第62話 思い出通り、冬の息
今日もカウラ達が来てからのにぎやかなここ数日の朝食が終わった。そんな日々に慣れてきている、しかし正月が過ぎればまた元の日常が待っている。それはそれで楽しみなような寂しいような気がする誠だった。
「じゃあ私は点数稼ぎでもしようかしら……これは二人には無理な話かもしれないからね……これで『許婚』の地位をかえでちゃんから奪っちゃうかも♪」
そう言ってしばらくは居間でお茶を片手にテレビを見て笑っていたアメリアが立ち上がった。
「点数稼ぎだ?」
かなめは不意に立ち上がったアメリアを見上げながらこたつに入ってミカンを剝いていた。
「かなめちゃんには無理かな……所詮お姫様だし。ここは前座時代の苦労が生きるところね♪お母さん、お手伝いしますよ!洗い物とか色々あるんじゃないですか?」
アメリアはそう言って洗い物を始めた薫を手伝いに立ち上がった。
「新聞は……西園寺か。貴様は活字は読めないはずだから、また目で見た情報を本国の国文学者に送ってそれをこき使って筆文字に起こさせて読んでいるのか?いい加減貴様も活字の文字を自分で読めるようになってくれないものかな?私も貴様のせいで無駄な仕事が増えて迷惑をしているんだ。人の手間を考えてネットで我慢しろ……サイボーグなんだろ?地球では紙の新聞なんか存在しないという話だぞ……まあ、貴様はデータで入手した情報を音声で理解するから無駄な話だと屁理屈をこねるのだろうが」
カウラが言うようにかなめは活字が読めない。だから彼女が紙を読む時は、目に映った文字を本国へ送り、筆文字に直して送り返してもらう。
司法局でも同じで、紙の指示書はまず写真に撮られ、かなめ用に『翻訳』されてからようやく彼女の手元へ届く。手間のかかる儀式だった。
「なんだよ文句があるのか?何度も言ってるがあんな身分の低い『サムライ』や坊主が考えた文字なんぞ公家であるアタシが読めるかって言うのか?何が『サムライ』だ!『サムライ』の語源は高貴な公家の召使として公家の傍でいつも命令を待っているという意味の言葉から来てるんだぞ!つまり公家であるアタシの下僕以下の存在と言う意味だ!自分でそう名乗ってるんだからそう扱うのが当然のことだ!それにアタシが雇ってる国文学者だって連中は不況続きの甲武で文系の博士課程を出ても就職先が無いのにアタシがそんな仕事を与えることでそれで飯が食えてるんだ!アタシは良い仕事を与えている良い主君なんだ!連中には感謝してもらいたいものだな!」
顔を出したカウラにかなめが因縁をつけるようにそう言った。そしてそのままコタツで伸びをしながら手にした新聞を振り上げた。アメリアがお勝手に向かうために立ち上がってカウラはようやくコタツに足を入れようとした。
「カウラちゃん。今日は誕生日だから特別に誠ちゃんを貸すわよ……思い出作り……楽しんでらっしゃい!これが同じ『ラスト・バタリオン』の私からのプレゼント♪」
アメリアが振り向いてカウラにウィンクした。はじめ、その言葉の意味がわからず誠もかなめもただアメリアの顔をしばらくのぞき込むばかりだった。アメリアの呆れた顔にようやく意味がわかったと言うように、かなめが居間のテーブルの上に剥いたばかりのみかんを置いてうなずいた。
「まあ好きに弄り倒してもかまわねえよ……なんなら……キス……いや、好きに弄り倒していいぞ。……手を繋ぐくらいなら許可してやってもいいぞ……と言っても純情すぎて、その先は想像できねえか? からかい甲斐あるなあ。何なら具体的に何をどうすれば良いのか教えてやろうか?」
そう言ってかなめは口を押さえていやらしい目で誠を見つめた。
「西園寺。なんで私と神前が今日キスする必要があるんだ?それとその先を教える?キスをして、手をつないでその先がある。理解不能だ。貴様にしろ日野にしろ時々意味不明の事を私に言う。ちゃんと相手を見て話を知ろ。どうせ貴様等の好きな変態的な話なんだろ?なら興味は無い」
カウラはそっけなく何かを加えるような口を作るかなめを見ながらそう返した。誠には意味は十分分かったので耳まで真っ赤になってかなめの言葉をまるで理解していないカウラを見つめていた。
「やめてください! そういうのは後で怒られますから!でも、出かけるんですよね!良いですよ行きましょう!」
戸惑ったような誠の言葉の意味が分からずにしばらく考えた後、カウラはコタツに入らずにそのまま立ち上がった。
「出かけるのは良いとして、何時までに帰ればいいんだ?私の誕生日パーティーとやらの準備があるだろう。それなりに早く帰る必要があるんじゃないのか?」
立ち上がったカウラは少し恥ずかしそうにそう言うと腕の時計を兼ねた端末をのぞき込んだ。アメリアはうれしそうに左手にはめた端末をのぞき込んでいた。
「今……8時……」
アメリアは慣れない誠の実家のお勝手で薫の横で洗い物をしながら時計を探して辺りを見回した。
「8時45分だろ?そんなの時計なんか見なくてもオメエが持ってる携帯端末を見れば一発だろ?オメエはアナログか?本当にこの東和にどっぷりと浸ってるのが良く分かるわ」
かなめに怒鳴られてアメリアはおどけて舌を出した。誠は自分の意思とは関係なく話が進んでいく状況に困惑しながら座っていた。そのおろおろしている姿にかなめは大きくため息をついた。
「神前、オメエもオメエだ。エスコートするくらいの気概は……って無理か」
かなめがまだこたつから出ようとしない誠に向けて諦めきったような調子で言うので誠はカッとなって急いで立ち上がった。
「西園寺さん!無理ってひどいですよ!まあ、無理と言われてしまうとそうかもなあなんて思ってしまうんですけど……僕も男です!」
誠は抗議するが黙ってじっとかなめに見つめられると次第に自信がなくなって行くのがわかりうつむいた。
「まああれよ。そんなに構えたりする必要なんか無いのよ。私達『ラスト・バタリオン』には植え付けられた記憶以外のすべてが珍しいんだから。誠ちゃんの昔よく行った場所とか、遊んだ場所とか案内するだけで良いと思うわよ。私達みたいな人造人間には無縁なことだもの」
そう言ってアメリアはお勝手から手にした洗いかけのお茶碗を片手に紺色の髪を掻きあげた。彼女の人造人間と言う宿命を思い出し誠は口を噤んだ。
「ああ、私も見たいな。確かに私にはそう言う経験が不足している。神前の見てきた光景、育った町……そんなものを私の目でも見てみたい」
カウラの言葉に誠は彼女を見つめた。表情が乏しい彼女でも笑顔を浮かべることがある。そんなことを思い出させるような笑顔だった。
「大人の状態になるまで培養ポッドの中で育って知識も直接脳に焼き付けられたものしかない人間にはそう言う経験は貴重だから。目で見たものだけがリアル。ランちゃんがいつもそう言ってるじゃないの。そう言う経験、私達には本当に不足してるのよ。今日はもしかするとカウラちゃんの本当の意味での誕生日になるかも知れないわね」
アメリアにしては珍しく誠にもわかる助言をする。かなめが起き上がって感心した目でアメリアを見つめた。
「おい、アメリアが珍しく良いこと言ってる……何か悪いものでも食べたのか?」
「何言ってんのよ!今朝の朝食はかなめちゃんと同じもの食べたじゃないの!」
呆然としてつぶやくかなめに向けてそう叫ぶアメリアの言葉に納得しながら誠は立ち上がった。カウラは少し頬を赤く染めながら誠を見上げていた。
「神前が良いなら私は……」
少しばかり動揺したようにカウラは目を伏せた。
「じゃあ、つまらない場所ですけど……僕が育った町を一緒に歩きましょう」
そう言って誠は台所を覗き込んだ。うれしそうに鶏の腿肉をヨーグルトベースのタレに漬け込んでいる母、薫が振り返った。
「じゃあ行ってらっしゃい!夕方までは大丈夫だからあちこち歩いてきなさいね!」
誠は母の背中を押す言葉に苦笑いを浮かべるとそのまま玄関に向かった。カウラも誠にひきつけられるように少し緊張しているような誠についていくことにした。
誠が靴を履くのを見ながらカウラは庭を見つめていた。マキの生垣の上に広がるのは冬らしい空。風は昨日と同じく冷たかった。
「じゃあ、行きましょう」
立ち上がった誠の視線の前にはカウラの引きつった笑顔があった。
そのまま道場の長屋門をくぐって誠は歩き出した。つぎはぎだらけの路地のアスファルトの上を所在無げに歩く誠にカウラはついていった。下町の細い道を歩きながらカウラはしきりに周りを見回していた。
「やっぱりずいぶんと古い街なんだな、東都は……400年……この東和共和国は戦火に塗れてこなかった。戦争好きな地球人の歴史にもそんな国はほとんど無いと記憶している。戦争嫌いの遼州人らしい良いことだ……そう言う私は戦争好きな地球人の遺伝子から作られているのだがな……遼州人の神前が羨ましく感じることがある」
カウラは感慨深げにつぶやいた。
「まあ、豊川みたいに先の大戦の特需の後に大きくなった都市とは違いますから。それこそ地球人がこの星にやって来た時からの街ですからもう400年の歴史が有る訳です……でも400年間何一つ進歩していないんですよ、この国は。進歩したのは東和宇宙軍の電子戦用の軍用機の性能とシュツルム・パンツァーなんかの兵器の類と、僕らが日常的に使ってる携帯端末の機能くらいですからね」
自分でも教科書の受け売りのようなことを言っていると思いながら誠は苦笑いを浮かべた。
東和共和国は第二次遼州戦争では、同じ日本文化圏の甲武国の参戦要求を最後まで『一国平和主義』の国是を盾に拒否して中立を貫いた。遼州圏の主要国すべてが参戦した戦いに加わらず、ひたすら各国の発注する物資を提供し、甲武に敵対する『反祖国同盟』の国々や地球圏が発行する戦時国債を無制限に受け入れた姿は『遼州の兵器庫』と勝利した国からも敗北した国からも揶揄されることになった。
その急激な経済成長以前から東都の下町として栄えている東都浅間界隈の路地裏には古いものが多く残されていた。
「もうすぐ見えますよ……まず最初は僕が本当に歩き始めたころから来ていた場所です」
カウラに歴史の講釈をしても逆に教えられるだけだと思いながら、誠は枯れ井戸の脇をすり抜け、人一人がようやく通れると言うような木造家屋の間を抜けて歩いた。
「なるほど、これか」
開けた場所に来て、カウラは感心したように目を見開いた。
そこには豊川でも見られるようなありふれた公園があった。古びた遊具と広いグラウンドがあるという別に珍しくもない光景に誠はこんなものを見せても良いのだろうかと正直戸惑っていた。
公園の障害物も無い広場に立ち尽くす二人の息が白くほどけて、風にちぎれていった。
そのグラウンドでは冬休みが始まったと言うことで少年野球の練習が行われていた。そこで練習しているユニフォームには誠自身も袖を通したことがあった。
「北町ライガース。僕が野球を始めたときに入ったチームの練習ですよ」
誠の言葉にカウラは思わず彼を見上げた。そしてすぐに彼女は黒と白の縞のユニフォームの小学生達が守備練習を続けているのを見た。
「お前にもこう言う時期があったんだな……子供時代の無い私には羨ましいとしか言えない……それしか言えない……」
走り回る少年少女を見ながらカウラは感慨深げにしていた。誠はカウラの着ているジャンバーが比較的薄手のような気がしてカウラの吐く息だけが、やけに細く見えた。誠はそれを見て自分の首に巻いているマフラーを彼女の首にかけた。
「あ、ありがとう」
誠の心遣いにカウラは誠を見上げてそれだけ言ったが誠は何も言わずに笑顔を浮かべるだけだった。誠には言葉にすると、全部台無しになる気がしていた。
「おい!」
カウラは突然の出来事に驚いた。ここでかっこいい台詞でも言えればと思いながら、誠は何も言え無かった。そのままカウラから目を離して後輩達の練習を見ているふりをした。
「すまない」
カウラはそう言うと誠から受け取ったマフラーを自分の首に巻いた。
「でもこんな時期。私は知らないからな……『ラスト・バタリオン』は成人女性としてロールアウトする。その時点ですでに軍人として活動できる知識と技術と身体を身につけているからな。しかし、それだけなんだ……時に貴様や西園寺を見ると羨ましく感じることがある」
さびしそうなカウラの言葉。そっと誠は弱々しく微笑むカウラを見つめた。
「すみません……なんだか気分を悪くしちゃったみたいで」
誠はしょげたようにそうつぶやいた。
「いや、そんな……お前の昔を教えてくれるのはうれしいんだ。こう言う思い出は私には無いからな。でも……」
カウラの言葉が揺らいで聞こえる。誠はそのまま公園のベンチに向かって歩き始める。カウラもぼんやりしていたがそんな誠を見て少し距離を置いて彼について歩いた。
守備練習をしていた少年達が、ノックをしていた監督らしい女性に呼び集められるのが見えた。走って外野からホームへ向かう少年達。その向こうに見えるブランコには中学生か高校生くらいの私服の女子の集団が手にジュースのボトルを持ちながらじゃれあっているのが見えた。
「こう言うところで育ったのか、お前は……私にはどれも新鮮だ」
カウラは誠がベンチに座るのを見ながら立ったまま公園を見回した。隣に見えるのは金属部品のプレス工場。そこの社長の息子が中学生の同級生だったことを思い出して、誠はなんだか懐かしい気分に浸った。
「お前もいろいろ思い出すことがあるんだな。そんな顔をしているぞ」
そう言うとようやく好奇心を満たされたと言うように、カウラが誠の隣のベンチに腰掛けた。
「まあ、昔の僕はあの子供達の輪にいたのは事実ですけど……それでも目立たない子供でしたから。当時から身長だけは高かったですけどただひたすら乗り物に弱いだけのどこにでもいる子供でした」
少年野球の子供達がグラウンドに散った。どうやら紅白戦でも始めるらしい。
「目立たないと言う割には高校ではずいぶんな活躍をしたらしいじゃないか。それに今季だって貴様の後ろで守っていてこんなに頼りになるピッチャーの後ろを守れるというのは私にとっては誇りなんだぞ。島田みたいにフォアボールとデッドボールで自滅するピッチャーを見ながらの守備なんてもう二度としたくない」
皮肉るようなカウラの言葉に誠は照れ笑いを浮かべた。
「まあ、左利きで身長があったのが良かったんでしょうね。中学までは控えばかりでしたが、高校だって弱小で知られた高校でしたから。部員が12人しかいなくてサッカー部とかからの助っ人で試合を成立させていたような感じでしたよ」
半分は謙遜のつもりでそう言った。実際の所は中学時代から誠の存在はそれなりに知られていて地方の野球だけで有名な私立高から何件か引き合いがあったことはここでは黙っておくことにした。
「それで三回戦まで勝ち進んだんだろ?凄いじゃないか。しかもその年の東東都大会は番狂わせの嵐であの試合に勝てば全国大会が見えたという話だと西園寺が言っていたぞ。胸を張っていい実績だ」
カウラに言われて誠は恥ずかしさにうつむいてしまった。正直、誠は褒められることには慣れていなかった。しかも相手はいつも模擬戦での判断ミスや提出書類の不備を指摘されているカウラだった。
「まあ運が良かったんですよ……それだけ……ただそれだけなんです」
そう言うと誠は立ち上がった。少年たちのノックを求めて叫ぶ声に混じる金属バットの音を聞くと誠にはまだあの事件の記憶が自分に残っていることが思い知らされた。
高校時代の野球部でのあの事件……誠が何とか記憶の底に沈めてきた忌まわしい過去がカウラとの時間を邪魔するような気がして誠は早足で公園を後にした。




