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第40話 駅馬車の依頼は、血の匂い。

「……出て、二刻もしない内に戻るとはな」


 低く、呆れを含んだ声。


 白衣の裾が揺れ、二本の曲がった角がわずかに軋む。


 ――スキエンティア。


 その眼前には、上半身裸の男。


 ハヤオは、椅子にもたれかかりながら、顔をしかめていた。


「まあ……思ったより傷は浅いな」


 スキエンティアの掌が淡く光る。


 じわりと、肉が再生していく。


「……いたたたた……先生、すまんね……」


「謝る相手が違うだろう」


 淡々とした口調。


「私は医者だ。仕事をしているだけだ」


 そう言いながらも、魔力の流れは正確で、無駄がない。


 だが――


「……魔法は、得意じゃないんだがね」


 ぼそりと付け加える。


(いや、十分すぎるだろ……)


 ハヤオは内心で突っ込むが、口には出さない。


 そして――


「セリス」


 スキエンティアが、ゆっくりと視線を向ける。


 壁際に立つ少女。


 腕を組み、静かに佇むその姿は、まるで彫像のようだった。


「君のダメージも残っている」


「今日はここで休みなさい」


 穏やかな忠告。


 だが――


「……先生、すまねえ」


 ハヤオが口を開く。


「急いだ方がいい」


「明日までは仕方ねえとしても……明後日には出たい」


 その言葉に、スキエンティアはわずかに眉を動かした。


「……そうか」


 一拍。


「ならば――駅馬車を使いなさい」


 さらりと告げる。


「チャーターすれば、目的地まで直通だ」


「護衛もつく。腕は確かだ」


 静かに続ける。


「手配は、こちらでできるが」


 その言葉に――


 ハヤオとセリスが、同時に視線を交わす。


 ――使うべきだ。


 短い沈黙の中で、意思は一致する。


「ああ……頼む」


 ハヤオが頷く。


「では――」


 スキエンティアが紅茶を一口含み、


「マヤ・モリに依頼するとしようか」


 その瞬間だった。


「――いや、自分たちで行く」


 ピタリと。


 ハヤオの声が、空気を断ち切った。


 あまりにも不自然な即答。


 まるで――


 “それだけは避けたい”とでも言うように。


 沈黙。


 その違和感を、誰よりも先に拾ったのは――


 セリスだった。


 ゆっくりと。


 ゆっくりと。


 その目が、細くなる。


「……もう、精算は済んでいるだろう?」


 スキエンティアが肩をすくめる。


「腕は保証する」


「確実に送り届ける」


 淡々とした説明。


 だが――


「この話は終わりだ」


 ハヤオが遮る。


 明らかな拒絶。


 その瞬間。


 空気が、冷えた。


「……え?」


 スキエンティアが、ふとセリスを見る。


「彼女に……言っていなかったのかい?」


 止まる。


 時間が止まる。


 セリスの思考も――呼吸すらも。


「……どういうこと?」


 声が落ちる。


 光が消える。


 ――ハイライトが、消えた。


「先生」


 両手を胸の前で合わせる。


 祈るように。


「教えて?」


 にこりと笑う。


 その笑みは――


 あまりにも、静かだった。


 背後で、ハヤオが必死にジェスチャーする。


 ――頼む、黙ってくれ。


 スキエンティアは一瞬だけ目を細め――


「……いや、よく考えたら」


 言葉を濁す。


「彼女は今、別の依頼で――」


「嘘よね?」


 遮られる。


 優しい声で。


 だが、刃のように。


「先生、嘘つくの下手」


 にっこりと。


 完全に。


 逃げ場を塞ぐ笑顔。


「ねえ」


 一歩、踏み出す。


「ホントのこと、言って?」


「私、過去には拘らないの」


 ――その言葉。


 この場にいる2人は、同時に思う。


(嘘だ)


 絶対に、嘘だ。


 マリーとタルトを、笑顔で斬りかけた女が言う台詞ではない。


「うーん……そうかね」


 スキエンティアが、わずかに苦笑する。


 そして――


「やめてええええええええええええ!!」


 ハヤオの絶叫。


 だが、もう遅い。


「前の婚約者だ」


 静かに告げられる事実。


「最終的には、双方納得の上で解消した」


「だが――」


 ちらりとハヤオを見る。


「マヤの方には、未練があるという話だ」


 終わった。


 完全に終わった。


 ハヤオは頭を抱える。


(いえ先生……問題があるのは……)


 ゆっくりと。


 ゆっくりと。


 セリスの口角が上がる。


「……ふーん」


 楽しそうに。


「いいじゃない」


 鯉口が、鳴る。


 ――カチリ。


「マヤに頼みましょ?」


 満面の笑み。


 瞳は、完全に壊れている。


「いやあああああああああああああ!!」


 ハヤオの悲鳴が、部屋に響き渡った。

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