必ず戻ります
少し行ったところで前に影が見え、軽く向きを変える。影が近付いてきた。
「使者様!」
「ひう様につぐさ様、どうなさいましたか?もっと早く伺うべきでしたでしょうか?」
目の前にいる二匹の瓜坊は揃って首をぶんぶんと横に振る。
「そんなことないよ!まだまだ来ないと思ってたからこんな所で会ってびっくりしてるんだから」
「あのね、さっき皆が月夜様に渡す木の実を包む準備始めたんだけど、今日使者様が足りないって言ってたでしょう?だからどうすれば良いのかうかがっておいでって」
言いながら彼らは私の手にある物が気になるようで、ちらちらと目をやっている。
「それを補う為にこのような物を頂きました。柿を干した物だそうで、これまでのように新鮮な木の実ではございませんが、きちんと食べられる代物です」
「すごい!誰にもらったの!?」
「それは…」
言いかけて止めたので瓜坊たちが怪訝そうな顔をする。
「申し訳ありません、これを持って先に行っておいて頂けませんか?」
背後から足音が近付いて来る。
「人間…!」
気付いた二匹は身体を強張らせ、一歩後退る。
「少し話をしてから伺いますのでどうか先に」
小声で言って干し柿が包まれた布を地面に置くと立ち上がった。兄のほうが躊躇いながらそれをくわえ、弟を促して元来たほうへ走って行く。
「なあ」
直後、杏の声がした。
「世話なったのに挨拶もなしに出てく気?」
普段少し砕けた敬語を話す彼は、そのときばかりは強い口調だった。今の言葉からして、私が彼の大切にしている人たちに失礼極まりない行動をしようとしていると思って腹が立っているのだろう。小さく一つ息を吐く。こうなることを避ける為にも、誰にも見つからずに山に行きたかったのだ。さっきまでは全員が寝ているはずだったのに。
「まさか」
意識的に明るい声を出し、ゆっくりと体ごと振り返る。
「少し、出掛けるだけですよ」
「こんな夜に?」
「ええ、まぁ。」
「じゃあなんでそんな表情するんだよ」
思いがけない言葉に軽く目を見開いた。
「普段と…違いますか?」
聞き返されることを想定していなかったのだろう。杏は少し困った表情をした。
「え…、いや、なんとなく…ですけど」
「…そうですか」
少し笑う。何ともないつもりでいたが、やはり緊張しているのかも知れない。不安はあるが、成し遂げなければならないという使命感と覚悟はその何倍もある。ゆっくりと背を向けながら言う。
「では」
「あ、だからっ…」
なお納得のいかない様子の杏に上半身だけで振り返り、一瞬考えて、結っていた髪を解いた。これ以外に荷物は持って来ていない。
「大丈夫、必ず戻りますよ」
そう言い終えると同時に空月はしゃがむと、突然外した髪留めを地面に置いた。急に何のつもりかと思ったが、すぐに思い当たる。この人はもともと手ぶらで来たようなものだったから、これを置いて行く以外に、荷物をまとめて出て行くのと区別する術が無いのだ。そうすることで出て行くのではないと示そうとしているのかもしれないが、ちょっとした物なだけにいっそう置き土産のように見える。
そのままその人は立ち上がって軽く会釈すると丘を降りて行った。それ以上声はかけられなかった。風が吹いて地面に置かれた髪留めが転がる。小さく息を吐いてしゃがむと髪留めを手に取った。
「見えないんだって…、ちょっと散歩行って来る奴の顔には……」
その顔は緊張したように強張っていて、何か戦いにでも行くような表情だった。そして、結局朝になっても、空月は帰って来なかった。