第66話 戻ってきたい道
「神前!急にどうしたんだ?それにそんなに急いでどうするんだ?あの監督とは電話では話をしているらしいが直接会うのは久しぶりなんだろ?バッテリーだったら……しかもあの役立たずの大野とは違って貴様の得意のフォークも取れる技量の持主だったという話じゃないか。もっと話すことくらいあるんじゃないのか?別に私の事なんか気にする必要はないんだが」
早足で裏門から出た誠はそのまま駅の反対側に向かってそのまま歩いた。後ろから先ほどの後輩達がランニングシューズに履き替えたらしく元気に走って二人を抜いていった。
その様子を見てカウラは納得したような顔で誠に目を向けた。
「そうか……神前は隊ではいつもクバルカ中佐に言われて毎日20キロも走っているからな。あんな狭いグラウンドよりもこうしてランニングをしている時間の方が長かったわけだ。つまりここが神前の思い出の地と言うことなのか……貴様にとっては狭いグラウンドよりもランニングコースの方に思い入れがある……そう言いたいわけなんだな」
細い路地に消えていくユニフォーム姿の誠の後輩たちの背中を見送りながらカウラはうれしそうに誠を見上げた。カウラは本気で喜んでいた。
でも誠は、別の理由で足を速めた。
鶴橋に弄られるのが嫌だったのだ。……アメリアに弄られるのと同じ種類の、胃が縮むやつである。
もちろん、そんな理由は言えるはずがない。
「その神前の強靭な足腰を作り上げたランニングコースなんかの思い出を教えてくれるんだな。神前は走るのが好きだから。私にとってはそんな貴様の気遣いはとてもうれしいぞ」
そんな誠の本音を知らないカウラの表情は初めて見る歓喜の色を帯びていた。正直なところ本当の理由は鶴橋の化け物記憶力自慢のプロ野球選手背番号当てクイズに付き合うのが嫌だったからだとは言えなかった。そのあたりはまだ自分でも成長が足りないと誠は思わず苦笑した。
「ええ……まあ、そんなところです。グラウンドがあんなに狭いんで練習になるほどの部員が集まらないときとか昔もよく走りました。当時は辛かったですが、今となってはこのランニングが今の僕を作ったんですね。今でもクバルカ中佐のしごきに耐えられるのはこのランニングなのかなあなんて思っています。大学時代も僕があまりに長距離が速いんで函根駅伝の予選会に出ないかということでメンバーを集めようなんて動きが有ったらしいんです。なんでも、大学の陸上部の部長が僕の20キロ走のタイムを見『出てみないか』って話が一瞬だけ出たんです。でも結局、うちの大学じゃメンバーが揃わなくて流れました」
納得した表情のカウラに言われてそのとおりと言うことにしておくことに決めて、ようやく誠の足は普通の歩く速度に落ち着いた。
常緑樹の街路樹が続いていた。両脇に広がる都営団地に子供達の笑い声が響いていた。カウラは安心したと言うように誠のそばについて歩いていた。
「この先に結構大きな川があって、そこの堤防の上を国鉄と東成線の線路の間を三往復してから帰るんですよ。二往復目からは結構息が切れて、三往復目になると、もう足がだんだん張ってきて……結構大変でした」
誠はそう言いながら昔を思い出した。考えればいつもそう言うランニングだけは高校時代から続けてきたことが思い出された。現在もランが嵯峨にこれ以上誠を走らせると壊れると言うことで距離は短くなったものの、勤務時には8キロ前後のランニングを課せられており、誠の生活の軸であるランニングは昔と特に変わることは無い。
「そうなのか。貴様でもそんなに辛かったのか。それなら私などとても無理そうだな」
しばらく考えた後カウラは納得したようにうなずいた。そしてそんな二人の前に大きな土の壁が目に入ってきた。
「あれがその目印となる堤防か?あそこまで走るのか……障害物が無いから近く見えるが結構な距離だぞ、あそこまでは」
カウラが興味深そうに目の前の枯れた雑草が山になったような土手を指差した。誠はうなづくとなぜか走り出したい気分になっていた。
「それじゃああそこまで競争しましょう!隊でのランニングに比べたら大したことは無いですよ!」
元々こう言うことを積極的に言い出すことの少ない誠の言葉にうれしそうにうなずいたカウラが走り出した。すぐに誠も続いた。
およそ百メートルくらいだろう。追い上げようとした誠が少し体勢を崩したこともあり、カウラがすばやく土手を駆け上がっていくのが見えた。
カウラは堤防のてっぺんまでたどり着くとその目の前に広がる光景に目を奪われた様に立ち止まった。
「これが……お前の見てきた景色か……こういう景色があると言うのは羨ましいな。私には思い出を持つほどの時間がこれまでなかった。本当に羨ましい!」
息も切らさずに向こうを見つめているカウラに誠は追いついた。そしてその目の前には東都の下町の姿があった。あまり立派とは言えない狭苦しい木造家屋の群れの中にこれも古そうなアパートが並ぶ光景はあの甲武国屈指の貴族であるかなめやかえでから言わせると『貧民街』とまで言われるかもしれないと思って誠は苦笑いを浮かべた。
そんなあまり自慢できない住宅の間にはガスタンクや銭湯の煙突など。おそらく他の惑星系では見ることの出来ない化石エネルギーに依存する割合の高い東和らしい建物が見えた。そしてその周りにはこのところの好景気による地上げで新しく建ったどこかこの地にはふさわしくないように見える立派過ぎる高層マンションと小さな古い民家が混在している奇妙な景色が広がっていた。
「まあ、こうしてみると懐かしいですね。たった六年前の話だと言うのに、もうずいぶん前の事のように感じます」
誠は思わずそう口にしていた。『特殊な部隊』に入ってからの充実した日々が時の流れを変えて一気に自分の思い出を遠くの方に運んでしまっていた。それが誠の今の実感だった。
「懐かしい……か。いつかは私もそう言う気持ちになるのかもしれないな。貴様が来てからのこの半年……もう私の中では懐かしいという思い出になりつつある……これが生きるということなんだな。もしかしたら貴様が来るまでは私は本当の意味では生きているとは言えなかったのかもしれない……これまでパチンコしか生きる意味が見いだせなかった私に貴様が私に生きる意味をくれた……そう思う意味では私は貴様に感謝すべきなんだろうな」
カウラの表情が曇った。彼女は姿こそ大人の女性だがその背後には8年と言う実感しか存在しない。彼女は生まれたときから今の姿。軍人としての知識と感情を刷り込まれて今まで生きてきた。誠のように子供時代から記憶を続けて今に至るわけではない。それでも彼女が誠が来てから日常が変わって来たという言葉に勇気が湧いてくるような気がしていた。
誠は言葉が出なかった。
だから、謝るしかなかった。
「すいません。カウラさんの身の上を考えて無い発言でした」
「何で謝ることがある。貴様は何も悪い事は言ってないぞ。それでも貴様が気にするのならまあいいか……確かに以前の私ならこんなに物事を曖昧に済ませることはしなかったかもしれないな。そのことでよく西園寺やアメリアとは喧嘩になってその度にクバルカ中佐から説教を食らったものだ……その点でも貴様には感謝しないといけないのかもしれないな」
そう言うとカウラはうれしそうに思い切り両手を挙げて伸びをした。
「それにしても素敵な景色だな。豊川の町並みも好きだが、この街並みも好きになれそうだ……私がロールアウトした埼王県の能谷市と言うところはあまり豊川と変わらない。個性のない何処にでもあるような街だ。でも神前の生まれた町はまるで違うんだな。どこか人の匂いがする街だ。こういうのも悪くない。東都でありながらどこか東都らしくない……この前、西園寺に連れていかれた銀座の街はいかにも東都と言う雰囲気だったが、私には息苦しくて仕方がなかった。ここならば安心して息を吸える……確かに排気ガス塗れで良い空気とは言えないがな」
川原の広がりのおかげで、対岸の町並みが一望できる堤の上。カウラは伸びの次は大きく深呼吸していた。誠は満足げにそれに見とれていた。
「貴様らもそう思うだろ!」
突然カウラが後ろを向いて怒鳴るのを聞いて誠は驚いて振り向いた。しばらくして枯れた雑草の根元からかなめとアメリアが顔を出した。
「なんだよ……バレてたのかよ。その様子だとかなり前からバレてたみたいだな。アメリア、オメエがデカいのがいけねえんだ!オメエみたいにデカい女が歩いていればどんな鈍い奴だって尾行されてるって気づくぞ!」
全責任をアメリアに押し付けながらダウンジャケットを着こんだかなめが体中に付いた枯草を払うと頭を掻いた。アメリアはそのままニコニコしながら誠に向かって走り寄ってきた。
「大丈夫?誠ちゃん。怖くなかった?襲われたりしなかった?なんでもかなめちゃんは誠ちゃんの自慢のおっきいアレをカウラちゃんが自由にするのを許可したとか言ってたわよ。そんなの私は認めた覚えは無いわ!そちらの方の初めても私が奪う予定だから!」
誠は明らかに演技と分かるアメリアを見ながらかなめの言う通りなんでこんなに長身のアメリアに尾行されながら気づかなかったのかと言う自分の鈍さを少し恥じていた。
「私は西園寺姉妹じゃないんだ。襲う襲われるは西園寺姉妹の専売特許だ。それに神前の何を自由にするんだ?奪うって何を?一体何を?アメリアの言うこともまったく理解不能だ」
いつものアメリアのおふざけ発言を真に受けたカウラが真剣な表情でそう反論した。
「カウラ言うじゃねえか……それに誰がこいつを襲うんだ?襲うのは変態で淫乱なかえでだろ?『僕は許婚だから神前曹長の童貞を奪う権利があるはずだ!』とか言って。ああ、アメリア。口の初めてはすでにリンが奪ってるから無駄だぞ。アイツは神前のがなかなか出ないから口を使って刺激して白いのを出させて採取したらしいから。つまり神前にエロの領域で一番近付いたのはあの無表情女だ。それを思うと腹が立って来た!神前!これからホテルに行くぞ!そこでオメエの童貞を奪ってやる!」
突然の二人の登場に困惑している誠を尻目に三人は勝手に話を進めた。
「それは違うんじゃない?むしろ襲うと言えばかなめちゃんでしょ?『女王様』で攻めオンリーなタイプだし。かえでちゃんはむしろ誠ちゃんに襲われたいタイプよ。それにリンちゃんも聞いた限りではなかなか出ないって苦労したらしいわね。つまりそれだけ楽しめるってことよね……私、耐えられるかしら?」
アメリアは誠が困惑するのとかなめがキレるのが面白いと言うように挑発的な視線をかなめに向けた。
「人を色魔みたいに言いやがって……それとアタシはプロだからな!神前くらい瞬殺で出させてやる!確かにかえでとリンが見たという話だと神前の大きさは未経験の領域だがな!」
そう言うとかなめはダウンジャケットのジッパーに手をかけた。おそらくそのままいつものように銃を振り回すつもりなのはもはやお約束になっていた。
「怖い!誠ちゃん助けて!そしてその30センチ砲で……」
銃を抜こうとするかなめをかわしてアメリアが狙い通り抱きついてきた。誠はただ呆然と立ち尽くしてまとわりついてくるアメリアを受け止めるしかなかった。
「……静かにしろ。今、いい空気を吸っていたのがすべて貴様等のせいで台無しだ」
わざと胸の当たりを押し付けてくるアメリアをにらみつけてカウラは鋭くそう言った。
「もしかしてカウラさんかなり前から西園寺さん達の存在に気付いてました?この二人に」
さらに胸を押し付けてくるアメリアを引き剥がそうとしながら誠はカウラに声をかけた。
「駅を出たときにはすでに尾行されていたのがわかった。西園寺の言うようにあの遼州人にはめったに見ない身長のアメリアが歩いていればどんなに離れていてもすぐに目に付く。それにさっき走ったときにはかなりあわてて飛び出していたから神前もわかっていると思ったんだが……貴様はアイツ等が出てくるまで気付かなかったのか?まったくたるんでるな」
そう言うとカウラはいかにも不満そうな顔を誠に向けた。相変わらずアメリアは誠にしがみついていた。
「いい加減離れろ!」
アメリアの首根っこをつかんだかなめが引っ張るのでようやくアメリアは誠から離れた。
「勝手に尾行したのは悪かったけどな……でも、アタシ等よりももっと悪質な連中がいるからそいつ等に悪戯してやる!」
そう言うとかなめはカウラの首のコートの縫い糸をつまみ、芯を引きずり出した。
「うわ!」
思い切りその端の縫い取りに向けてかなめが怒鳴った。突然の出来事にアメリアが思わず誠から手を離した。そしてそれを見てかなめは満足げにうなずいた。
「あれ見て」
すぐに我に返ったアメリアが指をさす対岸の遊歩道に、耳を押さえて座り込む男女の姿があった。
「島田先輩とサラさん……島田先輩は『武悪』の冷却作業で仕事が忙しいんじゃないのかな……なんでこんなところに?」
誠は簡易トイレの影から転がり出た二人の人影を見て呆れたようにそうつぶやいた。さすがに目立つピンクの髪の色のサラをつれている島田が耳を押さえて立ちすくむ姿は百メートル以上離れていても良くわかった。
「カウラちゃんのコートに盗聴器まで仕掛けて……あの馬鹿。暇なのか?ちっちゃい姐御に言いつけるぞ」
かなめが舌打ちをした。そして島田達と同じように耳を押さえながら土手をあがってくるのは菰田と整備班の反島田派の面々自称『カウラ・ベルガー大尉親衛隊』こと『ヒンヌー教団』の面々だった。
「酷いですよ、西園寺さん。耳が壊れたらどうするつもりなんですか!それにしてもバレてたんですか……隊長が『神前は鈍いから気付かないよ』って言ってたのに……」
お手上げと言うように頭を掻く菰田をカウラがにらみつけた。
「盗聴器ねえ……こんなこと貴様や島田の馬鹿が思いつくわけがない……けしかけたのは隊長だな?こう言うことを仕込む悪趣味な人は他に居ない。あの人の事だ、島田の奴に『武悪』はすぐに運用するわけじゃないから休みをやるからと甘いことを言ってこういうことをさせたに決まっている。全く困った隊長だ」
そう言ってカウラは菰田が手にしている小さなケースを取り上げた。
「悪趣味はよしてもらいたい。迷惑だ」
カウラは一言ケースにそう言うと盗聴器の入ったケースを握りつぶした。
ケースは、乾いた音を立てて砕けた。
指の隙間から、金属片がぱらぱらと落ちた。




