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第30話 ネコとイヌ

 それから三日後の午後六時頃。私は学校の校門前に立ち尽くしながら、じっと門から出てくる生徒達を眺めていた。といってもこの学校は私の通う道仏高校ではない。第六区の山近くにある東中学校という所だ。セーラー服姿の女子や学ラン姿の男子が賑やかに門を出て帰宅していく。中には立っている私に訝しげな目を向けてくる子もいたけれど、特にそれ以上気にした様子はなくすぐに目を逸らしていく。

 私がここに立ってからかれこれ二時間近くが経過していた。流石に同じ場所ばかりというのもどうかと思ったので、途中途中立ち位置を変えてみたりはしているものの、お目当ての人物は見当たらない。確か部活をやっているとは聞いたから、もしかしたらそれで遅くなっているのかな。

 道仏高校よりも少し広めの校庭では野球部とサッカー部が練習をしていた。すっかり日も暮れ暗くなったそこをライトが照らし出していた。ボールを蹴る音と走り込みをする声音が聞こえてくる。


 高校の授業が終わってから急いでやって来たこの中学校。目的は、ある人物と会うためだ。だけどその人物はまだやって来ない。

 まだかな、と寒い足を擦り合わせながら冷たい鼻を啜る。それから何気なく視線を上げ、校舎を見た。特に新しくも古すぎるわけでもない平凡な校舎。……だけどそれは外見だけの話だ。


 東中学校は今までに何度かニュースで見たことがある。そのうち数個はただ野球部が全国に行ったなどという普通のニュースだったが、そのうちのほとんどが不穏な物ばかりだった。教師同士による薬物の取り引き、生徒による殺傷事件、死体隠蔽事件に前年度校長の自殺、武装集団による学校占拠テロ。そんな現実味離れしている事件が頻繁に起こっている。勿論明星市の中でそんな事件は珍しいというわけじゃない。けれど、あまりにも一校に集中して起こりすぎているせいで、東中学校は市内でもよく知られている学校だった。

 そんな学校に彼が――三日前の晩に会った、あの少年が通っていると聞き、私は今日ここにやって来た。




 午後七時。サッカー部が校門を出ていき、野球部が校庭の整備を始めている時間。私はじっと見つめていた門から目を逸らし、大きく溜息を吐いた。凝り固まった手足を伸ばすとパキポキと関節が鳴る。

 今まで待ってみたけれど結局あの少年は姿を現さなかった。もしかしたら私が来る前に帰ってしまっていたのかもしれないし、よそ見をしている間に通り過ぎていたのかもしれない。今日はこれ以上待っていてもしょうがないだろうと判断した。お腹も空いたし、駅ビルでご飯でも食べて帰ろうかな。


「あ」


 と、ちょうどそのとき目の前を数人の男子生徒が通り過ぎた。その一人に目が行く。学ランの下にパーカーを重ね着し、肩から大きなスポーツバッグを下げた、トゲトゲとした黒髪の子。それは間違いなくあの少年だった。

 そのまま学校前の坂道を下りていこうとする少年達。私は咄嗟に呼びかけようとして、それから少し考える。彼らが談笑しながら坂を下っていくのをしばし見送ってから、数メートル程の距離を置いて後ろについて行った。部活の話、明日の宿題の話、テレビの話、休日の話。他愛ない会話を広げて笑うのを後ろで聞いていた。しばらく歩くと坂が終わり、道があちこちに広がっていた。いつもここで別れるのだろう、彼らはそれぞれに軽く手を振りながら別々の道へと進んでいった。真っ直ぐの道に行こうとするのは例の少年一人だけ。軽く駆け寄って、その背に呼びかけた。


大田おおた太陽たいようくんだよね?」


 少年――太陽くんの足が止まり、その顔が振り返る。キョトンと呆けたような顔が私の目を見つめた。素なのか目が爛々と輝いている。太い眉のせいか凛々しそうな顔にはまだ少し子供らしさが残っていた。


「そうだけど……お姉さん、誰?」


 僅かに戸惑いの色を含ませた声で彼が尋ねてくる。三日前の夜、一瞬顔を見合わせただけだ、彼の方は私のことを覚えていないだろう。だからその疑問を解消させるために私は自分の『名前』を告げる。


「秋月和子。『ネコ』って言えば、分かるかな。三日前に助けてくれたよね」

「ネコ? …………ああ!」


 合点がいったように太陽くんは顔を明るくした。パッとしたその顔に一気に親しげな感情が浮かぶ。そんな彼に微笑んで、私は続けた。


「いきなりごめんね。実は……」

「あ、タンマタンマ。ちょっと待ってくれよ」


 そう言って手を振り、私の言葉を遮って。彼はすぐ近くにあった煌々と明るいコンビニを指して。腹が減ったから寄ってこうぜ、と笑った。



「冬の肉まん美味いなー」

「本当にねぇー」


 もぐもぐと温かな肉まんを頬張りながら私達は歩いていた。あんまんもいいけど肉まんの方が好きだと太陽くんは言っていた。私も同意見だ。彼は大口を開けて三口で肉まんを食べ終えると、指を舐めながら私の顔を覗きこんでくる。


「そういや結局、和子は何の用でオレに会いに来たんだ?」

「んー」口に入っていた肉まんを飲み込んで、答える。「お礼を言いたくて、かな」

「お礼?」

「うん。あのとき君があの男を殺してなかったら、もしかしたら私達危なかったかもしれないから。ありがとね、『イヌ』くん」


 そう呼ぶと、僅かに彼は唇を引き締めた。

 三日前の晩、真理亜さんの住む女性専用の綺麗なマンションの一室で彼女に聞いた、『イヌ』という名の殺し屋。まだ中学一年生の少年。それが太陽くんだ。

 あのとき、彼があの男を殺していなければ私達は危なかったかもしれない。だからその礼を言うために、そしてあざみちゃんと同い年である彼にどこか親近感が湧いて、わざわざ如月さんに情報を貰って今日私はやって来た。……まるで東雲さんが学校で待ち構えていたときと同じだなと、そのとき不意に思った。


「お礼とかいいよ。だって、悪い奴は倒さなきゃだろ」

「あなたも同じ人を依頼されてたの? それとも如月さんに援護を頼まれてたりとか?」

「いや。あれは、学校帰りに偶然見かけただけ。怒り狂ってる奴の足元に死体が転がってたら、そいつが殺してたって思うだろ? あの後聞いたけどお前らの依頼だったんだな」

「……ええっと、じゃあまさか、人を殺してると思った男を咄嗟に殺したの? 根拠もなく?」

「悪い奴は倒さなきゃ」


 同じことを言って太陽くんはぐっと眉を顰める。


「オレがこの世の悪い奴を全員倒してやるんだ。腐った世の中を変えるのはオレしかいないから」

「…………う、うん」

「あ、それと『イヌ』って呼び方あまり好きじゃないんだ。よえーじゃん、何か。どうせだったらライオンって呼んでくれよ」


 屈託のない笑顔を浮かべて太陽くんは言う。それから手を差し伸べて、私の手を上下に振ってきた。太陽くんの手は手袋もはめていないのに凄く温かかった。これからよろしく、と明るい声で告げてくる。


「組むこととかあったら、よろしくな」

「こちらこそ。よろしく」



 私が太陽くんと組む未来はそう遠くはなかった。

 どころか、それからたった数日後、情報屋で私は彼と再会した。






「――――よし、全員集まったな」


 土曜日の晩、呼び出されて情報屋にやって来た私と東雲さんを見て、カウンターに座る如月さんが言った。彼がこれから語ろうとしているのが仕事の話だということは分かっていた。当然、身を入れて聞かねばいけない話。けれど今の私はどうしたって、話に集中できそうになかった。

 情報屋には先客がいた。あざみちゃんと太陽くんだ。東雲さんと私を含めた四人は今、横一列に並んで如月さんの方に体を向けていた。私の右隣にあざみちゃんが、あざみちゃんの隣に太陽くんが、そして私の左隣に東雲さんが。東雲さんは黙って前を見つめ、そんな彼をあざみちゃんが射抜くような険しい眼差しで睨んでいた。間に挟まれた私は関係ないのに身を竦めるばかりだ。


「依頼は何だ」


 あざみちゃんの視線を一蹴して東雲さんが問う。如月さんは舌打ちをするあざみちゃんに肩を揺らして笑いながら、目を細めて言った。


「近頃話題になってる連続爆破事件。ニュースで見たことあるだろう? 爆弾魔の仕業によるってやつ」

「爆弾」


 太陽くんが弾んだ声色で復唱した。小鼻が膨らみ、その顔に期待の色が現れる。

 如月さんが手元のパソコンのキーボードを少し弄ったかと思うと、直後に私のパーカーのポケットが音楽と共に震え出した。慌てて取り出したスマホを見ると、宛先不明の所から一通のメールが届いていた。動画が添付されている。視線を上げると如月さんが手の平を差し出して、「それを見てくれ」と告げてきた。左右からじっとスマホを覗き込まれるのを感じながら、私はその再生ボタンを押す。

 流れ出したのはニュースだった。緊迫した面持ちの男性ニュースキャスターが早口に喋っている。


『先程、第二区駅前のバスが突然爆発しました。それにより少なくとも十人が死亡、二十人以上が重傷を負い病院へ搬送された模様です』


 途端に画面内に別の映像が流れる。ガタガタとノイズ混じりに揺れる画面と、背景に流れる悲鳴や叫び声、撮影者であろう人物のわななく声。撮影されているのはまさに地獄絵図と言ってもいい光景だった。

 駅前のバス停に停まっているバスが火に包まれていた。ガラスの割れた窓という窓から噴き出す火炎と黒煙の中、割れた窓から人の影がいくつか飛び出していた。()としか言いようのない。何故ならそれは、炭化した木のように真っ黒に焦げた物質にしか見えなかったのだから。

 バスの中に知り合いがいたのだろう、燃え盛る炎に近づいて懸命に何かを叫ぶ女性がいた。けれど返事はなく、火に近付きすぎた女性が他人の手によって火から引き剥がされた瞬間、もう一度大きな爆発が起こり、完全に火がバスを包み込む。


「これは……一週間前のバス事故よね」


 右から画面を覗き込むあざみちゃんが怪訝な声色で呟く。私は頷き、画面の惨状に唇を噛んだ。

 先週末、第二区の駅前でバスが爆発した。駅前というのもあってか死者と怪我人の数は多く、ニュースでもそのことは報道されていた。だがそれを始まりとしたかのようにこの一週間、あちこちで爆破事件が起こったのだ。第三区のアパレルショップ、第七区のポスト、第一区の商店街……第四区の公園でも同じことは起こっていた。黄色いテープが張られた公園、植木の一角を中心に抉られたように広がる焦土を見た覚えがある。

 連続爆破事件。つまりは、今明星市でそんな犯行が行われていた。


「今回の依頼はその爆弾の撤去。今ここにいる四人で組んでもらうからな」

「はぁっ!?」


 如月さんの説明にあざみちゃんが目を剥いた。この四人……東雲(オオカミ)さんと、(ネコ)と、あざみ(クモ)ちゃんと、太陽(イヌ)くん。


「なっ、何であたしがオオカミと組むの!? だったらあたし一人でいいわよ! ふざけないで!」

「あのなー。爆弾の撤去なんて大がかりな依頼、一人でできるわけないだろ? それに白ウサギは仕事をしないし、ドブネズミは元々使えない、カラスは単独行動かネコと二人だけの仕事しか受けないって言うし、人魚姫は別件だ」

「他にも殺し屋ならゴロゴロいるでしょ!」

「白羽の矢が立ったのがお前達ってだけなんだから。諦めな」


 無情にも言い切る如月さんに、あざみちゃんがぐっと喉を詰まらせたように顔を歪ませる。東雲さんを睨み、それからまた如月さんに向き直る。


「それに、撤去って何それ? そんなの警察の仕事でしょ。あたし達のする仕事じゃない」

「依頼人にも事情があるんだ」

「そんな説明じゃ納得できない。依頼人って? 誰?」

「だって依頼人が警察だから」


 えっ、と声を上げると皆の視線が私に集った。どうかしたのかと言いたげなその視線に、そっちこそどうしたんだと言いたくなりながら、上ずった声で疑問をぶつける。


「警察!? 何でですか! どうして警察が殺し屋なんかに依頼してくるんですか!?」


 私達と相容れぬにも程がある存在。そんな警察がどうして依頼なんかしてくるんだ。


「政府とか警察とか、そういう国家的な存在が裏と繋がってるなんてこと、よくあるだろ?」

「い、いや、それはフィクションの話だけ……」

「実際にあるんだよネコちゃん。だからこうしてたまに依頼がやってくる。……ああ、だけど勘違いはしないでくれ。そういう人間の全てが裏と繋がってるわけじゃない、一部の人間だけだ。それにそういう人達も俺達の存在を許したりしているわけじゃない、黙認しているだけ」


 皆の平然とした反応を見る限り、どうやらそう珍しいことでもないようだった。

 頭が痛くなってきた。警察が殺し屋を黙認している? 殺人を見て見ぬフリをしている? 明星市の警察が元々犯罪を野放しにしている傾向があるとは噂されていたけれど、まさか関わっているとまでは予想外だった……。


「ふっ……所詮、社会の番犬か」

「お前もイヌだろ」


 野暮なこと言うなよー! と東雲さんに反論する太陽くんを横目に、あざみちゃんが如月さんに尋ねた。


「まあ細かいことは後で聞くからいいわ。それより、実行はいつ?」


 如月さんは眼鏡の端を持ち上げながら、微笑みと共に、


「明日」


 そう言った。






 第二区駅の屋根の下、私と東雲さんは柱に寄りかかるように立ちながら、ぼんやりと空を見上げていた。日曜日なのに生憎あいにくの雨。叩き付ける豪雨が屋根や、駅前の銅像をじっとりと濡らしていた。


「降るなぁ……」


 ボソリと呟いた言葉に、ああ、と東雲さんが相槌を返す。そんな彼を横目で見た。今日の彼はいつものモッズコートではなく、代わりに黒いトレンチコートを着ている。その隣に立つ私もいつもの猫耳パーカーは着ておらず、白いシフォンチュニックとデニムのショートパンツにタイツ。普段出かけるときのような服装だ。インナーもタイツも厚手のものだけれど、雨も降る二月上旬の外は、結構肌寒い。

 しばらく待っていると改札の方からあざみちゃんが、数分もせず太陽くんも遅れてやってきた。二人とも同じように私服姿、それも仕事用などではなく純粋な普段着だった。

 あざみちゃんはベージュのカーディガンにワインレッドのミニスカートと黒のサイハイソックス。太陽くんは白い長袖の上から英文(意味は分からない)が書かれている黒いノースリーブのパーカーと、迷彩柄のクロップドパンツ。


「おはよう。あざみちゃん、太陽くん」

「……おはよ」

「よーっす!」


 簡単な挨拶を交わしてから私は傘を開く。十月頃から使っている黄緑の傘。倣うように皆も傘を広げ屋根の下から一歩前に進んだ途端、傘の布地を雨粒が激しく叩く音が聞こえる。

 それじゃあ行くかー、と告げるように太陽くんが前を歩き出す。それからすぐに立ち止まり、首を傾げて振り返る。


「どっちだっけ?」

「あんたねぇ…………ほら、こっちよ」


 あざみちゃんが太陽くんの隣を案内するように歩く。後ろから見つめて微笑んでから、自分の気を引き締めるように私は顔を引き締めた。

 周囲をすれ違って行く人々の足音は、雨に隠されたように聞こえなかった。

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