第31話 ショッピングモール
駅前から少し歩いた所にあるショッピングモール。日曜日ということと雨宿り目的だろうか、たくさんの老若男女が賑わしく広い通路を歩いていた。その中でも私達がいまいるゲームセンターは酷い喧騒だった。メダルゲーム、シューティングゲーム、クレーンゲーム、アーケードゲーム、音楽ゲーム……多様多種のゲーム機に群がる、家族連れや恋人連れや友達連れの人々。多くの話し声とゲーム機のうるさい音楽に囲まれて、少し耳が痛い。
「くそっ! あとちょっとなのに!」
目の前でゲームをしている太陽くんが悔しそうに歯噛みした。彼の目の前にあるのはぐるぐると回るチョコレート菓子を百円で一掬いできるスイートランド。けれど上手くいかないのか、取り出し口からでてきたのはお菓子がたったの二つだった。ちなみに彼は五百円を入れていたので、結果としては無残なものだ。
「あはは。そんなもんだよ、取れただけでも良かったじゃない」
笑いながら私はそう励ました。それもそうだな、とあっさりなっとくして、彼はまた別のゲームに向かう。そんな様子に呆れたようにあざみちゃんが肩を竦めた。
「あのね、あたし達は遊びに来たんじゃないのよ? 分かってる?」
「分かってるって! でも場所が分からないんじゃ、どうしようもねえだろ?」
太陽くんの返答に、あざみちゃんは唇を尖らせながらも反論はしなかった。
如月さんの話によれば、次に爆弾が仕掛けられるのは恐らくこのショッピングモールだという。どうして分かったのかは彼は教えてくれなかったが、恐らく警察も犯人の情報を掴みかけているのだろう。ただ、詳しい場所やいつ爆発するのかは分かっていないらしい。つまりはこの広い空間の中で隠された爆弾を運任せに見つけなければならない。砂漠の中で針を探すようなものだ。
とりあえず迷っているわけにもいかないので、一階の端から回るようにしていた。だけどそう簡単に見つかるわけがない。まだ半分も探していないけれど探し疲れて、こうしてゲームセンターで遊んでしまう始末だ。
「なー、東雲もやろうぜ。ほら、射撃やろう、射撃!」
太陽くんが目を輝かせて近くのシューティングゲームに駆け寄る。外国を舞台として、廃墟になった病院に迷い込んだ主人公とヒロインが、薬によってゾンビ状態となった元患者を殺していくゲームだった。引っかけられていた銃を取り、ジャコッと操作しながら肩に構えて東雲さんに期待の眼差しを向ける。
くだらない、と言いたげに溜息を吐き、東雲さんはその期待を一蹴する。
「こんな所で時間を食ってる余裕はない。さっさと次行くぞ」
「じゃあオレの勝ちだなっ!」
「は?」
東雲さんの眉根にしわが寄る。太陽くんが銃をぶんぶんと上下に振りながら、東雲さんに勝ち誇ったような笑みを向けた。
「ふふ、勝負を売られたら買うのが男ってもんなんだぜ? 勝負からも逃げるんだったら……その時点でお前の負けだ! 男らしくねえな、オオカミさんよぉ」
馬鹿にするように告げる太陽くん。心なしかその目は据わっていて、獲物を狙う獣のそれだった。やけに真剣味を帯びたその顔に、ゲームだよね? と思わず確認したくなる。
東雲さんは数秒じっとしていたが、すぐに細く息を吐く。呆れて適当にあしらうのだろうと思っていると、彼は百円を取り出してゲーム機に入れ、もう一つ引っかかっていた銃を取った。
「一回だけだぞ」
「よっしゃ!」
「え、やるんですか?」
思わずキョトンとそう言うと東雲さんは画面に視線を向けたまま、ごねられるのも面倒だ、と呟いた。でも、そう言いながらも彼の顔には満更でもなさそうな色が僅かに浮かんでいた。すぐにゲームが始まり、オープニングが流れ始める。それが終わるとすぐに戦闘だ。とにかく引き金を引いて銃を連射する太陽くんの傍ら、東雲さんは最小限の弾だけを使い、最適の距離で的確にゾンビを撃ち殺していっている。銃弾も体力の減り方も、二人の間では圧倒的な差があった。通りすがる人々が東雲さんの動きを見て小さく感嘆の声を上げていく。
ふと隣を見ると、ゲームを始めた二人にパチクリと目を瞬かせているあざみちゃんがいた。画面の前から動かない二人を一瞥してからちょっとだけ苦笑して、あざみちゃんの手を引きながら場所を移動しようかと告げた。
ゲームセンターは吹き抜けの作りだった。高い天井は半球状のガラス張りで、晴れてる日だったら日光が降り注いで開放感があっただろう。生憎ガラス越しに見える空は薄い灰色で、幾分雨足は弱まっているものの止んではいない。
けれど人々はそんなこと気にもしていなかった。楽しそうにはしゃぎ、ゲームの結果に一喜一憂している。どこかでキャンペーンでもやっているのか、ハート形の風船を持った人を数人見た。あざみちゃんと共にぐるぐると辺りを回る。そうして一周してプリクラ機の前で立ち止まり、小さく肩を落とした。
「やっぱり見つからないね」
視線を横に向けるとあざみちゃんは眉間を顰め、じっと足元を見下ろしていた。考え込んでいる様子の彼女を見つめていると突然顔を上げて私に問う。
「ねえ」
「ん、何?」
「オオカミって何か変わった?」
え? と聞き返すようにあざみちゃんを真っ直ぐ見ると、気恥ずかしさを誤魔化すように頬を掻きながら言う。
「あたしはあいつと会ってまだ三ヶ月くらいだけど、それより前からは情報として知ってた。でも、聞く限りだとオオカミって、もっと残酷で冷たい奴で……ほら、あたしを殺そうとしてきたとき、そんな感じだったじゃない」
そこまで言ってからあざみちゃんは僅かに言葉を途切らせた。そして、自分の言葉が間違っていやしないかと思っているような、彼女にしては珍しく言葉を選ぶようにたどたどしく続ける。
「でも今は違う気がする。前よりガキ……いや、馬鹿……いや、丸くなったというか……。前までのあいつだったら、イヌに、太陽に誘われても絶対遊んだりとかしなかったと思うの。むしろ小馬鹿にしてたと思う。前までは……そう、もっと無感情だった」
「無感情?」
「怒ったり、嫌味言ったり、そういうマイナスの感情は元々あった。そうじゃなくて、笑ったりとか楽しんだりとか、そういうの」
「東雲さんが?」
うん、とあざみちゃんは大きく頷く。そうだろうかと記憶を手繰り寄せてみた。
私が東雲さんと会ったのは去年の十月、今は二月。約四ヶ月の時間を彼と共に過ごしていることになる。こうして数字にしてみれば短いけれど、密度が濃いせいかもっと長い間一緒にいた気がした。だけど、そんな時間を考えてみても…………
「よく分からない」
確かにそう言われればそんな気がしないでもない。けれど、ずっと一緒にいたせいか、彼のそんな変化はよく分からなかった。
あざみちゃんは私の反応にちょっとだけ肩を竦める。最初から期待はしていなかった、とでも言いたげに苦い顔をして、腰に手を当てた。
「いいわ。……じゃあ、早く目的の物を探しに行きましょ」
「あ、ちょっと待って。一回撮っていこうよ」
私がプリクラを指しながら言うと、あざみちゃんは露骨にしかめっ面を浮かべて、遊びじゃないのよ、とさっきと同じ台詞を告げた。
「いいじゃん。東雲さん達だって遊んでるんだし……一回だけなら大丈夫だよ。ね、駄目?」
「駄目って言うか……」
「じゃあいいよね」
「ちょ、ちょっと!」
渋るあざみちゃんの手を取って、空いている手近の所に入る。財布を取り出してお金を入れながら戸惑うあざみちゃんの声を聞く。
「あたし最近やってないから、分かんないんだけど……」
「私もだよ。お、フレームは後ででいいんだ。じゃあポーズ取ろ、ポーズ」
「え、えっと、え、ちょっと待っ……撮るの早っ!」
それから撮った写真に「唇に色付いてる!」などと喋りながら落書きをして、撮ったプリクラを切り分けてあざみちゃんに渡した。簡素な礼を述べただけながらも、あざみちゃんは嬉しさを押さえられないように口角を引くつかせていた。
次に場所を移動してクレーンゲームの場所を通る。最近話題になったアニメのフィギュアや大きなクッションなどが並ぶ中、その一つに足を止める。
「わっ。これ、可愛いー!」
そのクレーンゲームにあったのは黒猫のぬいぐるみだった。ぬいぐるみと言ってもチェーンの付いた小さめの物で、スクールバッグに付けたりするのにはちょうど良さそうだ。つぶらな瞳のぬいぐるみ達に愛らしさを抱きながらじーっと目を向けていると、あまりに視線がしつこかったのだろう、あざみちゃんが隣から覗き込んでくる。
「どれ?」
「奥の一番上にあるやつ。可愛いでしょ」
同意を求めてみると、あざみちゃんはふぅんと呟いた。それからお金を取り出して入れる。キョトンとする私に、あれでいいのね? と確認を取ってくる。
「え? えっと、取ってくれるの?」
「プリクラ払ってもらったから。その分だけ」
「……ありがとう」
あざみちゃんはぶつぶつと口の中で何かを呟く。高さと角度がどうのこうの、密度がどうのこうの……計算が終わったのかボタンを押し、ゆっくりとアームが動き出す。アームの先端がぬいぐるみの山に埋もれるのを見て、計算が上手くいったのか僅かに顔を綻ばせた。彼女の楽しそうな横顔を見ながら、こっちまで嬉しくなる。
普段からどこかしら捻くれて、大人ぶっている節のあるあざみちゃんだ。厳しい家や学校での人間関係や仕事のせいもあるのだろう、他人を拒絶するようにむっすりとした表情を浮かべることの多い彼女のことが心配だった。だけど今は言葉にこそ表していないものの楽しそうにしている。今の年相応の自然な笑みを、本人はきっと気付いていないだろう。
アームがゆっくりと持ち上がろうとして、けれどゆるい力のせいでそれほど閉じず、先端に捕らえられていた数個のぬいぐるみはボトボトと落ちてしまった。
「くそっ、アームの力を計算に入れてなかった……」
「クレーンゲームって難しいよね。ありがとうあざみちゃ」
「まだよ! 取れるまでやるの! 次はアームの力も計算して、ああそれと引っかけたり押し出したりするのもいいかもしれない」
「あ、あざみちゃん?」
「集中してるから!」
キッと鋭い眼光で睨まれ、思わずおおぅと後退る。真剣な表情でクレーンに向き直るあざみちゃんの全身からは今にもオーラが可視化できそうだった。もう一度挑戦し、またアームからはぬいぐるみが零れ落ちる。けれどさっきよりはいい線にいっていた。
集中しきると周囲が完全に分からなくなるのか、あざみちゃんに話しかけてみても返事どころか身動ぎ一つしてくれない。今なら何かイタズラをしてみたところで気付かないかも。カッと見開いた眼球がくるくるとアームやぬいぐるみの間を動くが、その間一切瞬きはしていなかった。細い指が慎重にボタンを押し、目当ての場所に着いた瞬間に離す。ゆっくりと下がったアームの先端が、私が言っていたぬいぐるみのチェーンに上手い具合に引っかかった。そのままアームが持ち上がり、私が固唾を呑んで見守る中、出口で開いたアームからぬいぐるみが滑り落ち、コロリと取り出し口に転がった。
「やったぁ!」
歓喜の声を上げたのはあざみちゃんだった。高揚したようにその場で飛び跳ね、取り出したぬいぐるみを私に向けながら頬を紅潮させている。
「見た!? やった! 取れた! あたし取れたわよ!」
「うん、うん! 凄いよあざみちゃん! やったね!」
二人できゃあきゃあとひとしきり喜んでから、ハッと我に返ったあざみちゃんが大きく咳払いをする。それから口をひん曲げたような顔を作り、ぬいぐるみを私の手に落とした。プリクラの分だからね、と私に言い聞かせるように告げる彼女に、素直じゃないなぁなんて思う。勿論そう言ったら怒られるから言わないけど。
と、不意に視界の端にピンク色の物が動いた気がした。不思議に思って横を向いた私の視界が瞬間、一面オレンジ色に染まる。
「わっ」
「おめでとうございまーす!」
視界からオレンジ色が遠ざかる。そこでようやく、それが風船の色であることが分かった。半透明のオレンジ色の、ぷわぷわと浮かぶハート形の風船。それを突き出してくるのは一匹のうさぎ……正確にはうさぎの着ぐるみだった。薄いピンク色で愛嬌のある顔立ち。けれどそこから聞こえてくるのは低い男性の声だった。片方の手で私に風船を差し出し、もう片方の手で大量の風船を掴んでいる。
「クレーンで商品を取れた方に、風船のプレゼント中なんです。よろしければどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず受け取って、あざみちゃんにいる? と差し出してみる。嫌そうな顔で首を振られたので肩を竦めながら私が受け取った。と、紐を軽く何度か引っ張ってみれば、中からコツコツという音がした。怪訝な顔をしたのが分かったようで、うさぎが明るい声で説明してくれる。
「もうすぐバレンタインでしょう? 風船の中に小さなチョコレートが一つ入ってるんです。萎んだり割れたりしても中のチョコレートが楽しめて一石二鳥ですから」
へぇ、と感心しながら風船を見上げた。風船の中に何かを入れるっていうのは聞いたことがあるけど、こういうのは粋な計らいだと思った。
うさぎが楽しんでくださいね、と言い残して数歩歩くと、目敏くうさぎを見つけた子供が数人駆け寄って抱き付いていた。それを切っ掛けにでもしたのか、あちこちから子供がやって来て風船を強請る。その光景を微笑ましく眺めていると不意に視線を感じて顔を下げた。うさぎに群がる子供達から一歩離れ、物欲しそうに私の風船を眺めている女の子がいた。五歳ぐらいの長い黒髪の女の子。その子は私と視線が合った瞬間、恥ずかしそうに慌てて俯いてしまった。
少し考えてから私はその子の前にしゃがみ込む。俯く彼女と視線を合わせ、風船を差し出して微笑んだ。
「欲しいのならどうぞ」
「……いいの?」
「勿論」
そう言うと、その子はパッと目を輝かせて風船を受け取った。嬉しそうに紐を両手でしっかりと握りしめ、ありがとーっ! と声を弾ませて屈託のない笑みを浮かべた。手を振りながらその場を離れる。
数時間かけて四人でショッピングモール内を探索してみたものの、やっぱりそう簡単に不審物が見つかるはずがなかった。失った時間の代わりに得た結果は疲労だけだ。午後二時になる直前、もう一度ゲームセンターに戻ってきた私達はぶらぶらと辺りを見回しながら話す。
「っつーかさ、この時間になっても何も起こらないってことは、情報が間違ってたんじゃないのか?」
「そんなのってあるのかな。でも、どうなんだろう」
「そもそも情報が少なすぎるのよ。誰かオウムから連絡来てないの?」
あざみちゃんが疲れたように言った瞬間、東雲さんの携帯の着信音が鳴った。三人分の視線を受けて彼は黒い携帯を取り出して画面を見る。
「噂をすればだな」
その言葉にあざみちゃんと太陽くんが東雲さんの携帯を覗き込もうとする。その間で東雲さんは携帯を耳に当て、口を開こうとした。
周囲に綺麗な鐘の音が響いたのはそのときだった。一瞬驚いたものの、それが二時を告げるチャイムの音であることにすぐ気が付いた。
「あ」
ふわり、と一つの風船が浮かび上がっていく。それに釣られるように、たくさんの風船が舞い上がった。店員さんの誰かが手を離してしまったのかもしれない。綺麗な色の風船が昇っていく、どこか幻想的な光景に、子供達が気付いて歓声を上げる。ゆらゆらと左右に揺れながら赤、青、黄色、緑……たくさんの色がガラス張りの天井に近付いていった。
一番先頭を上る赤いハートの風船。それが、トッと天辺に優しく触れた。
風船が、内側から轟音と共に爆発したのはその直後だった。
「キャアッ!?」
何が起こったのか分からず、身を竦めるような悲鳴を誰かが上げた。私も思わずビクリと体を強張らせ、空中で破裂した風船を茫然と見上げていた。
赤い風船が内側から破かれたように破裂し、大きな火を纏った。その音は風船が割れただけにしてはあまりに桁違いの音で、そもそも発火するだなんてことが、まるで爆弾のようで――――
爆弾?
赤い風船の切れ端が落ちていく。その中を、たくさんの風船がふわりと天井に向かって昇っていく。その光景を見て、さっき私が貰ったオレンジ色の風船を思い出した。
コツコツという音。チョコレートの入った風船。爆発した風船。
「え」
まさか。
直後。トトトトッとたくさんの風船がほとんど同時に天井にぶつかって。心臓を揺るがすような連続した爆発音がして、天井中央部分のガラスが砕け散った。
その真下にはまだ数人が残っていた。突然の出来事に身を竦めることしかできないその人達の中に、オレンジ色の風船を握った幼い女の子がいた。するりと手から抜けた風船が飛んでいく。
「っ――!」
言葉にする暇もなかった。誰も彼も、東雲さんやあざみちゃんや太陽くんでさえ突然の爆発に咄嗟に動くことができない中、私の足だけは無意識のうちに反射的に地面を蹴っていた。
飛び込むように向かった数メートル先。割れた天井の真下。キョトンとする女の子の小さな体を抱き締め、自分の体で覆い隠すようにその場に伏せた。
それとほとんど同じくして。頭上からおびただしいまでのガラスの雨が降り注ぐ。
 




