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霧島百万両始末記  作者: 水前寺鯉太郎


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「江戸冬景色、大奥と吉原を包む黄金の煙」


 【江戸・吉原「角海老かどえび」大座敷——夜】

 「……雪、ですか」

 吉原の筆頭花魁おいらん高尾たかおが、格子窓の外を流れる白い粒を見つめて呟いた。

 江戸を襲った異例の寒波。しんしんと冷え込む座敷では、並の炭では煙が立ち、花魁たちの喉を痛め、自慢の着物にすすの匂いがついてしまう。

「高尾太夫、そんな湿気た顔しなさんな。……今夜は、あっしが最高の『暖』を届けに来たんだから」

 座敷の隅で、孝四郎が不敵に笑いながら、肥後から運ばせた火鉢を差し出した。

 中に入っているのは、菊の花のような断面を持つ、肥後名産「菊炭」である。

「あら、ただの炭じゃありませんか。そんなもので、わっちの心まで温まるとお思い?」

「まあ、見てな。……お鶴ちゃん、頼むぜ」

 お鶴が静かに菊炭に火を入れる。

 驚くべきことに、煙が一切出ない。それどころか、クヌギの清々しい香りが座敷を満たし、花魁の繊細な鼻をくすぐった。

「……まあ。なんて清らかな火。それに、この香り……」

「仕上げはこれだ」

 孝四郎は、菊炭の安定した熱を利用して、霧島の茶葉を微かに炙り、さらに特製のチャバコをくゆらせた。

 菊炭の熱、お茶の香り、そしてチャバコの煙。三つの「香」が混ざり合い、吉原の最高級座敷は、一瞬にして仙界のような極上の空間へと変貌した。

「……これは、粋だわ。江戸の男たちが、こぞって霧島の煙を求める理由が分かりました」

 魅力91。孝四郎が優しく微笑むと、百戦錬磨の高尾太夫ですら、その頬を微かに赤らめた。

「太夫。この『菊炭とチャバコ』、吉原中の座敷で使ってみてくれ。代金は出世払いで構わねえ。……その代わり、遊びに来るお偉方や、大奥に出入りする呉服屋の耳に、こう囁いてほしいんだ」

「……なんて?」

「『霧島の煙を知らぬは、江戸の恥』……ってな」

 【江戸城・大奥——数日後】

 吉原で火がついた流行ブームは、またたく間に江戸城の「大奥」へと飛び火した。

「お聞きになりましたか? 霧島の殿様が持ち込んだ炭は、煙が出ず、御髪おぐしにお色が移らないとか」

「まあ、左様ですか。さらにはお茶の香りがする煙を嗜むのが、今、江戸で最も『粋』な遊びだそうでございますよ」

 情報の伝達速度は、インターネットさながら。

 御台所みだいどころをはじめとする大奥の女傑たちが、こぞって「霧島の防虫香と菊炭」を求め始めたのである。

 注文は殺到し、丸屋の店頭には連日、長蛇の列ができた。

「殿……! 千両箱が……千両箱が、屋敷の床を突き破りそうでございます!!」

 惣兵衛が、嬉しい悲鳴を上げながら帳面を叩く。借金返済のペースは、当初の予想を遥かに上回っていた。

 【江戸・炭問屋ギルドの秘密会合】

 だが、霧島藩の独走を、暗い目で見つめる者たちがいた。

「……おのれ、霧島の若造め。江戸の炭の相場を、たった一藩でぶち壊しおって」

 江戸の炭流通を一手に握る、炭問屋組合の総代が、苦々しく吐き捨てた。

 その隣には、失脚の淵から這い上がろうとする宮地紋太夫の姿があった。

「総代。霧島の菊炭は、肥後との同盟で成り立っております。……ならば、その『運搬ルート』を断てばよい。……冬の海は荒れます。霧島の船が、一隻も江戸に届かぬよう手配すれば、江戸の民は再び、お主たちの炭を買わざるを得なくなる」

「……ほう。宮地殿、それは妙案だ。……ついでに、あの生意気な殿様も、海の藻屑となってもらおうか」

 【霧島藩・江戸下屋敷——深夜】

 窓の外を見つめていた鷹之介が、鋭い気配を感じて刀を握った。

「……孝四郎。風向きが変わったぞ」

「ああ、知ってるよ」

 孝四郎は、新作の「大奥向け・桜風味チャバコ」を試作しながら、静かに笑った。

「……儲けすぎると、ハエが寄ってくる。職人の仕事は、そのハエを叩き落とすまでがセットだ」

 知謀75。孝四郎は、すでに炭問屋の動向を予測し、次なる「奇策」を練っていた。

 江戸を包む冬の嵐。

 霧島藩の命運をかけた、海上の物流戦争が幕を開けようとしていた。

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