第43話 鬼人の鮮血と苦い終わりーそして別れ
駅馬車は、荒野を進んでいた。
乾いた風が、砂を巻き上げる。
地平線は歪み、陽炎が世界を揺らしている。
御者席には――マヤだけ。
テンガロンハットの影が、彼女の表情を隠していた。
手綱を握る指は静かだ。
だが、その静けさの奥に、研ぎ澄まされた刃のような緊張がある。
客車の中。
ハヤオとセリスは、無言で向かい合っていた。
言葉はない。
ただ――
セリスの手の中には、“骨の鍵”。
白く、歪なそれは、まるで呼吸しているかのように微かに脈打つ。
(……あれは……何……)
脳裏に焼き付いている。
あの扉。
あの異形。
あの“愛情”。
敵には容赦なく、
味方には――異常なほど優しい。
その歪さが、何よりも恐ろしい。
(もし……あれが……)
指先が震える。
(……私に向いたら……?)
――それでも。
ぎゅっと、鍵を握りしめる。
(……ハヤオのためなら)
小さく、息を吐いた。
ガタン、と。
馬車が止まる。
同時に、外から足音。
ドアが開いた。
「いいか――出るな」
マヤの声。
短く、それだけ。
有無を言わせない声音。
そして、扉は閉まる。
セリスは窓から外を覗く。
荒野の一本道。
その先に――五人。
鬼人。
武装。鎧。殺気。
風が、止まる。
マヤは歩く。
ザクッ……ザクッ……
乾いた土を踏みしめながら。
ゆっくりと。
逃げも、焦りもない。
ただ、距離を詰める。
「……おかしいな」
マヤが、首を傾げる。
「ここは検問所じゃないはずだが」
軽い調子。
だが、視線は鋭い。
先頭の鬼人――イソラが答える。
「……マヤ」
低い声。
「すまんな。人探しだ」
わずかな間。
「中を見せてくれ」
沈黙。
風だけが、吹く。
マヤは、ゆっくりと息を吐いた。
腰に手を当てる。
「……ダメだ」
即答。
「中身は見せられない。知ってるだろ」
少しだけ、声が柔らぐ。
「こっちは“運び屋”だ」
懐から、銀貨の袋を取り出す。
軽く放る。
チャリ、と乾いた音。
「ほら。今日は多めだ」
イソラは――動かない。
袋も取らない。
ただ、首を横に振る。
「……今回は特別だ」
「通せない」
視線が、遠くの馬車へ向く。
「中を見れば――お前を捕まえなきゃならん」
重い言葉。
「……出来れば、したくない」
また、沈黙。
長い、長い沈黙。
マヤは、少しだけ空を仰いだ。
太陽が眩しい。
「……あんたには世話になってる」
ぽつり、と。
本音。
「だから、最後に言う」
視線を戻す。
「引け」
風が吹く。
砂が舞う。
イソラは、動かない。
目を逸らさない。
「……無理だ」
――それで、終わりだった。
「……そうか」
マヤは、小さく頷いた。
そして――踵を返す。
一歩。
二歩。
三歩。
――その瞬間。
反転。
空気が裂ける。
音が、消える。
ドスッ
マチューテが、イソラの腹に突き刺さっていた。
目が見開かれる。
声にならない。
間。
一瞬の静寂。
次の瞬間。
閃光。
血。
首が、飛ぶ。
一人。
二人。
三人。
四人。
すべてが終わるまで――三秒。
最後に残ったイソラが、崩れ落ちる。
マヤは、ゆっくりと刃を引き抜いた。
血が噴き出す。
それを浴びても、表情は変わらない。
「……悪いな」
小さく、呟く。
振り返りもせず、歩き出す。
馬車へ戻る。
ドアを開ける。
何も言わない。
ただ、席に戻る。
再び、馬車が動き出す。
倒れた死体を――踏み潰しながら。
客車の中。
沈黙。
セリスは、何も言えない。
ただ、震えている。
ハヤオが、小さく笑う。
「……胸糞悪いな」
一拍。
「――だが、あれが正解だ」
セリスは、答えない。
ただ、鍵を握る。
強く。
その後――
検問は、何事もなく通過した。
誰も、止めない。
誰も、見ない。
まるで最初から“道が開いていた”かのように。
やがて――
街が見えてくる。
インスラ・オリエンタス。
鬼人の国。
その中でも大きな都市――タキューシュ。
門をくぐり、広場へ。
馬車が止まる。
「……ここまでだ」
マヤが帽子を軽く上げる。
いつもの軽い調子に戻っている。
「生きてたら、またご贔屓に」
ハヤオは手を上げる。
「じゃあな」
セリスも、頷く。
「……また」
マヤは、セリスを見る。
その目だけが――真剣だった。
「鍵――使いすぎるなよ」
一瞬の間。
「……もう遅いかもしれないけどね」
それだけ言うと。
マヤは振り返らない。
馬車は、そのまま去っていく。
砂煙だけを残して。
セリスは、立ち尽くす。
手の中の鍵。
それは――
わずかに、温かかった。
まるで。
“歓迎している”かのように。




