17 魔族シルバ軍とゼンディス 後編
一方、第一軍団長のシルバ率いるワーウルフたちは、ゼンディスがこじ開けた穴を突き進み、猛追撃を続けていた。
「どうやら、毒の武器は前衛に集中していたみたいだ。野郎ども、このまま駆け抜けて弓兵から狙うぞ!」
シルバが鋭い声を張り上げ、先頭を切って地を蹴る。
「「「「ウォォォォン!!」」」」
ワーウルフたちの雄たけびが重なり合い、戦場に響き渡った。その圧倒的な速さに、風さえも味方しているかのようだった。
しかし、人間側もただ黙って見ているわけではなかった。混乱のさなか、指揮官たちの怒鳴り声が飛ぶ。
「ワーウルフどもの好きにさせるな! はさみうちだ、左右から押しつぶせ!」
「やつらを閉じ込めろ! 絶対に先へ行かせるんじゃないぞ!」
必死に陣形を立て直そうとする兵士たちが、盾を並べてワーウルフの進路をふさごうとする。
銀色の毛並みが戦場を駆け抜け、それに応じるように人間の鋼の壁が迫る。一瞬の油断も許されない、激しい攻防が始まっていた。
人間側の最後方では、前線の喧騒を遠くに聞きながら、二人の男が静かに言葉を交わしていた。
「ここまできますかね、司令官」
問いかけたのは、軍服の上からでも育ちの良さが分かる、身なりのいい若い男――ポルタだった。
「うむ。このままの勢いなら、確実にここまで届くだろうな」
今回の戦いを指揮する壮年の司令官は、表情を変えずにうなずいた。
「暗殺も失敗に終わったようだしな……。致し方ない、退くぞ」
司令官の決断は早かった。しかし、ポルタは驚いたように身を乗り出す。
「えっ? まだ勝敗は決まっていませんよ。それでも引いてしまうんですか?」
「ワーウルフどもだけならまだやりようもあった。だが、あの伝説のアンデッド、ゼンディスが出てきては、こちらの手駒が足りなすぎる。今は被害を最小限に抑えることが最優先だ」
司令官はそこまで言うと、少しだけ声を和らげて付け加えた。
「帝国の若き才能、ポルタ殿。あなたには、この戦場はまだ早すぎる」
「……戦場では『様』付けはやめてほしいな。私はあなたの部下なんだし」
ポルタが少しむくれたように返すと、司令官はふっと口角を上げた。
「そうですな、そういうことにしておきましょう。ではポルタ殿、下がりますよ。撤退の合図を出します」
二人が移動を開始しようとしたその時、岩のようにがっしりとした体格の大柄な男、ベインがずいと前に出てきた。
「なーに、坊ちゃん、ここは俺に任せてくださいよ。無事に逃げられるよう、俺が時間を稼ぎます」
ベインは愛用の大盾をかかげ、不敵な笑みを浮かべる。
司令官はその広い背中を見つめ、短く告げた。
「……頼んだぞ、ベイン」
「ベイン殿、必ず無事で帰ってきてください。約束ですよ」
ポルタの切実な願いを背中で受け止めながら、ベインは豪快に笑ってみせた。
司令官とポルタは彼に後事を託し、迅速に後退を開始した。
ベインは改めて、残った自分の部隊を見回した。覚悟を決めた部下たちの顔には、悲壮感よりもむしろ、力強い闘志が宿っている。
「よぉーし、皆の者! ここでワーウルフどもを止めるぞ! 一匹残らず叩き伏せるぞ! 無事に帰ったあかつきには、最高の勝利の酒が待っているぞ!!」
「「「うおぉぉーー!!」」」
地を揺らすような、兵士たちの野太い叫びが戦場に響き渡った。
気合の入ったその怒号は、迫りくる獣の気配を押し返すほどの勢いがある。
ベインはさらに声を張り上げた。
「ひときわ体の大きい、あの銀色のワーウルフは俺が受け持つ! 他の者たちは、残りのワーウルフを死ぬ気で足止めしろ。いいな!」
その頃、シルバは戦場を風のように駆け抜け、ついに敵軍の最後方部隊へと到達した。
勢いよく踏み込み、土煙を上げて立ち止まる。
(ちっ、さっきまでいた司令官はもういねえのか。ああいうやつこそ、真っ先に始末しておきたかったんだがな……)
獲物を逃した不満を隠そうともせず、シルバは目の前に立ちはだかる大男を睨みつけた。大きな盾と、見るからに重そうな鈍器を構えた男――ベインだ。
「しんがりとは、また損な役回りだな。おっさん」
シルバが挑発するように言うと、ベインは不敵な笑みを返した。
「損なことなどあるものか。これほど光栄で、楽しい役目はないぞ」
「そうかい。無理やり残されたんなら、今のうちに逃げてもいいぜって言おうと思ったんだがな……」
シルバが肩をすくめると、ベインは一歩前へ踏み出し、重厚な盾を地面に叩きつけた。
「逃げるわけなかろう。俺は自ら望んで、ここに立っているのだからな」
シルバは鋭い声で命じた。
「野郎ども、この大男は俺が引き受ける! お前たちは他の人間を狙え!」
「「ウォォォォン!!」」
主人の言葉に応えるように、ワーウルフたちが一斉に散開し、手薄な箇所へと牙を剥く。
対するベインは、大盾を構え直して不敵に言い放った。
「ふん、別に何匹で来ても構わぬぞ。まとめて相手をしてやろう」
「けっ、ぬかせ!」
言い終わるが早いか、シルバの姿が掻き消えた。
次の瞬間には、シルバはベインの懐へと一気に踏み込んでいた。持ち前の俊敏さを活かし、右腕の鋭い爪を下からすくい上げるように振り抜く。
重い金属を断ち切らんとする、鋭く重い一撃だ。
だが、ベインはその初撃を完璧に読み切っていた。
「……甘いな」
その巨体、そして手にした大盾からは想像もつかないほど、ベインの動きは軽やかだった。
大盾を差し出し、シルバの爪が当たる瞬間にわずかに角度を変える。
真っ向から受けるのではなく、打点をずらしていなすことで、盾へのダメージを最小限に抑え込んだ。
ガキィィィィン!
激しい火花が散り、金属の擦れる嫌な音が周囲に響く。
「……器用なことをするんだな。その図体で」
シルバは着地しながら、忌々しそうに呟いた。
「戦場を生き抜くには、これくらいはたやすいことですな」
ベインは表情一つ変えず、再び鉄壁の構えをとった。
「へぇー、じゃあこれはどうだい!」
シルバは大きく後方へ跳躍して距離を取ると、強靭な脚にぐっと力を込めた。
その姿は、獲物を仕留める直前のしなやかなバネのようだった。
次の瞬間、彼は大地を爆発させるような勢いで、ベインの元へ一気に突っ込んだ。
「なっ……!?」
ベインの予想をはるかに上回る速度。
彼は必死に大盾を前に突き出し、さらに全身の体重を乗せて、その超高速の衝撃を正面から受け止めようとした。
ズドオォォォン!!
二人が激突した瞬間、目に見えるほどの衝撃波が周囲に広がり、足元の土が大きく巻き上がった。
ベインは何とかその場に踏みとどまったものの、衝撃をすべて殺し切ることはできなかった。大盾を支えていた左肩に凄まじい負荷がかかり、骨がきしむような鈍い痛みが走る。
「へえ、すげえな。今のをまともに受けて、まだ耐えられるのか」
シルバは着地し、驚きと感心の混じった声を上げた。
「……このくらい、まだまだ余裕ですな」
ベインは強がってそう返したが、その顔には苦痛の色がにじみ、額からはじわりと冷や汗が流れていた。
「よし、じゃあもう一段階上げるか」
シルバは再び大きく距離を取ると、ニヤリと牙を剥いた。
次の瞬間、空気を震わせるような凄まじい咆え声を上げる。
あまりの音圧に周囲の空気がビリビリと振動し、シルバの姿がゆらゆらと歪んでいるような錯覚さえ覚える。
気のせいか、彼の体が先ほどよりも一回りも二回りも大きく見えた。
「それじゃあ行くぜ、おっさん!」
シルバは短く告げると、地を蹴った。
それはもはや突進などという生ぬるいものではなく、超高速で飛来する巨大な鉄塊のような、圧倒的な重みのぶちかましだった。
迫りくる死を前にして、ベインの頭の中は驚くほど冷静だった。
(……どうやら、私はここまでのようだな)
脳裏に、先ほど見送った若い背中が浮かぶ。
ポルタ様……帝国の未来は、あとの者に託しましたよ。
シルバの放つ圧倒的な破壊力を前にしては、大盾を差し出したところで命はない。
ならば、せめて一太刀。ベインは盾を捨てる覚悟で、ありったけの力を右腕に込め、鈍器を振り下ろした。相打ち覚悟の、渾身の一撃だ。
しかし、現実は無情だった。
シルバの突撃はベインの反撃を力ずくでねじ伏せた。シルバの肩にかすり傷を負わせるのが精一杯で、ベインはその衝撃をまともに食らい、盾もろとも後方へ吹き飛ばされた。
ベインの体は何度も何度も地面を叩き、縦に横にと不規則に回転しながら転がっていく。
ようやくその動きが止まったとき、あたりには静寂が広がっていた。
そして、二度とベインが立ち上がることはなかった。
「ご苦労じゃったな」
戦いの余韻が残るなか、シルバの背後から、宙に浮いたどくろの仮面――ゼンディスが、メイドのシトリンを連れてゆっくりと近づいてきた。
「じじい!」
「……ふむ、そろそろ潮時じゃな。これ以上、無理に戦線を広げても維持はできまい」
ゼンディスは静かに戦場を見渡し、冷静に状況を判断した。
そして、シルバの肩に視線を止める。
「それに、お主も怪我をしておるようじゃしな」
「けっ、こんなもん、ただのかすり傷だ!」
シルバは鋭い牙を見せて吠えたが、ゼンディスはどこ吹く風で受け流した。
「シトリン、あれを貼ってやれ」
ゼンディスの指示に、そばにいたメイドが静かにうなずく。
「ん? なんだ?」
シルバが不審そうに眉をひそめた。シトリンは無表情のまま歩み寄ると、おもむろに右腕を高く振り上げた。
バチンッ!!
「いっ、ってぇぇ!! なにしやがる、この女っ!」
シルバの絶叫が響く。傷口には、冷たい感触の何かが力いっぱい叩きつけられていた。
「ゼンディス様がいたくお気に入りの『シップ』でございます。体に大変よろしいそうですよ」
シトリンは冷ややかな声で言い放ち、何事もなかったかのように手を払った。
「ふぉっふぉっふぉっ……」
愉快そうに笑うゼンディス、肩を押さえて怒り狂うシルバ、そして氷のような視線を送るメイド。
そんな奇妙なやり取りを最後に、今回の戦争は魔族側が大きく帝国領を飲み込む形で幕を閉じた。




