第42話 馬車は進むー鍵、それは地獄の扉への案内
――荒野。
乾いた風が、砂をさらう。
軋む車輪の音を響かせながら、駅馬車は進んでいた。
御者席。
手綱を握るのは、マヤ・モリ。
その隣に――
セリス・ナリカワ。
後方の客車には、ハヤオがひとり。
つまり――
この空間は、完全な“女同士”だった。
「……でね」
マヤが、軽く肩をすくめる。
「婚約したのはいいんだけど」
親指で後ろの客車を指す。
「客、減ってね」
カラカラ、と乾いた笑い。
「わかるでしょ?」
ちらりと横目でセリスを見る。
「万人受けするタイプじゃない」
「あー……」
セリスが曖昧に頷く。
否定はしない。
できない。
その一言に、すべてが含まれている。
マヤは鼻で笑った。
「未練がないって言ったら、嘘になるけど」
一瞬だけ、遠くを見る。
風に髪が揺れる。
「……でも、これでいい」
短く。
割り切った声音。
「認められなかったしね」
ため息。
その奥に、わずかな棘。
「あの女に」
ぽつりと。
吐き捨てるように。
「……“あんたじゃ、ブレイクスルー出来ない”だってさ」
沈黙。
風だけが、二人の間を通り抜ける。
セリスは、何も言わない。
ただ――
わずかに、指先が動いた。
その言葉を、知っている。
その評価を、知っている。
その“基準”を――
「……セリス」
マヤの声が、少しだけ低くなる。
「あんた、会ったんでしょ?」
横目。
逃がさない視線。
「……アイツに」
一拍。
そして――
「あの悪魔」
ふっと、笑う。
乾いた、軽い笑い。
「……ごめん」
肩をすくめる。
「悪魔に失礼よね」
その言い方。
比喩ではない。
明確に、“それ以上”として扱っている。
セリスの呼吸が、わずかに乱れる。
「……誰のこと?」
あえて、聞く。
わかっているのに。
確認するように。
マヤは、まっすぐ前を見たまま――
「アツコ」
短く。
断定する。
その瞬間。
セリスの瞳が、揺れた。
「……っ」
息が詰まる。
脳裏に、あの女の姿がよぎる。
笑っているのに、底が見えない。
理解したと思った瞬間、すべてを裏切る。
――あれは、人間じゃない。
「……あんた」
マヤが、わずかに口角を上げる。
「運、悪いわよ」
楽しむでも、煽るでもなく。
ただ事実を言うように。
「せいぜい、気をつけることね」
その一言に、妙な重みがある。
「……あいつら、揃いも揃って――」
言いかけて。
止める。
ほんの一瞬。
“言ってはいけない”と判断したように。
セリスが、その続きを待つ。
だが――
その時だった。
「おい、止まれ!!」
前方。
道を塞ぐ影。
馬がいななき、足を止める。
荒野の真ん中。
そこに立っていたのは――
獣人。
オーク。
リザードマン。
明らかに、ただの旅人ではない。
「通行料だ」
獣人が一歩前に出る。
「払え」
威圧。
だが――
マヤは、ため息をひとつ。
「……はあ」
面倒くさそうに、首を回す。
「マヤが通るって言え」
それだけ。
感情も、怒気もない。
ただの“事実”。
獣人が、ぴたりと止まる。
そのまま、後ろを振り返る。
一番奥にいたオークへと、視線が走る。
オークが、目を見開いた。
「……は?」
一瞬。
そして――
血の気が引く。
「おい……おいおいおい!!」
慌てて前に出る。
「すまねえ!!」
頭を下げる。
「新入りなんだ!!知らなかった!!」
必死だ。
さっきまでの威圧は、完全に消えている。
「通ってくれ!!頼む!!」
必死な声。
マヤは、ちらりと一瞥して――
「最初からそうしなさい」
それだけ言って、手綱を引く。
馬が、再び歩き出す。
道が、自然に開く。
誰も、止めない。
止められない。
やがて――
再び、荒野に静寂が戻る。
車輪の音だけが、響く。
セリスは、何も言わない。
ただ、横を見る。
マヤの横顔。
無表情。
だが、その奥にある“格”を、はっきりと感じる。
そして――
さっきの言葉。
“あいつら、揃いも揃って――”
その続き。
聞けなかった言葉。
それが、妙に重く、胸に残る。
(……ナリカワ)
自分の家。
なのに――
どこか、遠い。
知らない。
知らなければいけないはずのものが、
まだ、奥にある。
触れてはいけない“何か”が。
マヤは、何も言わない。
セリスも、聞かない。
まるで――
それが“禁句”であるかのように。
ただ、馬車は進む。
荒野の先へ。
そして――
地獄の入り口へ。
夜——荒野は、昼とは別の顔をしていた。
風は低く唸り、乾いた大地を舐めるように這う。
空には、刺さるような星々。
近すぎる光は、祝福ではなく——監視に似ていた。
その中心。
ぽつり、と灯る焚き火。
パチ……パチ……と、木が爆ぜる音だけが、世界に“生”を繋ぎ止めている。
その前に座るのは、マヤ・モリ。
テンガロンハットを深くかぶり、炎を見つめる横顔は、昼間の軽薄さなど欠片もない。
重い。
沈んでいる。
まるで——思い出したくない何かを見ているように。
少し離れた場所では、ハヤオが無防備に眠っていた。
戦場でも寝れる男の、無神経な安らぎ。
そして——
その火を挟み、向かいに座る少女。
セリス・ナリカワ。
その瞳は、静かに燃えていた。
「……昼間、言いかけたこと」
ぽつり、と落とすような声。
「聞かせて」
炎が揺れる。
マヤは、ゆっくりと顔を上げた。
「……やめときなよ」
即答。
間を置かない拒絶。
「今さらだ」
吐き捨てるように言う。
だが——
セリスは、引かなかった。
ゆっくりと、懐に手を入れる。
取り出したのは——骨の鍵。
歪な形状。
乾いたはずのそれは、なぜか“湿っている”ように見える。
焚き火の光を受けて、ぬらりと光る。
「これ」
握りしめる。
骨が、きしむような錯覚。
「どういう意味?」
一歩、踏み出す。
その瞬間——
マヤの口元が歪んだ。
「……ふふ」
小さく、乾いた笑い。
だが、それはすぐに消える。
次の瞬間。
空気が——沈む。
視線が変わる。
冷たい。
鋭い。
逃げ場を奪うような圧。
「——聞くな」
低く、落ちる声。
「……え?」
セリスの喉が、わずかに鳴る。
「聞くなって言ってんだよ」
焚き火が、ひときわ強く爆ぜた。
火の粉が舞う。
マヤは、ゆっくりと立ち上がる。
影が伸びる。
それは人の形をしていない。
歪み、揺れ、別の何かに見える。
「……あんたは、選ばれた」
確定事項のように。
逃げ場のない宣告。
「“あの血”に」
ドクン、と。
セリスの心臓が跳ねた。
「……なに、それ」
喉が乾く。
「もう逃げられない」
マヤは首を振る。
それは諦めじゃない。
——知っている者の動作。
「自分で開けたんだよ」
骨の鍵を、顎で示す。
「地獄の釜の蓋をな」
風が止まる。
音が、遠のく。
「……そんな」
セリスの手が震える。
けれど、視線は逸らさない。
逸らせない。
「この先に起こる騒動なんてな」
マヤは、鼻で笑った。
「そんなもん、前座だ」
一歩、近づく。
距離は近いはずなのに——遠い。
踏み込めば壊れる境界線のように。
「ナリカワ家ってのは——」
言いかけて、
止まる。
ピタリと。
沈黙。
そして——
視線を逸らした。
「……これ以上は、口に出すな」
低く。
押し殺した声。
「言ったら、戻れなくなる」
空気が凍る。
「……どういう」
「この話は終わりだ」
遮断。
完全な拒絶。
「寝る」
それだけ言って、マヤは背を向ける。
地面に寝転び、帽子を目深にかぶる。
それ以上、一切語らない。
残されたのは——
焚き火と、セリスひとり。
パチ……パチ……
音だけが響く。
灰がふわりと舞い、セリスの手の甲に落ちた。
じわり、と熱が伝わる。
けれど——
感じない。
「……選ばれた」
ぽつり、と繰り返す。
骨の鍵を見る。
それはただの道具じゃない。
理解してしまう。
これは偶然じゃない。
選ばれた。
選ばれてしまった。
「……なんで」
小さく、呟く。
「普通でいいのに」
唇を噛む。
震える。
——でも。
(……知りたい)
その感情が、消えない。
(知らないと……奪われる)
何を?
わからない。
でも、確信だけがある。
「……ナリカワ家」
胸の奥がざわつく。
知らないはずなのに。
どこかで——知っている。
血が、覚えている。
「……怖い」
本音が漏れる。
でも——
次の瞬間。
セリスは、ゆっくりと笑った。
歪んだ、かすかな笑み。
「……怖いはずなのに」
焚き火の炎が、瞳に揺れる。
「どうして……」
指先に力がこもる。
骨の鍵を、強く握る。
「少しだけ——」
息が、震える。
「嬉しいの」
自覚してしまった。
その瞬間——
戻れない。
空には、満天の星。
それは祝福ではない。
ただ、見ている。
選ばれた者を。
壊れていく過程を。
楽しむように。
その夜。
セリスは、一睡もできなかった。
そして——
それを、苦痛だとは思わなかった。




