第70話 九という数字、今日という日
台所には見事なごちそうが並んでいた。山のようなタンドリーチキン。数多くの野菜スティック。そしてなぜか鶏の内臓を使った和風の鶏もつ煮のどんぶりが異彩を放っていた。
どこまでも鶏尽くし。つい『許婚』と自称しているかえでのさわやかで男女問わず惹きつけてやまない美貌の笑みが誠の脳裏に浮かんできてしまうものの、今日はカウラの誕生日なのだということで必死になってその妄想を脳から消し去ることに集中した。
「薫さん、凄いですね……一人でこんなに作るなんて……さすが主婦は侮れないわ。私が師匠に弟子入りした時は師匠は独身だったし姐さんは師匠の弟子には一人しかいなかったからこんな量は作ったことは無いもの。まあ、大師匠のところの男の弟子たちはあそこは大師匠のご家族と大師匠の弟子が毎日のように来るから、それはそれは大変な量の夕食を作ってたみたいだけど私には関係のない話だったしね」
満面の笑みでアメリアがそう言いながら大量のタンドリーチキンの乗った皿を両手に持った。誠は先ほどのかなめの言葉が気になったが追及するわけにも行かずに母から預けられた鶏もつ煮の入ったどんぶりをテーブルに運んだ。
そして肉まで運ばれてくると居間の雰囲気はすっかり素朴な感じのパーティーのそれに変わっていた。
「もういいかな?アイツを説得する?かなめさんは一体どんなことをするんだろう?」
誠の耳元で謎めいたことを言い残して消えたかなめの言葉が気になっていた。
「はいっ!スパークリングワイン係!誠ちゃんもそれくらいの役にはたってよね!ここには女子しかいないんだから!そう言うところではランちゃんじゃないけど『漢』を見せないと!そうしないと誠ちゃんは私のものにはならないんだから!まあ、今日だけはカウラちゃんに誠ちゃんを貸してあげる。でもランちゃんが誠ちゃんを『漢』と認めたときは即座に私がおいしくいただく予定だから!もうこれは決定事項なの!」
いつものように自己中心的な論理を展開してご機嫌なアメリアは手にしていたスパークリングワインを誠に渡した。あまりにも満足げな彼女の笑みにほだされてつい、誠はワインの栓の周りの銀紙を外す作業をはじめた。
「どう?誠ちゃん。タイミングよく抜くのよ。そのタイミングこそが命なんだから、スパークリングワインの。そのタイミングが間抜けだと何のための炭酸か意味が分からなくなっちゃうんだから!」
いかにも楽しそうな調子でアメリアは誠の作業を見つめている。
「そんなすぐには無理ですよ。それにタイミングったっていつですか?それにどうせ飲み物なんだから飲めればいいんじゃないですか?別にどんな栓の抜き方をしても関係無いような気がするんだけどなあ……」
恐る恐るスパークリングワインのコルクを緩めはじめた誠をアメリアが急かせた。
「おい、アメリア。いいか?準備できたか?ちゃんとタイミングを見たいんだ。これからがメインイベントなんだから」
廊下で後ろに何かを抑えているようなかなめの顔が飛び出していた。だがアメリアはかなめの言うことなど聞かずおっかなびっくり栓をひねっている誠を見つめていた。
「いいわよ……って。全く誠ちゃんは要領悪いわね!ここはゲルパルト生まれでスパークリングワインの本場の私がなんとかしないといけないみたいね!」
そう言うと恐る恐る栓を抜こうとしている誠からアメリアはスパークリングワインを奪い取った。彼女はそのまま勢い良く栓を引っ張った。
ぽんと栓が突然はじけた。栓はそのまま天井に当たって力なく床に転がった。
「まったく何やってんだよ……別に酒は酒だろ?それにアタシはそんなアルコール度の低い酒になんて興味ねえし。それより来いよ。ここまで来たら覚悟を決めろよ。軍人だろ?いつも神前に『度胸を決めろ』と説教しているオメエが今ここで度胸を決めなくってどうするんだよ!」
アメリアがワインを撒き散らす寸前でどうにか落ち着いたのを見計らうと、かなめが後ろの誰かに声をかけた。
「すまない……なんだか……似合わなくて……それにこれは度胸云々の話しではない……私自身の問題だ」
戸惑いながら響くカウラの声。誠がそちらに目をやると緑の髪の着飾った背筋を伸ばし、指先まで神経の通った『淑女』がそこに立っていた。
誠は言葉を失った。カウラは、そこに『別人』として立っていた。
アメリア、薫、そして誠の視線がもじもじしながら立っているカウラに向けられていた。
「綺麗……見違えるみたい……いつもの真面目人間もこんな風に変わる者なのね……」
アメリアがそう言うまでも無く誠も心のそこからカウラの美しさに惹かれていた。額と胸、そして腕には先日かなめが選んだルビーとエメラルドの装飾が飾られていた。着ているドレスは先日店で見た青地に豪華な刺繍の施されたドレスだった。
「凄いわね……まるでお姫様みたい。まあ、かなめさんと言う本当のお姫様がうちにはいらっしゃるんだけどね」
薫もうっとりとカウラの姿を見つめていた。いつもは活動的なポニーテールになっている後ろ髪が流れるようにドレスの開いた背中に広がっていた。
「まあ、こんくらいじゃないとアタシの上司って言うことで紹介するわけにはいかねえからな。これもみんなアタシの為だ。自分の為にならないプレゼント?そんなこっちの割に合わないような真似アタシがすると思ってたのか?アタシの上司になる条件はまずアタシのプレゼントが映えるだけの見栄えのする面の持主であること!これは最低条件!それ以外はアタシは上司と認めずに即座に射殺してアタシがそいつに取って代わる!」
得意げなかなめのラフな黒いタンクトップとジーパン姿が極めて浮いて見えた。
「かなめちゃん!どきなさい!」
カウラの姿に見とれるアメリアはかなめをどかしにかかった。
「なんだ?アメリア。今日の主役はこいつ!アタシの格好がどうだろうが関係ねえだろ?それにこれを買ったのはアタシだ!アタシが何処に居ようがオメエには関係ねえ!」
どかされたかなめは完全に喧嘩を売られたと判断してアメリアに食って掛かる。
「カウラちゃんが主役だから言ってんの!かなめちゃんは視界に入らないで!目が穢れるから!それに金持ち自慢と染みついたタバコのにおいが鼻に突くからできれば外でじっとしてて、邪魔にならないようにね!」
いつものようにかなめの扱いには慣れているアメリアはそう言ってかなめを追い払おうとする。
「なんだって?アメリア……そんなにアタシに殺してほしいのか?」
かなめがこぶしを作るのを見るとカウラはドレスが見せる効果か、ゆったりとした動きで握り締めたかなめの右手を抑えて見せた。
「止めろ、西園寺。貴様はいつもそうやって暴力ですべてを解決しようとする。それは悪い癖だぞ」
いつもの調子で言葉を紡ぐカウラに、かなめは突然顎をしゃくって大仰に構えた。
「そのような無骨な言葉を使うことは感心しませんわよ。もう少し穏やかな言葉を使ってくださいな」
かなめは作ったように上品に笑ってアメリアの隣の椅子を引いて静かに座った。
「かなめちゃん。ちょっといい?」
「どうぞ、おっしゃって頂戴」
「キモイ」
確かにあまりにも普段の暴力娘的な格好で上品な口調をするかなめには違和感があるのを誠も感じていた。
「……一回死ね!」
かなめはいつもの調子でそうつぶやくと再び穏やかな表情に戻った。
誠がぼんやりとその様子を見つめていると、にこやかに笑うかなめの視線が誠を捉えた。
「そこの下男の方。お姫様を席に案内してくださいな」
かなめは上品なモードで誠にそっと語り掛けた。
「下男?僕がですか?」
かなめの言葉にしばらく戸惑った後、仕方なく誠は椅子から立ち上がると隣の椅子を後ろに引いた。静かに慎重に歩くカウラ。そして彼女が椅子の前まで来たところで椅子を前に出した。カウラは静々と腰を下ろした。薫はいかにもうれしそうにその様を眺めていた。
「女芸人の下女さん。ワインがまだでしてよ。まったくグズなんですわね。役に立たない使用人を持つと主人としても困りますわ」
そこまで言ったところでアメリアのチョップがかなめの額に突き立った。
「ふ・ざ・け・る・の・はそのくらいにしなさいよ!」
結局かなめの後頭部に六回チョップした後、アメリアは言われるまでもないというようにワインを注いでいた。食事が揃い、酒が揃い、ケーキも揃った。
「なんなら歌でも歌う?ハッピーバースデー~とか言って」
「それは止めてくれ。恥ずかしくて死にそうになる」
アメリアの提案にカウラは真剣な表情で許しを請うた。アメリアとかなめはがっかりだと言う表情で目の前のワイングラスを見つめているカウラを凝視していた。
「それじゃあ!」
満面の笑みの薫が手にグラスを持った。それにあわせるように皆がグラスを掲げた。
「カウラさん、誕生日おめでとう!」
『おめでとう!』
薫の音頭で宴が始まった。一口ワインを口にしたかなめは、さすがにお嬢様ごっこは飽き飽きしたと言うようにいつもの調子で肉にかぶりついた。
「また下品な本性をさらけ出したわね」
アメリアはそう言いながらかなめが肉に夢中で乗ってこないとわかると、仕方がないというようにピザに手を伸ばした。
「そう言えばローソクとかは立てないんですか?」
誠のその言葉にカウラはものすごく複雑な表情を浮かべた。彼女は培養ポッドから出て今日で9年しか経っていないと言う事実が誠たちの頭にのしかかった。祝っていいはずなのに、数字だけが刃みたいに刺さった。
「なに?9本ろうそくを立てるの?それならランちゃんを呼んで来ないと駄目じゃない。見た目がそれくらいのランちゃんにならちょうどいい感じになるかも知れないけど」
ピザを咥えながらのアメリアはそう言い放った。しばらく誠はその意味を考えた。
「確かに見た目の年齢はそのくらいだからな。中佐は」
二口目のワインを飲みながらカウラはそう言った。次の瞬間にはかなめがむせ始め、手にした鶏の腿肉を皿に置くと低い声で笑い始めた。
「笑いすぎよ、かなめちゃん」
呆れた調子でアメリアは体を二つ折りにして声を殺して笑うかなめに声をかけた。
「馬鹿……思い出したじゃないか……あのちび……9歳だって……もう4億年は生きてるのに……」
カウラも呆れるほどかなめは徹底して笑い続けた。しかし、突然アメリアが腕から外してテレビの上に置いていた携帯端末が着信を告げた。
表示名を見て、全員の顔が同時に歪んだ。
それを見ると誠もカウラもかなめもアメリアも顔を見合わせて大笑いを始めた。




