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第14話 セリスの涙と王子とツバメの物語

――ゲスト用の部屋。


 湯気の残る空気。


 夜の静けさ。


 戦いの余韻が、まだどこかに残っている。


 その部屋に、四人の女がいた。


 セリス。


 モルテリア。


 クラウディア。


 ノエル。


「……すみません。泊めていただいて」


 風呂上がりのセリスは、頬を赤らめながら頭を下げる。


「気にするな」


 素っ気なく言いながらも、モルテリアの声音はどこか柔らかい。


「――もちろん、宿泊費はもらうがな」


「はい……」


 思わず苦笑するセリス。


「ノエルも、嬉しいよな。お客様が来て」


 モルテリアが振り返ると――


 その後ろに隠れる、小さな影。


 銀色の髪。黒い瞳。


 ノエルは、ちらちらとセリスを見ている。


(……なんだ、この子)


 セリスの胸が、ふわりと緩む。


(こんな……こんな可愛い生き物が、この世にいるのか……?)


 思わず、やさしく微笑む。


 その瞬間――


 びくっ、とノエルが肩を震わせた。


 モルテリアの背に、ぴたりと隠れる。


「大丈夫だよ」


 モルテリアが、その小さな頭を撫でる。


「この人は、怖くない」


「……うん」


 こくり、と頷くノエル。


 そして――


 おそるおそる、セリスへと歩み寄ってくる。


 小さな手に、抱えた一冊の本。


「……本が好きなの?」


 セリスがしゃがみ、目線を合わせる。


 こくり。


「いっしょに、読む?」


 一瞬の間。


 ノエルが、モルテリアを見る。


 モルテリアは、静かに頷いた。


「……うん」


 小さな声。


 それだけで、胸が締め付けられるほど嬉しくなる。


 セリスはベッドに腰掛け、ノエルを隣に座らせる。


 銀色の髪が、肩に触れる距離。


 本を開く。



 ――そこに書かれていたのは。


 自己犠牲の物語。


 王子と、ツバメの物語。


 静かに、読み上げる。


「――“エジプトにはゆかないと思います。死の家にまいります。死は眠りの兄弟ではありませんか?”」


 言葉が、部屋に落ちていく。


「“そう言って、ツバメは王子のくちびるにキスをして、その足もとに落ちました。それがツバメの最後でした”」


 ノエルは、じっと聞いている。


 クラウディアも、珍しく口を閉じている。


「“ルビーは剣から抜け落ちてるし、目は無くなってるし、もう金の像じゃなくなっているし”」


「“これでは乞食とたいして変わらんじゃないか”」



 ――読み終えた瞬間。


 静寂。


 誰も、何も言わない。


 ただ――


 セリスの中で、何かが音を立てて崩れた。


(……なんだ、これ)


 胸が痛い。


 息が苦しい。


(どうしてだ)


 ただの物語だ。


 ただの、作り話のはずなのに。


(……似ている)


 ぽつりと、心の奥底で言葉が浮かぶ。


(全部差し出して)


(全部、尽くして)


(それで最後に残るのが――)



 ――“価値がない”という言葉だけ。


「……っ」


 喉が詰まる。


 視界が歪む。


(……なんで)


(なんで、あんなに頑張ったのに)


 幼い頃から。


 家のために。


 誇りのために。


 強くあれと教えられ。


 弱さを捨て。


 戦い続けてきた。


 それなのに。


(たった一度)


(たった一度、負けただけで――)


 切り捨てられた。


「……っ、ぁ……」


 涙が、こぼれる。


 止まらない。


「なんでよ……」


 声が、震える。


「なんで……なんで、あんなに……」


 ぐしゃり、と顔が歪む。


「……全部、やったのに……!」


 声にならない叫び。


 胸の奥に溜まり続けていたものが、


 決壊する。


「なんで……っ」


「なんで、あたしだけ……っ」


 涙が、止まらない。


 呼吸が、乱れる。


 そのとき。


「……お姉ちゃん」


 小さな声。


 気づけば、ノエルが立っていた。


 そして――


 ぎゅっ、と。


 セリアを抱きしめた。


「……大丈夫だよ」



 その瞬間――


 世界が、変わる。


 セリアの中に渦巻いていた


 記憶が。


 後悔が。


 怒りが。


 悲しみが。


 ――形を持つ。


 黒い霧となって、


 身体の奥から、溢れ出す。


「――っ!?」


 目を見開くセリア。


 それは、確かに“見えた”。


 自分の中に溜まっていたもの。


 呪いのような感情。


 それが――


 ノエルの体に触れた瞬間、


 静かに、ほどけていく。


 溶ける。


 消える。


 音もなく。


 ただ、優しく。


「……だいじょうぶ」


 ノエルが、もう一度言う。


 その声は――


 まるで祈りのようだった。


(……ああ)


 セリアの肩から、力が抜ける。


(軽い……)


 あれだけ重かったものが、


 嘘みたいに。


 完全に消えたわけじゃない。


 でも――


 押し潰されそうな重さが、ない。


「……ノエル……お前……」


 震える声。


 その問いに、


 答えたのはノエルではなかった。


 コクリ、と。


 モルテリアとクラウディアが、同時に頷く。


(……やっぱりか)


 理解する。


 この子は――


 ただの子供じゃない。


(聖女……)


 言葉には出さない。


 だが、確信していた。


 その夜。


 セリアは、深く眠った。


 夢も見ないほど、静かに。


 ――そして。


 朝。


 目を覚ましたとき。


(……あれ)


 胸に手を当てる。


(……涙が、出ない)


 あれほど苦しかったはずの記憶が、


 まだそこにあるのに。


(……でも)


(軽い)


 ゆっくりと、息を吐く。


 窓の外には、朝の光。


(消えたわけじゃない)


(でも……)


 静かに、目を細める。


(前は、向ける)


 その変化に、


 自分自身が、一番驚いていた。



 ――部屋の隅で。


 ノエルが、静かに眠っている。


 まるで何事もなかったかのように。


 その寝顔を見て――


 モルテリアは、わずかに目を細めた。


「……やりすぎだ」


 だが、その声音は。


 どこまでも、優しかった。



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