間奏 止まった時計
事務所の階段の鉢植えが、一つだけ新しくなっていた。
千歳は踊り場で足を止め、緑の葉を確かめてから三階へ上がった。扉を叩くと、中から「どうぞ」と声がした。
未明は来客用の机に座っていた。向かいにもう一人、男がいる。三十を少し過ぎたくらいで、細い縁の眼鏡をかけ、膝の上に薄い紙の束を載せていた。
「すみません、出直します」
「いえ、もう終わるところです」
答えたのは男の方だった。にこやかに立ち上がり、千歳に会釈する。未明は座ったままだった。
「志築といいます。以前、久瀬さんに僕の企画へ来ていただいて。その感想を伺いに来ました」
「感想」
「謎解きの公演です。お客さんに参加してもらう形の」
千歳は未明を見た。未明は机の上の案内を指で叩いた。表紙に、古い洋館の写真と題名が印刷されている。
「去年の秋です」
「それで、どうでした」
志築が座り直した。紙の束を両手でそろえている。千歳はなんとなく、その束が感想を書き留めるためのものなのだと思った。
「時計がよかった」
未明が言った。
「時計?」
「二幕目の、暖炉の上の時計です。四時十分で止まっていた。台本では夜の九時の場面なのに」
「ああ、あれは……」
志築は少し笑った。
「小道具の都合です。針が動かなくなってしまって。気づいた方がいたとは思いませんでした」
「意味があると思って、ずっと考えていました。最後まで」
「それは、申し訳ない」
「いえ。あの公演でいちばん長く考えたのは、あの時計です」
志築の笑顔は崩れなかった。ただ、紙の束をそろえる手が止まった。
「謎そのものは、いかがでしたか」
「謎そのものは、三幕目の途中で分かりました」
「途中で」
「執事の手袋が、一幕目と違っていたので」
志築は何か書こうとして、やめた。
「では、また別の企画のときに、ぜひ」
志築は紙の束を鞄にしまい、新しい案内を一枚、机に置いた。日付はまだ入っていない。
「近いうちに、久瀬さんに解いていただきたいものがあるんです。今度は、時計も動きます」
そう言って、志築は千歳にもう一度会釈し、出ていった。
*
千歳は志築の座っていた椅子に座った。
「感想を聞きに来た人に、止まった時計の話をするの」
「いちばん印象に残ったので」
「謎の話をしてほしかったんだと思うけど」
「謎の話もしました」
「途中で分かった、って」
「途中で分かったので」
千歳はため息をついて、鞄から封筒を出した。
「梓の件。料金、考えた?」
「考えました」
未明は奥の机の山から一枚抜いた。今度も山は崩れなかった。紙には金額が一行と、その下に小さな字で何か書いてある。
千歳は下の行を読んだ。
または、水城航氏の原稿の最終版
「払えない方を書かないで」
「どちらでもいいので」
「お金で払う」
千歳は封筒から必要な分を出して、机に置いた。未明は数えもせずに受け取り、少し残念そうに紙を山へ戻した。
「さっきの人」
千歳は机の上の案内を手に取った。洋館の写真の下に、制作の名前がある。
「志築さん。知り合いなの?」
「さっき会いました」
「去年の公演で会ってるんでしょう」
「公演では会っていないと思います。会っていたかもしれない」
「名前は」
「志……」
未明は言葉を止めて、千歳の手元の案内を見た。
「そこに書いてあります」
「覚えてないんだ」
「時計は覚えています」
千歳は案内を机に戻した。四時十分で止まった時計の写真は、どこにも載っていなかった。
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