第61話 息を奪う朝、湯気の食卓
誠は息苦しさで目を覚ました。顔の上に、いつの間にか畳まれた布団が乗っている。
思わず腹筋でもするように上体を起こすと、布団がずり落ちて視界が開けた。
「おう、起きたか。相変わらず寝起き最悪だな。火事でも起きたらそのまま寝てそうだ」
ベッド脇には、朝からテンションが高いかなめが立っていた。
「……それ、西園寺さんが乗せたんですよね?僕を殺す気ですか?」
誠はかなめが客間から運んだと思われる大量の布団に大きくため息をつく。
「当たり前だろ。起きねえんだから物理で起こすしかねえじゃん!」
そう言って笑うかなめの顔には反省の色はまるで見えないので誠はあきれ果ててそのまま布団を畳んだ。
「しかし、オメエは本当に何をしても起きねえんだな。実際、かえでとリンは深夜にオメエの部屋に侵入してオメエの大きさを計った上に出させて白いのを採取したらしいじゃねえか。なんでもそれを培養して大量生産して遊びに使うんだと。まったく何に使うのか……変態のすることは想像もつかねえ」
ベッドの隣には手を引っ込めてうれしそうな顔をしている朝からハイテンションなかなめが立っていた。
「かえでさんはそんなことをしてたんですか?それは立派な性犯罪ですよ!僕がその件で訴えたらあの二人は捕まります!たぶん、クバルカ中佐が『うちの恥をよそ様に晒すのか?』とか言って『関の孫六』を握りしめて僕の前に仁王立ちするからしませんけど」
息を切らしながら誠はそう叫んだ。当たり前にある空気がこれほどありがたいと思ったことは無い。そんな誠を見ながらかなめは別に気にする様子もなくニヤニヤ笑いながら誠を見つめていた。
「なに布団で息ができないくらいでビビってるんだよ。アタシの『女王様』時代の客はもっと激しいのを望んでいたぞ。息がつまる?そんなもんじゃ連中は満足しねえ。アタシもアレの最中に首を絞められるのは好きでねえ……何なら今からやるか?童貞捨てられるぞ。どうせ朝だから立ってんだろ?ちょうどいいじゃん。これは双方の合意の行為だからかえでのやるような性犯罪じゃねえ。アタシも今から準備しようか?オメエが舐めてくれれば十分もすれば準備が済む」
かなめはそう言うがとくに誠に襲い掛かってくる様子も無く、そのまま弾むように軽やかにベッドから飛び降りて誠の机の上に置かれたリボンの巻かれた平たい箱に目を向けた。昨日睡魔と戦いながらなんとか包装まで済ませたカウラへのプレゼントのイラストがその中に入っていた。すぐに誠は手を伸ばそうとするがかなめはただそれを珍しそうに見ているだけだった。
「しかしまあ、なんと言うか……オメエ器用だよな。すぐにでもデパートの店員とかのバイトが出来るんじゃねえのか?こんなにきれいに包装までするなんて見事なもんだ。用意が良いと言うかなんと言うか……」
かなめは誠の細かい気づかいに感心したように頷いた。なんとか酸欠状態でもうろうとした意識を取り戻すと誠はとりあえずベッドから起き出して布団を直した。
「着替えますから」
ベッドから降りた誠は感心した様子でカウラへのプレゼントから目を離さないかなめに向けてそう言った。
「そうか、好きにすれば?アタシは気にしねえから。それともさっきアタシが提案したアタシの準備を手伝ってくれるのか?オメエの童貞を奪う?」
かなめはまるで誠の言葉を聞かずにただじっと平たい箱を見つめていた。中にはカウラのイラストが額に入ったものがあった。
「そんな話はしていません!着替えるんです!それに今はこの家にはアメリアさんとカウラさんが居るんですよ!特にアメリアさん!あの人が乱入してきたらどうするつもりですか!面倒ごとはこれ以上御免です!」
全くその場所を動こうとしないかなめに向けて誠は少し強い調子でそう言った。
「だからさっきから言ってるだろ?勝手にすればって。別にアタシは気にしない。オメエの裸なんか飲むたびに見てるんだ。別にそれほどみられて恥ずかしいもんじゃねえだろ。というかアタシは見たい。久しぶりにアタシのも見られるんだぞ?嬉しいだろ?アメリアには二人で絡み合ってるところを見せつけてあの三十路のプライドを完全破壊できるんだからアタシとしても最高の気分が味わえる!じゃあ、アタシも脱ぐか……どんなふうに脱いでほしい?」
相変わらずかなめは出て行く様子がない。それどころかほとんどかなめの制服と化している黒いタンクトップに手をかけて脱ごうとし始めた。誠は頭を掻きながら箱から目を離さないかなめに何を言うべきかしばらく考えた。
「かなめちゃん!何やってるの!」
明らかに襖の外で様子を伺っていたらしいアメリアが飛び出してきてかなめの腕を引っ張った。突然のアメリアの登場にかなめは明らかに驚きながら抵抗した。
「おいおい!アタシは何もしてねえぞ!ここは東和だ!アタシにも言論の自由はある!ただちょっとコイツと遊んでやってただけだ!アタシはまだ服は脱いでねえ!かえでのような露出狂と一緒にすんな!」
なんとしても誠の着替えを見たうえでその先まで行きたいかなめはアメリアに抵抗してそう叫んだ。
「十分やったじゃないの!確かにかえでちゃんのような性犯罪はしてないけど、誠ちゃんの口をふさいだりとか!誠ちゃんが死んだらそれこそどうするのよ!それに誠ちゃんの裸が見たい?童貞を奪うために襲いたい?だったら私だって見たいわよ!襲いたいわよ!それを誠ちゃんの実家だからということで我慢しているの!私が我慢してるんだからかなめちゃんも我慢しなさい!」
アメリアの誠からするとかなり迷惑な発想の言葉にかなめは抵抗も出来ずにずるずると引っ張られていった。誠は苦笑いを浮かべながら二人を見送った。
そして襖が閉められたのを確認すると、さっさとパジャマを脱ぎ、たんすの前に立った。そこで少し考えた。
「……カウラさんの誕生日……か……ただプレゼントをあげるだけじゃなくて、何か特別なことをしてあげたいな……カウラさんはまだ数年の人生経験しかないんだからもっと人生が豊かになるような経験……パチンコと野球と車以外にも楽しい事がいっぱいあるってわかるような……と言っても僕もこれまでは『もんじゃ焼き製造マシン』と呼ばれた乗り物酔い体質であまりそう言う経験はないんだけど」
カウラの誕生日であるクリスマス。いつもの紺のセーターと言うわけにも行かないような妙に晴れ晴れしい気分が感じられた。だが、誠はおしゃれに金をかけたことは一度もなかった。当然それらしいと思えるような服は持っているわけもない。
「まあ、いいか……いや、何かしよう。とりあえず何か……朝ご飯を食べながら考えることにしよう」
そう言うと誠はすばやくたんすの奥の緑色のセーターに手を伸ばした。本当になんとなく、カウラの髪の色に連想した色のセーターに満足するといつものジーンズ、いつもの下着、いつものシャツを着てセーターを着た。
「なんだかなあ……あの絵の素敵なカウラさんばかり見ていると僕の子の姿はあまりに庶民的すぎて釣り合わないな。海のホテルで西園寺さんのドレス姿を見た時以来の惨めな感じがする」
鏡もない部屋。誠はただ自分に呆れながら襖を開けようとした。そして部屋の机の上の白い箱を見た後自分でも気持ち悪い笑顔を浮かべているだろうと想像しながら階段に向かった。
階段を途中まで降りると、そこには緑色のポニーテールが動くのが見えた。そこにはいつも通りのカウラの姿があった。
「おはようございます、カウラさん」
気を抜いているときに突然声をかけられて一瞬怯んだカウラだが、いつもの無表情を取り戻すと静かに誠を見上げた。
「遅いな。今日は薫さんも昨日夜が遅かったから朝稽古は休んだようだが……貴様は実家だと思って少したるんでいるんじゃないのか?休日とは言え毎日決まった時間に起きる。それが社会人としてのあるべき姿だ。貴様もそうすることを心掛けるように」
カウラのいつもの正論だらけのぶっきらぼうな態度に誠は苦笑いを浮かべた。シャンプーの香りがカウラから漂うのは母の朝稽古に付き合って流れた汗を流したからなのだろう。
そのまま台所に向かうカウラについていくと、すでに朝食の準備をほとんど済ませた薫が笑顔で誠を迎えた。
「おはよう。眠そうね」
薫は髪もとかさずに部屋から降りてきた息子の誠に向けて開口一番そう言って笑顔を浮かべた。冬の寒さの好きな薫らしく暖房もつけずにいる台所に味噌汁の湯気が白く漂っていた。
「ああ、そうだね。昨日は夜が遅かったから……眠れたのは二、三時間くらいかな」
母の声を聞きながら誠はすぐに慣れた食卓の自分の席に着くとすでに自分用の箸だと決めたらしいいつも箸立てに立ててあった朱塗りの箸を握り締めて黙って座っているかなめを見つけた。そんなかなめの隣にアメリアがあきれ果てた顔で立った。
「かなめちゃん。箸を持って待っていればご飯が出て来るなんてまったく言い御身分ね。ソースを冷蔵庫から出すとか、醤油をそこの調味料入れから取るとか。手伝うこと色々あるんじゃないの?」
アメリアはそう言いながら薫から味噌汁を受け取って並べていた。かなめは苦笑いを浮かべながらアメリアの小言を無視して黙って座っていた。
「はい、カウラちゃん。誕生日だから特別にしてあげる」
そう言ってアメリアがジャガイモが水面から飛び出すほどの具沢山な味噌汁を席に着こうとしたカウラに渡した。
「気が利くな。部隊でもいつもこうしてくれると助かるのだが……この三人で食事当番をその食事の技量以外の理由で外されたのは貴様だけだぞ。アメリア、やればできるのにあんなひどい料理を連続で作って食事当番免除を言い渡されるとは貴様が一番質が悪い。しかも反省の色がまるで見えないとは救いがないな」
カウラの言葉を全く無視してアメリアは当然のように今度は炊飯器を開けてご飯を盛り始めた薫の手伝いを続けた。
「おいおい、余計なもの入れたりとかするなよ。オメエの作った3回の料理はあれは本当に食えたもんじゃ無かったぞ。食うものに拘らないアタシが言うくらいだから間違いない。あんなものを食って平然としているられるのは月3万円で生活しているから腹にたまれば何でも食う叔父貴ぐらいだ」
貧乏人で何でも食べることで有名な嵯峨を持ち出してふてくされるかなめだが、アメリアはにやりと笑うだけでそのまま今度はご飯を配り始めた。
「手持無沙汰にしているのもなんだな。私が手伝うことは何か無いのか?」
かなめは別として何もすることが無いのが少し気になったのか、カウラはそう言って立ち上がった。
「いいのよ、カウラさんは。今日はカウラさんの誕生日じゃないの。それより誠に何かしてもらうことは無いかしら」
娘が増えたなどと喜んでいた母の様子に、ただ弱ったような笑みしか誠は浮かべることが出来なかった。
「ああ、海苔が切れたっておっしゃってましたよね?誠ちゃん、取れ」
突然調子を変えてアメリアは命令口調になった。つぼに入って噴出したかなめを無視して誠はそのままガス台の上の戸棚に手を伸ばした。一応、誠の身長は187cmの長身である。すぐに焼き海苔の袋を見つけて隣に立っていたカウラに手渡した。
「じゃあ頂きましょうか」
みそ汁にごはん。そして野菜と豚肉を炒めたものを盛りつけた大皿をテーブルに置いた薫は誠達を見回すと笑顔でそう言った。
「まったく……母さんは女の子には甘いんだね」
そう言いながら誠は食卓に着いた。薫の笑みとその言葉を聞くといただきますも言わずアメリアとかなめはがっつき始めた。そんな二人を見て笑う薫は箸に手を伸ばしカウラを見ながら誠も朝食をとることにした。
薫の笑みを見て、誠も箸を取った。湯気の立つ味噌汁の匂いが、ようやく腹の底を現実に引き戻した。




