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明日の展示室には何もない(連載版)  作者: 白川 透


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花嫁を捜すな③

 水城航は四十分ほどで来た。


 背が高く、襟元のきちんとしたシャツを着ていた。手には梓の好きなパン屋の紙袋を提げている。玄関で靴をそろえ、部屋に入ってから、遥と千歳と見知らぬ男を順に見た。


「どうして皆さんが」

「遥は原稿を受け取った人。千歳と久瀬さんは、私が頼んだ」


 梓が答えた。航は紙袋をテーブルの端に置き、梓の向かいに座った。


「今夜、何を話すつもりだったの」


 梓の声は落ち着いていた。航は少し笑った。


「式の前に、梓の気持ちをちゃんと確かめておきたかったんだ」

「確かめて、どうするつもりだったの」


 航は答えなかった。


「ちゃんと理由があるなら、聞くよ」


 千歳は梓の横顔を見た。まだ待っている顔だった。


 航は紙袋に目をやり、それから梓に戻した。


「……正直、このまま結婚していいのか、分からなくなってた。一度考え直したいって、話すつもりだった」


 しばらくして、梓は自分の携帯電話を航の前に置いた。


「なのに、ここでは昨夜二人で話し合って、予定どおり式を挙げると確認したことになってる。私が来ないことまで書いてある」


 航は画面を見て、遥を見た。


「遥ちゃん。本人には言わないでって」

「……ごめん。でも、私が読む文章だから」


 遥は目をそらさずに言った。航は息を吐き、梓に向き直った。


「話せば、梓も分かってくれると思ったんだ。結局は予定どおりにするつもりだった。来なかった場合のは、司会が困らないように用意しただけで」


 航はテーブル越しに手を伸ばしかけた。


「別れるつもりはなかった。予定どおり結婚しよう、梓」


 梓は手を出さなかった。引っ込めもしなかった。


 未明が口を開いた。


「今夜、予定どおり結婚すると二人で確認すれば、その部分は本当になりますね」


 航が未明を見た。


「……何ですか」

「原稿のことです。昨夜も二人で話し合い、予定どおり式を挙げることを確認していました。今夜そう確認すれば、明日にはそのまま読める」


 未明の声が弾んだ。


「原稿を直す代わりに、今夜話す内容を変えるわけですか」

「久瀬さん」


 千歳が呼んだときには、航の顔色が変わっていた。


「原稿の出来の話なんかしてない。俺は梓と話してるんだ」


 航は梓に向き直った。


「梓だって、話せば分かるだろ。いつもそうじゃないか」


 誰も何も言わなかった。


 千歳は梓を見た。梓は航を見ていた。


「もし私が明日行かなかったら」


 梓が言った。


「お父さんとお母さんには、何て言うつもりだったの」


 航は口を開いて、閉じた。


「……原稿のとおりだよ。話し合って、それでも梓は来なかったって」

「考え直したいって言うのは、航のほうだったのに」

「だから、それは」

「明日は行かない」


 航の肩から力が抜けたように見えた。それが安堵なのかどうか、千歳には分からなかった。


 梓は続けた。


「黙って行かないんじゃなくて、私が説明する」


 航が顔を上げた。


「説明って、誰に」

「航のお父さんとお母さんに。招待した人たちにも」

「俺から話す。梓がわざわざ」

「航の説明は、もう読んだ」


 梓は自分の携帯電話をテーブルから取り上げた。


 航はしばらく座っていた。それから立ち上がり、紙袋を手に取りかけて、置いた。何か言うかと千歳は思ったが、航は誰の顔も見ずに玄関へ向かった。靴を履く音がして、扉が閉まった。


 テーブルの端に紙袋が残った。


 梓は大きく息を吐き、しばらくそれを見ていた。


 遥が口を開いた。


「梓。式場に、連絡していい?」


 梓はすぐには答えなかった。段ボール箱の「新居・台所」の字を見ていた。千歳も遥も、何も言わずに待った。


「……うん。お願い」


 遥は鞄からノートパソコンを出した。画面に招待客の一覧が開く。


「来てくれる人たちには、梓が何て伝えたいか決めて。文面は私が送る。航さんの方は」

「それも私が決める。送るのは、手伝ってほしい」

「うん」


 招待客の一覧を確かめ、文面を何度か直しているうちに、窓の外は暗くなっていた。


 梓は母親に電話をかけた。短い会話だった。お母さん、明日の式、やめる。今から説明しに行くから、後で話す。電話の向こうの声は千歳には聞こえなかったが、梓は二度うなずいて、ありがとう、と言った。


 それから、梓は別の番号にかけた。


「夜分にすみません。瀬尾です。……はい。明日のことで、私から説明させてください。今から伺ってもいいですか」


 電話を切ると、梓は千歳を見た。


「行く前と、帰ってから、連絡する」

「待ってる」


 梓は白い箱を、段ボール箱の山のいちばん上に載せた。


*


 駅までの道を、千歳は未明と並んで歩いた。


「航さんは今ごろ、自分の説明を直しているでしょうね」

「そういうのは明日にして」

「明日には変わっている」


 未明は少し残念そうだった。


「知りたいの?」

「知りたい」

「私は、梓がちゃんと帰れたかを知りたい」


 未明は前を向いたまま、うなずいた。反論はしなかった。


 千歳の携帯電話が震えた。梓からだった。今から行ってくる、とだけあった。千歳は「うん」と返した。


*


 梓と会ったのは、式の予定だった日から五日後だった。


 坂の下の喫茶店を選んだのは千歳だった。ガラスケースには、今日も栗のタルトが並んでいた。


「航のお父さんとお母さんには、あの夜に話した」


 梓はコーヒーをかき混ぜながら言った。


「お母さんは泣いてた。お父さんは、ほとんど何も言わなかった。最後に、梓さんから聞けてよかったって。それだけ」


 式場の取り消しは、遥と梓の父親が手続きをした。招待客への連絡は、梓が決めた文面を遥が送った。費用の話はまだ残っていて、両家で相談しているという。航からは一度だけ連絡があった。謝罪なのか言い訳なのか分からない長い文章で、梓はまだ返事をしていない。


「引っ越しの箱、全部開けちゃった。もとの棚に戻すの、案外すぐ終わるね」


 梓は少し笑った。


「それで、千歳」

「何」

「相談する相手、間違えてない?」


 梓はカップを置いた。


「あの探偵さん、私より航の原稿のほうに興味があったよね。最後まで」

「間違えてない」


 千歳はすぐに答えた。梓は目を丸くして、それから声を出して笑った。


「即答なんだ」

「即答」


 千歳の携帯電話が震えた。未明からだった。


  航さんの原稿は、最終的にどう直されたか分かりますか


 千歳は画面を梓に見せた。梓はしばらく眺めてから、首を振った。


「直してないと思う。もう読む人いないし」


 千歳は「知りません」とだけ返し、携帯電話を伏せた。


 それからフォークを取った。タルトの端から一口目を切る。


 栗は、思っていたより甘かった。

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