第10話 モルテリアの変わりようと襲撃直前
――こうして、奇妙で穏やかな晩餐が始まった。
木製の長テーブルの上には、湯気を立てるスープ、香ばしく焼かれた肉料理、色鮮やかなサラダ、焼きたてのパンが並ぶ。
森の奥にあるとは思えない、温もりのある食卓だった。
窓の外では、夜の帳がゆっくりと降りている。
室内には、静かで――どこか不思議な安らぎが満ちていた。
「でさ、その時の依頼主がまた胡散臭くてな」
ハヤオがパンをちぎりながら、気の抜けた調子で話す。
「お前の依頼主は、だいたい胡散臭いだろう」
向かいでモルテリアが淡々と返す。
「違いねえ」
軽く笑うハヤオ。
そんなやり取りの横で、セリスは背筋を伸ばして座り、ぎこちなくも真面目に食事を口に運んでいた。
視線が、ふと横へ流れる。
モルテリアの隣。
小さな少女――ノエルが、こちらをちらちらと見ている。
(何っ!!この可愛い生き物!!)
セリスの内心が爆発する。
思わず、にこりと微笑みかける。
その瞬間。
「ひっ……!」
ノエルはびくりと肩を震わせ、すっとモルテリアの影に隠れた。
「ああ、大丈夫よ……怖くない」
モルテリアが優しく頭を撫でる。
その手つきは、戦場を渡り歩いた魔女のものとは思えないほど柔らかい。
「お前、変わったな……」
ハヤオがぽつりと呟く。
「入れ墨と髪もそうだけど……」
モルテリアは一瞬だけ視線を伏せ、それから小さく笑った。
「お前も変わるさ」
「どうだろうな……」
ハヤオはパンを口に運びながら、ため息を吐く。
その瞳には、どこか拭いきれない影があった。
戦場、裏稼業、積み重ねた選択。
後悔という名の残滓。
誰にも見せないそれが、ほんの一瞬だけ、滲む。
――その時だった。
椅子が、こつりと小さく鳴る。
ノエルが、そっと立ち上がった。
そして――ゆっくりと、ハヤオの方へ歩み寄る。
「お、おい……?」
戸惑うハヤオの前で。
ノエルは、小さな手でハヤオの右手を取った。
そのまま――
背伸びをして、頭を撫でる。
「いい子……いい子……」
優しい声。
柔らかい手。
ノエルの指先が、ほんの少し震えていた
――その瞬間。
ぐわり、と。
視界の奥で、何かが揺らいだ。
(――なんだ……?)
頭の奥に、流れ込む記憶。
黒い靄。
積み重なった、誰かの悲鳴。
血の匂い。
選択の連続。
――それらが、肩から、背中から、じわじわと滲み出て。
そして――
溶けていく。
消えていく。
浄化される。
そんな感覚。
「――っ!?」
ハヤオが目を見開く。
(今の……まさか……)
言葉にするより早く。
視線を上げると――
モルテリアとクラウディアが、静かに頷いていた。
まるで、当然だと言わんばかりに。
ーそうよ
ーその感覚で合ってる
口には出さない。
だが、確かに伝わる。
ノエルの力。
それは――ただの癒しではない。
魂の穢れすら、洗い流す“浄化”。
(とんでもねえな……)
ハヤオは無意識に、少女の頭に手を置いた。
今度は、自分が撫でる番だ。
その瞬間――
ゾクリ。
空気が変わる。
温もりに満ちていた空間に、一本の冷たい針が刺さったような感覚。
ハヤオの手が止まる。
ノリヒトの視線が鋭くなる。
モルテリアの口元が、わずかに歪む。
クラウディアが、ため息を吐いた。
四人が、同時に――窓の外を見る。
夜の森。
風は、止んでいる。
虫の音も、ない。
ただ、静寂。
――だが。
いる。
確実に、“何か”が近づいている。
風が、逆に流れた。
「……来たな」
ハヤオが静かに立ち上がる。
椅子が、きぃ、と鳴った。
壁に立てかけてあった剣を手に取る。
「じゃあ、行くか」
「ここは男の仕事だな」
ノリヒトもまた、ゆっくりと腰を上げる。
その目には、戦場でしか見せない冷たい光。
「まあ……たまには任せようじゃないか」
モルテリアが口角を上げる。
余裕の笑み。
だが、その奥には、確かな警戒があった。
「ダメなときは言ってね」
クラウディアが軽く手を振る。
その声音は軽いが、魔力はすでに臨戦態勢だ。
――そして。
セリスは、ただ一人。
(……何が起きている?)
気付けない。
感じ取れない。
だが、明らかに“何か”が来ている。
それだけは分かる。
胸の奥が、ざわつく。
焦りが、じわじわと広がる。
ハヤオが肩を回す。
ゴキリ、と関節が鳴る。
ノリヒトが、ゆっくりと扉に手をかける。
――開く。
軋む音。
外は、闇。
その闇の奥で。
“何か”が、笑った気がした。




