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第23話 食堂に行ったら、店員に過去をバラされた件

――扉が、軋んだ。


 ぎぃ、と。


 ほんのわずかな音なのに、やけに大きく響く。


「……ここにしようぜ」


 ハヤオがそう言った時点で、もう遅かったのかもしれない。


 店の中は静かだった。


 落ち着いた照明。


 温かい匂い。


 柔らかい木の椅子。


 ――普通の店だ。


 普通の、はずなのに。


「いらっしゃーい――あれ?」


 軽い声。


 犬の耳を揺らしながら、ウェイトレスが顔を出す。


「ハヤオじゃない。久しぶり〜」


 その瞬間。


 カラン、と。


 どこかで食器が鳴った。


 誰も触れていないのに。


「……誰?」


 低い声。


 振り向かなくても分かる。


 セリスだ。


 ハヤオの喉が、ひくりと鳴る。


「ラナだ。この店で働いてる」


「へぇ〜」


 ラナが笑う。


 何も知らない顔で。


「きれいな女の人連れてんじゃん。いいの〜?」


 そして――


「マリーが知ったら怒るよ?」


 ――静かになった。


 音が、消える。


 厨房の音も。


 客の気配も。


 外の喧騒も。


 全部。


「……あ」


 セリスが、小さく呟く。


 それだけで。


 背中に、冷たいものが這い上がる。


「……もっと詳しく、聞きたいわね」


 ゆっくりとした声。


 笑っている。


 ちゃんと、笑っているのに。


 ――目だけが、合っていない。


(……やばい)


 ラナの喉が乾く。


 本能が、警告を鳴らす。


「お前、マジで怒るぞ」


 ハヤオが割って入る。


「マリーとは何もねえ。昔からだ」


 早口になる。


「それに――」


 ぐい、とセリスを引き寄せる。


「結婚した」


「……は?」


 ラナの思考が止まる。


「え……えーーーーーーー!?」


 遅れて叫ぶ。


 だが。


 セリスは、何も言わない。


 ただ。


 ハヤオの腕に、指を絡める。


 ――指が、少しずつ食い込む。


 逃げないように。


「……そう」


 それだけ。


 それだけで。


 空気が、重くなる。


 席につく。


 椅子が、きしむ。


 誰も押していないのに。


「……注文は?」


 ラナの声が、わずかに震える。


「このパイを」


「俺も同じで」


 普通のやり取り。


 普通のはず。


 ――なのに。


 空気が、冷たい。


 息が、白くなりそうなくらい。


「ねえ」


 セリスが、言う。


 ラナの肩が跳ねる。


「ラナ」


 名前を呼ばれる。


 それだけで。


 逃げたくなる。


「……教えて」


 ゆっくりと顔を上げる。


 その目は――


 光がない。


 底がない。


 どこにも、繋がっていない。


「マリーって、誰?」


 音が、落ちる。


 完全に。


 ハヤオは後ろで手を合わせる。


 祈るように。


(頼む……)


(頼むから……)


 だが。


 ラナは、逃げ場を探してしまった。


「えっと……なんだろ……」


 言葉が、滑る。


 うまく出てこない。


「最近、旅に出たっていうか……」


 ――その瞬間。


 コツン。


 小さな音。


 視線が落ちる。


 テーブルの上。


 そこに。


 いつの間にか。


 刀の柄が、置かれていた。


 さっきまで、なかったはずなのに。


「……で?」


 セリスの声。


 変わらない。


 優しいまま。


「ほんとは?」


 ――逃げられない。


「ギルドにいる!!」


 反射で、叫んでいた。


「受付嬢!!狼獣人!!白くて……」


 言葉が止まらない。


 止められない。


 全部、出てくる。


「……そう」


 セリスが頷く。


 ゆっくり。


 ゆっくり。


 満足そうに。


「ありがとう」


 にこり、と笑う。


 その笑顔は、綺麗で。


 壊れていて。


 どこにも逃がさない形をしていた。



 セリスが、ハヤオを見る。


「ねえ」


 優しい声。


 昔と同じような。


 何も変わっていないような。


「食後に、行こうか」


「どこにだよ」


 分かっているくせに、聞く。


「マリーに」


 ――音が、消える。


 また。


 完全に。


「毒虫は」


 セリスが言う。


 淡々と。


 まるで献立を決めるみたいに。


「踏み潰す」


 軽い。


 あまりにも軽い。


「今晩の夕餉は」


 さらに続ける。


「えのころ飯かな」


 くす、と笑う。


「ちゃんと下処理しないと、苦いのよね」


 具体的。


 妙に具体的。


「狼の」


 ――ラナの呼吸が止まる。


「もちろん」


 セリスが、ハヤオに顔を寄せる。


 吐息が触れる距離。


「食べるわよね?」


 ハヤオは。


 首を振る。


 必死に。


 何度も。


 子供みたいに。


 だが。


 セリスは、優しく頷く。


「大丈夫」


 手を伸ばす。


 頬に触れる。


 冷たい。


「全部」


 囁く。


 耳元で。


「私が決めるから」


 ――その瞬間。


 ハヤオは理解した。


 これはもう、嫉妬じゃない。


 愛でもない。


 もっと別の何かだ。


 逃げるとか、戦うとか。


 そういう話じゃない。


 最初から。


 選択肢なんて、なかった。


「冷める前に、食べましょう?」


 セリスが言う。


 いつもの声で。


 いつもの顔で。


 まるで。


 何も起きていないみたいに。


 ――ただ一つ。


 違うのは。


 その目が。


 最後まで。


 一度も、“逸れなかった”ことだけだった。


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