜の色を宿して。


 その瞬間。


 “来る”。


 虎徹は直感した。


 爪が、迫る。


 速い。


 重い。


 避けきれない。


 ――受ける。


 青龍刀で、受け止める。


 ギィィィィィィ――!!


 金属が軋む。


 押される。


(まずい……!!)


 腕が、持たない。



 そのとき。


「――取ったァァ!!」


 背後。


 アンジェリーナが跳ねる。


 死角からの一撃。


 完璧。


 ――のはずだった。


 止まる。


 爪が。


 あと、数センチの位置で。


 動かない。


「なっ……!?」


 千代子は、振り向きもしない。


 ただ。


 片手で。


 掴んでいた。


 空間ごと、握り潰すように。


「……よい」


 ぽつり。


「少し、本気を出すか」


 その掌に、熱が宿る。


 圧が変わる。


 空気が焼ける。


「まずい――離れろ!!」


 虎徹が叫ぶ。


 反射で跳ぶ。


 アンジェリーナも、飛び退く。


 だが。


 遅い。


 光が、生まれる。


 それは弾丸でも、魔法でもない。


 “現象”。


 ただ、そこにある破壊。




 次の瞬間。


 ――白。


 音が、消えた。


 意識が、落ちる。





 ……静かだ。


 やけに、静かだ。


 目を開ける。


 天井。


 木目。


 見慣れた和室。


「……起きた?」


 凛の声。


 いつもの、柔らかい声。


 まるで、何もなかったかのように。


「……ああ」


 虎徹が、ゆっくりと起き上がる。


 身体が、軽い。


 傷が――ない。



 横を見る。


 アンジェリーナ。


 同じように、目を覚ましていた。


 目が合う。


 数秒。


 沈黙。


「……生きてんな」


「……ああ」


 ぽつりと、交わす。


 それだけで、わかる。


 ――完全敗北。



 言葉にしなくても、理解できる。


 格が違った。


 全部、見られてた。


 全部、遊ばれてた。


 アンジェリーナが、視線を落とす。


 珍しく。


 肩をすくめて。


「……兄貴、すまねえ」


「兄貴じゃねえだろ」


 即座に返す。


「もう」


 少しだけ、笑う。


 それを見て。


 アンジェリーナも、わずかに口元を緩めた。


 そこへ。


 パン、と。


 凛が手を叩く。


「大祖母様、とっても喜んでたわ」


 さらりと。


 とんでもないことを言う。


「……は?」


「久しぶりに、“目に叶う”当主とその妻が見つかったって」


 さらり。


 本当に、軽く。


「龍左衛門と千代子の再来だって」



 一拍。



 沈黙。



 そして。


「……はは」


 虎徹が、笑う。


「……ははは」


 アンジェリーナも、笑う。


 顔を見合わせて。


 同時に。


「「マジかよ」」


「「ぶっ飛んでんな」」


 声が重なる。


 畳の上に、笑いが転がる。


 負けた。


 完全に。


 圧倒的に。


 だが。


 ――折れてはいない。


 むしろ。


 少しだけ。


 火が、強くなった気がした。


 血か。


 それとも。


 選んだ絆か。


 答えは、まだ先だ。


 だが。


 あの化け物が。


 “認めた”。


 それだけで。


 ――十分だ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ