第4話 えのころ飯って知っているか?
リュゼリアが去った後。
家の中は、不思議な静けさに包まれていた。
「……じゃあ俺、ギルド行ってくる」
ハヤオは軽く手を振る。
「暮らすには色々足りないしな。買い出しもしてくる」
「その間に荷物まとめといてくれ」
「あとで、二人でゆっくり揃えよう」
「……う、うん」
セリスは小さく頷いた。
胸の奥が、妙にざわつく。
――嫁。
その言葉が、現実として重く落ちてきていた。
「二刻くらいで戻る」
「わかった」
扉が閉まる。
静寂。
「……ふふ」
セリスの唇が、ゆっくりと弧を描く。
「主殿の……家」
指先で机をなぞる。
「ここで……共に……」
頬がほんのり染まる。
だが次の瞬間。
その表情が、すっと引き締まる。
「……まずは」
袖をまくる。
「環境を整えねばな」
――妻として。
完璧に。
コンコン。
ノックの音。
「留守かにゃ〜?」
軽い声。
猫獣人の女。
その瞬間。
セリスの視線が、扉へと向く。
「……」
無言。
ゆっくりと歩み寄る。
そして。
「おい」
背後から声をかけた。
「にゃ?」
振り返る猫獣人。
その視界が――
ドカッ。
一撃で、闇に落ちた。
納屋
シュッ……
シュッ……
刃物を研ぐ音。
一定のリズム。
落ち着いている。
異様なほどに。
「……にゃ……」
意識が戻る。
逆さ。
縛られ。
揺れている。
血が頭に集まる。
「……ここ……」
視界の先。
鬼がいた。
赤髪。
眼帯。
刃物。
無言。
「目が覚めたか」
低い声。
刃が、光る。
「ひっ……!」
本能が叫ぶ。
「な、何する気にゃ……」
セリスは立ち上がる。
ゆっくりと。
音もなく近づく。
そして。
優しく――微笑んだ。
「今日の夕餉は……お前だ」
「……は?」
理解が、遅れる。
「じょ、冗談にゃ……?」
「助けてほしいにゃ……」
セリスは答えない。
ただ、じっと見つめる。
「……主殿の匂いがするな」
空気が、凍る。
「どこまで関係がある?」
刃が、頬に触れる。
冷たい。
「ち、違うにゃ!!」
「ただの知り合いにゃ!!」
「そうか」
一拍。
「奪う気はない、と」
「ないにゃ!!絶対ないにゃ!!」
涙が滲む。
セリスは、しばらく見つめ――
「……まあいい」
と呟いた。
ララの顔に安堵が浮かぶ。
その瞬間。
ポトリ。
布が落ちる。
拾う。
男物の肌着。
沈黙。
「……これは?」
「そ、それは……!」
「前に借りたにゃ!!返しに来ただけにゃ!!」
セリスの頬が、ぴくりと動く。
だがすぐに。
すぅっと、熱が引いた。
「……そうか」
静かすぎる声。
逆に、怖い。
「……えのころ飯って知っているか?」
「にゃ……?」
セリスは、ララの腹を撫でる。
ゆっくり。
丁寧に。
まるで、愛でるように。
「戦場でな……」
指先が滑る。
「捕まえた獣の腹を裂き」
ララの呼吸が止まる。
「内臓を抜き」
「米を詰め」
「焼く」
優しい声。
内容は、地獄。
「お前……ちょうどいい」
にこり。
「主殿の子を産まねばならん」
「栄養が、要る」
「ひっ……」
涙がこぼれる。
「う、嘘にゃ……ドッキリにゃ……そういうやつにゃ……」
セリスは、刃を構えた。
「まずは血抜きだな」
光る。
「いやあああああああああああああああああああ!!」
絶叫。
――その瞬間。
バンッ!!
扉が開く。
「セリス」
低い声。
一言。
それだけで。
空気が変わった。
ハヤオだった。
状況を一瞥。
逆さ吊り。
刃物。
涙の猫。
そして。
セリス。
一瞬で理解する。
「……ほどけ」
静かに言う。
セリスの手が、止まる。
わずかに迷い。
だが。
従う。
縄が落ちる。
ララが崩れ落ちる。
ハヤオが支える。
「……悪いな」
短く謝る。
その背後で。
セリスが、じっと見ている。
「……主殿」
ぽつり。
「この者は……違うのか?」
その声は。
わずかに。
不安を含んでいた。
ハヤオはため息をつく。
「ただの知り合いだ」
「……そうか」
一拍。
「なら、いい」
にこり。
だがその目は。
まだ、少しだけ冷えていた。
30分後
「こ、怖かったにゃ……」
ララは震えながら、ハヤオの後ろに隠れる。
「人生で一番の命の危機だったにゃ……」
「……すまん」
ハヤオ、頭を掻く。
セリスが、丁寧に頭を下げる。
「申し訳ありません」
「確認が不十分でした」
一拍。
「次は、間違えません」
「次があるのかにゃ!?」
ララ、絶叫。
セリスはにこりと笑う。
「セリス・ナリカワです」
「主人が、お世話になっております」
完璧な所作。
さっきの鬼と同一人物とは思えない。
「よろしければ」
にっこり。
「夕餉、召し上がっていきませんか?」
「い、いや遠慮するにゃ!!」
即答。
全力後退。
「もう二度と来ないにゃ!!」
逃走。
扉がバタンと閉まる。
――静寂。
ハヤオは、ゆっくりと振り返る。
セリス。
にこやかに微笑んでいる。
「……料理、何にします?」
その笑顔は。
幸せそうで。
愛に満ちていて。
そして――
ほんの少しだけ、狂っていた。




