花嫁を捜すな②
式場から坂を下りたところに、遥がよく来るという喫茶店があった。
入口のガラスケースに栗のタルトが並んでいた。千歳は席に着く前に決めていた。遥はコーヒーだけを頼み、未明は品書きを最後まで読んでから紅茶にした。
注文が来る前に遥の携帯電話が鳴った。杉本からだった。席次表の確認だと言って、遥は店の外へ出ていった。
千歳はタルトにフォークを入れた。一口目の前に、言葉が先に出た。
「念のための原稿じゃないの」
未明が千歳を見た。千歳も自分で気づいた。敬語が抜けていた。言い直すのも妙なので、そのまま続けた。
「当日何かあったら困るから、先に用意しておいた。それだけかもしれない」
「念のため書いたことより、梓さんに確かめるなと言っている方が気になります」
「不安にさせたくなかったのかも。式の前に、来なかった場合の文章なんて読みたくないでしょう」
「そうですね」
未明はあっさり認めた。
「それなら、遥さんにも読む準備だけ頼めばいい。昨夜二人で確認した、とまで書く必要はない」
「書き方が下手なだけかもしれない」
「かもしれない」
未明は紅茶に口をつけなかった。
千歳はフォークを持ったまま、窓の外の遥を見た。遥は電話をしながら、何度も頭を下げていた。
「でも、梓に連絡できないわけじゃない。家族だって友達だっている」
「ええ。完全には止められない。止められると航さんが思っているかどうかです」
「思ってるの?」
「梓さんは黙る、と思っているかもしれない。そこは僕には分からない」
千歳は梓の二つ目の行を思い出した。聞いたら、たぶん私が謝って終わるから。
「前夜に僕から話す」
未明が、依頼文の一行を口にした。
「何を話すつもりなのか。それが分からないと、どの読み方も決められない」
「梓も、何の話か知らないかもしれないよ」
「それなら、知らないということを確かめたい」
遥が戻ってきた。席に着くなり、携帯電話を二人に向ける。
「梓から。今帰ったって」
千歳はフォークを置いた。タルトは端が一口欠けているだけだった。いつ食べたのか、自分でも覚えていなかった。
未明の視線が一度皿に落ちて、何も言わずに伝票へ移った。
*
梓の部屋には段ボール箱が積まれていた。
側面に梓の字で「新居・台所」「新居・本」と書いてある。来週、二人で借りた部屋へ移る予定だと、千歳は前に聞いていた。
「休みの日にごめんね」
「休みだから来られた」
梓は笑った。少し疲れた笑い方だった。テーブルの上には、実家から持ち帰ったという平たい白い箱が置いてある。中身は母親が式で使ったベールで、明日使うのだと梓は言った。
「久瀬さん、ですよね。千歳から聞いてます」
「お邪魔します」
未明は段ボール箱の文字を一つずつ読んでから座った。
梓は自分の携帯電話をテーブルに置いた。昨夜遥が送った原稿が表示されている。
「読んだよ。何回も」
遥が小さく「ごめん」と言った。梓は首を振った。
「遥が謝ることじゃない。最初は、念のためだと思った。航、そういうところあるから。用意がいいの。旅行に行くときも、雨の日の予定まで決めてくるし」
梓は白い箱の角を指でなぞった。
「中止の話は、してない?」
千歳が聞くと、梓はすぐに答えた。
「してない。するわけない」
それから段ボール箱の方へ目をやった。
「来週引っ越すんだよ」
千歳はうなずいた。
「今夜、航さんと話す予定があるんですか」
未明が尋ねた。梓は携帯電話を操作し、水曜の日付のメッセージを見せた。
土曜の夜、少し話したいことがある
「式の前の夜だから、そういうものかなって。改まって何か言いたいのかなって」
「何の話だと思いましたか」
「緊張してるだけだと思う」
梓は未明ではなく、千歳を見て言った。千歳は返事をしなかった。代わりに未明が口を開いた。
「一つの読み方として聞いてください」
梓が未明を見た。
「航さんは今夜、結婚をやめたいと言うつもりでいる。そのうえで、梓さんが明日来ないと見込んでいる。だから、来なかった場合の説明を先に司会へ渡した。昨夜も話し合って確認した、と書いておけば、明日の欠席は梓さんが決めたことになる」
「そんなの」
梓はそこで止まった。
「来ないって、どうして私が来ないって決まってるの」
「決まってはいません。航さんがそう見込んでいるかもしれない、というだけです。僕に言えるのはそこまでです」
部屋が静かになった。遥は膝の上で両手を組んだまま、段ボール箱の文字を見ていた。
梓は白い箱の蓋に手を置いた。開けはしなかった。
「……私なら、来ない」
千歳は梓の手を見ていた。
「前の夜にそんなこと言われたら。たぶん、行かない。それで、誰にも何も言わない」
「梓」
「前にもあったの」
梓は千歳の方を見ずに続けた。
「航のお父さんの還暦のお祝い。家族で食事するって、私だけ日にちを聞いてなかった。後で航が、梓は仕事で来られなかったって言ってたって、お母さんから聞いたの。違うよって言えばよかったのに、言わなかった。言ったら航が困るでしょう」
遥が顔を上げた。知らなかったという顔だった。
「航は、それを覚えてるんだと思う」
梓はそれだけ言うと、しばらく黙った。千歳は何か言おうとして、やめた。
「でも、分からないよね」
やがて梓が言った。
「今夜、航が何を言うのか。久瀬さんの言うとおりかもしれないし、違うかもしれない」
「分かりません」
未明が答えた。
「じゃあ、今聞く」
梓は携帯電話を取った。
「航? ……うん、私。夜の話、今からにして。……うちで。遥も千歳もいる。……うん。待ってる」
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