第68話 スパイスの湯気と秘密
「でもなんだかアタシ等が出ていくときに見てたけど、オメエの母ちゃんは張り切ってるみたいだったな。かえでの伝で何とか地鶏とか言う鶏肉がたくさん送られてきたのを見てすっかりやる気になってさあ。邪魔しようとするこいつを台所から追い出して何か特別なものを作るみてえだったぞ」
先程まで邪魔者に苛立っていたかなめはすっかり機嫌を直してニヤニヤ笑っていた。その言葉にアメリアは不本意だと言うように頬を膨らませた。
「なによ、その顔。私が薫さんの足を引っ張るとでも言いたいの?私はどんな場所でも役に立つ女なの!かなめちゃんみたいに家事能力ゼロとは違うのよ!」
誠は、アメリアが『本気で普通にやれば役に立つ』こと自体は認めている。しかし、いつも余計な考えで変なことをするのでいつもおかしなことばかり起きているということにアメリアがまるで反省していない事実をここで改めて思い知った。
「誰が家事能力ゼロだ!それを言うならカウラもそうじゃねえか!それにオメエの場合自分の思い付きで変なことばっかりするからそのせいで余計仕事を増やすんだから邪魔以上の存在じゃねえか!」
にらみ合うアメリアとかなめ。いつものこととはいえ、原因が母親なだけに誠は下手に突っ込むわけにもいかず黙り込んだ。
「それに……カウラ。耳を貸せ。今日のパーティーの趣向を教えてやる」
かなめはそう言うとカウラを抱き込んで耳元に何かささやいていた。
「二人ともなに?悪巧みか何か?また私だけ仲間外れ。いいもんね、誠ちゃん。二人を置いて先に帰りましょう」
いつの間にか到着していた地下鉄の階段の前でアメリアは誠の手を取って走り出した。
「馬鹿!置いていくんじゃねえ!切符買え!切符!」
そのまま誠を連れて改札に飛び込もうとするアメリアをかなめが呼び止めた。
「そうね、切符を買わなきゃね。それにしてもかなめちゃん。さっきカウラちゃんに何を吹き込んでたの?」
自分の財布をジャンバーのポケットから出しながらアメリアは興味深そうにかなめに尋ねた。
「まあ気にするなって。お楽しみだよ。きっとオメエ等も気に入る奴だ。効果は保証済みだ!」
そう言うとかなめは切符を自動販売機で買って改札に向った。
「かなめちゃんも秘密主義。さすが隊長をはじめ西園寺家の人間は秘密が多くて困ったものだわ」
アメリアはかなめについていくカウラの後ろに続いてそのまま改札を通った。誠もまた、三人のやり取りを見ながらカウラとの二人の時間からいつものにぎやかな時間に引き戻されたことを自覚しながら改札を通って地下鉄の階段を降りていった。
道場に戻ると、香ばしい香りが四人を包んだ。
「この香りは……タンドリーチキンかな。なんかエスニックですね?でも、なんで母さんがタンドリーチキンの作り方なんか知ってるんだろう?ネットで調べたのかな?」
プレゼントの話を思い出してそう言った誠に、呆れ果てたという顔をしたのはかなめだった。
「イエス・キリスト……イスラム風に言うとイーサ―も一応イスラム教の預言者の一人なのも知らねえのかよ。まったく教養のねえ庶民はこれだから困るぜ。あと、タンドリーチキンのレシピはおそらく叔父貴経由だな。以前、うちに西モスレムのエースだった隊員がカウラの前任の第一小隊の小隊長としてうちに所属していたんだ。その時に料理の作り方を色々島田達寮の野郎共に教えていた。うちの寮のカレー。あれもその人が教えてくれたんだぜ。だから下手な店で食うよりうちの寮のカレーの方が旨いんだ。その影響がここに出てきたわけだ」
かなめは寮ではよく出るメニューであるタンドリーチキンが本当に大好きだった。誠もあのやわらかくも香ばしい不思議な食感にはいつも感心させられていたのを思い出した。
「それはいいけど、なんでカウラちゃんはさっきからにやけてるの?」
アメリアの言葉で誠も一人遅れて歩いているカウラに目を向けた。全員の視線が集中すると、それまで浮かれた顔をしていたカウラは急に恥ずかしそうにうつむいた。
「あんまり苛めるなよな。なんと言っても今日の主役はこいつなんだから。それとカウラ、主役様は主役様らしく堂々としてろ。いつもの隊に居る時のオメエの方が今のオメエよりも堂々としてるぞ。そのくらいの気概を持て」
機嫌良くかなめはそう言うとカウラの背中を叩いた。それにカウラは我を取り戻して苦笑いを浮かべた。
「お帰りなさい!」
引き戸の音が聞こえたのか、薫のはきはきとした声が家中に響いた。
「ただいま」
ばつが悪そうに誠が言うのを、かなめは薄ら笑いを浮かべながら見つめていた。先日の蟹を入れてあった箱がまだ玄関に置き去りにされていた。それを見て苦笑いを浮かべながら誠は台所を目指して歩いた。
「まあ、皆さん一緒で。誠、昼はどうしたの?」
薫はエプロン姿の笑顔を浮かべていた。誠は頭を掻きながら渋々口を開いた。
「子供じゃないんだから。食べたよ、蕎麦」
誠の照れた表情に笑顔で返す薫はそのままオーブンの中からこんがりと焼けた鶏肉を取り出した。
「おーう」
そう唸ったのは予想通りかなめだった。
「これは先に焼いてみたの。ちょっとした実験よ。ヨーグルトベースの汁につける時間が短かったからそんなにやわらかくなってないと思うけど……」
自信なさげにそう言う薫にかなめは嬉しそうに頷いて見せた。
「薫さん!早速味見で食べていいですか?」
かなめはそう言うと薫が頷くのも待たずに一切れを手に持った。香りを味わい、そしてゆっくりと手を伸ばそうとした。
「西園寺。手は洗ったほうがいいぞ」
カウラはそう言ってそのまま立ち去った。かなめはしばらくそちらを見つめた後、後ろ髪引かれながら肉を置いてそのまま台所の流し台に向かった。
「かなめちゃん。そのままうがいを……」
「うるせえ!オメエはアタシのお袋か!口をはさむんじゃねえ!」
アメリアの言葉にかなめはキレて怒鳴りつけた。手を洗い急いで戻ってくるとかなめは再び鶏肉を手に持ってそれにかぶりついた。
「旨い!」
そう一言叫んだ後、かなめはひたすら肉に集中して食べ続けた。
「あのー、どう?」
薫はあまりに見事なかなめの食べっぷりに呆れながらそう尋ねた。
「お母様無駄ですわよ。西園寺様はもうお肉のとりこになられて……」
ふざけて気取ったときにかなめが口にするような丁寧な言葉を発したアメリアを、かなめは口に肉をくわえたまま蹴飛ばした。
「ふざけているんじゃない!神前。手を洗ったほうがいいぞ」
そう言うカウラの視線も肉の塊に向いていることに誠は気づいていた。彼女もやはり食べてみたいようなので自然に誠の表情も驚きから喜びに変わった。
「私はいらないからさっさと手を洗ってくれば?」
アメリアにまで気を使われたら誠も断るわけには行かなかった。そのまま廊下をひとたび玄関のほうに向かうと手前のドアを開いて洗面所に入った。
『うめー!』
『それはよかったわ!今他の肉は仕込みの最中だから。手伝ってもらうときは声をかけるわね』
かなめの叫び声と、母のたしなめるような言葉が響いてくる中誠は手を洗っていた。
「まーこーとちゃん!」
そう言ってアメリアが後頭部にチョップしてきた。誠は驚いて振り向いた。
「何するんですか?」
「失礼ね!私も手を洗いに来たのよ」
「食べないんじゃなかったんですか?」
誠は態度を変えて見せたアメリアに声をかけた。
「うるさいわね!気が変わったのよ!いいでしょ?別に」
そう言うと手ぬぐいを手に取っている誠を押しのけるようにしてアメリアは手を洗う。そんないつものように気まぐれなアメリアに気づかないうちに笑顔が浮かんで来ているのが分かった。
「でも……カウラちゃんは幸せものよね。産まれたことをこんなに歓迎してくれる人がいるなんて。私なんてアステロイドベルトで私を弄んで私に子供まで産ませたアイツ等にとっては人間扱いどころか単なるおもちゃ以下の存在だった。……思い出しただけで嫌な気分になるわ」
アメリアは急にしんみりした調子でつぶやいた。誠は突然の変化に対応できずに立ち尽くしてしまった。
アメリアは抵抗活動を続けるネオナチの施設でロールアウトした。そこで待っていたのは戦闘と男達による凌辱の日々だった。そこに歓迎と言うようなものは存在しなかった。そのことを知っている誠はただ黙り込んで静かにっているアメリアを見つめていた。
「幸せ……なのかな、私は。アメリアほどの不幸ではない。それは確かだ。でも、幸せだって実感はない。……それでも、これを幸福と呼ぶのなら……私は幸福なんだろう」
戸惑ったようなカウラの言葉にいつもの明るいアメリアではなかった。何かひどく暗い表情。誠はしまったと思いながらうなだれた。誠は『大丈夫ですか』の一言すら、軽すぎる気がして言えなかった。
「まあそんなことどうでもいいじゃないの。それよりお肉なくなっちゃうわよ」
そう言うと暗い影を吹き消すために顔を上げていつもの調子に戻ったアメリアは手早く手を拭ってそのまま台所に向かった。
「ちょっと!それ!」
洗面所を出たとたんにアメリアの叫び声が響いた。頭を掻きながら台所に顔を出した誠の前に、誠の方をタレ目でちらちら見ながら猛然と肉にかぶりつくかなめの姿があった。
「早い者勝ち……まあどうしてもと言うなら食いかけのこれを」
すぐにかなめの後頭部をはたいたのはカウラだった。アメリアはいつものかなめに対する突っ込みを先にカウラにやられて少しばかり驚いたような表情を浮かべていた。カウラもなぜそんなことをしたのかと言うようにきょとんと立ち尽くしていた。
「皆さんには好評みたいだから。誠と皆さんのはあとでね」
そう言うと薫は流し台の隣の大きな袋に詰められた鶏肉に向かった。母のそんな姿と肉にがっついているかなめとアメリアを苦笑いを浮かべながら見つめる誠だった。
「おい、そういえば例のプレゼントは?」
早くも二本目の鳥の腿を食べ終わったかなめが思い出したようにそう言った。誠はにんまりと笑みを浮かべた。自分でもそれが自信に満ちているのを感じていた。
「当然もう出来てますよ。ちゃんとプレゼント用に包装もしましたし」
「え?事前に見せてくれないの?」
アメリアの好奇心むき出しの言葉に誠は照れ笑いを浮かべた。そんな彼を楽しそうに見つめながらカウラはかなめが残した最後の肉をむさぼった。
「事前に見せたらまた色々突っ込みを入れるでしょ?特にアメリアさんに見せるとろくなこと言わないんだから」
アメリアが余計な口出しをしてくるのが嫌だったので誠は思わずそう口走った。
「ツッコミじゃないわよ!アドバイス。純粋に観賞する者としての要望を述べているだけよ」
ワイルドに間接の軟骨を食いちぎりながらアメリアはそう言って笑った。
「まあいいか」
そう少しさびしそうに言うと、食べ終わったかなめが肉をタレとなじませる為に肉の入った袋を揉んでいる薫の隣の流し台で手を洗った。
「そんなところで作業の邪魔をして……」
「いいだろ?きれいになったんだから。それと神前、アタシはこれからちょっと用があるから……サプライズの段取りというものを教えてやる」
そう言ってかなめはそのまま台所を出て行った。
「まったく勝手ばかり言って……」
そう言いつつ、かなめの完全に骨以外残さずに食べた鳥の腿肉を参考に、アメリアは軟骨を食いちぎり続ける。カウラはそんなアメリアとただ立って笑顔を浮かべているだけの誠を見ながら、満足そうに手に握っている腿に付いた肉を食べていた。
「そう言えばアメリアさん。ケーキとかピザとかはどうしたんですか?」
骨を咥えているアメリアに誠は声をかけた。アメリアは静かに口から骨を出して、そのまま待ってましたというような笑みを浮かべた。
「私のやることに抜かりがあるわけないでしょ?ケーキはかなめちゃんがそれなりの店に頼んであるし、ピザも当然、手配済み。もうすぐ配達の人が来る手はずになっているわ」
「じゃあ何で西園寺は……」
カウラは引き戸を開けて出て行ったかなめの後姿を見るように廊下に身を乗り出した。
「さあ?私は知らないわよ。それにしてもこんなにお肉があるなんて。まだ焼くみたいだからすごい量になるわよ……ピザちょっと頼みすぎたかしら?」
そう言うとアメリアは手にした骨を、かなめがきれいに食べつくした鶏肉の骨の上に並べた。




