第3話「琥珀と蛋白石」
訓練は、思っていたものと違った。
「まず、これをやる」
次の日の朝。オーリがそう言って始めたのは——剣を振ることでも、拳を構えることでもなかった。
「腕を上げろ。そのまま横に伸ばす」
「……これが訓練?」
「準備運動だ。弱っていたお前の身体は固まっている。最初に、ほぐす事から始める」
私は言われるままに腕を伸ばした。肩の奥が、ぎしぎしと軋んだ。
「痛い」
「当然だ。ほとんど動いていなかった身体だ」
オーリは私の隣で、同じように腕を伸ばしていた。
「オーリもやるの?」
「見本を見せているんだが?」
黒髪の女性の姿で、白くしなやかな腕を伸ばすオーリ。朝日の中、その横顔、立ち姿は、彫刻のように綺麗だった。
◇
最初の数日は、それだけだった。
腕を伸ばす。脚を伸ばす。脚を伸ばしたまま座って、身体を前へ倒す。
腕を伸ばすたび、足を伸ばすたびに身体が痛む。
(こんなので動けるようになるのかな)
毎日。朝から夕方まで、その繰り返しだった。
訓練が終わると、いつの間にかオーリが作った夕食が出てくる。ずっとそばにいるのに、いつ作っているのかわからない。
いつもお肉や野菜をたくさん使った料理とスープ、焼きたてのふわふわで柔らかいパンがテーブルに並べられている。
(なんでパンがこんなに柔らかいんだろう?)
オーリに聞いたら。コーボ?とか言う物を使うらしいけど、私にはよくわからなかった。
「なんで毎日こんなにたくさん食べなきゃいけないの?それに野菜も」
私は野菜が嫌いだった。特に緑色のやつが。
今日の料理にも、お肉の詰まった緑色のやつがいる。
「人間の身体は食べるもので変わっていく。必要な事だ。たくさん食べろ。そして早く寝ろ」
「なんで緑色のやつがいるの?私、これ嫌い」
「お前の好き嫌いは知らん。早く食え」
オーリは食べ物の好き嫌いをすると説教が長いし、目が光ってママより怖い。緑色は嫌いだけど、お肉があるから我慢して食べる。
――美味しかった。ちょっとだけ、緑色のやつを見直してやることにした。
(やっぱり悪魔っぽくない)
私はお腹いっぱい食べると直ぐに眠くなってしまった。
◇
(ちょっとづつだけど、痛くなくなってきた気がする)
少しずつ、身体が軽くなっていくのがわかる。それだけで少し、楽しくなってくる。
昼食は柔らかいパンにお肉と葉っぱの野菜を挟んだものが出てきた。
私は葉っぱの野菜も嫌いだった。
でもオーリの作った料理はおいしい。我慢して食べることにした。
(葉っぱの野菜め、食べてやる。ありがたく思うがいい)
お肉と一緒に食べると、葉っぱの野菜も、そんなに悪いやつじゃないと思った。
「それなりになってきたな。今日から、歩きの訓練を加える」
オーリがそう言ったのは、一週間ほど経った頃だった。
「歩くのは、もうできるよ」
私がそう言って歩くと、オーリは違うと言った。
「まだ、歩き方がぎこちないな。姿勢も悪い。正しい姿勢での歩き方の訓練をする必要がある。――ついてこい、今日は屋敷の周囲を歩く」
この一週間ずっと部屋の中で身体を動かしていたから。外に出たのは、久しぶりだった。
焼け跡の残る庭を、オーリと並んで歩いた。ゆっくりと。一歩ずつ。
オーリの歩き方はまっすぐの姿勢のまま、とても静かで、優雅で、すごく綺麗だった。
(ママの歩き方に似てる。けど、ママよりもまっすぐだ。それに――なんか、かっこいい)
「疲れたら言え」
私はオーリの真似をして。姿勢を真っ直ぐにして、足を一歩ずつ出すけれど。足を上げるたびにふらついて、姿勢が曲がってしまう。
(なにこれ、足が痛い。背中も痛い。なんでこんなに難しいの?)
「――まだ平気」
嘘だった。少し歩いただけで、息が上がっていた。
オーリは、私のペースに合わせて歩いていた。
「いずれ、お前にも必要になる歩き方だ、しっかりと覚えておけ」
(いずれ?何のことだろう。でも、このかっこいい歩き方は覚えたいな)
オーリの言ってる事は、時々よくわからないけど。教えてくれることは、多分、間違ってないんだと思う。
夕方になると身体中が痛くてへとへとになって、私は庭園の中に寝転がって休んでいた。
「今日はここまでだな。初日にしてはよく頑張ったな」
オーリは息一つ乱れてない。まっすぐな姿勢のまま、夕食の準備のために屋敷の中へ歩いていった。
(オーリも一日中歩いてたのに、すごい。何であんなに綺麗に歩けるんだろう?)
夕食は、大きなお肉が出てきた。オレンジの根っこと緑色のやつが入ったスープも出てきた。
オレンジの根っこも嫌いだけど。オーリの作ったものなら食べる。
(二体一とは卑怯だな。でもこっちには大きなお肉がいる。勝ったな)
お肉と一緒に食べると、オレンジの根っこも緑色のやつも、大したことなかった。
◇
次の日からの日課が増えた。朝に身体を伸ばして、その後は歩き方の練習。
私の歩く距離は、日ごとに伸びていった。
庭の端まで。門の外まで。近くの小道まで。歩くのに痛くなることもほとんどなくなった。
でも、まだオーリほどまっすぐで綺麗な歩き方はできなかった。
二週間が過ぎた頃、オーリが言った。
「歩き方は、まあまあだな。練習は続けるが、――今日から、走ることも加える」
「走る?」
「ゆっくりでいい。まずは形から」
私はがむしゃらに走った。すぐに息が切れた。足がもつれて転びそうになる。
自分では、ちゃんと走れていたと思う。
「これは――一度、手本を見せる必要があるな」
オーリは何故かそっぽを向いたまま、私に手本を見せると言った。
「何でコッチ見ないの?」
オーリの肩が震えている気がした。よくわからないけど、寒いのかな?
オーリは、私から少し離れたところから走り出――。
オーリが目の前にいる。足音一つなかった。
瞬きをしたほんの一瞬で、私の目の前に立っていた。
「え?どうやったの?」
驚く私の顔を見るオーリは息一つ乱れてなかった。
「瞬きしたな?少し速すぎたか。もう一度見せるから、よく見ておけ」
オーリはもう一度、少し離れたところから走り出した。
今度はちゃんと見ることができた。でも速すぎて、一瞬でよくわからなかった。
オーリの走り出した場所は、地面が深く抉れていた。
「速すぎてよくわからなかった」
オーリは目を閉じて何かを考えている。
「そうか。――予定変更だ、ジョギングから始めることにする」
私は、聞き慣れない言葉をオーリに聞いた。
「ジョギング?なにそれ。さっきのとは違うの?」
「長い距離を、一定のペースで走る訓練だ。先ほど見せたものとは別の走り方だ。短距離は別の時に教えることにする」
オーリはそう言って腕の振り方、足の動かし方を説明してくれた。
「なんか変な走り方」
「俺も詳しくは知らん。だが、体力を維持して走る方法らしい」
オーリも知らないことがあるのを初めて知った。
その日から朝に手足の伸ばし、お昼に歩き方の訓練。夕方まで走る訓練になった。
「無理――」
私はあっという間に息が切れて、足が止まりそうになる。
「ダメだ。後もう一周だ」
隣を走るオーリの声は、厳しかった。でも、私の走るペースに合わせてずっとそばにいてくれた。
私は歯を食いしばって、走りきった。
「これだけ動ければ上出来か」
今日の夕食は、赤くて丸い野菜と葉っぱの野菜のサラダとお肉を使った。見たことのない麺の料理だった。
麺のソースにも、赤くて丸い野菜が入っているらしい。
(お肉の味で、赤いのがよくわからないな)
麺はとても美味しかった。サラダはゴマという粒を潰したソースで食べた。
(ゴマ、いいやつだ。赤いのも葉っぱの味もよく分からなくなる)
夕食を終えると今日はデザート?というものが出てきた。
(冷たい――プルプルする透明なかたまり)
私がまた食べたいと言うと。オーリは今度別の物を用意すると言っていた。
(ほかにもあるのか、なんておそろしい悪魔なんだ)
正直、悪魔というものはよくわからないけど。オーリのことは嫌いじゃない。
怒ると怖いけど。
◇
三週間が過ぎた頃。
私は屋敷の庭を何周も走れるようになっていた。
息が切れる。汗もかく。でも——身体が、少しずつ自分のものになっていく感覚があった。
それに、あの速い走り方も練習し始めていた。
「ジョギングとは動かし方が全然違うんだね。でも、楽しいかも」
オーリみたいに速くはまだ走れないけど、何度も走り方の練習をする。
「そうか。楽しいか」
オーリの息は全く乱れてない。汗もかいてない。なんでなんだろう。
「これだけ動けるなら問題ないな。明日から、別の訓練を追加する」
◇
次の日、オーリは新しい訓練をすると言っていた。
「今日から、次の段階だ」
オーリがそう言って、木の棒を差し出した。
「これは?」
「剣の代わりだ。まずは構えから覚える」
オーリは自分も木の棒を持って、私の前に立った。
「見ていろ」
オーリが構えを取った。前後に両足を開き、膝を軽く曲げ、棒を両手で持ち、身体の正面に構える。
「これが、基本の構えだ」
「……見たことない構え方」
「そうだろうな。俺が、昔いた国の剣術だからな」
オーリはそれ以上説明しなかった。
私はオーリの構えを真似て棒を両手で持つ。何度も直された。
「肩の力を抜け」「姿勢がブレているぞ」「もっと膝を曲げて姿勢を落とせ」
足の向き、握り方、棒の向き、細かいところまで注意される。
(パパが教えてくれた剣の構え方と全然違う――。パパよりも細かい)
毎日、繰り返した。
◇
棒を振ることも、教わった。
「上から下に、まっすぐ振り、振り下ろさずにしっかり止める。そして、最初の構えに戻す。それだけだ」
簡単そうに見えて、難しかった。
「先ずは、ゆっくり振ってみろ」
一回振るたびに、オーリの注意がはいる。
「軌道がぶれている」
「しっかり止めろ」
「足元がズレている」
少しずつ、振り方が安定していった。
けれど、同時に一つの疑問が私の頭に浮かんでいた。
「これって強いの?」
私の問いに、オーリは少し考えてから答えた。
「どんな武器も技術も使い方次第だ。――だが、こういう技術は見せたほうが分かりやすいか」
そう言ってオーリは木の棒をしっかりと構え、庭園の枯れた木に向けて振り下ろした。
雷のような凄い音と同時に、枯れ木は真っ二つになっていた。
私は真っ二つになった木を触って確かめた。木の断面は剣で斬った跡みたいにまっすぐだった。
「すごい!木の棒で斬れるんだ」
私が驚いてオーリを見ると。
「思ったより脆いな」
オーリの持っていた木の棒は根元から折れてなくなっていた。
「え?折れた木の棒で斬ったの?」
(これが悪魔の力、でもどうして木が斬れたんだろう?)
◇
ある日、オーリが違う動きを見せた。
「これは、武器を使わない技術だ」
拳を握り、腰を落とし、真っ直ぐに構える。
「これも見たことない」
「これも、昔いた国の武術だ」
オーリは拳を突き出した。空気を切る音がした。
「見よう見まねでいい。まず動きを覚えろ」
私はオーリの動きを真似た。拳を握り、腰を落とし、突き出す。
「違う。足運び、身体をひねる動きと連動させろ。腕だけで突くな」
「難しい」
「難しいことをやっているんだから、当然だ」
オーリの言葉は素っ気なかった。でも——付き合ってくれていることは、わかった。
これも、後で見本を見せてもらった。
この前、真っ二つに斬り裂かれた枯れ木に向けてオーリが拳を突き出すと木は爆発して粉々になった。
どうして木が爆発したのか私にはわからなかった。
「加減が難しいな。まあ、しばらくは必要ないか」
オーリは、砕けた木の破片を集めて屋敷の中へ持っていった。
その日の夕食は、お肉と沢山の野菜の燻製だった。木の破片の煙で料理ができるなんて知らなかった。
(これが木の匂い?なんだか少し甘くていい匂いがする)
食堂に木の香りが広がる。オーリが言うには、あの木はサクラという種類の木だったらしい。
春になると桃色の小さな花を枝にたくさん咲かせると聞いた。ママの好きな花だった事を思い出した。
「かわいそうなことしたのかな?」
私が尋ねると。
「あの木は既に枯れていた。もう花を咲かせることもない。気にするな」
オーリは屋敷の倉庫から持ってきた。パパの秘密のお酒を持っていた。
「それ、お酒?」
「ああ、子供にとっては美味しいものではない。大人が暇潰しに香りや舌触りを楽しむ飲み物だ」
オーリは一口分だけグラスに注いで口に含んだ。少ししてから飲み込んだ。
「お前の父親――ブラムスはそれなりに舌が肥えていたようだな」
「パパを知ってるの?」
私は思わず立ち上がり、前のめりになる。食器に身体が当たり。料理をこぼしてしまった。
「少し話をした程度だ。知り合いというのは程遠いな。しかし、食事中に急に立ち上がったりするな、といった筈だが?」
オーリの瞳が仄かな光を宿し、私の目をまっすぐに見ている。
「あ、ごめんなさい」
オーリの説教が始まる前に、私はお皿に盛り付けられた料理を、食べきることにした。
「まあいい、後で少しだけ話をしてやる」
◇
夕食を終えると、オーリは本当に少しだけ、パパの事を話してくれた。
「お前の父親、ブラムスと会ったのは偶然だった。」
オーリはグラスに注いだお酒を揺らしながら教えてくれた。
「話と言うほどの会話はしていない。一方的に、お前のことを頼まれた」
「パパに頼まれたから、私のことを見てくれてるの?」
「いや?お前を助ける理由は特に無い。――強いて言うならお前の名前だな」
「私の名前?」
「昔、知り合いに、同じオパリアという名前がいた――。ある意味、今のお前よりも手間のかかる子供だったな」
オーリはグラスの中のお酒を眺めながら呟いた。
「どんな子だったの?」
「気になるか?」
「少し、気になる」
食堂の時計の金が鳴る。
「――そうか。だが、続きはまた今度話してやる。早く寝ろ」
そう言ってオーリはグラスに入ったお酒を飲み干して、空いた食器を片付けていった。
(オパリア、どんな子だったんだろう?)
◇
週に一日だけ、オーリは情報収集と食料の買い付けの為に、街へ足を延ばしていた。
人型の姿で、街の様子を見て回る。
(この地域の情報は、現状集められる物はもう無いな)
露店の商人、酒場の噂話——集められる情報は限られていた。
(オブシディア家について、詳しく知る者は少ないな。滅んだ貴族の話なぞ、誰も長く語りたがらない)
オーリは路地の隅で、情報を頭の中に整理していた。
(プレビス連邦——という単語を、何度か聞いた。確かランガル王国の西に隣接していた筈だな。ということはオブシディア領は西の隣接領地だったのか)
頭の中で入手した情報を元に、現在地のおおよその目星をつける。
(数年前から国境沿いの小競り合いが増えている、という話も聞いたな。オブシディア家の件と何か関連があるかも知れない)
情報は少なく、まだ全体像は見えなかった。
(街や近隣の情報に詳しい手駒が必要だな。現状では、敵の情報どころか。近隣の情報収集ですら、まともにできていない)
オーリ自身、単独での情報収集に限界を感じていた。
(まあ、急ぐ必要はない。今は、あの子の身体を作ること、敵に生存を知られぬよう隠すことが先だな)
オーリは、屋敷への道を戻ろうとした。目の前の路地を三人の男が道をふさいでいた。
「な?オイラの言ったとおりだろ?最近、噂になってる金持ちのメイドって多分コイツだぜ」
小柄な男が二人に話しかける。
「確かにすげえ美人だな。それに身なりも良い。だけど、なんかヤバそうじゃないか?」
細身で長髪の男は怪訝な表情をする。
「うまそうな匂いがするべ〜。肉持ってるだか?」
太った大男は独特な訛りがある話し方でオーリの持っていた食材の匂いに気付いた様子だった。
三人の男たちはオーリを見て各々手に武器をチラつかせた。
「ここを通りたかったら、わかるよな?」
ナイフをチラつかせた小柄な男がオーリにゆっくりと近付いてくる。
「丁度いい。誰かに直接聞こうと思っていたところだ」
小柄な男は、オーリの金色の瞳を見て表情が一変する。仄かに光る金色の瞳。
路地裏に三人の悲鳴が上がる。だが、表を歩く人々の喧騒に紛れて、その悲鳴は誰にも届かなかった。
◇
一ヶ月が経つ頃には、私は剣の素振りと拳の突きを、それなりに形にできるようになっていた。突きの他にも蹴りや投げ技をいくつか教えてもらっていた。
まだ全然、上手くはない。でも——最初に比べれば、雲泥の差だった。
「悪くない」
オーリが、珍しく褒めてくれた。言葉は短いけど。
「本当?」
「お世辞は言わない主義だ。お前達はどう思う?」
オーリは屋敷の庭園を掃除している三人の男たちへ声をかけた。
「いや〜。見事な剣裁きですな!将来は騎士間違いなしですぜ!」
片目に痣をつけた小柄な男――カリムがごまをするように大きな声で答えた。
「俺は、剣術はわかんねぇけど。相手にしたくねぇなこの子、正直手強いぜ?」
頬の腫れた細身の長髪の男――ホランは、率直な意見を言っているように見えた。
「この子を見てると、病気で亡くしたオラの娘を思い出して――うおおおおおん!」
大きなたんこぶのある太った大男――ドッソは、何故か泣き出した。
三人の男たちはある日、オーリが街から連れてきた。ゴロツキってやつらしい。
(ゴロツキが何なのかはわからない。でも悪い人たちではない気がする、多分)
「あ、ありがとう」
私は少しだけ、口の端が緩むのを感じた。
「次は、何を教えてくれるの?」
「組手だ。剣と拳、両方使えるように。それから——魔法の基礎も、そろそろ始める」
「魔法?」
私は自分の手を見た。
あの夜、魔導書を真似て血で描いた紋様のことを思い出した。
「私、魔法使えるの?」
「素養はある筈だ。無ければ、あの術式は発動しなかった」
オーリは私を見た。
「お前には、まだ使い方を知らない力がある。それを、これから引き出す」
庭園の小さな花が、静かに揺れていた。
【第4話へ続く】




