第69話 台所は前夜祭
結局、タンドリーチキンを食べ損ねた誠はその代わりと言ってアメリアに渡されたみかんを手に、居間のコタツに入ってゆったりとテレビを眺めていた。番組はラグビーの試合が映されていた。理工系の大学で体育会は軒並み弱小だった誠はラグビーなどまるで縁がない話だが、なぜかアメリアはその番組を選んでちらちらと試合の流れを見ているようだった。
「もうすぐ来るはずなんだけど……」
アメリアは時計を気にしながら自分でも確保したみかんの皮を剥いていた。薫はレシピを片手に鶏肉の仕込みをしていた。カウラは薫の後姿を眺めているようで、台所を居間から覗き込めばそのエメラルドグリーンのポニーテールが動いているのが確認できた。
「みかんおいしいわね。ランちゃんをお世話してる御仁が選んだあれに引けを取らないくらいにおいしいわ」
そう言うとアメリアは一つ目のみかんの最後の袋を口に放り込んだ。
「そうでしょ?この前、うちの道場に来ている双子の小学生の男の子の親御さんが持ってきてくれたんだけど、本当においしくて……最高でしょ?」
得意げな薫の声が台所から聞こえた。
「宴会をするんだろ?……どこでやるんだ?」
台所にいてもすることが無いことに気づいたのか、カウラはようやく腕組みをしながら居間にやってきた。アメリアはコタツの真ん中に置かれたみかんの山から一つを手に取ると、そのままカウラの座る席の前に置いた。
「まだ少し待っててね。そちらにこっちのテーブルと椅子を運んでもらうから。こちらが一段落着いたらお願いするわね」
薫の声が響いた。そして今度はリズミカルに野菜を切るような音が響いてきた。まさに実家にいるような雰囲気を満喫する誠と完全に居候状態のカウラとアメリア。この奇妙な組み合わせに誠は苦笑いを浮かべた。
「こんな話は無粋なのはわかっているんだが……」
カウラが突然おずおずと口を開いた。不思議そうにそれをアメリアが見つめていた。
「突然、何?また仕事の話?いい加減仕事は忘れなさいよ。カウラちゃんの悪い癖よ仕事とパチンコの事が頭を離れないのは」
みかんを剥きながら話を始めようとしたカウラに、眉をひそめてアメリアが尋ねた。カウラの生真面目なところがこう言うときにも出てくることに、誠は笑顔で彼女を見つめた。
「そうですよ、カウラさん。今日はカウラさんの誕生日なんですから。すべてを忘れて楽しみましょうよ。これもきっといい思い出になりますから」
誠もそう言ってカウラに笑いかけた。
「確かにそれは分かっている。でも……気になるものは仕方ないんだ。これだけはたぶん『ラスト・バタリオン』であるとか関係なく普通に生まれた人間にもある性格と言うものなのかもしれない」
自信なさげにそう言うとカウラはアメリアの目を真剣な表情で見つめた。
「例の演操系の法術師……レストランで可哀そうな殺人犯人を仕立て上げた件はお前にも連絡が無いのか?そればかり頭の中をめぐってしまうんだ。それが解決すれば仕事の話はしばらく忘れられる。アメリア、教えてくれ」
みかんを剥き終えてカウラは今度は白い筋を取り始めた。アメリアは呆れ果てたと言う表情を一瞬浮かべた後、真面目な表情でカウラを見つめた。
「もし、私達に連絡が必要なような事実が出てきているのなら、私がここにいるわけ無いじゃないの。一応佐官なのよ。責任者として呼び出しがかかってもいいような心の準備はいつもしてるわよ。今のところ新しい情報は無いわね。あんな突然の一瞬の出来事。誠ちゃんが察知できたこと自体が奇跡に近い事なんだもの。すぐに分かるわけないじゃないの。これでいいでしょ?仕事の話は以上で終了」
そう言って剥いていた二つ目のみかんを袋ごとに分け始めた。
「そうだよな……仕事の話は忘れたい。でも一度引っかかったことはどうしても頭から離れないんだ」
カウラは悩みを打ち明けるカウンセリングを受ける患者のような表情でそう言った。
「なあに?そんなに仕事がしたいわけ?それじゃあカウラちゃんは一生戦闘用人造人間のままよ。培養液の中にいるのと今と、なんにも変わってないじゃないの。戦うことと子供を産むためだけに作られて、戦うだけ戦って兵士達のおもちゃにされて結果として子供を産んでそして死んでいく。それだけで良いの?カウラちゃんは?違うでしょ?あなたは『ラスト・バタリオン』の最終期型。旧型の私のたどったような運命をたどって欲しくないのよ、カウラちゃんには」
そう言ったアメリアの表情はいつも違って真剣なものだった。誠はその初めて見る悲しげで冷たいアメリアの表情にみかんを剥く手を思わず止めていた。
しかしそれも一瞬でいつものような能天気な笑顔がアメリアの顔に浮かんだ。
「今は楽しむこと。これは上官の命令。絶対の至上の命令よ。聞けないならランちゃんに告げ口するからね」
「何を告げ口するんだ?私は何も悪いことはしていない」
そう言ったカウラの口元には笑みが浮かんでいた。
「カウラちゃんが誠ちゃんと変なことをしたって……それこそ誠ちゃんが向かうべき『漢』への道を阻むようなことを」
その言葉に思わず誠は口の中のみかんを吹いた。
「変なことって……なんだ?」
カウラは理解できないというように首を傾げた。それを見ながら誠はようやく息を整えることが出来た。だが得意顔のアメリアと次第に不機嫌そうな顔つきになるカウラの間で実に微妙な立場になったものだと、自然と苦笑いが浮かぶのを止めることは出来なかった。
「そりゃあ、純情なランちゃんが真っ赤になるようなこと。そう言うことで良いかしら?」
アメリアの目が誠に向かった。あまりに唐突な話題に誠は目を白黒させるだけだった。
「まあ、誠は奥手だから……でも『許婚』が居る誠ですから。私はあまり変なことをするのは許しませんよ。かえでさんもたぶん許さないと思いますし」
台所の料理の下ごしらえが一段落したようで誠達の所に顔を出した薫はそう言って笑いかけた。
「かえでちゃんの興味があるのは誠ちゃんの童貞でしょ?それ以前の段階ならむしろかえでちゃんは喜ぶんじゃないかしら」
薫の言葉にアメリアはそう返した。話題の誠本人は話がまたあの明らかに変態なかえでの話が出てきたので苦笑いを浮かべるしかなかった。母親にまでそんなことを言われて誠は顔が赤くなるのを自分でも感じていた。
「私は所詮『ラスト・バタリオン』だ。例え軍を辞めてもその事実は変えられない。仕事熱心とか言う問題では無いんだ。それじゃあ西園寺はどうするんだ?もし貴様が軍を辞めたら何をするつもりか……政治家か?」
カウラの一言に誠もうつむいていた顔を上げた。
そこには先ほどいつの間にか姿を消したかなめが立っていて何かを手に持ってそれを誠たちから見せないようにしていた。
誠にはガサツで自分勝手で人の言うことを聞かないかなめが軍を辞めて父の跡を継いでドロドロした甲武の身分をめぐり醜く争う政治の世界に足を踏み入れる姿は想像がつかなかった。アメリアは天井を向いてしばらく考えていたが、ひらめいたと言うように手を打った。
「そりゃあ……私が小間使いとして雇ってあげるわよ。甲武の貴族は無職になると荘園や官位や爵位を取り上げられるから何かお仕事を探してあげなきゃいけないし……良いんじゃないの?小間使いで。時給は750円。千要の最低賃金で」
アメリアは面白そうにそう言って糸目をさらに細めてかなめを見つめる。
「誰が小間使いだ?それにアタシは軍を辞めることなんて考えてねえ。アタシにとっては軍人や警察官は天職だ。他の仕事なんて考えらんねえよ」
かなめが叫んだ。彼女は要人略取などを専門とする非正規部隊のサイボーグらしく戸口から何か重そうなものを誠達の視線から隠しながら、音も立てずにアメリアの背後に歩いてくる。
「え、じゃあ甲武の貴族って無職になると荘園を取り上げられて無収入になるんですか?」
誠はアメリアの甲武の貴族は無職になると荘園を失うことを聞かされて驚いてそう言った。
「そうよ、与えられた仕事もできないような無能な貴族は荘園を持つ資格はない。それが甲武の仕組み。まあ、枢密院と言う貴族の無能が他の仕事が務まらないから政治家をやっている場所があるけど、かなめちゃんのお父さんは枢密院廃止論者だからとても枢密院議員には成れそうにないわね。そうなると当然、かなめちゃんは無職になって収入の道が絶たれて好きなタバコも吸えなくなる……今からでも遅くはないわ、辞めない?うちの部隊」
アメリアはかなめに向けてそう言った。かなめは完全に無視を決め込み黙り込んでいた。
「ああ、かなめちゃん。いい加減反応しなさいよ!」
突然のことだというのにアメリアはまったく驚く様子も見せない。むしろかなめが後ろに立っていたのでからかってみたのだと開き直るような顔をしていた。
「誰が無職だ!アタシは軍人だ!他の仕事なんかできるか!小間使い?なんでアタシがそんなことしなきゃなんねえんだ!アタシは『戦う女』だ!戦いの無いところに人生はねえ!だからこの『特殊な部隊』の隊員なんだ!」
そこまで言ったところでかなめが不意に口ごもった。カウラも薫も黙って仁王立ちしているかなめを見つめていた。次第にかなめの顔が赤く染まった。
「でも、小間使いもいいものよ。かなめちゃんが誠ちゃんのお世話ができるんだからいいじゃないの。パンツを変えたりとか、下の世話をしたりとか……ああ、それはかえでちゃんのしたいことだったわね」
「うるせえ!そこになんであの変態マゾヒスト露出狂のかえでの話が出て来るんだ?オメエはそんなに死にたいか?今すぐ地獄に送ってやろうか?良いんだぞ……アタシとしては大歓迎だ」
真っ赤な顔をしてかなめはアメリアの襟首をつかんで持ち上げた。首が絞まっているわけではないのでアメリアはニヤニヤしながらかなめの顔を見つめていた。
「それより何?それ」
驚きも恐れもしない肝の据わったアメリアに言われて、ようやくかなめは我に返る。そしてすぐ持ち上げていたアメリアから手を離した。
「なんだと思う?」
かなめはそのまま重そうなアタッシュケースを隠しながら笑顔を浮かべた。
「なんだって……わからないから聞いてるんじゃない」
アメリアはつれなくそう言うとそのまま服の襟元を直してコタツに戻ろうとした。
「少しは気にしろよ!」
「やだ。気にしたくない」
かなめの叫びがむなしく響くだけだった。アメリアは見向きもせずにみかんに手を伸ばした。
「アメリア。聞いてやるくらいはいいだろ?」
「そうよ、かわいそうよ」
カウラと薫の言葉がさらに重くかなめにのしかかっているようで、そのままかなめは静かにアタッシュケースを持って歩いていった。
「アメリアさん。聞いてほしいみたいですから……」
「あのねえ」
顔を上げて誠達を見つめるアメリアがみかんを横にどけた。正座をして一度長い紺色の髪を両脇に流した後、真剣な瞳で誠を見つめてきた。
「そうやってかまってやるからつけあがるのよ。かなめちゃんは!」
「確かにそうですけど……」
「なんだ?アタシはサラか?いつからそんなポジションに……」
「黙らっしゃい!」
アメリアの気合の一言に文句を言おうとしたかなめが引き下がった。
「たまには冷たくあしらうくらいのほうがいいのよ。つまらないことは無視!真面目な話だけ……」
「いや、それはお前の方に当てはまる話だろ?」
ここまでアメリアの話を聞いてカウラは呆れながら応えた。それをみてアメリアはショックを受けたように大げさにのけぞった。
「え?みんなそう思ってたの?」
「今頃気づいたのか?」
カウラの言葉にアメリアは大きくうなずいた。誠はそれがかなめを挑発するためのポーズだとわかって、なんとも困ったような笑顔が浮かんできた。そんな様子にかなめは明らかに不満を込めて舌打ちをした。
「ああ、そうだ。ここにこれを持って来た理由はカウラ、オメエだ。ちょっと顔貸せ」
一瞬の沈黙をついてようやくいつもの調子に戻ったかなめが、部屋の入り口で半身を出したままカウラを呼び寄せた。
「何のつもりだ?私はこうしてのんびりと誕生日のごちそうを待つという時間を楽しんでいるんだ。貴様の言うことを聞く必要を感じてはいない」
近づいてきて肩に手を伸ばしたかなめにカウラは迷惑そうな顔を向けた。
しかしかなめはそんな迷惑そうなカウラの視線など無視して立ち上がりかけたカウラの手を引いた。
「ああ、薫さん。しばらくこいつを借りますから」
そう言うとかなめはそのまま三人が泊まっている客間へとカウラを連れて行った。きっとガンショーか何かで見つけた最新式の銃器の発注をどうするかと言ったところを、小火器担当の整備士官あたりと連絡を取って話し合う。そんなことを誠は想像していた。
「西園寺さん……また銃関係の話でもするんですかね。あの二人の共通の話題って仕事と銃くらいじゃないですか」
誠は落ち着いて再びコタツに座りなおすと、食べかけのみかんに取り掛かった。再びだらけたモードに落ち着いたアメリアもみかんに取り掛かっていた。
「それ以外にもあるものなのよ。お互いの肉体で愛を確かめ合うとか……ああ、これもかえでちゃんの十八番だったわね」
アメリアは知っているけど絶対に誠には話さないという態度でそんな冗談を言った。
「なに言ってるんですか……それに最近は日野少佐はそんなにおかしいことは行動では見せなくなりましたよ。確かに頭の中までは確認したわけではないので、非番の日に何をしてるかまでは知りませんが」
アメリアらしい百合な発想に呆れ果てながら、誠はみかんを口に放り込んだ。薫もテレビのラグビーの試合に飽きたようでそのまま台所へと帰っていった。
「本当に鈍いのね誠ちゃんは。あの二人が今日することと言ったら一つしか無いのが分からないのかしら?」
アメリアは誠にだけ聞こえる声でつぶやいた。誠にはしばらくその意味がわからず首をひねりながらアメリアを見つめていた。
「わからないの?」
「何がですか?」
誠の解答が相当不満だったようで、アメリアは大きくため息をつくとみかんの袋を口に運んだ。
「アメリアさん、誠。机を運ぶの手伝ってほしいんだけど」
「鈍い誠ちゃんには何を言っても無駄みたいね。行くわよ、誠ちゃん」
薫の言葉にアメリアは気分を切り替えたと言うように立ち上がった。誠も先ほどのアメリアの発言に納得がいかないまま後ろ髪を引かれるようにコタツの中から足を引き抜いた。
コタツを廊下に運び、台所のテーブルと椅子を居間に運ぶ。
そこで景気よく呼び鈴が鳴る。
「誠!お願い!出てちょうだい!」
母の薫に言われて誠が渋々少し寒い玄関に走った。
「ピザロマーナです!シーフードとチキンのL、お持ちしました!」
大学生くらいの配達員がそう言ってピザの入った薄い箱を誠に差し出した。
「はい……カードで……」
ピザの配達は予想していたので誠はズボンのポケットに入れていたカードを差し出した。
「ありがとうございます!」
立ち去る配達員を見ながら誠はピザの入った箱を手に茶の間に戻った。冬の夕方の日差しは黄色く、部屋の中に満ちた。
「母さん!ピザはどうするの!」
「刺身用の大皿があるでしょ!戸棚の一番上!それにお願い!」
母の言葉を聞いて誠がピザを載せる鯛の姿づくりが丸ごと乗る刺身用の大皿をお勝手の戸棚から取り出すと箱から出したピザを移した。
またそこで呼び鈴が鳴った。
「誠ちゃんはそのままで!」
今度はアメリアが玄関に走った。
『バースデーケーキ……宅配で頼んでたんだ、西園寺さん』
誠はそう思いながらピザを載せた皿を茶の間のテーブルの上に置いた。
「チョコのネームプレートはカウラちゃんに食べてもらいましょう」
わざわざアメリアがそう言った。実は辛党で通っているかなめが、チョコレートだけは別腹だということは誠も知っていた。それを薫に伝えたかったのだろうと思うと誠は苦笑いを浮かべた。台所からはタンドリーチキンの焼ける香りが漂った。だが、そんな下準備が済んだというのに客間のかなめとカウラは出てくる様子が無かった。
「アメリアさん……」
テーブルにケーキを設置した。さらに昨日いつの間にかかなめが運び込んだ数本の地球産の輸入物のワインのボトルを誠は並べた。それを眺めているアメリアに誠が声をかけた。
「ああ、あの二人ね。それはそれは深い愛に目覚めちゃって……」
相変わらずアメリアはどうしても二人に百合な世界に行って欲しいらしく同じことばかり繰り返すので誠は半分呆れていた。
「冗談は良いんですよ。もうすぐ始められるじゃないですか。呼んできたほうが良いんじゃないですか?」
誠の言葉にアメリアは一瞬目が点になった。そしてまじまじと誠を見つめてきた。
「誠ちゃん。本気で言ってるの?鈍いのもここまで行くと芸術品ね。だから年齢=彼女いない歴なのよ」
ここでようやくアメリアは真顔で誠に向けて厳しい口調でそう言った。誠はどうせ何を言っても百倍にしてアメリア得意の誠いじりが始まるだけだと反論しかけて、飲み込んだ。
「あの二人がアメリアさんの望む展開になっているとは思えないんですけど」
こちらも負けてたまるかと、誠もじっとアメリアを見つめた。
「何、二人で馬鹿なことやってんだよ」
客間に向かう廊下からかなめが顔を出した。いつものように黒いタンクトップにダメージジーンズ。先ほど出て行ったときと変わった様子は無かった。アタッシュケースは客間に置いてきたらしく、かなめは手ぶらだった。
「カウラちゃんは?」
アメリアは明らかにかなめ達が何をしていたのか知っていたようにかなめに尋ねた。
「あいつの説得には骨が折れたぜ。こいつに二回も恥ずかしい格好を見せたくないとか抜かしやがって……」
「二回?恥ずかしい?」
誠は『二回』の意味が分からないまま、妙に胸がざわついた。
「お肉焼けたわよ!手伝って!」
薫の声で三人は立ち上がった。そわそわしながら台所に行くと、そこにはそれぞれの皿に大盛りのタンドリーチキンが並んでいた。




