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明日の展示室には何もない(連載版)  作者: 白川 透


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14/15

犯人役は、お断り①

「謝れって言われたんです。本当に僕が話したのか、誰も確かめてないのに」


 吉野弘人は、作業台に置いた雑誌を指で押さえた。


 店の中は木の匂いがした。壁はまだ下地のままで、ショーケースの置かれる場所には養生の板が敷いてある。照明だけが先に取りつけられていて、作業台の上を明るく照らしていた。


「それに、紹介状も止められました」


 千歳が吉野の菓子を初めて買ったのは、朝瀬署に来た年の秋だった。朝霧堂の栗かのこは毎年九月の終わりに店に並び、十月の半ばにはなくなる。三年目に、包んでくれた職人が作った本人だと知った。それから、店で顔を合わせると少し話すようになった。


 吉野から電話があったのは、今日の昼休みだった。相談できる人が思いつかなくて、と吉野は言った。話を聞いて、千歳は仕事の後に行くと答え、それから未明に電話をかけた。


 未明は千歳の横で、雑誌を読んでいた。市内の情報誌で、開いた頁には朝霧堂の秋の新商品が写真入りで載っている。栗の羊羹。発売は来週の月曜。


「この記事が、今朝出たんですね」

「はい。親方は、発売まで伏せておくつもりだったって」


 吉野は少し声を落とした。


「先週、僕がこの記事を書いた人と話してるのを、親方が見てたんです。店の前で。新しい店の取材の相談だったんですけど」

「それで、吉野さんが話したと」

「明日の十時に、店で話をすることになってます。謝ってもらうって。親方と、相談役の折原さんと」


 吉野は携帯電話を出して、一通の連絡を見せた。今日の昼に、折原から届いたものだった。


  疑いが晴れるまで、紹介状への署名はお待ちいただくことになりました。締切までには処理いたします


「紹介状というのは」


 千歳が聞くと、吉野は作業台の端から一枚の紙を取った。百貨店の催事の案内だった。


「秋に、百貨店で菓子の催事があるんです。毎年。そこに、初めて出る店のための小さい枠があって。応募するのに、もう出てる店からの紹介状が要るんです。親方が紹介者になってくれることになってました。先週」

「締切は」

「明日の五時です」


 千歳は案内の下の欄を読んだ。紹介状は紹介する店の店主が署名したもの。持参でも郵送でもよい。


「この催事で、最初に売るつもりだったんです」


 吉野は作業台の隅に置いてあった布の包みを開いた。中から、木の柄のついた焼き印が出てきた。先端の金属に、ひらがなで屋号が彫ってある。


  くりや


「栗の焼き菓子に、これを押します。手で押すので、一日三百が限度です。初日は三百。それ以上は押せません」

「食べてみたい」


 千歳が言うと、吉野は少し笑った。


「店が開いたら」


 未明は雑誌から顔を上げた。


「折原さんの連絡は、二つのことを書いていますね。署名は待つ。でも締切までには処理する」

「疑いが晴れたら、ってことでしょう」

「そうですね」


 未明はうなずいたが、携帯電話の画面から目を離さなかった。


 千歳は雑誌を手に取った。記事の最後に、書いた人の名前がある。


「吉野さん、この人の連絡先は」

「名刺をもらってます」

「今、聞いてみませんか。記事の中身を、どこから手に入れたのか。明日の話は、それからの方がいい」


 吉野は名刺を探し、電話をかけた。千歳は横で、聞くことを二つ書いた紙を吉野に見せた。情報の出所と、記事をいつ出してよいと言われていたか。


 電話は五分ほどで終わった。


「朝霧堂の広報から来た資料だそうです。西尾さんから。記事は、今日の朝に出していいと言われてたって」


 吉野は電話を握ったまま、しばらく作業台を見ていた。


「明日、それを言えばいいんですよね」

「広報の方にも、来てもらった方がいいと思います」


 千歳が言うと、未明が雑誌を閉じた。


「僕も行っていいですか」

「何をしに」

「折原さんに会ってみたいので」


 吉野は少し笑って、うなずいた。


*


 朝霧堂の応接間は、店の二階にあった。


 金曜の十時、千歳は吉野と未明と一緒に階段を上った。千歳は休みだった。店の前を通ると、ショーケースの端に、記事に載っていた羊羹の見本がもう並んでいた。


 部屋には三人いた。


 窓際に座っているのが、三代目の柏木恒一だった。五十を少し過ぎたくらいで、白い調理着の上に紺の上着を羽織っている。仕込みの途中で上がってきたらしく、袖口に粉がついていた。


 その隣に、背広の男がいた。三十代の半ばで、髪を短く整えている。立ち上がって、千歳と未明に名刺を出した。


「折原です。朝霧堂さんの相談役をしております」


 もう一人は広報の西尾という女性で、膝の上に紙の束を載せていた。


 机の上に、一枚の紙が置いてあった。千歳は座りながら、それが何かを見た。


  このたびは、発売前の商品情報を外部へ伝え、ご迷惑をおかけしました


 謝罪文の下書きだった。署名の欄は空いている。


「先に、こちらから確認させてください」


 千歳が言うと、柏木が眉を寄せた。


「あんたは」

「吉野さんの知り合いです。今日は付き添いで来ました」


 吉野が、昨夜の電話のことを話した。西尾の顔色が変わった。


 西尾は膝の上の紙をめくり、一枚を机に置いた。情報誌に送った広報資料の写しだった。記事に書かれていることは、全部そこにあった。


「解禁日を、木曜とお伝えしていました。月曜の間違いです。私の送った連絡で」


 西尾は柏木に頭を下げた。柏木は何も言わずに、資料と記事を見比べていた。


 折原が謝罪文の下書きを手に取った。


「では、謝罪の話はなしにしましょう」


 折原は吉野の方を向いた。


「吉野さん、申し訳ありませんでした。独立のことも、改めて応援させてください」


 あまりに早かったので、千歳は折原の顔を見直した。折原は下書きを二つに折って、自分の書類の束に挟んでいた。


 柏木は窓の外を見ていた。


「この下書きは、いつ書いたんですか」


 未明が言った。


「昨日の昼です」

「記者に確かめる前ですね」

「はい」

「謝る人と、謝る文面が、先に決まっていた」


 折原は未明を見た。気を悪くした様子はなかった。


「親方の気持ちを、先に書類にしておくのが私の仕事なので。確かめた後で捨てるのも、私の仕事です」

「捨てる準備も、していたんですか」

「今、捨てました」


 未明の顔が明るくなった。


「吉野さんが署名しなかった場合は、どうするつもりでしたか」

「記者と話した日時と中身を、吉野さんご本人に書いていただく用紙を用意していました。そちらも、もう要りません」


 未明は身を乗り出した。折原も、手元の書類を置いた。


「久瀬さん」


 千歳が呼んだが、未明は次の質問をしていた。折原は最後まで聞いて、短く答えた。また質問が来た。


 千歳は吉野を見た。吉野は二人を見て、それから千歳を見た。


「紹介状のことを」


 千歳が言うと、ようやく二人が黙った。


「紹介状は、締切までに処理します」


 折原が答えた。


「親方は午前中、仕込みがありますので。午後に」

「三時からは組合だ。戻るのは夜になる」


 柏木が窓の外を見たまま言った。


「三時までに戻ってこい。道具も取りに来るんだろう」

「はい」


 吉野が答えた。折原は手帳を開いて、何か書いた。


「吉野さん、午後に来られたとき、少しお時間をいただけますか。ご相談したいことがあります」

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