第20話 帰還命令ー血塗られた祖国へ
三日後の夜だった。
静寂を引き裂くように――
バンッ!!
家の扉が勢いよく開かれる。
「セリス!! 大変です!!」
飛び込んできたのは、銀髪を揺らす少女――リュゼリア。
息を切らし、焦燥を隠しきれないその表情。
だが――
「……いない?」
居間を見回す。
台所。廊下。どこにもいない。
その瞬間、嫌な予感が脳裏をよぎる。
「まさか……!」
勢いよく、奥の部屋の扉を――開けた。
――いた。
ベッドの上。
月明かりに照らされる二人の影。
絡み合う体温。
重なる息。
止まった時間。
そして――
視線が、合う。
「…………」
「…………」
「…………」
「あわわわわわわわわわわわっ!?」
セリスの顔が、一瞬で爆発したように赤く染まる。
「う……お、おい……」
ハヤオも言葉を失う。
完全な沈黙。
空気が死ぬ。
時間が凍る。
「あ、あの……その……えっと……」
リュゼリア、後ずさる。
「……い、居間で待ってるから……!」
バタン!!
勢いよく扉が閉まった。
数分後――
居間。
湯気の立つ茶。
しかし空気は凍りついたまま。
リュゼリアは、湯呑みを持ったまま固まっている。
(さっきの……さっきの……!)
頭から離れない光景。
顔が、じわじわと赤くなる。
「……こんな夜中に、どうしたのよ」
対面に座るセリスも、まだ頬を赤く染めたまま。
だが、その目は真剣だった。
切り替えている。
貴族の娘としての顔。
「そ、それどころじゃないのよ!!」
ガタッと立ち上がるリュゼリア。
「明日、朝一で国に帰るわよ!! ハヤオも連れて!!」
「……は?」
ハヤオが眉をひそめる。
「どうしたんだ」
低く、鋭い声。
その一言で、空気が変わる。
「どうもこうもないわよ……!」
リュゼリアの声が震える。
「主だった貴族たちが……次々と殺されてるの!!」
沈黙。
「……内戦よ」
吐き出すように。
「貴族派と王党派……完全に分裂してる」
「疑心暗鬼。裏切り。暗殺」
「もう……血で血を洗う状態よ」
セリスの瞳が、揺れる。
「父上が……?」
「帰ってこいって。力を貸せって」
震える指。
握りしめる拳。
(……帰る?)
(あの国に?)
(血と裏切りの渦の中に?)
脳裏に浮かぶのは――
ここ数日の記憶。
朝食。
洗濯。
笑い声。
隣にいる男。
(やっと……手に入れたのに)
(私の……居場所)
「……今は行かない方がいい」
ハヤオが口を開く。
冷静な判断。
「どう考えても罠だ」
「帰国の途中で暗殺される可能性もある」
「帰った後も、幽閉……最悪、処刑」
「何言ってんのよ!!」
リュゼリアが怒鳴る。
「それはあんたのせいじゃない!!」
「あの戦いで勝っていれば――!」
「だからだ」
ハヤオが遮る。
「だからこそ、利用される」
沈黙。
重い沈黙。
「……主殿」
セリスの声。
小さい。けれど、震えている。
「私は……帰りたい」
顔を上げる。
瞳には涙。
だが、逃げていない。
「ナリカワ家の人間だ」
「でも……それでも……」
「私の中には……祖国がある」
(捨てられたはずなのに)
(それでも……捨てきれない)
「お願いだ……」
声が、かすれる。
「私だけでも……」
その言葉に。
ハヤオは、目を閉じる。
(……一人で行かせる?)
(ありえねえな)
頭を掻く。
大きく、ため息。
「……しょうがねえな」
顔を上げる。
その目は、もう迷っていない。
「行くか」
「……え?」
セリスが息を呑む。
「ただし、正面からは行かねえ」
「リュゼリア、お前は先に帰れ」
「俺たちは別ルートで入る」
(罠なら、潰す)
(敵なら、斬る)
(全部まとめて――)
「わかった……!」
リュゼリアが頷く。
こうして。
夜は、深く沈んでいった。
――その夜。
ベッドの中。
暗闇の中で、二人は向き合う。
「……主殿」
「やめろ」
即答だった。
「その呼び方」
「やめろ」
「……え?」
「俺たちは対等だろ」
「夫婦だ」
静かな声。
でも、強い。
「ハヤオでいい」
沈黙。
そして――
「……うん」
微笑むセリス。
涙のあとが、まだ残っている。
「ハヤオ」
その一言。
距離が、縮まる。
唇が、重なる。
優しく。
確かめるように。
その瞬間――
バタンッ!!
「そういえば!!」
開いた扉。
立っているのは――リュゼリア。
沈黙。
完全なる沈黙。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………あ」
ゆっくりと。
扉が閉まる。
「……ごめん」
「明日、朝一で帰るから」
「手紙で落ち合う場所、書いとくから」
気まずさを残したまま、足音が遠ざかる。
そして――
「おまえーーーーーーーーーーーっ!!」
セリスの絶叫が、夜を切り裂いた。
ハヤオは。
その隣で。
「……ははっ」
小さく、笑った。
――その笑い声の外で。
風が鳴る。
遠く、見えない場所で。
血が流れている。
その戦場が――
もうすぐ、二人を呑み込む。




