第65話 冬の打席、ひと振りで
小柄でフットワークの軽そうな新見少年はマウンドに登るとすぐにキャッチャーに座るように指示を出すとカウラが到着するのを待たずに投球練習を始めた。
「小柄な割に結構速いな。手元で伸びる感じ。素材としては悪くない……左倉農協のエースは今年で65歳だ。あの人と比べたら、新見がさすがに気の毒だろ」
カウラはそう言って対戦するに十分な相手と意味を評価して満足げにうなずいた。彼女の指摘通り、小柄な全身を使って投げるスタイルは無駄が無く、もしも体格に恵まれていたなら注目を集めるような球を投げられるような素質があるように見えた。
誠には不安があった。カウラは手加減を知らない。
『バットを持て』……それは『打て』と同義だ。
しかも彼女は、真面目すぎる。
新見少年も相手が女性。しかもかなり細身で華奢に見えるというところで安心しているのだろう。しかし、それが完全に間違いであることに誠は気づいていたが、後輩への贈り物としてカウラとの真剣勝負の対戦をさせてやりたいと思うようになった。それがあんな事件で野球部の歴史に泥を塗った自分にできる恩返しだ。今ではそう思える心の余裕がある。カウラのおかげで自分が『特殊な部隊』に来てから確実に成長していることに気付かされて驚きながらも誠は何度も鋭い素振りをするカウラを見つめていた。
カウラは私服の時にはスニーカーにパンツと言うことが多いので、手渡されたバットを握ると首に巻いたマフラーを取って上着を脱ぐと誠に渡した。
「神前、見ていろ。貴様の後輩に上には上がいることを教育してくるな」
明らかに模擬戦の時のぎらぎらした緑の瞳が誠にも見えた。誠は理解した。……戦闘モードだ。
静かにカウラが右のバッターボックスに入った。
「よろしくお願いします!」
元気良く新見少年が怒鳴るように叫ぶのを満足げにうなずきながら、カウラはじっと相手投手を見つめた。そしてそのままいつものようにホームベースぎりぎり。……死角を作らないための癖だ。そして大きく息をすると新見少年を見つめながら静かにバットを構えた。
「新見先輩!ぶつけたりしないでくださいね!」
野次馬と化した野球部員の一人が叫んだ。周りの少年達もうなずきながらじっと見つめた。だが誠はカウラの実力を知っているだけにただ苦笑いを浮かべるだけだった。明らかに新見少年は投げづらそうに、誠がいたころと同じようにかなり荒れた状態のマウンドの上で、眉を寄せてカウラを見下ろしていた。
誠は周りが静かになったのに気づいてグラウンドを振り返れば、シュート練習をしていたサッカー部員も、サンドバッグにタックルの練習をしていたラグビー部員も、野球部に飛び入りでやってきた緑の髪の女性の姿に目を向けているのがわかった。
新見少年はようやく自分の置かれている状況を理解したと言うようにマウンドの上で大きくため息を付いた。そしてそのままゆっくりと振りかぶった。
明らかに動きが先ほどの投球練習より硬く見えた。新見少年の手を離れたボールはキャッチャーが飛びついたミットの先を抜ける外角へ大きく外れた暴投になった。
「おい!新見!硬くなるんじゃない!いつもどおり投げろ!」
鶴橋の檄が飛んで、ようやく吹っ切れたように新見少年は無理のある作り笑いを浮かべた後、野次馬の野球部員から新しいボールを受け取った。
「カウラさん。もう少しホームベースから離れて立ってあげれば……彼、投げにくそうですよ」
誠の言葉にカウラの真剣そうな視線が返ってきたので黙りこむしかなかった。肩を何度かまわすような動きの後、新見少年は再び振りかぶった。明らかにカウラはバットを握る手に力をこめていた。おそらくは初見の女性のバッターを相手にして緊張しているのだろう。それを読んでいたかのように先ほどとは雰囲気の違う構えのカウラがそこにいた。
ピッチャーは先ほどの力みすぎての暴投から学んで、今度はスピードを殺したような変化球をストライクゾーンに投げ込んだ。当然そのような球を見逃すカウラではない。
その華奢な外見からは想像も付かない速さのスイングで、内角低めに落ちていく緩いカーブをバットで捉えた。打球は低いライナーで、マウンドの上に一直線にはじき返された。
新見の頭上、ほんの数十センチを強烈な勢いで通り抜けていった。そしてそのままフェンスに激突したボールが大きな音を立てた。
グラウンド中が静まり返った。誠は予想していたこととはいえさすがにバツが悪そうに鶴橋の目を見た。
「彼女は何者だ?内角ひざ元の厳しいコースの球をあそこまで運ぶなんて普通の女子選手じゃ無理な話だぞ……まあ、あれだろ俺もゲルパルトの医大を受けたんだ。あそこは人造人間の研究をしていたことは俺も知っている……あの髪の色……そう言うことか……確かにゲルパルトのプロサッカーリーグにも数名の『ラスト・バタリオン』と呼ばれている人造人間の女子選手が居るのは事実だからな。これくらい普通のことと言ってしまえばそれまでか」
呆れたような顔をした後、彼の癖である自己完結して納得する鶴橋は誠にそうつぶやいた。
「まあね、あの人も前の大戦時にゲルパルトが作った人造人間の後期覚醒型なんだ。でも、出身は埼王県だけどね。東和がその製造施設を戦後に接収してあそこに移動させたから。それに一応あの人は豊川の草野球リーグでは僕の前はエースナンバーを背負ってたんだ。他にも今でも上位打線を打ってるから。あのくらいの打球は僕もよく見慣れてるよ」
誠の言葉に鶴橋はさすがに国公立の医学部に現役合格をする秀才だけあって誠の言葉足らずの説明だけで全てを理解したようにうなずいた。
「草野球ったってあそこは先月お前がしてきた電話の話だと、都市対抗の古豪の菱川重工豊川の元レギュラーがゴロゴロいるんだろ?そこでやってるのか?どおりで鋭いスイングをするわけだ。おい!遊びはそれくらいで今度はランニングに行け!坂東!」
叫んだ先には長身の落ち着いた印象の選手が立っていた。
「それじゃあランニングだ!スパイクをランニングシューズに履きかえるぞ!」
坂東と呼ばれた長身の少年のその言葉からして彼が今のチームのキャプテンを勤めているらしい。そんな光景を誠は笑いながら見つめた。カウラは物足りなそうに手を差し伸べている小柄な部員にバットを渡すとそのまま誠の方に歩いてきた。
「少しぐらい手を抜いてあげればよかったのに……相手は弱小野球部の普通の野球がそれなりと言うだけの普通の高校生ですよ。うちの補欠の人達のレベルから考えたらこれくらいの実力なのは最初から分かってたんじゃないですか?本気を出す必要なんてないじゃないですよ」
部活棟のプレハブの建物に向かってダッシュする誠の後輩達だが、明らかに落ち込んだように最後尾を走っている新見少年を見ながらの誠はそうつぶやいていた。
「いくら相手が格下だとはいえ、手加減をしたら失礼だろ?私も隊の補欠連中が補充メンバーで入るチームの紅白戦ではそのぐらいの覚悟でプレーをしているぞ。それに私くらいのスイングをする高校生の打者はいくらでもいるぞ。それを抑えてみせる。それぐらいの気概が無くて野球なんてするとあの西園寺に射殺されるぞ」
カウラは笑いながらそう答えた。たしかにかなめならあっさりカウラにヒット性の打撃を打たれるようなピッチャーを脅すのに『射殺する』と言う彼女の口癖が出るだろうことは想像がついてつい誠の口元に笑みが浮かんだ。
「それは……確かに、そうなんですけどねえ。それと西園寺さんなら確実にそう言います」
ようやく興奮が収まってきたと言うようにカウラは静かに誠から受け取ったマフラーを首に巻いた。誠はそんな彼女を温かいほほえみを浮かべていた。
「そう言えば、神前。お前が軍に入ったのは聞いているんだがいつもどこに配属になったのかと聞くとはぐらかすんだよな……軍のどこだ?陸軍……海軍……そしてどこの基地だ?軍事機密ってことは無いんだろ?教えてくれたっていいじゃないか」
カウラとの会話に割り込んで来た鶴橋の質問ももっともだと思った誠に笑みがこぼれた。実際、誠も幹部候補生過程修了の際には希望すれば体育学校の野球部への編入をすると教官から言われたのを断った前例があった。
「いや、入ったのは東和宇宙軍だったけど、配属されたのは同盟司法局だよ、僕は……今まで言わなかったのは……これまでパイロット失格扱いばっかりされてていつ辞めるか分からない状態だったから」
その一言で鶴橋の目が驚きに変わった。
「あれか?この前、都心部でシュツルム・パンツァーを起動して化け物相手に格闘戦をやったあの……」
鶴橋の反応は『同盟司法局』と言う言葉を聞いた誰もがする典型的な反応のそれだった。
「その部隊です。正式名称は『司法局実働部隊機動部隊第一小隊』と言います」
きっぱりと言い切るカウラの言葉が響いた。鶴橋の驚きはしばらくして唖然とした表情に変わった。大体が司法実働部隊と言う性格上、公表される活動はどれも司法局実働部隊の一般市民からの評価を下げるものばかりなのは十分知っていた。
特に『同盟厚生局違法法術研究事件』では東和共和国を守るはずの東和陸軍の07式を一方的に叩きのめしたり、その際に近くに停めてあった高級乗用車を巻き込む場面などがテレビで何度も繰り返し放映されたので、司法局実働部隊は軍や警察での『特殊な部隊』扱いよりも酷い『迷惑極まりない存在』と見られることが多かった。
「もしかして……パイロットとかをやっているわけじゃ無いだろうな?」
鶴橋の目は笑っているがそこに若干の距離を取るような雰囲気が混じっていることはバッテリーとして三年間付き合ってきた誠には十分読み取れた。笑ってはいる。だが、どこか慎重な目だった。……世間が語る『司法局実働部隊』の噂が、たぶん頭をよぎったのだ。
「ええ、彼は優秀なパイロットですよ。彼の小隊の小隊長の私が保証します。現にスコアーは巡洋艦級1隻を大破、シュツルム・パンツァー7機撃墜。飛行戦車3両撃破。すでにエースとして認定されています。あの同盟厚生局の事件でも彼が我が隊の05式のパイロットとして操縦を担当していました」
カウラの言葉にしばらく黙って考え事をしていた鶴橋がぽんと手を打った。
「ああ、だからか……雰囲気が変わったな。以前のお前はそんなに自信がありそうな顔はしてなかった。誰と会う時もどこかおどおどした雰囲気があった。今はまるで違う。お互い変わったんだな」
鶴橋はそう言って満足げな笑みを浮かべた。そこには世間から後ろ指さされる『特殊な部隊』の隊員としてでなく『戦う男』になった誠に対する尊敬の念が見えていた。
『変わったのかな……僕自身に自覚は無いんだけど……でもそうかもしれない。昔の僕なら卒業式にすら出なかった高校に来るなんてことは絶対にしなかった。あの事件と向き合うなんて言う勇気は絶対持てなかった。でも今ではそれが出来る……僕は変わったのかもしれない……』
誠は指摘を受けて苦笑いを浮かべた。
「そう言えばお前は確かアニメ研究会にも所属して……なんだっけ?あの人形」
カウラがあまりに無口なのでとりあえず会話の糸口でも作ろうと気を利かせた鶴橋はそんなことを口にした。
「フィギュアだよ……鶴橋。勉強も良いけどお前には野球以外の趣味は無いのか?お前は将来それなりの高給取りになる医者になるんだぞ。見合いの席とかで趣味を聞かれた時、野球以外の趣味を聞かれた時なんて答えるんだよ」
誠は勉強と野球以外の話題がまるでない男である鶴橋に向けてそう言いながら、こういうことを言い出しそうなアメリアの糸目を思い出していた。
「ああ、神前はそれをたくさん作って文化祭で飾ってたよな。昔から手先だけは器用だったからな、お前は。それと俺の趣味の話はほっとけ、野球だって突き詰めようと思えば本当に深い趣味なんだぞ……じゃあお前は今のプロ野球の全現役選手の名前と背番号とポジションを言えるか?俺は言える。どうだ、凄いだろ?なんなら去年の一群と二軍でのその選手の成績も付け加えてもいいぞ」
すべてを思い出した。記憶力だけは化け物級の鶴橋ならそんな遊びくらい考え出さないわけもない。いかにも得意げな表情の鶴橋を見てさすがのカウラまでも苦笑いを浮かべる状況となっていた。
「前言撤回。お前が変わったというのは気のせいだったみたいだ。じゃあ……僕達はこれで」
鶴橋が今にも脳内プロ野球名鑑を語りだしそうな雰囲気を感じて誠は長居は無用だと感じてそう切り出した。
「いいのか?先生とかも会わないのか?」
明らかに誠の考えを読んだようにかなめを挑発するときのように目を細めてカウラがそう言った。
「いいよ!また来るから!その時は……」
鶴橋の今にも自慢のプロ野球からアマチュア野球の地球圏のメジャー選手に至るまでに渡る野球知識披露大会が始まる予感がした誠は逃げるようにカウラの手を握った。
そして今度来るときは脳内にネットがつながっているサイボーグでそのおかげで記憶力のお化けの鶴橋に対抗できそうな野球知識のあるかなめを連れてこようと思いながら誠は鶴橋に背を向けて歩き出した。
「おう!また機会があれば来てくれよな!その時はあいつ等に少しアドバイスとかしてくれよ!」
鶴橋もさすがにわかっているようで部員時代は見なかったような明るい表情で立ち去ろうとする誠を見送った。




