「宿命の対決! 消えゆく煙と、武士の覚悟」
【江戸城・中路地——朝】
空は突き抜けるように青かったが、霧島藩の面々に、それを見上げる余裕はなかった。
登城を命じられた孝四郎の背後には、正装した鷹之介と、今にも倒れそうな惣兵衛が控えている。
案内されたのは、通常の対面所ではない。幕府の司法を司る「大目付」が居並ぶ、殺風景な板の間だった。
そこには、既に一人の男が平伏していた。
知覧藩家老・宮地紋太夫である。その白装束に近い着こなしは、彼が「切腹」を覚悟してここに臨んでいることを示していた。
「……霧島藩主、孝四郎殿。お主の不埒、もはや見過ごすことはできぬ」
大目付の声が、冷たく響く。
「知覧藩より、重大な訴えがあった。お主が『防虫香』と偽って売っている煙……あれには、人心を惑わし、幕府への忠誠を失わせる『禁断の薬草』が混ざっているという。……さらに、あの『青い火花』。あれは九州の不平士族へ送る、反乱の狼煙ではないか、との疑いがある」
「……狼煙、ですか」
孝四郎は、にやりと笑いそうになるのを堪えた。
宮地が、自らの命をチップにして、チャバコを「政治犯の道具」に仕立て上げたと直感した。
【江戸城・詮議の場】
「控えよ、霧島の若造!」
宮地が、床を叩いて叫んだ。
「私は、我が藩の誇りである茶を汚された恨みで申しているのではない。……お上の御代を乱す芽を、今のうちに摘み取らんがため! もし私の訴えに偽りあらば、今この場で腹を切って果てる覚悟にございます!」
宮地の狂気。それは「正義」という仮面を被った、執念そのものだった。
大目付が、孝四郎に冷たい視線を投げる。
「孝四郎。お主、弁明はあるか。……もし、その煙が清廉潔白であると証明できねば、霧島家は改易。お主と家臣一同、打ち首は免れぬぞ」
「打首」という言葉に、惣兵衛が白目を剥いて卒倒した。
鷹之介が、静かに刀の柄を握る。周囲には、すでに幕府の役人たちが槍を構えていた。
絶体絶命。
その時、広間の隅に控えていた一人の娘が、静かに立ち上がった。
「……恐れながら」
お鶴だった。
知覧藩の「お茶汲み」として宮地の傍らにいたはずの彼女が、深々と大目付に頭を下げた。
「宮地様のお言葉、偽りがございます」
「お、お鶴!? 貴様、何を……!」
宮地が驚愕に顔を歪める。
「私が……知覧のスパイとして、霧島の工房で見たものは、反乱の準備などではございません。……ただ、一枚の茎、一滴の茶を、いかに美味しく届けるかに命を懸ける、職人たちの姿でした」
お鶴は、懐から一包みのチャバコを取り出した。
「これは、私が宮地様に命じられ、霧島の秘伝を盗むふりをして……自分で作った、知覧茶と霧島タバコの結晶です。……もしこれが毒だと言うのなら、私が最初に、これを吸って死にましょう」
お鶴の、一途で曇りのない言葉が、場を支配した。
【対決の瞬間】
孝四郎は、ゆっくりとお鶴の隣に膝をついた。
「大目付の旦那。……宮地の旦那が死ぬ覚悟だってんなら、あっしも職人の意地を賭けようじゃねえか」
孝四郎は、お鶴の手からチャバコを受け取り、火をつけた。
「……禁断の薬草? 狼煙? そんなもん、この煙の中にゃあ一分も入ってねえよ。……入ってるのは、霧島の山に吹く風と、知覧の土の匂い。それだけだ」
孝四郎は、吸い込んだ煙を、真っ直ぐに大目付へと吹きかけた。
無礼千万。だが、その煙の香りは、あまりにも清らかで、あまりにも優しく、殺気立った広間を一瞬にして「静寂」へと変えた。
「……ほう」
大目付が、目を見開いた。
宮地が叫ぶ。
「騙されるな! それは術だ! 人心を惑わす術にございます!」
「術じゃねえ。……真心って言うんだよ、宮地の旦那」
孝四郎は、冷え切った宮地の瞳を、真っ直ぐに見据えた。
「あんたは、お茶を『権力』だと思ってる。あっしは、タバコを『楽しみ』だと思ってる。……その差が、この煙の匂いに出ちまったんだよ」
長い沈黙の後。
大目付は、ゆっくりと立ち上がった。
「……知覧家老、宮地。お主の訴え、退ける。……この煙に、幕府を覆すほどの邪気はない。……むしろ、近頃の殺伐とした江戸の空気を鎮める、良き香りと認める」
「……そ、そんな……」
「宮地。お主は『切腹の覚悟』と申したな。……だが、武士が職人の真心を汚そうとした罪、腹を切るだけでは済まぬ。……知覧藩、向こう三年の茶の売り上げ、その半分を霧島の借金返済に充てよ。……これが、お上の沙汰である」
最大の敵が、最大の「金主」に変わった瞬間だった。
【夕暮れ・江戸城の門を出て】
「殿……! 殿ぉおおお!!」
生き返った惣兵衛が、孝四郎の足にしがみついて号泣している。
「うるせえな、惣兵衛さん。鼻水がつく」
「……フン。危ういところだったな」
鷹之介が、ようやく刀から手を離し、ふいと顔を背けた。
孝四郎は、隣を歩くお鶴を見た。
「お鶴ちゃん。……知覧には、もう戻れないな」
「……はい。……でも、いいんです。私は、霧島の雲を見ているのが、一番好きですから」
お鶴が、初めて少女のような、屈託のない笑顔を見せた。
しかし、孝四郎の戦いはまだ終わらない。
借金返済の目処は立ったが、今度はその莫大な利益を巡り、九州の有力大名、そして幕府の「さらに上」にいる者たちが、牙を剥き始めていた。




